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土浦市
茨城県土浦市は、つくば市の東隣、水郷筑波国定公園の霞ヶ浦に面する歴史と伝統の町。
2006(平成18)年2月20日、土浦市に新治郡新治村が編入合併して、新しい土浦市が誕生した。
人口140,804人(2015年国勢調査)、面積122.99平方km。
旧土浦市は、1940(昭和15)年11月3日、新治郡土浦町と真鍋町が合併して土浦市となった。 これより以前、土浦町は1937(昭和12)年4月1日に中家村、1938(昭和13)年6月1日に藤沢村の一部(現在の土浦市虫掛)、 1939(昭和14)年6月1日、東村を合併している。土浦市誕生後も、1948(昭和23)年9月1日に都和村と朝日村の一部、 1954(昭和29)年11月1日には上大津村を編入した。 江戸時代は、幕府の老中などを務めた土屋氏の城下町として、また水戸街道の宿場町として、明治以降は、霞ケ浦の水運を利用した物資の集散地としてにぎわった。 また戦前は、海軍の町として知られ、予科練として有名な霞ヶ浦航空隊があった。 戦後は、周辺の農村から多くの人が集まる商業の町として、長く茨城県南の中心都市として栄えた。現在も多くの商業施設が集まっている。 合併前の人口は135,058人(2005年国勢調査)、面積81.83平方km。 旧新治村は、1955(昭和30)年7月27日、藤沢村、斗利出村、山の荘村が合併し、新治村となった。筑波連山の東に連なる山々のふもとで、気候風土に恵まれている。 合併前の人口は9,002人(2005年国勢調査)、面積31.99平方km。 南北にJR常磐線が走り、神立駅、土浦駅、荒川沖駅の3駅がある。土浦駅、荒川沖駅は、筑波研究学園都市の鉄道の玄関口として役割を果たしてきた。 現在も水戸方面からは鉄道での玄関口となっている。 北関東随一といわれた「七夕まつり」(現在はキララまつり)はじめ、 日本三大花火大会に数えられる「土浦全国花火競技大会」など、多くのイベントが開催されている。 真鍋の桜、亀城公園、桜川の桜、新川の桜など桜の名所も多い。 また、常磐自動車道、土浦北ICは、筑波山観光の玄関口としても知られる。 つくば霞ヶ浦りんりんロード及び霞ヶ浦湖岸のサイクリングロードはつくばりんりんロードへ。 霞ヶ浦、霞ヶ浦湖岸道路、観光帆曳船 は水郷筑波国定公園へ。 桜川、田土部堰及び桜川の支流、桜川に架かる橋は桜川へ。 天の川及び天の川に架かる橋は恋瀬川へ。 土浦全国花火競技大会 花火大会は、1925(大正14)年、土浦市内にある神龍寺の住職が、霞ヶ浦航空隊の殉職者の慰霊と、当時不況にあえいでいた地元商店街の復興を目的に私財を投じてスタートさせた。 その名のとおり、日本一の花火を決める大会で、スターマイン、10号玉、創造花火の3部門、及び総合で競われる。総合の最高賞には内閣総理大臣賞が授与される。 花火大会は、毎年11月の第1土曜日(2020年から、それまでは原則10月の第1土曜日)開催。特等席で見られる桟敷席の販売も行われている。 会場は、同市の桜川河畔、土浦駅西口から徒歩ないし東口からシャトルバス。 土浦市田中。花火大会会場(桟敷席)の地図 朝日峠展望公園駐車場から見た土浦全国花火競技大会の花火(左)、同じく同所からの10号玉花火(右) つくば市の筑波山山頂から見た土浦全国花火競技大会の花火(左)、つくば市との境界にある宝篋山から見た土浦全国花火競技大会の花火(右) 亀城公園 亀城公園は、かつての土浦城本丸と二の丸の一部を整備した。 土浦城は、室町時代の永享年間(1429〜40年)、若泉氏が築城した。また、平将門が最初に砦を築いたという伝説もある。 平城で、お堀の水に浮かぶ姿が亀のように見えたことから亀城と呼ばれる。 園内には、江戸時代前期の遺構としては関東地方では唯一という「櫓門(やぐらもん)」はじめ、江戸時代後期に建てられた高麗門やお堀などが当時の面影を残す。 また、東櫓、西櫓が復元されている。桜の名所として知られる(下記参照)。 土浦市中央1−13。亀城公園の地図 亀城公園のシンボルともなっている櫓門 東櫓(左)と西櫓(右) お堀ごしに東櫓を望む(左)、前川口門(右) 聖徳太子堂 1936(昭和11)年、土浦の有志により桜川畔に建立された。1965(昭和40)年、桜川の改修工事に伴い現在の亀城公園内に移転した。 この時、土浦五職組合が堂を建立、太子像を奉納している。以降奉賛会を設立、毎年職祖神として祀っている。公園東側にある。 土浦市中央1−13。聖徳太子堂の地図 聖徳太子堂 亀城のシイ 亀城公園にあるスダジイの巨樹。茨城県指定天然記念物。胸高幹回り約7m、樹高約16m、枝張り約21m、樹齢は約500年という。公園南側にある。 土浦市中央1−13。亀城のシイの地図 亀城のシイ全景(左)、同じく幹(右) 土屋神社 亀城公園内にある神社。旧土浦藩主、土屋家の先祖を祀る同家の氏神。 西櫓の北側にある。 土浦市中央1−13。土屋神社の地図 土屋神社 亀城公園の鯉のぼり 亀城公園、土浦城址の堀に飾られた鯉のぼり。4月上旬から5月5日まで。 亀城公園の堀に飾られた鯉のぼり ウララ JR土浦駅西口前にある3棟からなる複合施設。土浦市役所(1階〜4階)、茨城県県南生涯学習センター(5、6階)、土浦総合福祉会館(ウララ2=4階〜8階)、 などの公共施設やウララ医療センター(ウララ2=2階、3階)などの公的施設が入居する。地階にはスーパーのカスミ土浦駅前店が入る。 住居施設である地上31階建ての高層マンションSOLID TOWER(ソリッドタワー)がある。 高さ109.15mで、建設当時は茨城県内で最も高いビルだった。現在は茨城県庁に次いで2番目。 土浦駅西口とはぺデストリアンデッキで結ばれている。北側には「うらら広場」がある。 土浦駅前再開発事業として行われ、1997(平成9)年10月1日、イトーヨーカドーをキーテナントとする商業複合施設として開業した。 キーテナントのイトーヨーカドーをはじめとする商業施設が2013(平成25)年2月17日で閉店。 2015(平成27)年9月24日、商業施設跡に土浦市役所及びカスミ土浦駅前店が入居、再スタートした。 土浦市大和町9−1。ウララの地図 ウララ、奥のマンションがソリッドタワー(左)、イトーヨーカドーが入居している時代のウララ(右) アルカス土浦 JR土浦駅西口前にある土浦市立図書館を中心とした複合施設。2階から4階に図書館が入居、1階に市民ギャラリーと銀行、交番が、2階の一部に学習塾が入る。 土浦駅北再開発事業として事業が進められ2017(平成29)年11月27日オープンした。 土浦市立図書館は、蔵書35万冊で茨城県内で最大規模を誇る。また館内座席は600席ある。 開館時間は午前10時から午後8時(土日は午後6時)まで。休館日は第1及び祝日を除く月曜日及び年末年始と図書整理日。 市民ギャラリーは、市民の芸術文化活動発表の舞台となる。 土浦市大和町1−1。アルカス土浦の地図 アルカス土浦 ペルチ土浦 土浦駅ビルの新しいショッピングセンター。2009(平成21)年7月24日にオープンした。イオンモールの経営。 ファッションや飲食店など60の専門店が入る。 かつて駅ビルは1983(昭和58)年に開業した「WING(ウイング)」が営業していたが、2008(平成20)年7月に撤退していた。 土浦市有明町1−30。 ペルチ土浦の地図 ペルチ土浦 イオンモール土浦 旧イオン土浦ショッピングセンター。イオン土浦店を中心に多くの専門店からなる3階建ての大型ショッピングセンター。 大型家電店ノジマ、スポーツオーソリティ、シネマサンシャイン、ユニクロ、ライトオンなどが入居する。 2009(平成21)年5月28日グランドオープン。駐車場は平面と屋上、3260台。 JR土浦駅西口、つくばセンター(つくば駅)とイオン土浦ショッピングセンター間の路線バスがある。 2011(平成23)年11月21日、イオンモール土浦に名称変更した。 土浦市上高津367。 イオンモール土浦の地図 イオンモール土浦 ジョイフル本田荒川沖店 関東地方で超大型のホームセンターを中心に展開する。土浦市荒川沖の荒川沖店が第1号店。 ホームセンターに加え、エクステリアセンター、ガーデンセンター、ペットセンター、ガーデンセンター、インテリア館、JOYFUL−2、オールドフレンドなどがある。 無料駐車場約2000台。 土浦市北荒川沖町1−30。 ジョイフル本田荒川沖店の地図 ジョイフル本田荒川沖店 ゼビオドームつくば学園東大通り店 日本最大級の体験型スポーツモール。店舗面積9500平方mの巨大なモールにスポーツアイテムだけでなく、スポーツを魅力や楽しさを体験できる施設。 1階がショッピングフィールド。シューズ、サッカー、トレーニングウエア、野球などの専門コーナー。ナイキ、アディダスのアウトレットコーナーなどがある。 また、ナイキショップやスポーツめがねの専門店などが入る。なお、店舗の各所に体験コーナーがある。 2階はスポーツフィールド。ランニングコースやセミナールーム、ロッカールームなどが設けられている。 このほか、別館としてヴィクトリアゴルフ、それに中古ゴルフクラブを扱うゴルフパートナーがある。 営業時間は午前10時〜午後9時。無料駐車場有。 土浦市中村南6−12−8。 ゼビオドームつくば学園東大通り店の地図 ゼビオドームつくば学園東大通り店 JA水郷つくばサンフレッシュ土浦店 JA水郷つくばの農産物直売所。旧JA土浦サンフレッシュ土浦店。 2019(平成31)年2月1日、JA水郷つくば誕生に伴い現在の名称になった。 土浦店は、旧JA土浦の農産物直売所1号店。土浦市粕毛にあったが、建物の老朽化などに伴い2020(令和2)年4月19日、現在地に移転した。 営業時間は午前9時30分から午後6時。第1水曜日定休(お盆、年末年始休)。 土浦市小岩田西1−1−11。JA水郷つくばさんふれ土浦店の地図 JA水郷つくばサンフレッシュ土浦 JA水郷つくばサンフレッシュ新治店 JA水郷つくばの農産物直売所。旧JA土浦サンフレッシュ新治店。 2019(平成31)年2月1日、JA水郷つくば誕生に伴い現在の名称になった。 国道125号線沿いにある。地元産の農産物全般の販売を行っている。 花などの園芸種も多く取り扱う。また、そば処「まほら庵」を併設。 営業時間は、午前9時30分から午後6時(10月から3月は午後5時30分)まで。 年中無休(お盆、年末年始を除く)。まほら庵は、営業時間午前11時30分から午後3時、定休日は水曜日及びお盆、年末年始。 土浦市藤沢514−1。JA水郷つくばさんふれ新治店の地図 JA水郷つくばサンフレッシュ新治店 JA水郷つくばサンフレッシュはすの里 JA水郷つくばの農産物直売所。旧JA土浦サンフレッシュはすの里。 2019(平成31)年2月1日、JA水郷つくば誕生に伴い現在の名称になった。 営業時間は午前9時30分から午後6時(10月から3月までは午後530分時まで)。年中無休(お盆、年末年始を除く)。 土浦市木田余3140。JA水郷つくばさんふれはすの里の地図 JA水郷つくばサンフレッシュはすの里 利根コカ・コーラボトリング茨城工場 1970(昭和45)年操業。現在はコカ・コーライーストジャパンプロダクツ茨城工場。アクエリアスなどの清涼飲料水のペットボトル製品、ジョージアなどの缶製品を製造を担当している。 茨城・千葉限定で販売され、今やお土産など、地元の名物ともなっている「マックスコーヒー」の缶製品を製造している。 工場見学を受け付けている。実施日時は毎週水曜日で、午前の部(午前10時30分〜)、午後の部(午後1時30分〜)の2回で、時間は約90分。 受け入れ人数は10人から80人。団体のみ、完全予約制。 土浦市東中貫町4−1。 利根コカ・コーラボトリング茨城工場の地図 鬼太郎&目玉おやじの像 水木しげる原作のゲゲゲの鬼太郎と目玉おやじの銅像。 1998(平成10)年11月、アイバンク登録(献眼)を呼びかける目的で、土浦環ライオンズクラブが、結成25周年記念事業の一環として設置した。 土浦駅西口のバス乗り場外周にある。 土浦市有明町。 鬼太郎&目玉おやじの像の地図 鬼太郎&目玉おやじの像 土浦祇園祭 土浦駅前通り周辺の旧土浦城下、旧土浦町域を中心とした祇園祭。八坂神社(真鍋=下記参照)の祭礼。7月下旬の金曜日、土曜日、日曜日に開催される。 氏子地域各町の山車や、重さ1トンといわれる大神輿が祭りに華を添える。 金曜日が笠揃えとも呼ばれる迎え祇園。神輿を八坂神社から旧土浦城下の市街地に設置された御仮屋に移す。 土曜日が本祇園で神輿の渡御が行われる。日曜日が送り祇園で神輿を八坂神社に戻す。 山車は氏子地域から4町内程度交替で出る。グループ分けは大手町、大町、立田町、中央1丁目、中央2丁目。城北町、東崎町、川口町、大和町。 桜町1丁目、桜町2丁目、桜町3丁目、桜町4丁目。千束町、文京町、生田町、田中1丁目、田中2丁目、田中3丁目。 土曜日夜、日曜日夜には駅前通りの一部が歩行者天国となり神輿と山車の競演などが行われる。 本祇園当日、御仮屋を出る大神輿 真鍋のまつり 土浦市真鍋、旧真鍋町の祭りで、同地区にある鹿島神社例大祭。8月下旬の金曜日、土曜日、日曜日に開催される。 宮神輿と真鍋地区9町から獅子や山車が出る。 真鍋地区9町は、真鍋1丁目、真鍋2丁目、真鍋3丁目、真鍋4丁目、真鍋5丁目、真鍋6丁目、東真鍋町、西真鍋町、真鍋新町。各町獅子ないし山車、もしくは両方持つ。 金曜日が笠揃え、土曜日午前10時から渡御祭が行われ、神社から当番町まで神輿が渡御する。各町の獅子や山車も神社参道に集まり、神輿を迎える。 神輿は当番町に設けられた御仮屋に向かう。また神社では奉納相撲が行われる。夜は真鍋宿通りが歩行者天国となり獅子、山車の交歓会。 日曜日は神輿が御仮屋から還御するほか、夜は土浦市民会館駐車場で9町の獅子や山車が集合し「九町競演」を行いクライマックスを迎える。 山車などの詳細は真鍋のまつりへ。 神輿 地区内を進む真鍋一丁目の山車(左)、巨大な「おかめ」が人気の東真鍋町の山車(右) 土浦キララまつり 8月の第1土、日曜日に土浦駅前通りを主会場に開催されている祭り。1951(昭和26)年に始まった土浦七夕祭りが前身。 1990(平成2)年、霞ヶ浦湖上祭りを統合して現在のキララまつりとなった。 七夕祭り時代は、土浦駅前通りや中城通りを覆うように飾り付けられた七夕飾りは北関東随一の豪華さを誇るといわれ多くの人出でにぎわった。 現在も、一部で七夕飾りはあるが規模は小さい。霞ヶ浦の水上安全祈願祭や土日両日、歩行者天国となった駅前通りで山車の巡行や 七夕踊りの競演などが行われている。 土浦キララまつり 土浦の雛まつり メイン会場の土浦まちかど蔵「大徳」及び「野村」はじめ、JR土浦駅周辺(一部JR神立駅前)の商店や事業所などに江戸、明治、大正、昭和、平成の雛人形が飾られている。 2月上旬から3月3日まで。 土浦の雛まつり、土浦まちかど蔵「大徳」に展示の雛飾り 土浦の雛まつり、土浦まちかど蔵「大徳」に展示の干支雛の飾り(左)、同じく親王飾り(右) 水神宮例祭 川口水神宮例祭。神輿の渡御が土浦市川口を中心にJR土浦駅前周辺で7月の海の日に行われる。 神輿や担ぎ手への水かけが特徴で、神輿の渡御中、さまざまな方向から水がかけられ、神輿も担ぎ手もびしょ濡れとなる。 土浦市川口。川口水神宮の地図 土浦市内を渡御する水神宮神輿。さまざまな方向から水がかけられる 土浦港 土浦港は霞ヶ浦の玄関口として、遊覧船の発着所がある。ホワイトアイリス(ラクスマリーナ)、ジェットホイルつくば号(常陽観光)の2隻の遊覧船が運航されている。 またヨットハーバー(ラクスマリーナ管理)がある。 土浦市川口。土浦港の地図 土浦港 ホワイトアイリス 土浦港を発着する霞ヶ浦の遊覧船で、ラクスマリーナが運航する。全長15mの双胴船。最大速度24ノット、巡航速度20ノット。定員は86人。 霞ヶ浦周遊はおよそ1時間に1本(貸切等で運休の場合有)。料金は大人1540円、小人770円。 夏期の帆曳き船伴走は、午後1時30分出航。料金は霞ヶ浦周遊と同じ。 観光帆曳き船については水郷筑波国定公園へ。 土浦市川口。ラクスマリーナの地図 土浦港を出航するホワイトアイリス号 ジェットホイルつくば号 土浦港を発着する霞ヶ浦の遊覧船で常陽観光が運航する。 インタークーラーターボ出力1200馬力のエンジンを搭載。最大速度35ノット、巡航速度27ノットを誇る。 定員は110人。1、2階が客席で後部にオープンデッキがある。 霞ヶ浦周遊は所要時間約40分。料金は大人(中学生以上)1680円、子供(小学生)850円。 夏期の帆曳き船伴走は、午後1時35分出航。料金は霞ヶ浦周遊と同じ。 観光帆曳き船については水郷筑波国定公園へ。 土浦市川口。常陽観光の地図 霞ヶ浦総合公園 霞ヶ浦に面し、数々の施設を備えた総合スポーツレクリエーション施設。公園のシンボル・オランダ型風車はじめ、宿泊施設、 多目的グラウンド、水郷プール、水郷体育館、テニスコート、ネイチャーセンター、水生植物園、バーベキュー施設などがある。 また、ツェッペリン号の巨大なジャングルジムや全長45mのローラー滑り台がある。 ネイチャーセンターは、霞ヶ浦湖畔にあり、さまざまな淡水魚観察やバードウオッチングができる学習施設。 1階に世界の淡水魚、2階に霞ヶ浦の淡水魚の展示がある。また、2階に野鳥観察コーナーがあり、ここから霞ヶ浦の野鳥を観察することができる。 人工温泉「霞浦の湯」がある。なお、以前は宿泊施設として国民宿舎「水郷」があった。 水郷プールは、流れるプールはじめ、スライダープール、50m競技用プールにもなる多目的プール、最大水深45cmのちびっこプールがある。 土浦市大岩田1051。霞ヶ浦総合公園の地図 公園のシンボル・オランダ型風車(左)、園内の庭園(右) 園内にある全長45mのローラー滑り台(左)、同じくツェッペリン号を模した巨大なジャングルジム(右) オランダ型風車前から霞ケ浦を望む(左)、ネイチャーセンター(右) 水郷桜イルミネーション 霞ヶ浦総合公園のオランダ型風車前周辺を中心に冬期に実施されているイルミネーション。 「光がつくる“Art”」がテーマ。高さ25m、羽根直径20mの回転する風車の羽根にもイルミネーションが取り付けられているのが特徴。 日本最大級の風車イルミネーションという。このほか、筑波山や霞ヶ浦、桜川をイメージしたものや 土浦市の特産であるレンコンからハス田をイメージしたイルミネーションがある。風車の前にの花壇には多くの竹あかりが飾られている。 第5回水郷桜イルミネーションは、2016(平成28)年11月19日(土)から2017(平成29)年2月19日(日)まで。 時間は午後5時〜午後9時まで。 土浦市大岩田145。水郷桜イルミネーションの地図 オランダ型風車周辺のイルミネーション 霞ヶ浦総合公園の桜 公園内には多くの桜がある。 霞ヶ浦総合公園の桜(左)、同じく河津桜(右) 霞ヶ浦総合公園の枝垂桜(左)、風車前の桜(右) 霞ヶ浦総合公園のチューリップ オランダ型風車周辺に約3万本の色とりどりのチューリップが咲き誇る。見頃は4月中旬から4月下旬。 オランダ型風車とチューリップ 霞ヶ浦総合公園の紅葉 公園内北西側にある水郷の滝と名付けられた付近は紅葉の隠れた名所。このほかにも多くの場所で紅葉する。 霞ヶ浦総合公園水郷の滝付近の紅葉(左)、水郷の滝近くの入口、楓の紅葉(右) 国民宿舎水郷 霞ヶ浦総合公園内にあった宿泊施設及び温泉施設。 鉄筋3階建ての宿泊施設は、東日本大震災でダメージを受け、2013(平成25)年に取り壊された。 現在は、温泉施設「霞浦の湯」のみ残る。霞ヶ浦を一望できる展望風呂が人気(下記参照)。 土浦市大岩田255。 国民宿舎水郷(東日本大震災前、現在は取り壊されている) 霞浦の湯 霞浦の湯は、霞ヶ浦総合公園内にある日帰り温泉入浴施設。人工温泉で、北海道二股温泉の天然石を使用した炭酸カルシウム泉。 しもやけやうちみ、腰痛、リュウマチ、神経痛などに効能がある。 営業時間は午後2時〜午後8時(最終受付は午後7時15分)、大人410円、小学生まで210円、3歳以下無料。月曜日定休(祝日の場合は次の平日が休)。 土浦市大岩田255。霞浦の湯の地図 霞浦の湯外観(リニューアル前) りんりんポート土浦 つくば霞ヶ浦りんりんロードを走るサイクリストの拠点施設。 施設内をつくば霞ヶ浦りんりんロードが通っている。 敷地面積は約11473平方m、鉄骨平屋建てで、建築面積は約264平方m。 休憩スペース、自転車メンテナンススペースのほか、シャワー室(30分200円)、トイレ、多目的室、屋上展望スペースなどがある。また駐車場、自転車駐車場、広場がある。 休憩施設の利用時間は午前9時から午後6時まで。年末年始(12月29日〜1月3日)休館。 土浦市川口2−13−25。りんりんポート土浦の地図 りんりんポート土浦 土浦水天宮 日本三大水天宮のひとつ(他は久留米の水天宮、東京の水天宮)。1840(天保11)年、久留米藩主有馬頼徳(よりのり)の三女竹姫が土浦藩主土屋寅直(ともなお)に嫁入りの時、 久留米水天宮の分霊を捧持し、土屋藩邸内に祀ったものがはじまり。 土浦市川口町の現在地に遷宮したのは1958(昭和33)年。霞ケ浦湖畔に、鳥居と本殿がひっそりと建つ。日本三大水天宮とされるが、規模は小さく、社務所などはなし。 祭神は、安徳天皇、建礼門院徳子、平時子、天之御中主神。水難除け、農業、漁業、海運、商売繁盛にご利益があると伝えられる。 また、安産の神としても知られる。 なお隣接してある水神宮、寿寅稲荷神社とともに川口3社と呼ばれる=下記参照。 土浦市川口町2−12−4。土浦水天宮の地図 土浦水天宮 水神宮 川口水神宮。1836(天保7)年1月、土浦城下の川口の住民有志によって創建されたという。祭神は弟橘姫。 船運業者、漁業関係者の守護神として水難除けに、さらには水に関係する業者の商売繁盛に御利益があるとされる。 7月の海の日に行われる例祭には同神社前から土浦駅周辺の氏子地域を中心に神輿が渡御する=上記参照。 なお隣接してある土浦水天宮、寿寅稲荷神社とともに川口3社と呼ばれる=上記及び下記参照。 土浦市川口町2。水神宮の地図 水神宮全景(左)、社殿(右) 寿寅稲荷神社 じゅえんいなりじんじゃ 壽寅稲荷大明神。創建は江戸時代末期、土浦城内に祀られたとされる。明治維新以降、土浦水天宮とともに川口町の旧土浦藩主、土屋邸に、その後小松町に移り、 さらに1958(昭和33)年7月5日、現在地に遷座した。商売繁盛、火難除け、病難除けに御利益があるとされる。 なお隣接してある土浦水天宮、水神宮とともに川口3社と呼ばれる=上記参照。 土浦市川口町2。寿寅稲荷神社の地図 寿寅稲荷神社 土浦駅 JR常磐線における茨城県南部の主要駅。西口と東口があり、自由通路で結ばれている。 1895(明治28)年11月4日、日本鉄道海岸線の駅として開業。 1906(明治39)年11月1日、国有化され、国鉄の駅となった。1918(大正7)年4月17日、筑波鉄道の土浦−筑波駅間が開業。 1928(昭和3)年3月22日、常南電気鉄道が乗り入れ、土浦−阿見間を結ぶ。常南電気鉄道は1938(昭和13)年に廃線(廃業)となった。 1983(昭和58)年2月17日、現在の駅ビルを有する橋上駅舎が完成。同年4月に駅ビル「WING」が開業した。 1987(昭和62)年3月31日、筑波鉄道廃線。 1987(昭和62)年4月1日、国鉄が民営化、JR東日本及びJR貨物に移行する。 2008(平成20)年にWINGが閉鎖。2009(平成21)年にベルチ土浦が開業している(上記参照)。 土浦駅は、予科練などがあり海軍の街として賑わった土浦市の玄関口として知られる。戦前に建てられた前駅舎は、軍艦型駅舎として親しまれた。 また、駅ビル「WING」は、予科練などから飛行機の「つばさ」を意味していた。 つい最近まで、土浦駅の常磐線ホームは2番線から4番線が割り当てられてた。1番線は、筑波鉄道に割り当てられていた名残だった。 2004(平成16)年2月20日、割り当ての変更が行われ旧2番線が1番線となり下り(水戸方面)、 同じく旧3番線が2番線、旧4番線が3番線で、いずれも上り(取手、上野方面)となっている。 駅ビルは地上5階建て。駅前のウララとはぺデストリアンデッキで結ばれている。また東口は、土浦市営駅東駐車場(立体駐車場)とぺデストリアンデッキで結ばれている。 なお、駅西口前にバスターミナル、東口にもバス乗り場がある。つくば市方面は駅西口の2番(つくばセンター、筑波大学中央方面)、3番乗り場(つくばセンター、石下駅方面)と、東口乗り場(つくばテクノパーク大穂方面)にある。 土浦市有明町1−30。 土浦駅の地図 土浦駅西口、ベルチ土浦時代(左)、同じく東口(右) 土浦ウインターフェスティバル 土浦駅周辺を会場に開催されている伝統のイルミネーション。11月下旬から1月末までの開催。 土浦駅西口、市役所北側にあるうらら大屋根広場のイルミネーション(左)、同じく土浦駅東口(右) 荒川沖駅 1896(明治29)年12月25日開業。1978(昭和53)年2月15日、駅橋上化完成。 つくばエクスプレス開通以前は、土浦駅とともにつくば市への最寄駅となっていた。 土浦市荒川沖東2−1−6。 荒川沖駅の地図 荒川沖駅西口(左)、同じく東口(右) 神立駅 1895(明治28)年11月4日、日本鉄道海岸線の駅として開業。2016(平成28)年10月、駅舎の橋上化及び東西の自由通路新設工事開始。 2017(平成30)年3月23日、自由通路、同年3月24日、始発から橋上駅の一部供用開始。 土浦市神立中央。 神立駅の地図 神立駅西口(左)、同じく東口(右) 土浦地方卸売市場 生産者から安全で安心な生鮮食品及び加工品を全国各地から集め、適正な価格で新鮮な食材を消費者に届ける役割を担う。 敷地面積72672平方m、建物面積は25288平方m。卸売業者は青果部2社、水産部1社、花き部1社の計4社。 仲卸業者は青果部3社、水産物部4社の計7社。関連事業者は18社。 通常は一般消費者は利用できないが、月に1度、毎月第3土曜日の市場開放日「いかっぺ市」(午前8時30分から同10時30分)は利用可能。 土浦市卸町1−10−1。土浦地方卸売市場の地図 土浦地方卸売市場 真鍋の桜 真鍋小学校の桜。土浦市立真鍋小学校の校庭の真ん中にある5本のソメイヨシノの古木。1910(明治40)年に、校舎の新築を記念し、校庭の隅に植えられた。 その後、校庭の拡張に伴い、真ん中になってしまったという。1957(昭和32)年、「真鍋のサクラ」として茨城県の天然記念物指定。 土浦市真鍋4−3−1。真鍋小学校の地図 真鍋の桜、中央にある3本 真鍋の桜最も西側の桜(左)、同じく最も東側の桜(右) 清瀧寺 南明山慈眼院清瀧寺、真言宗豊山派。清瀧観音として知られる。本尊は聖観世音菩薩。坂東三十三観音霊場第26番札所。 607(推古帝15)年、竜ケ峯に創建された。大同年間(806−810年)、徳一大師により、古観音に移された。 当時は七堂伽藍(金堂、塔、講堂、鐘楼、経蔵、僧坊、食堂の7つ)を備えた壮大な寺だったという。 その後、小田氏と佐竹氏の戦乱による兵火で焼失。江戸時代に現在地に再建された。 1969(昭和44)年、本堂が、1973(昭和48)年、仮堂が火災にあい、現在の本堂は、1977(昭和52)年に再建された。 なお、朱塗りの山門は江戸時代の建立で、当時の面影を残している。 御朱印については御朱印・寺院も参照。 坂東三十三観音霊場については坂東三十三観音霊場も参照。 土浦市小野1151。清瀧寺の地図 清瀧観音山門(左)、坂東三十三観音霊場第26番札所の御朱印(右) 本堂(左)、手水舎(右) 門前の手水(左)、鐘楼(右) 清瀧観音の桜 本堂脇をはじめ、本堂東側、また入口付近には枝垂桜などもある。 本堂脇の桜 大聖寺 羽黒山今泉院大聖寺。真言宗豊山派。土浦大師不動尊として親しまれている。北関東三十六不動尊霊場第31番札所。 995(長徳元)年、醍醐寺成尊僧都により今泉寺(こんがんじ)として創建される。 1374(応安7)年、この地を治めていた小田孝朝が、小田城の守りとして定めた小田領4ケ寺(普門寺、大聖寺、法泉寺、南円寺)の一つとなり、 西平塚(現在のつくば市西平塚)に移されたが、小田氏滅亡後現在地に戻っている。 四脚門は1369(応安2)年の建立と伝えられる。山門は1685(貞享2)年、土浦城主・松平信興の寄進。薬医門形式。両門とも土浦市の文化財に指定されている。 境内には「新四国八十八カ所ミニ霊場」がある。四国の霊場を1000分の1に縮めたもので、距離は約1500m、約1時間で巡礼できる。 北関東三十六不動尊霊場の詳細は北関東三十六不動尊霊場へ。 茨城百八地蔵尊霊場第78番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 御朱印、オリジナル御朱印帳有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。 土浦市永国203。大聖寺の地図 大聖寺本堂 土浦市の文化財に指定されている大聖寺山門(左)、四脚門(右) 大聖寺北関東三十六不動尊霊場第31番札所の御朱印(左)、同じく神龍の御朱印(中左)、 同じく羽黒権現の御朱印=背景に朝顔と金魚が描かれた7月バージョンの御朱印、毎月背景の絵柄が変更になる。背景は12種類ある(中右)、 同じく地蔵尊の御朱印=同じく背景に朝顔と金魚が描かれた7月バージョンの御朱印、毎月背景の絵柄が変更になる。背景は12種類ある(右) 大聖寺オリジナル御朱印帳表紙(左)、同じく裏表紙(右) 善応寺 照井山歓喜院善応寺。真言宗豊山派。本尊は大日如来。関東八十八カ所霊場第35番霊場。寺の創建は室町以前とされるが詳しくは不明。 江戸時代には、土浦城主・土屋家の庇護を受けた。境内の観音堂は、1670(寛文10)年、土屋数直が土浦城の鬼門除けとして建立したもの。 現在の観音堂は、1811(文化11)年の再建。屋根の瓦には土屋家の家紋「三ツ石紋」が刻まれている。 お堂の下に弘法大師ゆかりの照井の井戸があり、それが寺の名前の由来ともなっている。江戸時代には、土浦城内までこの水がひかれていた。 関東八十八ヵ所霊場の詳細は関東八十八ヵ所霊場へ。 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。 土浦市真鍋3−12−1。善応寺の地図 善応寺観音堂(左)、関東八十八カ所霊場第35番霊場の御朱印(右) 善応寺本堂と鐘楼(左)と照井の井戸(右) 真延寺 億萬山七福尊真延寺。1985(昭和60)年創建。室町時代の名工・後藤裕乗作という金無垢の七福神が本尊。 毎年11月23日に例大祭が行われ、本尊がご開帳される。 また、境内には正岡子規が土浦に立ち寄った時に詠んだ「霞みながら春雨ふるや湖の上」の句碑が建立されている。 常陸七福神は同寺本尊をもとに作られた七福神像を各神社寺院に祀り成立した。 常陸七福神の詳細は常陸七福神へ。 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。 土浦市西真鍋町4−43。真延寺の地図 真延寺本堂(左)、御朱印(右) 本堂前にある階段(左)、境内にある正岡子規の句碑(右) 般若寺 龍王山釈迦院般若寺。真言宗豊山派の寺。国指定重要文化財で、日本三梵鐘のひとつとされる銅鐘があることで知られる。 947(天暦元)年の創建。開基は、平将門の次男将氏の娘安寿姫(如蔵尼)と伝えられる。 創建当時は現在の土浦学園線沿いの台地にあったが、平安末期に現在地に移されたとされる。 鎌倉時代、執権・北条氏の保護を受け、五重塔など、七堂伽藍が整備されていた。現在の宍塚小学校の敷地一帯も境内だったという。 しかし、戦国時代になると戦乱によって2度に渡って焼き討ちに遭い、ほとんどが焼失した。 江戸時代初期には、地元出身の三島検校が江戸護国寺の観音堂を移築して釈迦堂として寄進している(1977年老朽化により解体)。 銅鐘は、1275(元治元)年、僧源海が大勧進となり、丹治久友、千門重延の鋳造と刻まれている在銘古鐘として全国的に知られている。 鎌倉時代、執権・北条時宗が元寇の戦勝祈願のため寄進されたといわれている。 このほか、鎌倉時代作の釈迦如来像と結界石、石造五輪塔が茨城県指定文化財となっているほか、六地蔵石造灯篭や多くの仏像が土浦市の指定文化財となっている。 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。 土浦市宍塚1461。般若寺の地図 般若寺の本堂(左)、御朱印(右) 般若寺の門(左)、門脇の木蓮(右) 般若寺の銅鐘、鎌倉時代の在銘古鐘として知られる。 等覚寺 蓮光山正定聚院(れんこうざんしょうじょうじゅいん)等覚寺。真宗大谷派。建仁年間(1201〜04年)の創建と伝えられている。 小田氏の祖、八田知家の子である了信房の開山とされる。 もとは藤沢城内にあり、極楽寺と呼ばれていた。小田氏の庇護のもと寺も隆盛したが、小田氏の衰退とともに兵火で堂宇も焼失した。 江戸時代には、土浦城主の庇護の下、城内に移され、寺号も等覚寺に改められた。 常陸三古鐘の銅鐘があることで知られる。 銅鐘は、国指定重要文化財、建永の年号、筑後入道尊年鋳顕極楽寺鐘の文字がわかる。 本堂前には土浦市の名木・古木に指定されている立派な枝ぶりのクロマツがある。 土浦市大手町4−16。等覚寺の地図 等覚寺本堂、手前には枝ぶりが立派な黒松(左)、常陸三古鐘の銅鐘(右) 神龍寺 宝珠山神龍寺。曹洞宗の寺。1533(天文元)年、土浦城主・菅谷勝貞の開基、雪田真良和尚の開山とされる。 江戸時代には土浦藩主・土屋家の菩提寺だった。 また、大正時代には神龍寺住職が私財を投じて花火大会をスタートさせた。現在の土浦全国花火競技大会の礎となっている(上記参照)。 土浦市文京町1−27。神龍寺の地図 神龍寺本堂 浄真寺 光照山浄真寺。浄土宗の寺。創建年代は不詳。1601(慶長6)年、土浦城主の松平信一が、真誉一諸上人を中興開山として迎え寺を整備、松平氏の菩提寺とした。 本尊は、鎌倉時代の作と伝えられる銅造阿弥陀如来立像で、茨城県指定文化財。境内には幕末の蘭学者・高野長英の墓がある。 茨城百八地蔵尊霊場第80番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 土浦市立田町3−28。浄真寺の地図 浄真寺本堂 法泉寺 聖天山無量寿院法泉寺。真言宗豊山派。醍醐寺三宝院流乗海和尚の開山とされる。 1374(応安7)年、この地を治めていた小田孝朝が、小田城の守りとして定めた小田領4ケ寺(普門寺、大聖寺、法泉寺、南円寺)の一つ。 山門は江戸時代初期、左甚五郎の建立とされ、日暮門と称される四脚門形式。本尊は、伝空海作の蓑笠不動明王像。雨乞い不動として知られる。 寺仏の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩は茨城県の指定文化財。 土浦市大岩田1616。法泉寺の地図 法泉寺本堂(左)と山門(右) 法泉寺今泉 柴垣山観音院法泉寺。鎌倉時代、香取、神明、愛宕、諏訪、柴垣八幡の5社が建てられ、この5社明神の別当として建立された。 神仏二法の法と今泉の泉をとり、法泉寺としたという。 門前に腰不動尊があり、近隣の人たちの信仰を集めている。 これは地元の人たちが、腰痛に悩んでいたため、お不動様を建立し、一心に願ったところたちどころに治ったという。 いつしか誰ともなく、腰不動尊と呼ばれるようになった。 土浦市今泉1495。法泉寺の地図 法泉寺 法雲寺 大雄山法雲寺。臨済宗建長寺派。本尊は聖観音。室町時代初期の1332(正慶元)年、後光厳天皇が将軍・足利尊氏と常陸国守護・小田治久に命じて建てさせた勅願寺。復庵宗己禅師の開山。 復庵宗己禅師は、小田宗知の子で、1310(延慶3)年から約13年間中国に滞在し、中峰明本国師のもと修行した名僧。以後小田氏の庇護のもと繁栄した。 山門は、1323(元享3)年の建立とされ、創建当時の唯一の遺構という。 絹本著色復庵和尚像などの国指定文化財を所蔵。 茨城百八地蔵尊霊場第83番札所(文中の延命地蔵尊)。 霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 土浦市高岡1890。法雲寺の地図 法雲寺の本堂 法雲寺の正受庵(左)、同じく山門(右) 常福寺 じょうふくじ 東光山医王院常福寺。真義真言宗の寺。創建は古く、平安時代初期、大同年間(806〜809年)、最澄の高弟最仙の開基と伝えられている。 天台宗のち真言宗となった。 本尊の木造薬師如来坐像は藤原期の作とされ国指定重要文化財。また、樹齢400年という銀杏は土浦市の天然記念物に指定されている。 茨城百八地蔵尊霊場第79番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 土浦市下高津2−10−22。常福寺の地図 常福寺本堂 常福寺境内にある不動堂(左)、大師堂(右) 常福寺の銀杏 土浦市指定天然記念物。樹齢約400年、樹高約36m、目通り幹囲約5.4m。 隣接する愛宕神社側に近く、墓地のすぐ北側にある。 常福寺の銀杏 愛宕神社 下高津 天慶年間(938〜47年)、平貞盛が東国平定を祈願して創建したとされる。祭神は火防、火伏の神である軻遇突知命(かぐつちのみこと)。旧村社。 室町時代には、土浦城主で小田氏の家臣である菅谷勝貞の崇敬厚かった。江戸時代には、土浦城の表鬼門の方向にあたることから鬼門除けとして土浦城主・土屋氏の庇護を受けた。 このため、社殿の屋根には土屋氏の家紋、三石紋と九曜紋がついている。 1699(元禄12)年、焼失。現在の社殿は、本殿と拝殿が一体となった複合社殿で、1811(文化8)年の再建。茅葺屋根の趣のある建物。 土浦市下高津390。 愛宕神社・下高津の地図 愛宕神社社殿 矢口家住宅 矢口家住宅は、旧水戸街道にある町屋建築。蔵造母屋と店蔵が並んでおり、茨城県指定文化財。 1841(天保12)年の大火後建てられた。塗籠造りの防火構造になっている。 土浦市中央1−6−13。 矢口家住宅の地図 矢口家住宅 冨岡家住宅 建築は元禄末(18世紀初頭)と推定。江戸時代の庄屋の家。間口9.5間(約18.1m)、奥行9.7間(18.4m)、建坪は77.5坪(283.6平方m)。 木造平屋建て、寄せ棟造り、正面に大規模な唐破風造の玄関がある。寺院や街道沿いの本陣などでは同様の造りが見られるが、民家としては特異。 江戸時代、領主が領内を巡視の折、休憩した家。 冨岡家の先祖は、長くこの地方を治めた小田氏の重臣といい、1590(天正18)年、土浦城落城の後、この地で帰農したという。 土浦市白鳥町602 。 冨岡家住宅の地図 冨岡家住宅 土浦市立博物館 土浦城二の丸跡、亀城公園の西隣にある。土浦の歴史のほか、江戸時代の土浦藩主・土屋氏の国宝に指定されている刀剣類などの展示がある。定期的に企画展が行われている。 開館時間は午前9時〜午後4時30分。休館日は毎週月曜日、祝日。月曜日が祝日の場合は火曜日も休館。ただし、ゴールデンウイーク中の祝日と11月3日の文化の日は開館。 入館料は大人105円、小中高校生50円。 土浦市中央1−15−18。土浦市立博物館の地図 土浦市立博物館 上高津貝塚ふるさと歴史の広場 縄文時代後期の霞ヶ浦沿岸最大規模の貝塚、上高津貝塚を中心とした歴史施設。土浦市内の考古資料を展示する考古資料館がある。 開館時間は午前9時〜午後4時30分。休館日は毎週月曜日、祝日。月曜日が祝日の場合は火曜日も休館。ただし、ゴールデンウイーク中の祝日と11月3日の文化の日は開館。 入館料は大人105円、小中高校生50円。 土浦市上高津1843。上高津貝塚ふるさと歴史の広場の地図 上高津貝塚ふるさと歴史の広場考古資料館 復元された竪穴住居(左)、芝生広場(右) 貝層断面展示(左)、貝層断面展示施設外観(右) 土浦まちかど蔵「大徳」 旧水戸街道沿いの豪商の蔵を改造して土浦の情報発信を行っている。1998(平成10)年オープン。 この蔵は旧大徳呉服店で、1753(宝暦3)年の創業。店蔵北棟、店蔵南棟、袖蔵、元蔵、向蔵の5棟の建物は1842(天保13)年から明治前期の建築で国登録文化財に指定されている。 中城通り(旧水戸街道)に面した店蔵北棟は、江戸時代末期の建物。木造2階建ての土蔵造りで、屋根は切妻、瓦葺き。建築面積は約74平方m。 現在は改装され、観光協会の事務所があるほか、1階には売店、2階はギャラリーなどになっている。旧城下町の時代に建築された重厚な外観が特徴。道を挟んで土浦まちかど蔵「野村」がある。 土浦市中央1−3−16。土浦まちかど蔵「大徳」の地図 土浦まちかど蔵「大徳」 土浦まちかど蔵「野村」 旧水戸街道沿いの豪商の蔵を改造して土浦の情報発信を行っている。道を挟んで土浦まちかど蔵「大徳」がある。 もとは旧野村さとう店で、こちらも江戸時代創業。店舗兼主屋、袖蔵、文庫蔵、煉瓦蔵の4棟の建物は明治時代の建築で国登録文化財に指定されている。 中城通り(旧水戸街道)に面した店舗兼主屋は、木造2階建て、屋根は切妻、瓦葺き。道に面した2階は簓子下見板張。建築面積約84平方m。 現在は改装されギャラリーやイベントスペースとなっている。また煉瓦蔵は喫茶店となっている。 土浦市1−12−5。土浦まちかど蔵「野村」の地図 土浦まちかど蔵「野村」 土浦市民会館 茨城県南を代表する音楽ホールの一つ。1969(昭和44)年完成。 正面の列柱や大階段など古典主義的な意匠が高く評価され国登録有形文化財(建造物)に指定されている。 土浦市民会館の設計は、建築音響工学の権威として知られる故・佐藤武夫氏。 鉄筋コンクリート造3階建て、主要施設は、大ホールが1019席、小ホールは288席。 大ホールの側面と天井には不燃処理を施したクルミ材の化粧合板が使われ、クラシカルな印象を与えるとともに音響効果の優れた特性に活かされている。 土浦市東真鍋町2−6。土浦市民会館の地図 土浦市民会館 桜川の桜 1910(明治43)年、行方郡大和村(現行方市)の邊田粂蔵(へたくめぞう)氏が、妻の足の病気が治るよう、 土浦市大町の道祖神に願をかけ、全快のお礼にと桜を寄付したのが始まり。 現在では桜川の河口から土浦市田中地区に至る約4kmに約500本の桜が植えられている。 土浦市田中。桜川の桜の地図 桜のトンネルの場所も多い桜川の桜(左)、河川敷から見た桜(右) 新川の桜 土浦市内を東西に流れる新川の両岸、約2kmに渡って約200本のソメイヨシノが植えられている。 両岸から川に張り出した桜は、川面に覆いかぶさり、美しい姿を見せている。 土浦市真鍋。新川の桜の地図 新川の桜 夜の新川の桜 亀城公園の桜 櫓と桜、あるいは堀の水面に映る桜など見所も多い。 土浦市中央1−13。亀城公園の地図 亀城公園 土浦三高桜並木 国道125号線から高校入口まで続く桜並木。道路の両側に桜が植えられており、桜のトンネルになる。 トンネルの大部分の住所は阿見町。 土浦市大岩田。土浦三高桜並木の地図 桜のトンネルになる土浦三高前の桜 稲荷山の紅山桜 稲荷山のベニヤマザクラ。板谷地区の稲荷神社境内にある。土浦市指定天然記念物。樹齢は100〜199年と推定。 かつてはおよそ15mほどの枝張りがあったが、現在は剪定されている。 土浦市板谷。稲荷山の紅山桜の地図 稲荷山の紅山桜 不動院 中城山不動院。退筆塚不動院。創建は永享年間(1429〜40年)と伝えられ、当時、信太荘土浦郷の豪族、若泉氏によるものという。扁額には「不動明王」とある。 土浦市中央1−12−5。不動院の地図 不動院(左)、不動院山門(右) 琴平神社 祭神は大物主命。1765(明和2)年、四国・金比羅宮より勧請。1775(安永4)年、土浦城下中城町不動院境内に社殿を建立。1811(文化8)年、鳥居再建。 1869(大正2)年、近くの秋葉、稲荷五社を合祀。現在も不動院の脇に並んで社殿がある。 1803(享保3)年、土浦城下の町人学者、沼尻墨僊が境内に時習斎(じしゅうさい)=のちに天章堂(てんしょうどう)=という寺子屋を開いている。 土浦市中央1−11−5。琴平神社の地図 琴平神社社殿(左)、不動院山門脇にある鳥居(右) 退筆塚の碑 1862(文久2)年、琴平神社境内に寺子屋を開いた沼尻墨僊の七回忌に師匠の学徳を偲んでが設けられた。 琴平神社の参道にある。土浦市指定文化財。 土浦市中央1−12−5。退筆塚の碑の地図 退筆塚の碑 中城天満宮 祭神は菅原道真。「中城の天神さま」として親しまれている。 前九年の役の時、源頼義、義家が境内で軍馬を閲したとされ、江戸時代には「中城の駒市」がたち、多い時で約700頭の馬が集まったと伝えられる。 書道展「中城天満宮奉納選書会」は、大正時代から行われている。 土浦市中央1−5。中城天満宮の地図 中城天満宮(左)、同じく撫牛(右) 八坂神社 真鍋 祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)。旧郷社。創立年代不詳。御神体は、牛頭天王像。 もともとこの御神体は、現在のつくば市大形に祀られていたが、疫病が流行したため、祭祀を廃し桜川へ流した。 その後この像は、霞ケ浦で漁の網にかかり、引き上げられて沿岸に祀られ、霞ケ浦八坂神社と称したという。 応永年間(1394〜1428年)に現在地に移された。江戸時代には歴代土浦藩主の崇敬厚く、土浦城の守護神として大切にされた。 本殿棟上には、土浦藩主・土屋家の紋である三石紋が取り付けられている。旧土浦町内の祇園祭は同神社の例祭(上記参照)。 御朱印有。御朱印については御朱印・神社参照。 土浦市真鍋5−9−1。八坂神社・真鍋の地図 八坂神社社殿(左)、御朱印(右) 鹿島神社 真鍋 祭神は武甕槌命。大同年間(806〜809年)、鹿島神宮鬼門五社の一社として創建された。 940(天慶3)年、平貞盛が戦勝を祈願したと伝えられる。 8月最後の土日に例祭が行われる。「真鍋のまつり」として親しまれている(上記参照)。 土浦市真鍋4−3−6。鹿島神社・真鍋の地図 鹿島神社社殿 武者塚古墳 直径23mほどの円墳(武者塚古墳1号墳)。墳丘は失われているが、石棺が保存されており、校倉造り風の覆屋があって、外から見学することが出来る。 また、屋外には約170m北側にあった武者塚古墳2号墳の石棺が移転展示されており、直接見ることが出来る。 武者塚古墳1号墳の石棺は、長さ1.05m、幅1m、高さ0.9mの前室と長さ2.04m、幅1.54m、高さ1.5mの玄室からなる。 前室には、太刀などの副葬品があった。玄室では6体分の遺体があった。布で覆われ、毛髪が残ってるものもあった。 うち1体からは、古代人の髪型である「美豆良(みずら)」が残っていた。また絹織物の「経錦(たてにしき)」が見つかっている。 また、墳丘の周囲には溝があったことが分かっている。 古墳は1985(昭和60)年、土浦市指定文化財(当時新治村)、出土史料は、2004(平成16)年、茨城県指定文化財。 出土史料は、土浦市の上高津貝塚ふるさと歴史の広場考古資料館で展示されている。 土浦市上坂田。 武者塚古墳の地図 武者塚古墳覆屋(左)、2号墳石棺(右) 高崎山古墳 たかさきやまこふん 通称高崎山に分布する古墳群。東支群7基、西支群2基の9基からなる。西支群第2号古墳の石室が移築、復元されている。 西支群第2号古墳は、1997(平成9)年に発掘調査が行われた。全長約35mの前方後円墳で、時代は6世紀後半。 後円部に全長約4.2m、幅約2.7m、高さ約1.5mの横穴式石室。石室は筑波石の乱石積。室内には直刀や勾玉、管玉などの副葬品があった。 また、古墳周囲の周溝内からは多くの埴輪が見つかっている。 土浦市小高。高崎山古墳西支群第2号古墳の地図 復元されている西支群第2号古墳 土浦駅前通りの銀杏 JR土浦駅西口前の駅前通り沿いにある大きな銀杏。通りのシンボルともなっている。 土浦市中央。土浦駅前通りの銀杏の地図 土浦駅前通りにある銀杏 旧茨城県立土浦中学校本館 国指定重要文化財。1904(明治37)年に完成した旧制中学校の校舎。翌1905(明治38)年4月から使用された。 設計は駒杵勤治。正面中央玄関の三連アーチ、左右の尖塔、切妻破風などが特徴。正面のから見たときのシンメトリーが美しい。 木造平屋建て、建築面積は987.9平方m。1976(昭和51)年2月、旧制中学校校舎としては全国初の国重要文化財指定。 毎月第2土曜日に一般公開される(変更の場合有)。 土浦市真鍋4−4−2。旧茨城県立土浦中学校本館の地図 旧茨城県立土浦中学校本館 旧茨城県立土浦中学校本館の教室(左)、同じく校長室(右) 旧茨城県立土浦中学校本館の桜 茨城県立土浦第一高等学校内にある旧茨城県立土浦中学校本館周辺には多くの桜がある。 桜の開花による特別公開は行われていない。4月の第2日曜日に開花している場合のみ観桜が可能。 旧茨城県立土浦中学校本館前の桜 茨城県立土浦第一高等学校の桜 茨城県立土浦第一高等学校の外周にも多くの桜があり外から見ることが出来る。 土浦第一高等学校の桜 鷲神社 大畑 わしじんじゃ 国選択無形民俗文化財に指定されている「からかさ万灯」で知られる。祭神は天之日鷲命(あめのひわしのみこと)。 創建は1603(慶長8)年。開運、殖産、五穀豊穣などに御利益があるという。 また、ここにお参りすれば、風邪が治癒すると伝えられている。現在の社殿は1999(平成11)年の再建。 からかさ万灯は、雨乞いの神事。毎年8月15日の開催(下記参照)。 土浦市大畑1890。鷲神社・大畑の地図 鷲神社拝殿 からかさ万灯 鷲神社で行われている江戸時代から続く祭り。雨乞いの神事である仕掛け花火を神前に奉納し五穀豊穣や家内安全を祈願する。 直径5m高さ6mのからかさ(大傘)の形をした仕掛けから花火が滝のように流れ落ちる。 毎年8月15日に行われる。当日は、地区内を山車が練り歩くほか、神社社殿脇に設けられたステージでは多くの出し物が催される。 祭りのクライマックスは竹製の大傘の仕掛け花火。午後9時、ステージで「雨乞いばやし」が演奏された後、点火される。 大傘はステージから伸びた綱で結ばれ、この綱に仕掛けられた花火に点火する。 点火された花火は、集まった観衆の頭上を稲妻のように走って大傘に向かい点火される。 大傘からは一瞬にして火花が降りそそぎ始める。稲妻が走り雨が降る様子を模したものという。 花火が終わると、燃え残った花と呼ばれる大傘の部品を集まった観衆が奪い合う。 1962(昭和37)年茨城県指定無形民俗文化財、1982(昭和57)年国選択無形民俗文化財。 からかさ万灯 鷲神社 東崎 わしじんじゃ 祭神は天日鷲命。創建は鎌倉時代初期。土浦の古い集落の一つである東崎の氏神として信仰されている。 鷲宮(わしのみや)、お鷲さま。境内には、祭りで若者達が力比べしたという力石が残る。 毎年旧暦1月15日に「じゃかもこじゃん」という祭りが開催されていたが、「関係者の高齢化及び後継者不足」を理由に 2015(平成27)年に中止が決まった。祭りは途絶えた時期があり、復活37年で再び祭りが無くなることになった。 祭りでは、名物の「味噌おでん」が販売され、これを食べると風邪をひかないと伝えられていた。 土浦市東崎町4−31。鷲神社・東崎の地図 鷲神社 鷲神社拝殿(左)、力石(右) 日先神社 ひのさきじんじゃ 祭神は、武甕槌命、経津主命、衝立船戸大神。1057(天喜5)年、源頼義、義家父子が奥州の安倍貞任征伐のため向かう途中、この地で父子ともども同じ霊夢を見て、賊徒征伐の祈願を行ったのが始まりという。 1058(康平元)年11月、社殿建立。丸四天権現、摩利支天と呼ばれていた。1871(明治4)年、日光神社、翌1872(明治5)年、日先神社とする。 同年、右籾、摩利山新田、中村、中村西根、乙戸、荒川沖、荒川本郷、沖新田の8ヶ村の村社。拝殿前に杉の御神木がある。 御朱印有。御朱印については御朱印・神社参照。 土浦市右籾2202。日先神社の地図 日先神社拝殿。拝殿前にあるのが御神木(左)、御朱印(右) 日先神社本殿(左)、鳥居(右) 天禄稲荷神社 祭神は、倉稲魂命。1894(明治27)年、常磐線神立駅が開業。時の駅長川村慶一氏が、神立駅周辺の発展を願い当地の高野治平氏に相談し、 京都伏見稲荷神社の御分霊を迎えたという。 1952(昭和27)年拝殿新築。1977(昭和52)年拝殿改修。1993(平成5)年、鎮座100年記念事業として、本殿、幣殿、拝殿を改築した。 御朱印有。御朱印については御朱印・神社参照。 土浦市神立中央1−7−19。天禄稲荷神社の地図 天禄稲荷神社拝殿(左)、御朱印(右) 天禄稲荷神社本殿(左)、境内社(右) 八幡神社 田中 田中八幡神社。1153(仁平3)年の創建と伝えられる。祭神は誉田別命。旧村社。 近くに平国香を祀る五総明神(五社明神)があったが、1909(明治42)年、八幡神社に合祀された。 土浦市田中。八幡神社・田中の地図 八幡神社 鹿嶋神社 中村西根 1395(応永2)年、現在の阿見町竹来の阿見神社の祭神を勧請したと伝えられる。祭神は武甕槌命。 本殿、拝殿、鳥居が土浦市の文化財に指定されている。 本殿は、1723(享保8)年の建立。三間社流造り、屋根は茅葺屋根。1771(明和8)年と1852(嘉永5)年に屋根葺き替えの棟札が残る。 1998(平成10)年、覆屋が建立された。 拝殿は梁間三間、桁行三間、屋根は茅葺の寄棟造。文政年間(1818〜29年)の建立。 鳥居は、柱の前後に袖柱を持つ両部型鳥居。1749(寛延2)年の建立。 土浦市中村西根。鹿嶋神社・中村西根の地図 鹿嶋神社社殿 鹿嶋神社鳥居(左)、参道(右) 八坂神社 上高津 祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)。 938(天慶元)年の創建。高津地区の氏神。1920(大正9)年、鹿島神社を合祀した。 高井城跡の高台にある。境内には土浦市指定名木古木の「上高津のモミジ」「八坂神社のイヌシデ」がある。 上高津のモミジは、樹高13.3m、胸高周囲2.6m、枝張東西9.8m、南北11.7m。 八坂神社のイヌシデは、樹高28m、胸高周囲3.52、枝張東西14.2m、南北15.2m。 土浦市上高津3317。 八坂神社・上高津の地図 八坂神社社殿(左)、上高津のモミジ(右) 中貫宿本陣 水戸街道を通行する大名が休憩するための小休本陣(原則宿泊はしない)。1864(元治元)年、天狗党の焼き討ちで焼失。 直後に再建されたもの。主屋は、間口7間半、奥行き5間半の寄せ棟造。平屋建てだが、一部に中2階がある。 正面に唐破風造りの2間半の式台付玄関が突き出すなど、本陣建築の様式をとっている。 土浦市中貫。中貫宿本陣の地図 中貫宿本陣 水戸街道松並木 土浦市の板谷の一里塚の前後に残る。約1.2kmの範囲にある。 以前はうっそうとして昼間でも暗いぐらいだったが、道の拡幅や松くい虫の影響でだいぶ伐採され少なくなってしまった。 土浦市中貫。水戸街道松並木の地図 土浦市板谷地区に残る水戸街道松並木 板谷の一里塚 日本橋から二十里(約80km)の位置にある一里塚。日本橋からだと中貫宿の手前に位置する。 道の両側に残る数少ない一里塚という。1971(昭和46)年7月13日、土浦市指定史跡。 土浦市中貫。板谷の一里塚の地図 板谷の一里塚街道の西側(左)、東側(右) 荒川沖の一里塚 国道6号沿いにある。道の西側。土浦市と牛久市の境界にあり、道の反対側は中根一里塚(詳細は牛久市のページへ)。 1976(昭和51)年9月25日、土浦市指定史跡。 土浦市荒川沖。荒川沖の一里塚の地図 荒川沖の一里塚 川口川閘門の鉄扉と揚水ポンプ 土浦駅東口の市営駐車場の最北部に展示されている。川口川はこの展示されている北側の道路からモール505を抜けて亀城公園の堀につながっていた川。 川岸には多くの問屋などが立ち並び水郷土浦、あるいは商都土浦を代表する場所だった。しかし水運の衰退に伴い荒廃が進んだこともあり1976(昭和51)年埋め立てられた。 川口川閘門は、洪水時の霞ヶ浦からの逆水を防ぎ、土浦の街を守るため1906(明治39)年に機械式の閘門が河口部である常磐線の線路下に設置された。 これは常磐線の線路自体が霞ヶ浦の堤防の役割も果たしていたことにもよる。さらに1938(昭和13)年には市街地に流れ込んだ水の排出を目的に揚水ポンプが設置されている。 河川の埋め立てに伴いその役割を終えた。洪水と戦った土浦の歴史を伝えるものとして残されている。 土浦市川口。川口川閘門の鉄扉と揚水ポンプの地図 川口川閘門の鉄扉と揚水ポンプ 蓮 ハス。土浦市はレンコンの日本一の産地。土浦市木田余、手野町、田村町、沖宿町などには霞ヶ浦湖岸の低湿地を利用し多くのハス田がある。 7月中旬から8月中旬にかけてハスが花をつける時期はこの地域でしか見られない風景が広がる。 一面に広がるハス田=土浦市田村町付近(左)、ハスの花(右) 大手門の跡 土浦城正門の跡。土浦市指定文化財。十二軒(約21.6m)四方の二重の土塁と堀がめぐらされた地形上に、外側に単層の門、内側に二層の櫓門があった。 1622(元和8)年に完成、1873(明治6)年の廃城となった。 跡地には1885(明治18)年、茨城県下で最初となる幼稚園、土浦西小学校(現土浦小学校)付属幼稚園が設置された。 その後土浦幼稚園として長く同地にあったが、2012(平成24)年、ほかの幼稚園と統合、移転となった。 土浦市中央。大手門の跡の地図 大手門の跡 観音寺 檀所山醍醐院観音寺。真言宗豊山派。本尊は千手観世音菩薩。 1470(文明2)年、現在の石岡市にある雲照寺2世慶頓の開山。 寺にある檜一木造りの薬師如来像は鎌倉時代末の作といい茨城県指定文化財。十二神将と室町時代の作とされる十一面観世音菩薩及び 瀬造五輪層塔は土浦市指定文化財。 春には山桜、秋には銀杏やカエデの紅葉が境内を彩る。 土浦市神立町1215。観音寺の地図 観音寺の本堂(左)、同じく山門(右) 観音寺の紅葉 山門前の大きな銀杏はじめ、多くのカエデが紅葉し境内を彩る。 観音寺の紅葉 宝積寺 ほうしゃくじ 木田山歓喜院寶積寺。曹洞宗。 創建は1306(嘉元4)年、小田宗知によって木田余と神立の境付近に建立された。 1578(天正6)年、土浦城主朽木氏によって現在地近くの木田余城跡に移転再興した。 1895(明治28)年常磐線の開通により境内が分断された。1903(明治36)年には蒸気機関車で燃やされた石炭の火が飛び、 本堂などを全焼、現在地に移転している。もとは天台宗の寺院だったが、約400年前に小田氏の家臣で土浦城主の菅谷政貞が 雲集寺から像天守香禅師を迎え中興開山とし曹洞宗に改めた。 土浦市木田余2515。宝積寺の地図 宝積寺の本堂(左)、同じく山門(右) 弥陀堂 阿弥陀堂。方3間。前部1間が外陣、奥2間が内陣で須弥壇がある。須弥壇には「宝暦十年(1760年)下総国香取郡佐原村」 の大工の銘が残されている。本尊の木造阿弥陀如来立像はカヤ材の一木造り。弥陀堂、阿弥陀如来像及び銅板打ち出し懸仏 は、いずれも土浦市指定文化財。 土浦市粕毛。弥陀堂の地図 弥陀堂 花蔵院 真言宗豊山派。創建不詳ながら元文年間(1736〜40年)の地図には既に記載がある。 現在は不動堂が残る。江戸時代の町人学者で傘式地球儀を作ったことなどで知られる沼尻墨僊(ぼくせん)の墓がある。 土浦市大手町。花蔵院の地図 花蔵院 安穏寺 あんとんじ 真言宗豊山派の寺。中貫宿本陣の向かい側にある。 土浦市中貫1851。安穏寺の地図 安穏寺 虫掛神社 むしかけじんじゃ 創建年代は不詳。祭神は安産の神とされる鵜萱草葺不合尊。鵜の宮社。旧村社。 天慶の乱の際、平兼盛が敗走のとき、この神社の藪に隠れて助かったとされる。 兼盛は平良兼、平繁盛(平国香の二男)ではないかと考えられている。現在の社殿は1999(平成11)年の再建。 土浦市虫掛247。 虫掛神社の地図 虫掛神社 郁文館の正門 いくぶんかんのせいもん 郁文館は、1799(寛政11)年、土浦藩第7代藩主土屋英直によって、土浦城内に設けられた藩校。『論語』の「郁々として文なるかな」から郁文館と命名された。 文武両道を旨とした。その後、1839(天保10)年、土浦藩第10代藩主土屋寅直が、現在の場所に移転、藩校として藩士の子弟は8歳になると入学が定められた。 文館と武館からなり、文武館とも呼ばれた。文館は藤森弘庵が、武館は大久保要が統した。現在の正門は、この時建築されたもの。 明治維新後は、化成館、新治師範学校、茨城師範土浦分校となったが、1935(昭和10)年に正門を残して取り壊された。 残された正門は、現在市立土浦一中の門となっており、1987(昭和62)年には解体修理されている。 土浦市文京町3−8。 郁文館の正門の地図 郁文館の正門 柴沼醤油 しばぬましょうゆ 「紫峰(しほう)」のブランドで知られる醤油メーカー。亀甲「正」のマーク。もともと土浦は、銚子、野田とともに関東の3大醤油産地として知られた。 柴沼醤油は、江戸時代の1688(元禄元)年の創業。土浦市虫掛の本社工場前には桜川が流れ、当時はここから醤油を舟で出荷していた。 桜川から霞ヶ浦に出て、さらに利根川を上り、江戸に届けたという。 柴沼醤油では、刺身用の醤油「紫峰」はじめ、茨城県産の大豆など、茨城県産と国産にこだわり、さらに仕込み樽も木製のものを使ったこだわりの生醤油「お常陸(おひたち)」など、特徴ある醤油作りを行っている。 本社工場周辺は、散策路としても風情がある。 土浦市虫掛町374。柴沼醤油の地図 柴沼醤油本社工場。左に見えるのは筑波山 川口運動公園 陸上競技場と硬式野球場が主施設。駅から徒歩圏にあり、野球場は高校野球の県大会予選やプロ野球のオープン戦などが行われている。 土浦市川口2−12−75。川口運動公園の地図 川口運動公園陸上競技場 茨城県霞ケ浦環境科学センター 霞ヶ浦をはじめとした県内の湖沼、河川の水環境や大気環境などの保全に取り組むため設置された。 1995(平成7)年に霞ヶ浦周辺で開催された第6回世界湖沼会議で設置が提唱され、2005(平成17)年4月開設。 「調査研究・技術開発」「環境学習」「市民活動との連携・支援」「情報・交流」の4つの機能を「市民」「研究者」 「企業」「行政」の4者のパートナーシップのもと効果的に発揮できるようにすることを目指している。 敷地面積約31000平方m、鉄筋コンクリート造2階建のセンター棟など延床面積約5000平方m。 センター棟には展示室、展示交流広場、多目的ホール、研修室、交流サロン、文献資料室などがある。 このほか広場や観察ができる池などが設けられている。 開館時間は午前9時から午後5時まで。展示室は午前10時から午後4時30分(入室は午後4時)まで。 土浦市沖宿町1853。茨城県霞ケ浦環境科学センターの地図 茨城県霞ケ浦環境科学センター 南側から見た茨城県霞ケ浦環境科学センター(左)、同じく茨城県霞ケ浦環境科学センターから霞ヶ浦方面の眺望(右) 陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地 土浦市右籾町にある陸上自衛隊の基地。戦前は、海軍霞ヶ浦航空隊の飛行場で、世界1周飛行の途中のリンドバーグやツェッペリン伯号が飛来した。 資料館(広報センター)が併設されており、見学することが出来る。また、資料館の外にはヘリコプターや戦車など、実際に使われていた兵器の展示もある。 土浦市右籾2410。陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地の地図 神立祇園祭 土浦市の神立駅前で開催されている祇園祭。7月第3土日に開催される。同じく神立駅前で開催のかすみがうら市、逆西祇園祭と合同開催されるときもある。 神立祇園祭での神立参伍丁目山車 神立祇園祭の神輿(左)、同じく神立東一・二丁目山車(右) 並木八幡祭 並木地区の夏祭り。同地区にある亀城稲荷神社境内社八幡神社の祭礼=下記参照。 8月の第3土日に開催。山車1台と獅子屋台2台が出る。 土曜日午前9時から神事のほか、日曜日午後5時からは、これらによる合同巡行、 同じく午後7時30分からは競演がある。また両日とも各町内を巡行する。 並木八幡祭での山車 並木町の獅子屋台(左)、同じく西並木町の獅子屋台(右) 亀城稲荷神社 祭神は倉稲魂命。創建は不詳ながら江戸時代、土浦藩主・土屋氏の氏神で、土浦城内に祀られていた同神社を常名開拓の鎮護社として奉斎。 現在の社殿は2001(平成13)年3月24日完成。並木町6町内の祭りである並木八幡祭=上記参照=は、同神社の境内社八幡神社の祭礼。 土浦市並木3−4−19。亀城稲荷神社・並木の地図 亀城稲荷神社、正面から拝殿を見る 亀城稲荷神社本殿(左)、境内社八幡神社(右) 向上庵 翠巖山向上庵。臨済宗建長寺派の寺院。参道脇に1762(宝暦12)年、天下清平、四民豊楽を願い建立された地蔵尊、 同じく1832(天保3)年に建立された十九夜講の如意輪観音像がある。 本堂前に樹齢およそ300年の巨大な枝垂桜(しだれざくら)で茨城県指定天然記念物「向上庵のシダレザクラ」があることで知られていた。 しかし、2011(平成23)年9月21日の台風15号による強風で、根元から折れ、現在は伐採されてしまっている。下記参照。 茨城百八地蔵尊霊場第87番札所。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 土浦市小野1171。向上庵の地図 向上庵本堂 向上庵参道脇にある地蔵尊(左)、同じく如意輪観音(右) 向上庵の枝垂桜 幹回り約3m、樹高約10m、樹齢およそ300年の巨大な枝垂桜(しだれざくら)。1972(昭和47)年、茨城県の天然記念物に指定された。 注意2011(平成23)年9月21日の台風による強風で、根元から折れたため、現在は伐採されている。 土浦市小野1171。向上庵の地図 向上庵の桜 竜ヶ峰の桜 土浦市永井(旧新治村)の道沿い、約2.7kmにわたって桜が両側に植えられている。ソメイヨシノやヤマザクラで、まさに桜のトンネルとなる。 土浦市永井。竜ヶ峰の地図 竜ヶ峰の桜 神宮寺の枝垂桜 土浦市藤沢にある小神野山神宮寺の山門前にある。 土浦市藤沢1535。神宮寺の地図 神宮寺の枝垂桜 梶ノ宮池の桜 梶ノ宮池の西側にある桜。池については下記参照。 土浦市田宮。梶ノ宮池の地図 梶の宮池の桜 金嶽神社の桜 金嶽神社境内を包むように桜がある。神社については下記参照。 土浦市小高。金嶽神社の地図 金嶽神社の桜 池台池の桜 池台池の周囲にある桜。 土浦市大畑。池台池の地図 池台池の桜 新治学園義務教育学校の桜 新治義務教育学校、旧新治中学校にある桜。 土浦市藤沢。新治学園義務教育学校の地図 新治学園義務教育学校の桜 鹿島神社 高岡 鎌倉時代末、近くの法雲寺の開祖、大光禅師復庵宗己和尚が鹿島大明神を祀り、天下泰平、五穀豊穣を祈願した。 1596(慶長元)年に再建された記録がある。また社殿は、1758(宝暦8)年に建立された建物が老朽化したため、2008(平成20)年12月12日に再建された。 鎮守の森は、ふるさとの森として整備されている。 土浦市高岡2410。鹿島神社・高岡の地図 鹿島神社社殿(左)、鳥居(右) 東城寺 とうじょうじ 朝望山東光院東城寺。本尊は医王薬師如来で、筑波山四面薬師如来のひとつ。796(延暦15)年、桓武天皇の勅願寺として、天台宗の開祖・最澄の高弟である最仙の開山。 当初は常陸国における天台宗の拠点のひとつだった。鎌倉時代初期、小田氏の支配が及ぶと真言宗に改められた。江戸時代、土浦藩主・土屋氏の帰依により東成寺から東城寺に改められた。 境内は朝日峠と不動峠を結ぶ南側の山斜面にあり、薬師堂、祖師堂、地蔵堂、鐘楼などがある。麓に山門がある。本堂は1997(平成9)年の火災によって失われていたが、2004(平成16)年に再建された。 薬師堂の裏には経塚があり、発掘調査で保安3年(1122年)、元治元年(1124年)と銘のある経筒が確認されている。 なお、東城寺の仁王門をくぐった先の参道は、長く急な登りになっている。途中には石垣、そして最上部には石段が残り、歴史の風情を感じさせる。 なお石段脇には迂回路があり、車でも本道裏まで行くことができる。 土浦市東城寺650。東城寺の地図 再建された東城寺本堂 東城寺仁王門(左)、東城寺地蔵堂(右) 東城寺の参道、石垣も一部に残る(左)、東城寺参道の最上部に残る歴史を感じさせる石段(右) 東城寺結界石 とうじょうじけっかいせき 結界石は、仏教で儀式を行う摂僧界を示す境界石。東城寺の結界石は、鎌倉時代後期、当時この地方で布教していた忍性によるものと考えられている。 雲母片岩製で、正面には大界外相とあり、脇に1253(建長3)年の銘がある。結界石は全部で5つあり、残りは東城寺の西側の山中にある。 東城寺にある結界石はここから唯一移されたもの。茨城県の文化財に指定されている。 土浦市東城寺650。東城寺の地図 東城寺結界石 東城寺の紅葉 庭園が整備されており、多くの樹木が紅葉し境内を彩る。 東城寺の紅葉 海蔵寺 宝珠山海蔵寺。曹洞宗の寺。応永年間(1394〜1427)、小田氏9代、小田治朝が開基となって現在地より台地側に創建。 文禄年間(1592〜95)、現在地に移転する。大般若波羅蜜多経と木造阿弥陀如来坐像は茨城県指定文化財。 小田治朝の墓は土浦市指定文化財。 土浦市沖宿町1483。海蔵寺の地図 海蔵寺本堂(左)、山門(右) 鹿島神社 沖宿町 祭神は武甕槌命。鎌倉時代の創建とされる。 現在海蔵寺に伝わり茨城県指定文化財の大般若波羅蜜多経もともと同神社に奉納されたものとされる。 この般若経には源義経伝説が残る。義経が源頼朝に追われ奥州に下る途中、現在の土浦市沖宿町の小宅に身を隠し難を逃れることができたという。 般若経は弁慶が書写したもので、義経の青葉笛とともに同神社に奉納された。小宅は、のちに籠神社と呼ばれるようになり、 のちに同神社に移された。現在は小森神社として拝殿向かって右側に社殿がある。また拝殿向かって左側には八幡神社が祀られている。 土浦市沖宿町2294。鹿島神社・沖宿の地図 沖宿鹿島神社の拝殿 沖宿鹿島神社の本殿(左)、同じく鳥居(右) 鷲神社 田村町 祭神は天日鷲命。創建は文正年間(1466〜67年)とされる。1730(享保15)年社殿造営。 土浦市田村町1590。鷲神社・田村町の地図 田村鷲神社拝殿 田村鷲神社本殿(左)、同じく鳥居(右) 塚田稲荷神社 土浦市下坂田の水田の中にある、いわゆるポツンと神社。詳細は不詳。 つくば霞ヶ浦りんりんロードが近くにあり、サイクリングロードからも望める。 土浦市下坂田。塚田稲荷神社の地図 水田の中の塚田稲荷神社 普門院 永井山普門院。真言宗豊山派。江戸時代にガマの油売り口上を完成させたとされる永井兵助はこの地の出身で、同寺に遺髪を納めた墓がある。 土浦市永井。普門院の地図 普門院 普門院の桜 永井山普門院の境内にある桜。 普門院の桜 ふるさとの森 高岡鹿島神社の鎮守の杜を中心に整備された公園。遊具などが整備されている。また、高台にあることから展望台もある。 土浦市高岡。ふるさとの森の地図 ふるさとの森に整備されている遊具 ふるさとの森からの眺望(左)、あずまや(右) ふるさとの森の桜 ふるさとの森には多くの桜がある。 ふるさとの森の桜 いやしの里 朝日峠近くにあるホテル。関東平野を一望できる露天風呂や展望レストラン、岩盤浴が人気。宿泊だけでなくアミューズメント施設が充実している。 18Hのパークゴルフ場がある。関東平野を望みながらのプレーは圧巻。 宿泊などについては筑波山の温泉 、筑波山からの夜景へ。 土浦市本郷2141−2。いやしの里の地図 いやしの里 茨城県立中央青年の家 茨城県立の総合研修施設。茨城県内の小中高校はじめ多くの企業の研修場として利用されている。また団体向けだけでなく個人向けの講座なども行われている。 本館、研修館、運動場、飯ごう炊飯場、キャンプ場、キャンプファイアー場などがある。 土浦市永井987。茨城県立中央青年の家の地図 茨城県立中央青年の家 森林公園 旧新治村森林公園。竜ヶ峰にある公園。その名の通り森林のなかに休憩所などがある。森林浴が楽しめる公園。 土浦市永井。森林公園の地図 森林公園 小町の里 小町ふれあい広場を中心に、小町伝説を中心テーマにした広域的な観光施設。 小町伝説に加え、里山などの魅力も伝える。また、常陸秋そばはじめ、地元の農産物の提供なども行う。 小町ふれあい広場 小町ふれあい広場は、小野小町伝説の魅力を語り伝えるとともに、小町を縁に訪れた人々の交流の場所として開設された。 茨城県下最大級の直径7mの水車が目印で、小町の館や農産物直売所などがある。 土浦市小野491。小町ふれあい広場農産物直売所の地図 広場のシンボルとなっている水車 小町の館 小町ふれあい広場の中心施設の小町の館は、小町伝説に関する展示室のほか、食の工房「小町庵」などがある。 2013(平成25)年3月16日、本館がリニューアルオープンしたほか、同年4月27日には新館の「体験工房」が完成した。 小町庵で食べられる蕎麦は、近所の農家のおかあさんたちが作った田舎蕎麦でその味は絶品。 また、新しく完成した体験工房では、そば打ち体験ができるほか、昔の縁側をイメージした休憩所「おやすみ処」がある。 開館時間は、午前9時〜午後6時まで(11月〜2月は午後5時まで)。月曜日(祝日の場合は翌日)及び年末年始休館。 土浦市小野491。小町の館の地図 小町の館本館(左)、新館の体験工房(右) 小町の館の桜 小町の館前駐車場に桜がある。 小町の館の桜 小野小町の墓 日本全国に残る「小野小町伝説」。土浦市小野にも「小町の墓」と伝えられる五輪塔がある。また地名も、朝日峠の南側が土浦市小野、 朝日峠を越えた北側が石岡市小野越として残っている。 小町は、京都から奥州へ向かう途中、清瀧観音(土浦市小野)から北向観音(石岡市小野越)に向かってお参りした後、病に倒れた。 この地の一族の長、小野源兵衛宅に身を寄せていたが、883(元慶7)年7月7日、69歳で亡くなったとされる。 小町の墓は、昔から婦人病に御利益があるとされ、「ほうろく」(豆などを炒る器具)を奉納するならわしがあった。 また、参拝すると美人になると評判で多くの参拝者があったという。 現在見学休止中 土浦市小野。 小野小町墓 小野小町の腰掛石 小町の墓と同じく同地区に残る「小野小町伝説」。それによると、小町が同地区の山を挟んで反対側にある北向観音に参詣のため、山越えの途中に休憩したところとされる。 小町はここで休憩し近くの「水のみ沢」で喉を潤し無事に峠を越えて参詣することができたとされる。 土浦市小野。小町の腰掛石の地図 小野小町の腰掛石 朝日峠展望公園 朝日峠から筑波パープルラインに少し入った場所にある。駐車場のほか、トイレなどの休憩施設、また展望台があり、関東平野を一望できる。駐車場からの展望もいい。 土浦市小野1291−41。朝日峠展望公園の地図 朝日峠展望公園エントランス 朝日峠展望公園展望台からの眺望(左)、展望台(右) 朝日峠展望公園の桜 朝日峠展望公園には多くの桜がある。展望台周辺、さくらの森及び園内のさまざまな場所にさまざまな桜がある。 朝日峠展望公園については上記参照。 土浦市。朝日峠展望公園の地図 朝日峠展望公園展望台近くの桜 朝日峠展望公園もみじの森の紅葉 朝日峠展望公園の最も低い場所にもみじの森がある。小町の館からの登山道にも接しており、紅葉時期にはもみじの森を目的として登山する人も少なくない。 朝日峠展望公園については上記参照。 土浦市。朝日峠展望公園の地図 朝日峠展望公園もみじの森の紅葉 梶ノ宮神社 法雲寺の復庵宗己和尚の建立とされる。20年に及ぶ中国での修行の帰途、九州に向かう船上で大嵐に遭った。 難破寸前の船を2人の水夫が巧みに操り、なんとか乗り切った。復庵和尚は、この2人が猿田彦大神の化身に映ったという。 このときの船旅から猿田彦大神を祭神として「舵取大明神」を、寺の鬼門方向に祀ったという伝説が残る。 茨城県指定無形民俗文化財の「田宮ばやし」が伝わる。三切、大杉ばやし、かっころばやし、八車ばやし、門付ばやし、かえりばやし、疱瘡ばやしの7つの演目からなる。 疱瘡ばやしは、江戸時代、旅に出ていた田宮の青年が、名古屋城近くで疱瘡に御利益のあるお囃子を伝えられたという。楽器は大太鼓、小太鼓、大鼓、小鼓、横笛からなる。 鉦が無いのが特徴。毎年7月最終日曜日の例祭で奉納される。 梶ノ宮神社には八坂神社が合祀されており、本殿は向かって左に梶ノ宮神社、同じく右に八坂神社が並んで建てられている。 また境内には、田宮ばやしの茨城県指定無形民俗文化財を記念した碑と同じく田宮ばやしの保存会、育成会を記念した碑が建てられている。 土浦市田宮。梶ノ宮神社の地図 梶ノ宮神社社殿(左)、鳥居(右) 田宮ばやし茨城県指定無形民俗文化財記念碑(左)、同じく保存会記念碑(右) 梶ノ宮池 土浦市田宮にある池。近くに梶ノ宮神社がある。 土浦市田宮。梶ノ宮池の地図 梶ノ宮池 西池 土浦市沢辺にある池。沢辺池。茨城県道53号つくば千代田線沿いにある。 土浦市沢辺。西池の地図 西池 石造五輪塔 高さ3.6m、この地方ではかなり大型の五輪塔。花崗岩製。1516(永正12)年の建立。 地輪に「功徳主 頭白上人」などとあり、天台宗の僧、頭白上人が母の供養のために建立したもの。 千部経をあげ、7日間供養を行ったとされる。1966(昭和41)年3月7日、茨城県指定文化財。 土浦市小高212。石造五輪塔の地図 石造五輪塔 前野家住宅 代々名主を務めた名家の住宅。広い敷地に母屋、長屋門、土蔵、納屋などが残る。茨城県指定文化財。 母屋は間口9間(16.38m)、奥行4.5間(8.19m)の直家(すごや)で、 建築は1806(文化3)年。1804(文化元)年の家普請付笛覚帳がある。 土浦市永井694。前野家住宅の地図 前野家住宅長屋門 金嶽神社 きんたけじんじゃ 小高地区の氏神。1574(天正2)年、小田城主、小田氏治の家臣、小高知常がこの地に移った際、奈良県吉野の金峰山蔵王大権現から御神像を勧請した。 一間社流造りの本殿は江戸時代の再建。1997(平成9)年、本殿大修復と拝殿の再建が行われた。 土浦市小高。金嶽神社の地図 金嶽神社拝殿 金嶽神社本殿(左)、鳥居(右) 八坂神社 菅谷 祭神は素盞嗚命。939(天慶2)年、藤原忠文が平将門の乱のとき、ここに神籬をたて戦勝を祈願したことがはじまりという。 鹿島神社、子安神社、天神社の境内社がある。 土浦市菅谷1307。八坂神社・菅谷の地図 八坂神社拝殿 八坂神社本殿(左)、鳥居(右) 白水稲荷神社 がまの油発祥の碑がある。碑には、明治後期に、ここの隣にあった長兵衛長屋に住んでいた人が外用薬を作るため真鍋の赤池付近に 生息するガマを捕まえ、天日に干したものと種油のようなものをいれ、煮詰めて液状化したものを貝殻に入れ「常州筑波山麓土浦の陣中膏」として売り出したという。 土浦市城北。白水稲荷神社の地図 白水稲荷神社(左)、がまの油の碑(右) 青麻神社 あおそじんじゃ 木田余地区の街道沿いにある。 御朱印有。御朱印については御朱印・神社参照。 土浦市木田余2459。青麻神社の地図 青麻神社拝殿(左)、御朱印(右) 常名神社 ひたなじんじゃ 祭神は菅原道真公、誉田別命。1913(大正2)年、同地区にあった天神社と八幡神社を合祀。 旧村社。常名天神山古墳上に鎮座する。 土浦市常名2445−1。常名神社の地図 常名神社拝殿 常名神社鳥居(左)、同じく参道の階段(右) 常名天神山古墳 ひたなてんじんやまこふん 前方後円墳。全長約70m、ただ削り取られた部分があり本来は90mほどあったと推定されている。 後円部の直径は約45m、高さ約7m。5世紀初めごろのものと見られている。土浦市指定文化財。後円部に常名神社が祀られている。 土浦市常名2445−1。常名天神山古墳の地図 常名天神山古墳 石造宝篋印塔 花崗岩製で高さは約135cm。安土桃山時代のものと推定されている。土浦市指定文化財。常名天神山古墳前方部近くの円墳上にある。 土浦市常名2445−1。石造宝篋印塔の地図 石造宝篋印塔 鹿島神社 乙戸 乙戸町鎮守。蛇神社として親しまれる。 これは、鳥居の笠木の上に藁の大蛇が奉納されていることによる。鳥居の中央には、藁の酒樽もある。 毎年12月の第1日曜日に新しい大蛇が奉納される。 現在の社殿は2007(平成19)年、雷神様、大杉神社、愛宕神社、一言明神、伏見稲荷などの境内社ととともに新築された。 土浦市乙戸。鹿島神社・乙戸の地図 乙戸鹿島神社社殿(左)、鳥居の上の藁の蛇(右) 八坂神社 藤沢 祭神は素佐之男命。配神は武甕槌命。1224(元仁元)年、承久の乱を深く憂いた北条氏が「国家安泰」を祈願して 石に刻みここに奉斎したと伝わる。観応年間(1350〜52年)、小田治久が藤沢城を築き、牛頭天王を守護神として社殿を建て、 八坂神社に改める。天正年間(1573〜92年)、兵火により焼失、その後再建された。1907(明治40)年8月、 村内の鹿島神社を合併。1930(昭和5)年村社となった。 土浦市藤沢1420。八坂神社・藤沢の地図 藤沢八坂神社の拝殿 藤沢八坂神社の本殿(左)、同じく藤沢八坂神社の鳥居(右) 稲荷塚古墳 桜川沿いの平らな水田地帯にポツンとある円墳。 土浦市田土部。稲荷塚古墳の地図 稲荷塚古墳 田土部香取神社の桜 田土部香取神社の鳥居周辺の参道に桜がある。 土浦市田土部。田土部香取神社の地図 田土部香取神社の桜 神立公園 土浦市北部にある公園。自然豊かな公園で春には桜の名所として知られる。併設して野球場がある。 土浦市北神立町3。神立公園の地図 神立公園(左)、公園内の遊歩道(右) 神立公園の桜 神立公園には多くの桜がある。 神立公園北側の遊歩道周辺の桜 神立公園広場の桜(左)、同じく公園内にあるグラウンド脇の桜(右) 中貫公園の桜 中貫公園の周囲などにある桜。 土浦市東中貫町3。中貫公園の地図 中貫公園の桜(左)、同じく公園周囲の桜(右) さん・あぴおの桜 さん・あぴおの敷地周囲にある桜。 土浦市大畑。さん・あぴおの地図 さん・あぴおの桜 つくば国際大学の桜 つくば国際大学の第2キャンパスにある桜。 土浦市真鍋。つくば国際大学の地図 つくば国際大学の桜 高岡池の桜 土浦市高岡にある池の南側にある桜。名称は便宜上当サイトが付けたもの。 土浦市高岡。高岡池の地図 高岡池の桜 プロテリアル金属土浦工場の桜 旧日立電線土浦工場の入口にある桜。 土浦市木田余3550。プロテリアル金属土浦工場の地図 プロテリアル金属土浦工場入口の桜 久松医院のクロガネモチ 土浦市の駅前通り沿いにある。土浦市指定名木・古木。樹高約10m、 土浦市中央。久松医院のクロガネモチの地図 通り沿いにあるクロガネモチ 宍塚大池 土浦市宍塚にある農業用のため池。池の面積約3.3ha、周囲約1.2km。周辺は水源となる雑木林約100haに取り囲まれている。 現在も下流の約40haの水田を灌漑する。 大池は台地上にあり、流入河川は無い。雑木林の沢水を溜めるため、江戸時代以前に堰が築かれたという。 里山の自然が残されており、レッドデータブックに掲載されたチュウサギ、ゲンゴロウ、メダカ、タガメなどの動植物をはじめ、多種多様な生物の生息場所として知られる。 また、マガモ、コガモなどの渡り鳥の越冬場所ともなっている。 2010(平成22)年3月11日、農林水産省のため池百選に選定された。 土浦市宍塚。宍塚大池の地図 晩秋の宍塚大池 鶴沼公園 鶴沼を中心につくられた公園。鶴沼は、一の瀬川の水源で、周辺の水田を潤してきた。面積約6.2ha。 公園は、沼や周辺にビオトープや水車、遊歩道などを整備している。遠くには筑波山も望むことが出来る自然豊かな公園。 土浦市菅谷。鶴沼公園の地図 鶴沼公園 土浦産業技術専門学院の銀杏並木 乙戸沼公園の近くある茨城県立土浦産業技術専門学院の南側にある銀杏並木。道沿い約200mにわたってある。 土浦市中村西根番外50−179。土浦産業技術専門学院の地図 土浦産業技術専門学院の銀杏並木 乙戸沼公園 おっとぬまこうえん 土浦市南部、つくば市との境界にある。約13haの広さがあり、その名の通り乙戸沼を中心につくられた公園。 春には桜の名所として知られ、初夏には水蓮の花が咲く。冬はコハクチョウも飛来する。 四季を通じて自然体験やバードウオッチングが楽しめる。駐車場有、無料。 土浦市中村西根番外50−10。乙戸沼公園の地図 乙戸沼公園 乙戸沼(左)、乙戸沼に飛来したコハクチョウ(右) 乙戸沼公園の桜 乙戸沼の周囲には多くの桜が植えられている。 乙戸沼公園の桜 乙戸沼公園の銀杏並木 乙戸沼公園の北側、土浦市公設地方卸売市場側に駐車場周辺遊歩道が銀杏並木となっている。 駐車場入口を挟んで約150m程ある。 乙戸沼公園の銀杏並木 乙戸水生植物園 乙戸沼公園の北側にある水生植物園。 調整池の周囲約1.2haに花菖蒲園として整備されている。調整池を含めた総面積は約3.7ha。 水郷佐原水生植物園(千葉県香取市)、吹上しょうぶ園(東京都青梅市)、堀切菖蒲園(東京都葛飾区)から譲り受けた 花菖蒲、約350種約10万本が植えられている。 同園は1985(昭和60)年度から1990(平成2)年度にかけて降雨時以外の調整池の活用を目的に整備された。 当初はさまざまな草花を栽培していたが、2012(平成24)年度から花菖蒲の栽培を行い、2014(平成26)年度までに 順調な生育が確認されたことから、その後花菖蒲に特化して整備を進めている。 園は常時開放、入園料無料。駐車場は乙戸沼公園を利用。 土浦市卸町1−12。乙戸水生植物園の地図 花菖蒲が開花した乙戸水生植物園 乙戸水生植物園の睡蓮 乙戸水生植物園のある調整池に植えられている。ピンクや白の花を咲かせている。6月から7月中旬ごろまで見ることができる。 乙戸水生植物園の睡蓮 大岩田の一本松 「予科練の松」として親しまれた巨大な老松の後継樹。 この地にはもともと、樹高およそ20m、幹回り3.5m、推定樹齢300年以上とされる松があり、 霞ヶ浦航行の目印ともなっていた。また、予科練性の目印ともなっており、数々の思い出を残す松だったという。 しかしこの松は1977(昭和52)年枯死し、その後予科練関係者の尽力もあxtyて2代目が植樹されたが再び 虫害により枯死していた。 その後も復活を求める声があり、地権者や陸上自衛隊武器学校の協力及び神立町の方から松の寄贈があり、 1995(平成7)年2月、3代目の松が植樹された。植樹から30年余が経過し松も大きなものとなっている。 土浦市大岩田。大岩田の一本松の地図 大岩田の一本松 日枝神社ひえじんじゃ 流鏑馬(やぶさめ)で知られる。日本三大山王流流鏑馬のひとつとされる。 創建は、807(大同2)年、滋賀県の坂本山王(現日吉大社)から分霊して祭ったのが始まりとされる。祭神は大山咋神、五穀豊穣の神として広く信仰を集めている。 社殿は火災で焼失し、現在の社殿は1746(延享3)年に再建されたもの。境内にある石造灯篭は1511(永正8)年に奉納されたもので、茨城県の指定文化財。 1708(宝永5)年、正一位山王大権現の称号を賜り、山の荘地区8カ村の総社となる。 明治以前は、神仏混合だったが、明治以降、日枝神社と改められた。 土浦市小野。日枝神社の地図 日枝神社拝殿 日枝神社の桜 日枝神社の拝殿前にある。 日枝神社拝殿前の桜 流鏑馬祭 やぶさめまつり 日枝神社で行われている伝統の神事。日本三大山王流鏑馬の一つに数えられる。 長さ150mの馬場に3つの的が置かれ、馬上から鎧武者姿で的を射る古式ゆかしい行事で、810(弘仁元)年に始まったと伝えられ、 現在の形になったのは鎌倉時代ごろとされている。神社の参道を会場に毎年4月の第1日曜日に行われる。 流鏑馬は、同神社に伝わる大猿退治伝説から、一帯の平安と五穀豊穣を祈る儀式。 伝説は、同神社の「幸加」(こうか=ねむの木)の大木に大猿が住み着き、人身御供を要求するなど悪事を働いていた。 領主の小野神従羅天と弓の名手の市川将監がその大猿を退治するというストーリー。 流鏑馬祭では、小野神従羅天がまず馬場を走り、続いて神輿が参道を渡御し清める。その後、人身御供の子供たちが馬場を4往復。 そして最後に市川将監が出陣、3つの的を射る流鏑馬を7回繰り返す。 神社の参道には、一の矢場、二の矢場、三の矢場と記載された案内板が普段も掲げられている。 流鏑馬 流鏑馬祭で従羅天(左)、同じく神輿の渡御(右)
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