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下妻市
つくば市の北西部に隣接する。水と緑に恵まれた自然豊かな田園都市。最近では、映画「下妻物語」の舞台として知られる。
映画の主人公の住んでいる場所とされた「横根」は、市内に実在する。
市の南北を関東鉄道常総線が通り、国道294号線が南北に、国道125号線が東西に走る。市の東側に小貝川、西側に鬼怒川が南北に流れ、中心部に砂沼がある。 2006(平成18)年、隣接する結城郡千代川村を編入合併した。人口43,293人(2015年国勢調査)、面積80.88平方km。 旧下妻市は、1954(昭和29)年4月1日、下妻町、大宝村、騰波ノ江村が合併し、新しい下妻町となり、 同年10月1日、改めて下妻町、上妻村、総上村、豊加美村、高道祖村が合併して市制施行した。 合併前の人口は36,895人(2005年国勢調査)、面積61.05平方km。 旧千代川村は、1955(昭和30)年1月1日、宗道村、大形村、蚕飼村が合併して誕生した。中心部の宗道は、鬼怒川の水運・宗道河岸として物資の集積地としてにぎわった。 合併前の人口は9,540人(2005年国勢調査)、面積19.83平方km。 下妻駅、騰波ノ江駅、大宝駅、宗道駅、下妻駅イルミネーション は関東鉄道常総線・駅へ。 関東鉄道常総線の車両について は関東鉄道常総線・車両へ。 鬼怒川の河川、支流、橋などについては鬼怒川へ。 小貝川の河川、支流、橋などについては小貝川へ。 小貝川自転車道、小貝川フラワーサイクリングロードは茨城のサイクリングロードへ。 下妻物語 下妻市を舞台に、ロリータとヤンキーという意外な組み合わせの2人の女子高生が主人公で、この2人の間に芽生えていく友情を描いた。嶽本野ばら氏原作。 深田恭子と土屋アンナのキャストで映画化され、2004(平成16)年に公開された。 映画では、実際に市内の多くの場所が実名で出てきている。下妻市のジャスコや関東鉄道常総線下妻駅等々。今でもロケ地巡りをする人がいる。 なお、横根の家とされた場所は、同じ小貝川沿いだが、ロケ地は常総市。 小貝川ふれあい公園 小貝川ふれあい公園は、ネイチャーセンターはじめ、小貝川右岸河川敷にフラワーゾーン、スポーツゾーン、自然観察ゾーンが設けられている。 ネイチャーセンターには、小貝川にすむ魚を紹介するミニミニ水族館、水が無いのに魚が泳ぐマジックビジョンがある。フラワーゾーンは、春にはポピー、カスミソウなど、秋にはコスモスなど約300万本が一斉に咲き誇り、花のじゅうたんとなる。 スポーツゾーンはソフトボール場4面とサッカー場が、自然観察ゾーンは、小貝川に昔からあった雑木林をそのままに生かし、生息する国蝶のオオムラサキなどを保護している。 約800mの観察路が整備され、オオムラサキの観察会も行われている。 また、園内には遊具もあり、アリの巣をイメージしたトンネルなどが子供たちに人気。 パークゴルフ場は、オオムラサキコース、ポピーコース、さくらコース、ひばりコースの全36ホールある。このほかバーベキュー場がある(完全予約制)。 下妻市堀籠1650−1。小貝川ふれあい公園の地図 河川敷一面に咲かせたポピーの花が美しい小貝川ふれあい公園 小貝川ふれあい公園ソフトボール場(左)、サッカー場(右) 小貝川ふれあい公園ネーチャーセンター 小貝川ふれあい公園パークゴルフ場(左)、バーベキュー場(右) 小貝川ふれあい公園のポピー開花に合わせて行われる小貝川フラワーフェスティバルでの花火 小貝川ふれあい公園の桜 こども広場はじめ、ネーチャーセンター駐車場、自然観察ゾーン駐車場などに多くの桜が植えられている。 小貝川ふれあい公園の桜 小貝川ふれあい公園の彼岸花 小貝川ふれあい公園内にある野草園はじめ、その周辺に彼岸花が咲く。 小貝川ふれあい公園、野草園の彼岸花(左)、同じくネイチャーセンター近くの彼岸花(右) グーグルアース都市伝説「モスラ日本上陸」 グーグルアースで、筑波山付近を飛行するモスラ発見!体長は約40mもあるという。実際に見てみると、大きな紫色の蝶がはっきり見える。 といってもこれは、小貝川ふれあい公園のネイチャーセンターの屋上に描かれたオオムラサキ。 小貝川ふれあい公園は、オオムラサキが生息する林があり、オオムラサキは公園のシンボルとなっている。 そのため、ネイチャーセンターはオオムラサキをデザインした。展望台もあり、筑波山などが一望できる。 テレビ番組のグーグルアースを使った都市伝説コーナーで紹介され話題となった。 下妻市堀籠1650−1。小貝川ふれあい公園ネイチャーセンターの航空写真 ネーチャーセンター屋上のオオムラサキ 砂沼 砂沼は、下妻市の中心部にある農業用のため池。周囲は約6kmある。釣りの名所として知られ、特にへら鮒釣りは有名。休日ともなると多くの太公望でにぎわう。 沼の東岸中部に、へら鮒の霊を慰め、釣り客の安全を守るため砂沼愛魚会によって建立された、へら鮒供養塔がある。2010(平成22)年3月、農林水産省の「ため池100選」に選ばれた。 茨城県内では砂沼のほか、土浦市の宍塚大池、阿見町の神田池が選ばれている。 沼の中央部には、東岸と西岸を結ぶY字形の歩行者専用の橋「砂沼大橋」が架けられている。全長395m。東岸の観桜苑、西岸の砂沼サンビーチと市立下妻中を結んでいる。 中央にはブロンズのモニュメントが飾られている。なお、周辺は砂沼広域公園として整備されている(下記参照)。 下妻市。砂沼の地図 筑波山と砂沼(左)、へら鮒供養塔(右) 砂沼大橋観桜苑側(左)、中央部にあるモニュメント(右) 砂沼広域公園 砂沼を中心とした面積約80ha(砂沼の水面を含む)の公園。プールゾーン、スポーツゾーン、水生植物ゾーン、遊歩道ゾーン、沼ゾーンからなる。 プールゾーンは、数多くのプールからなる砂沼サンビーチ。水生植物ゾーンは、菖蒲園などからなる観桜苑。 遊歩道ゾーンは、いばらきヘルスロードにも指定されている砂沼広域公園遊歩道。 スポーツゾーンは、沼の最北部に整備された野球場と砂沼サンビーチ脇にある5面のテニスコート。 野球場は、両翼90m、センター110m、内野スタンド付、テニスコートは全天候型、夜間照明付。 沼ゾーンは、砂沼ほか、砂沼大橋などが含まれる。 開園時間は午前8時30分(7月1日から8月31日は午前7時30分から)から午後5時(4月1日から11月30日は午後9時)まで。 無料駐車場有、観桜苑40台、砂沼サンビーチ670台(砂沼サンビーチオープン期間は有料)。 下妻市。砂沼広域公園の地図 砂沼の桜 砂沼の外周に植えられている。開花時期には桜まつりが開催される。 また夜はライトアップも行われる。 砂沼の外周に植えられている桜 ライトアップされた砂沼の桜 観桜苑かんおうえん 砂沼広域公園の水生植物ゾーンとして整備された公園。その名の通り多くの桜の樹が植えられており、花見時期は多くの人でにぎわう。 また、砂沼の自然を生かした水生植物園があり、菖蒲を中心に植えられている。このほか約1haある広々とした芝生広場がある。 苑北側には、多目的研修館、砂沼庵がある。 下妻市下妻丙175。観桜苑の地図 観桜苑の水生植物園(左)、芝生広場(右) 菖蒲園 観桜苑の桜 約50種類、350本の桜が植えられている。 桜の時期の観桜苑 観桜苑の紅葉 観桜苑の桜以外の樹木は多くが落葉樹で売筑shく紅葉する。 観桜苑、銀杏の紅葉(左)、同じく楓の紅葉(右) しもつま砂沼の花火大会 その名の通り砂沼で開催される花火大会。砂沼の湖上に打上場が設けられる。 メガスターマインや花火100連発、記念花火など3000発の花火が打ち上げられる。 砂沼の湖上から打ち上げられる花火 砂沼広域公園遊歩道 沼を一周する約6kmの遊歩道。いばらきヘルスロードに指定されている。 スタート地点は、観桜苑の砂沼大橋のたもとにある。砂沼大橋を利用することで、歩く距離を調整することもできるのが特徴。 また、遊歩道には桜が植えられており、花見の時期には多くの見物客が訪れる。 下妻市。砂沼遊歩道の地図 砂沼広域公園遊歩道スタート地点 砂沼広域公園の紅葉 砂沼西側の旧砂沼サンビーチ周辺等で多くの樹木が紅葉する。 砂沼広域公園の紅葉 サン・SUN さぬま 下妻市観光交流センターさん歩の駅サン・SUNさぬま。砂沼畔の最南部にある。観光案内所や物産販売所などがあり、「まちなかのにぎわいづくりの拠点」 そひて「砂沼を中心とした観光交流拠点」として2017(平成29)年5月15日オープンした。 施設は2階建てで、1階が観光物産を販売するマルシェ。2階は砂沼が望めるカフェレストランと観光情報案内所がある。また、恋人の聖地サテライトにも指定されている。 営業時間は1階のマルシェが午前9時から午後8時、2階のカフェと案内所が午前7時から午後8時。 下妻市砂沼新田32−3。サン・SUN さぬまの地図 サン・SUN さぬま サン・SUN さぬまイルミネーション サン・SUNさぬまの2階テラス席前や駐車場などで行われている。 サン・SUNさぬま、駐車場のイルミネーション コシガヤホシクサ越谷星草 ホシクサ科の1年草。野生絶滅種(栽培種のみ生存)で、砂沼が最後の自生地。野生種としては絶滅となっているが、砂沼で、栽培種の生育、保護の取り組みが行われ、ほぼ自生地復活を果たしている。 植物版のトキとされる。野生種絶滅後、長い間、地元市民の有志によって保護活動が展開されており、それが今回の復活につながった。 現在では、環境省、独立行政法人国立科学博物館筑波実験植物園(つくば市)も、砂沼での生育実験などに乗り出している。 草丈は10cm〜30cm。春から夏にかけては水中で成長し、8月から9月にかけて、水面上に茎を出し花をつける。 水面上に浮かぶ花が、夜空に輝く星のようにみえることから星草の名がある。その後、秋にかけて結実する。 1938(昭和13)年、埼玉県越谷市で発見されたことから、越谷の冠がある。その後、長らく絶滅したと考えられていたが、1975(昭和50)年、砂沼で再発見された。 コシガヤホシクサは、春から夏にかけては水を溜めるため水位が高く、秋には水を抜くため水位が低くなる砂沼の環境が、生育に適していたことが、自生地として残っていた要因と見られる。 ところが、1994(平成6)年の全国的な渇水もあって、常に水を溜めておく水管理方法に変更、水位が上昇したことから、花をつける時期に、水面上に茎が出せなくなってしまった。 このため、結実できなくなり、野生種は絶滅となってしまった。 幸い、砂沼のコシガヤホシクサを調査していた研究者が種子を絶滅直前に採取、保存していたことから、その種をもとに、研究者の指導を受け、地元市民の有志らが、休耕田などを使い、生育、保護活動を行い、種をつないでいた。 また、2008(平成20)年度には、環境省の「生息域外保全モデル事業」に採択され、砂沼での発芽実験などが国立科学博物館筑波実験植物園で行われている。 砂沼のコシガヤホシクサ 砂沼サンビーチ 砂沼に隣接するプールを中心としたリクレーション施設。2018(平成30)年の営業で廃止となった。 10種類のプールや120mのウオータースライダーや波のりビーチなどがあった。 海から遠い県西地区の人たちに、マリンレジャーを楽しんでもらう目的で設けられた施設で夏期のみ営業していた。 駐車場有、夏期営業中は有料だった。 下妻市長塚4−1。 砂沼サンビーチ 大宝八幡宮だいほうはちまんぐう 関東最古の八幡さま、として知られる。旧県社。大きな宝と書くことから、最近では宝くじの神社としても人気を集めている。 祭神は誉田別命(応神天皇)、足仲彦命(仲哀天皇)、気長足姫命(神功皇后)の三柱。社伝によると、大宝元(701)年、藤原時忠が筑紫の宇佐八幡宮を勧請創建したとされる。 桃山時代の1577(天正5)年、時の下妻城主・多賀谷尊経によって建立された本殿は、国指定文化財になっている。棟札などの記録で1618(元和4)年と1630(寛永7)年に修理されたことがわかっている。 江戸時代に8回、屋根が葺きかえられている。なお、東京・深川の富岡八幡宮は同宮から勧請したとされる(諸説有)。 室町時代、境内から出火があり、それを鍋蓋と畳で消し止めた故事から「タバンカ祭」(9月12日、9月14日の両夜午後7時から)という火祭りが行われている(下記参照)。 境内には、屋根付の立派な相撲の土俵がある。奉納相撲の歴史も古く、高砂部屋の夏合宿が毎年行われている。このほか、境内にはあじさい園もあり、「あじさい祭り」(6月下旬)も行われる。 御朱印、オリジナル御朱印帳有(木製の表紙で全部で6種類ある)。御朱印については御朱印・神社も参照。 大宝八幡宮の詳細はへ。 下妻市大宝667。大宝八幡宮の地図 大宝八幡宮拝殿 大宝八幡宮本殿(左)、神門(右) 大宝八幡宮御朱印(左)、旧オリジナル御朱印帳(現在は頒布されていない)表紙(中)、同御朱印帳裏表紙(右) 大宝八幡宮の桜 参道に多くの桜がある。開花期間中ライトアップも行われ夜桜も楽しめる。 大宝八幡宮参道の桜 ライトアップされた大宝八幡宮参道の桜 大宝八幡宮の紅葉 参道はじめ、境内内で多くの紅葉が楽しめる。 大宝八幡宮、神門近くの紅葉 大宝八幡宮の銀杏 社務所脇にある御神木。30m近い高さがある。樹齢約100年。日露戦争に出征し無事戻ってこられた人が戦いの神である八幡神に感謝し奉納したもの。 大宝八幡宮の銀杏 大宝八幡宮の紫陽花 大宝八幡宮の境内北側、本殿の裏手に「あじさい神苑」がある。もともと境内は国指定史跡である大宝城跡の一部でもあるため、 城跡の土塁保全のため植えられたのが最初という。現在では約300種、およそ4000株が植えられている。 紫陽花が見頃を迎える6月最終土曜日(雨天の場合は翌日)には「あじさい祭り」が開催される。 流鏑馬神事はじめ、草花の無料抽選会や野点などで一日中にぎわう。 大宝八幡宮のあじさい 大宝八幡宮なんじゃもんじゃの木 神楽殿の南側にある。5月上旬に純白の花を咲かせ樹冠全体を覆う。 樹高約10mほどの高木で、雪をかぶったような姿になるのが特徴という。 なんじゃもんじゃの木とは「何というものか」という意味で、名前のはっきりしない、あるいは見慣れない植物を指すもので、特定の植物ではない。 現在数種がこの名で呼ばれているという。大宝八幡宮のなんじゃもんじゃの木は「ヒトツバタゴ」という種類。 大宝八幡宮にあるなんじゃもんじゃの木 大宝八幡宮節分祭 午後2時からの昼の部と午後7時からの夜の部の2回、拝殿での神事に引き続き神楽殿から豆や餅、菓子などがまかれる。 大宝八幡宮節分祭 タバンカ祭 大宝八幡宮で9月の第1土曜日に行われている火祭り。大松明を参道で燃やし、畳、鍋蓋を地面に叩きつけ、 白装束の所役が藁の松明を持って境内を走り回る。「松明祭」、「冬瓜まつり」とも呼ばれる。 起源は、1370(応安3)年、大宝八幡宮の別当寺から出火した際、畳と鍋蓋を使って火を消し止めたことによるとされる。 両日とも午後7時、拝殿において太鼓の音を合図に神事が始まる。このとき冬瓜を神前に献上することから「冬瓜まつり」の名がある。 最後に冬瓜などが乗った盃を拝殿前に放り投げる。この盃の破片を拾うと病気をしないと伝わる。 この後、大松明に火がつけられ、門を出て参道に。この火を囲んで畳や鍋蓋を投げつける。タバンカ祭の名前は、 このとき「バタン」「バタン」という音がすることからきているという。 さらに白装束を着た所役が、この神火を藁の松明に移し、それを両手に持って振り回しながら境内を走り回る。 2019(令和元)年までは9月12日と14日に行われ、12日は境内末社、14日には本社と若宮八幡宮の御幣が新しくされていた。 2020(令和2)年から9月の第1土曜日のみに変更された。 松明を持ち走り出す所役(左)、拝殿前に畳とともに盃を放り投げる(右) 流鏑馬 大宝八幡宮で6月最終土曜に開催される。流鏑馬は、疾走する馬上から鏑矢を射て的に当て五穀豊穣を祈願する神事。 二の鳥居と三の鳥居の間にある三吉山に約100mの馬場があり、その途中2ヶ所に的が設けられる。 同宮の流鏑馬は長く途絶えていたが1300年大祭を記念し2001(平成13)年9月、100年ぶりに復活した。 以降毎年開催されている。男女3人が騎馬武者に扮して実施する。午前10時、騎馬武者と馬が揃って神事が行われ、 その後馬場に移動、流鏑馬を行う。当たり的は縁起物として頒布される。 大宝八幡宮の流鏑馬 大宝八幡宮夏越の大祓 大宝八幡宮で6月30日に行われる。大祓は、半年間の心身の穢れや災厄の原因となる罪を祓い清めるもので、夏と年末の2回行われるが 夏は大きな茅の輪が拝殿前に設けられ、無病息災などを祈りくぐる。このことから「輪くぐり」とも呼ばれている。 午後7時から境内社の祓戸神社前で神事。その後神職に続いて3度、茅の輪をくぐり心身を清めた。最後に拝殿で御祈祷が行われた。 夏越の大祓で茅の輪をくぐる神職ら 大宝まち 大宝八幡宮の春の大祭及び秋の大祭は大宝まちと呼ばれる。神事のほか神楽の奉納などがある。現在では数は少なくなったが参道に露店なども出る。 春の大祭は祈年祭とも呼ばれ4月15日、16日に行われる。その名の通り、その年の豊作を祈願する。神事のほか「大宝八幡宮十二座神楽」の奉納がある。 秋の大祭は例祭で9月15日、16日に行われる。その年の豊作を感謝して行われる。年1回の御扉開閉を含む一連の大祭神事のほか、春の大祭同様「大宝八幡宮十二座神楽」の奉納がある。 大宝まちの参道の露店 大宝八幡宮十二座神楽 大宝八幡宮の春の例祭(4月15日)と秋の例祭(9月15日)に神楽殿で舞を行い奉納する。下妻市指定民俗文化財。 12座あるが現在は全て舞われることは少なく五行の舞、八幡の舞、猿田彦の舞、恵比寿の舞、春日の舞、岩戸の舞の 6座ないし5座実施されることが多い。 恵比寿の舞(左)、八幡の舞(右) ひとつもの神事 大宝八幡宮に伝わる神事で、一つ目の藁人形を掲げて氏子地域を練り歩き、地域の災いや穢れを藁人形に移し、川に流すことで地域の穢れなどを祓う。 毎年9月15日の夜に行われる。室町時代のころから行われているという。 この神事には伝説が残っている。かつてこの周辺には大宝沼という大きな沼があった。その沼には大きな白蛇が住んでおり、 秋になると大宝沼近くの若い娘が住む家に白羽の矢を立てた。その家では娘を差し出さなければならず、差し出さなければ白蛇の怒りに触れ、嵐や洪水が起こり農作物がとれなくなった。 そこで人々は集まり、一つ目の藁人形を作って白蛇に差し出したところ、白蛇は大宝沼から逃げ出してしまったという。この伝説がいつしか神事化したもの。 神事は午後7時から神職を先頭に氏子地域を練り歩く。提灯の明かりを頼りに東側の門から出て、正面の参道から戻る。 氏子地域を回った後、神職が大祓いを行う。最後に大宝沼の名残でもある近くの糸繰川に流す。およそ30分で終了する。 世話人に掲げられて氏子地域を進む一つ目の藁人形 神職を先頭に提灯の明かりだけで氏子地域を練り歩くひとつもの神事の列(左)、拝殿前での神事(右) 風鈴まつり 「風鈴まつり〜千古の社に凉を求めて〜」は、毎年8月、大宝八幡宮の参道を会場に、 願い事などが書かれた1000個の風鈴が展示される。期間中はライトアップも行われる(午後9時ごろまで)。 2020(令和2)年初めて開催された。 風鈴まつり(左)、ライトアップされた夜の風鈴まつり(右) WaiWaiドームしもつま 下妻市にぎわい広場WaiWaiドームしもつま。大規模遊休地を活用した「まちなか広場」で、2017(平成29)年4月27日オープンした。 テニス、フットサル、ストリートバスケットなどが行える屋根付き多目的広場「WaiWaiドーム」、 スケートボード専門パークで雨水の調整池の役目も果たすエクストリーム広場「B.E.step125−shimotsuma−」、 ボルダリング壁などがある地域交流センター「わいわいハウス」が主要施設。 開園時間はWaiWaiドームが午前6時(専用利用は午前9時)から午後8時。その他は午前9時から午後9時。 無休だが有料施設は火曜日休場。 下妻市下妻丁91。WaiWaiドームしもつまの地図 WaiWaiドーム(左)、B.E.step125−shimotsuma−(右) 多賀谷時代まつり 戦国時代、下妻を治めていた戦国大名・多賀谷氏を偲び、毎年4月の第2日曜日に、居城があった多賀谷城跡公園を主会場に開催されているまつり。 川越藩火縄銃鉄砲隊保存会の協力を得て行われる火縄銃演武、市民参加の武者行列、万灯神輿と山車の共演などが行われる。 下妻市本城2−50。多賀谷城跡公園の地図 多賀谷時代まつりで行われた火縄銃演武 鬼怒フラワーライン 鬼怒川左岸の河川敷(大形橋北側)に広がる。 5月中旬から下旬にかけてポピーの花が咲き、「花とふれあいまつり」が、8月には「鬼怒川流域Eボート大会」、 10月には「いもほり&種まき大会」など、年間を通じてさまざまなイベントが行われている。 下妻市鎌庭。鬼怒フラワーラインの地図 ポピーの花が開花した鬼怒フラワーライン 鬼怒フラワーラインの桜 鬼怒フラワーラインの河川敷にある桜並木。 鬼怒フラワーラインの桜 鬼怒フラワーラインの鯉のぼり 鬼怒フラワーラインの河川敷に設置されている。 4月中旬から5月中旬まで飾られており、終盤には河川敷を彩るポピーとの競演も見られる。 鬼怒川の河川敷を泳ぐ鯉のぼり ビアスパークしもつま 地ビールレストランと温泉施設、宿泊施設が合体。地元の麦の麦芽を使ったビールはここだけの味。 温泉「しもつま温泉」は、地下1500mから湧き出るアルカリ性の天然温泉(ナトリウム、塩化物泉)。泉温は43.4度、湧出量は毎分120リットル。 露天風呂や薬湯風呂、寝ころび湯、うたせ湯など7つのお風呂が自慢。入浴料は大人800円、小人500円。 ビール工房「しもつまブルワリー」で造られる地ビールは、定番のホワイト、レッド、ポーターの3種のほか、季節限定、特別醸造がある。 館内の中華レストラン「好好(ハオハオ)」と和食処「おもと」で提供される。 このほか、ホテル、宴会場、会議室、バーベキュー場、農産物直売所、体験農園がある。 下妻市長塚乙70−3。ビアスパークしもつまの地図 ビアスパークしもつま ほっとランドきぬ 温水プールや健康浴槽、風呂などがあるほっとランドきぬと、グラウンドゴルフ場、多目的広場(サッカーグラウンド)などがあるフィットネスパークきぬからなる。 温水プールは25m7コース、健康浴槽は11種類で水着着用となっている。 下妻市中居指1126。ほっとランドきぬの地図 ほっとランドきぬ イオンモール下妻 旧イオン下妻ショッピングセンター。国道125号と国道294号の交差点にある。 映画「下妻物語」で、地元以外にも有名になったショッピングセンター。イオン下妻店を核とする複合商業施設。 当時はジャスコ下妻店だったが、その後増築と改装が行われ、映画館なども入るイオンショッピングセンターにグレードアップした。 もともとジャスコ下妻店は、下妻市下妻の下妻二高脇に伊勢甚ジャスコとしてオープン。1997(平成9)年、現在地に新下妻店として移転した。2008(平成20)年10月24日、イオン下妻ショッピングセンターとして改装オープンしている。 平面駐車場、屋上駐車場合わせて約3000台の無料駐車場がある。2011(平成23)年11月21日、イオンモール下妻に名称変更した。 下妻市堀篭972−1。イオンモール下妻の地図 イオンモール下妻 道の駅しもつま 国道294号線沿いにある。地ビールや地元のお土産品を展示販売する「観光物産館」(営業時間は午前9時〜午後7時30分)、地元で採れた野菜、果物、加工品を販売する「農産物直売所」(同午前9時〜午後6時)、 ラーメンやカレー、ソフトクリームなどがある「ファーストフード」(同午前6時〜午後8時=夏期は午後9時まで延長)、 地元産豚肉を使用した定食などを提供する「和風レストラン294」(同午前11時〜午後7時30分)、常陸秋そばを使った手打ちそば「そば打ちめいじん亭」(同午前11時〜午後6時)、無料休憩所、展望室などの施設からなる。 下妻市数須140。道の駅しもつまの地図 城郭建築風の建物が人気の道の駅しもつま やすらぎの里しもつま 国道294号線沿いにある。農産物直売所とレストラン、公園などからなる。 農産物直売所は、JA常総ひかりが直営し、2007(平成19)年5月3日オープンした。 地元で採れる梨、きゅうり、トマト、スイカなどを販売している。特に地元産の梨は、全国でも有数の産地で人気の品だ。 また、レストラン「陽陽」は、地元茨城県産の銘柄豚を使用したローズポークステーキが自慢の品。 農産物直売所は、午前9時〜午後6時30分(4月〜10月)、午前9時〜午後6時(11月〜3月)、第1、第3水曜日定休。なお、陽陽の営業時間は午前10時30分から午後8時まで。 下妻市大園木2697。やすらぎの里しもつまの地図 農産物直売所とレストランからなるやすらぎの里しもつま やすらぎの里しもつまの藤 公園エリアに7種145本の藤が植えられている。 このうち「藤の回廊」といわれる藤棚は、延長約200mで7種60本がある。4月下旬から5月上旬が見頃。 やすらぎの里しもつまの藤の回廊 やすらぎの里しもつまイルミネーション やすらぎの里しもつまで、毎年11月下旬から1月下旬にかけてツリー型のイルミネーションが、 地元のボランティア団体「蚕飼地区まちづくり推進委員会」によって実施されている。 やすらぎの里しもつまイルミネーション 下妻市ふるさと博物館 下妻市の「歴史」はじめ、「水とのたたかい」「農家のくらし」 「くらしの道具」「ゆかりの人々」などのコーナーに分け、 実物資料、パネル、映像などで展示している。特に筑波嶺詩人と呼ばれ、下妻をこよなく愛した詩人、横瀬夜雨を紹介する「横瀬夜雨記念室」が設けられ、自筆原稿などが展示されている。 なお、外観は多賀谷氏の居城をイメージして作られたもの。 月曜日休館。祝日の翌日。開館時間は午前9時〜午後4時30分。入館料は大人200円、児童、生徒100円。 下妻市長塚乙77。下妻市ふるさと博物館の地図 下妻市ふるさと博物館 下妻市立図書館 2001(平成13)年10月開館。敷地面積11036平方m、建築面積2814.80平方m、延床面積4010.16平方m。 月曜日休館。開館時間は平日午前10時〜午後7時(映像ホールや会議室は午前9時から午後9時)。土日祝日は午前9時から午後5時。 下妻市砂沼新田35−1。下妻市立図書館の地図 下妻市立図書館 小島草庵跡 下妻市小島の水田の中にある。大銀杏や五輪塔などがある。常陸国に入った親鸞が布教のため最初に置いた本拠。三月寺。 1214(建保2)年、親鸞42歳の時にこの地に入ったとされる。ここに3年間滞在し、その後、稲田(現在の笠間市稲田)に移った。 もとは欽明天皇、用明天皇、聖徳太子の墓があり、三皇院と呼ばれていた。親鸞が三月の間、法談を続けたことから、寺号を三月寺と改めた。 この地を治めていた小島丹後入道清武、武弘親子は、その教えに深く帰依し館を寄進したという。 また後に親鸞の墓を加え、四体仏と呼ばれるようになった。現在でも墓とされる4つの五輪塔が残る。 このほか「親鸞聖人御旧跡」「三歳御住居」などの碑がある。 大銀杏は「稲田恋しの銀杏」と呼ばれる(下記参照)。 下妻市小島。小島草庵跡の地図 小島草庵跡 稲田恋しの銀杏 下妻市の小島草庵跡にある大銀杏。親鸞聖人御手植えとも伝わる。親鸞聖人が向かった北東方向に枝がよく伸びることからこの名がある。 稲田恋しの銀杏 光明寺 西木山高月院。真宗大谷派。親鸞聖人ゆかりの寺。1220(承久2)年の創建で、親鸞聖人の弟子の明空に与えた。 明空は、元の名を三浦荒次郎義忠という武士で、和田義盛の乱で、執権の北条氏に破れ、東北地方へ落ち延びる途中、この地で親鸞聖人の法談を聞いて弟子になったという。 室町時代初期、14世紀に造られ、茨城県の文化財に指定されている木造聖徳太子立像がある。 境内前には、下妻市指定天然記念物の「親鸞聖人御手植の菩提樹」=下記参照=がある。 また、境内には明空お手植えとされる柊(ひいらぎ)がある。 明空は、柊を好み、多くに柊が境内にあったため光明寺は「柊道場」ともよばれたという。 同じく「明空御手植の柊」として下妻市の天然記念物に指定されてる。 下妻市下妻乙350。光明寺の地図 光明寺 光明寺の菩提樹 健保年間(1213〜18年)、親鸞聖人が小島草庵に3年間滞在し、稲田に移る際、記念として植樹したとされる。 推定樹齢800年近い老樹で「親鸞御手植の菩提樹」として下妻市の天然記念物に指定されている。 現在でも初夏に小さな黄色い花を咲かせる。 光明寺の菩提樹(左)、同じく菩提樹の花(右) 光明寺の銀杏 光明寺の本堂前にある銀杏の巨樹。 光明寺の銀杏 門前の銀杏、奥には本堂前の銀杏 大宝城跡 国指定史跡。西、北、および東の一部を旧大宝沼に囲まれた台地に造築された。 南北朝時代、南朝に味方し、北朝方の猛攻を受けて落城した。城主下妻政泰は討死した。 城跡は大宝八幡宮の境内としてその面影を留めている。 下妻市大宝。大宝城跡の地図 城跡の風情を残す大宝八幡宮の境内 多賀谷城跡 戦国時代、この地方を治めた多賀谷氏の居城跡。現在、本丸のあった場所は多賀谷城跡公園となっている。 下妻市本城2−50。多賀谷城址の地図 多賀谷城址 多賀谷城跡公園の紅葉 多賀谷城跡公園に植えられている多くの樹木が紅葉する。 多賀谷城跡公園の紅葉 宗任神社 むねとうじんじゃ 祭神は安倍宗任公。宗任公は、奥羽地方の豪族で、平安時代後期の前九年の役(1051〜61年)で、源頼義の軍勢に敗れた。 家臣が、宗任公の遺品を持ってこの地を訪れたところ、 「天の道、人の道を行くを宗とする意味で宗道と地名を改めれば、人はすこやかに、地は栄えるようになるであろう」とご神託があったと伝えられている。 以降、この地は宗道となったといい、神社として祀られた。 鎌倉時代には、豊田33郷幸嶋12郷の総社として信仰された。江戸時代、3代将軍家光公より、朱印地5石が与えられたほか、本殿、拝殿が寄進された。 本殿、拝殿はその後焼失し、現在の社殿は明治時代の再建によるもの。 毎年1月11日、日本一早い「豆まき」として追儺祭(ついなさい)が行われる(下記参照)。 御朱印有。御朱印については御朱印・神社も参照。 下妻市本宗道91。宗任神社の地図 宗任神社拝殿(左)、御朱印(右) 宗任神社本殿(左)、鳥居(右) 宗任神社追儺祭 むねとうじんじゃついなさい 宗任神社で行われる追儺祭は、日本一早い「豆まき」として知られる。 同神社の祭神は、大晦日に眠りに入り1月11日午前6時から「おめざめ祭」として太鼓を鳴らして起こす。 その後厄払いとして追儺祭が行われていた。もともと旧暦で行われていたが、そのまま新暦の日付に移行したことから日本一早い追儺祭(節分祭) となった。 同日午後5時から、花火を合図に豆まきに加え、お菓子などもまかれる「宝まき」が神楽殿から行われる。 日本一早い福にあやかろうと遠くからの参拝者も多い。 宗任神社の追儺祭で行われる宝まき 輪くぐり祭 毎年8月16日、宗任神社で行われる。古くから「宗道の輪くぐり」として知られる。 茅で作った輪をくぐることで罪や穢れを祓い、家内安全、交通安全、商売繁盛、加えて子供の守り神として「虫ふうじ」が図れるという。 午前7時宗任囃子が奉納される。祈祷は午前8時から午前中に実施。参道には早朝から露店も出る。 拝殿前に設けられた茅の輪 宗道神社そうどうじんじゃ 祭神は建速須佐男命。江戸時代は天王宮、天王社と呼ばれた。旧村社。寛永年間(1624〜1645年)の建立と伝えられる。 御朱印有。授与は宗任神社社務所。御朱印については御朱印・神社も参照。 下妻市宗道8。宗道神社の地図 宗道神社社殿(左)、御朱印(右) 宗道神社の紅葉 境内の樹木が一斉に紅葉する。 宗道神社の紅葉 千勝神社ちかつじんじゃ 502年の創建と伝えられる古社。もとは常陸国と下総国の国境にあったが、1426(応永32)年、現在地に鎮座した。 祭神は、猿田彦大神。天孫降臨の際、先導役を果たした神で、導きの神として知られる。 下妻市坂井38。千勝神社の地図 千勝神社拝殿 高道祖神社 たかさいじんじゃ 祭神は、大山咋命、道祖神、天日鷲命、誉田別命、菅原道真。 もとは「山王さま」といい、日枝神社だった。 田中荘に属していたころの創始と伝えられる。1916(大正5)年に、村内の道祖神社を合併し、高道祖神社とした。 拝殿の裏にある本殿は、昔のままで、向かって右側に日枝神社、左側に道祖神社が祀られている。 旧暦の1月14日に行われる道祖神祭は同神社の例祭(下記参照)。 御朱印有。授与は道祖神祭開催日のみ社務所。御朱印については御朱印・神社も参照。 下妻市高道祖。高道祖神社の地図 高道祖神社拝殿(左)、御朱印(右) 高道祖神社本殿(左)、全景(右) 道祖神祭 高道祖神社で3月の第1日曜日に行われる。2018(平成30)年までは旧暦の1月14日に行われていた。 子授けを祈願する祭りとして広く知られる。加えて招福、厄払いを兼ね追儺式(豆まき)も行われる。 祭りでは男性器、女性器を模した餅「塞り棒」が有名。 塞り棒は、手ごろな500円のものから豪華な1万円のものまである。 男性器は白色の餅、女性器は赤色の餅で作られ、紅白の縁起物となっている。 夫が女性器、妻が男性器の餅を食べることで御利益があるという。 県内はもとより、東京方面などからの参拝者も多い。当日は午後1時から順次祈祷が行われるほか、 夜は午後7時、午後8時の2回、追儺式として豆まきが行われる。神社周辺には臨時駐車場が設けられる。 道祖神祭当日の神社前(左)、塞り棒の餅(右) 道祖神社 祭神は道祖神。一度、高道祖神社に合祀されたが、再び元の場所に再建された。 850(嘉承3)年の創始とされる古社。 開拓、殖産、学業、安産、厄除などにご利益があるとされ、特に性神として子宝に恵まれない人にご神徳があるとされている。 木や石で男根をかたどったものを供え、近くにあったという「道祖の池(さやのいけ)」の水で沸かした風呂に入ると神徳あらたかと、 境内の籠り所に設けられた風呂はにぎわったという。 1916(大正5)年、日枝神社に遷されることになり、本殿を移す際、御神体の陽石がひとりでに転がりだしたと伝えられる。 近くの古老は、これは遷されたくないという神の意思だろうと、神棚に供え、保存していた。 その後昭和のはじめに疫病がはやり、これは神の祟りと、地元の有志が道祖神社を再建したという。 下妻市高道祖4546。道祖神社の地図 道祖神社(左)、道祖神社社殿(右) 筑波サーキット 都心からも近く、日本を代表するサーキットの一つ。三重県の鈴鹿サーキット、静岡県の富士スピードウエイに次いで、日本で3番目に古い歴史と伝統を持つ。 全長約2kmのメーンサーキットと全長約1kmのコース1000からなる。コントロールタワーは4階建て、第1ピット、第2ピットなどがある。 メーンサーキットは、同一コースながら、コーナーの取り方が2輪と4輪で違い、2輪が全長2070m、4輪全長2045mとなっている。 高度な運転技術が必要なテクニカルコースとなっている。プロのレースだけでなく、コースが開放され、一般の人が参加できるレースも多い。 下妻市村岡乙159。筑波サーキットの地図 下妻神社 1591(天正19)年、多賀谷重経が古沢村の牛頭天王を勧請して建立したと伝えられる。 江戸時代の1712(正徳2)年、下妻藩主の井上正長が、城廻村(現在の下妻市下妻乙)の守護とし崇敬した。 正長が社殿を再建したとの説もある。 明治時代に入り、素戔鳴尊など九柱が合祀され、下妻神社となった。 現在の社殿は1987(昭和62)年に完成した。社殿前にある大欅は御神木=下記参照。 下妻市下妻乙80。下妻神社の地図 下妻神社社殿 下妻神社の大欅 下妻神社=上記参照=の社殿脇にある。樹高約24m、幹周り約7m、推定樹齢約500年。 下妻市の天然記念物に指定されている。 秋の下妻神社の大欅(左)、大欅幹(右) 愛宕神社 愛宕八坂神社、二所神社 祭神は火産霊命、素戔鳴尊。1449(宝徳元)年、時の領主・多賀谷広元が城の乾(いぬい)の方角の守護神として京都の愛宕神社を勧請した。 1873(明治6)年4月、八坂神社を合祀し、二所神社とした。 現在の本殿は1665(寛文5)年の建立。1924(大正13)年に本殿の大修理を行った。この時、拝殿と社務所が新たに建立された。 1930(昭和5)年、砂沼畔で開催された農業祭を記念し、地元の青年会が石鳥居を寄進している。 下妻市下妻丙152。愛宕神社の地図 愛宕神社 五所神社 祭神は道雄命、木花咲耶姫命、大国主命、蛭子命、市杵島姫命。 971(天禄2)年、源順が平将門の霊を鎮め、関東の守護神として創建したと伝えられる。 もとは牛頭天王を祀り、天王様と呼ばれた。1873(明治6)年、村内の神社を合祀し、五所神社となった。 現在の本殿は1711(正徳元)年の再建。 下妻市下妻丁376。五所神社の地図 五所神社 城山稲荷神社 祭神は倉稲魂命。例祭は旧2月初午日。宝徳年間(1449〜52年)、下妻城主多賀谷広元が城内に鎮斎して崇敬した。 1588(天正16)年、小田原の北条氏が侵攻、小島と古沢の二方面から多賀谷氏を攻撃した。 翌1589(天正17)年、豊臣秀吉の小田原攻めに備えて北条氏は撤退。多賀谷氏側は、これは稲荷神社の加護によるものとし、 狭い城内ではなく、眺めのよい広い所へ祀らねばならないと西館に社を建てた。 1589(天正17)年9月24日に奉納された懸仏には、大願施主多賀谷重経などの記載がある。 多賀谷氏が追放される際、社殿の向きが変えられたという。崇敬者がいなくなった社は荒廃していたという。 その後、1972(昭和47)年になって、地元の陣屋町の人たちによって多賀谷氏時代の向きで社殿が再建された。 下妻市下妻。城山稲荷神社の地図 城山稲荷神社 西町旭陣屋の夏祭り 西町の天王様の祭り。牛頭天王社をルーツに持つ下妻神社の神輿が出る。第4土曜日に開催。 下妻神社の神輿 大町の夏祭り 大町二所神社の祭礼。かつての牛頭天王社(八坂神社)が現在合祀されている愛宕八坂神社の祭り。 神輿のほか、下妻市の無形文化財に指定されている大町囃子の屋台が出る。 第4日曜日夕方から参道の砂沼畔の道路が歩行者天国となる。 大町二所神社の神輿 宗道祇園祭 宗道地区の祇園祭。牛頭天王社、天王様と呼ばれる宗道神社の神輿が出る。第4土曜日に開催。 宗道神社の神輿 大宝祇園祭 大宝地区の祇園祭。大宝八幡宮周辺を神輿が渡御する。第3日曜日に開催。 大宝祇園祭での神輿の渡御 黒駒不動尊祭礼 黒駒不動尊=下記参照=の水かけ祭り、水あびともいわれる。毎月28日に開催される縁日のうち最もにぎわうとされる 7月の縁日の前夜祭的に7月27日の夜行われている。五穀豊穣を祈願する。 不動堂前に4本の竹が立てられ注連縄が張られ、おおむね2m四方の結界がつくられる。その中に水をいれたたらいが置かれる。 まず、上半身裸の参加者が「散華、散華、六根清浄」などと唱えながら、たらいの水をかぶりまたは周囲にまき散らす。 しばらくすると、参加者の一人がたらいに入り、何人かがたらいを担ぎ、不動尊に集まった人たちに水をかけて回る。 その後、不動堂の周囲を回って終了する。なお、この水がかかると1年間無病息災で暮らせると言い伝えがある。 なお、黒駒囃子会の屋台が出る。 黒駒不動尊祭礼、たらいに乗った人が周囲の人たちに水をかけて回る 黒駒不動尊祭礼で、まずはたらいの周囲の人たちに水をかける(左)、最後に不動堂の周囲をまわる(右) 村岡の高燈籠 下妻市村岡地区に伝わる新盆の行事。下妻市指定無形民俗文化財。高さ約5間(約10m)の高燈籠を8月7日早朝につくり、 満徳寺=下記参照=本堂前に掲げられる。なお、実施場所は満徳寺境内だが寺は行事にかかわらないという。 高燈籠は、新盆の人たちが杉の木や竹などの材料を用意し、地区の人たちが総出で作る。 材料の用意は前日、当日も新盆の家の人たちは午前3時には集まり、地区の人たちが来るのを待つ。 杉の木は先端のみに葉を残し、先端に青竹で十字に組みその先端に竹の輪をつける。 杉の木にも青竹を割ったものを荒縄でくくりつける。 満徳寺本堂前に設けられた高燈籠 小野子千手観音 茨城県指定文化財の木造千手観音坐像が祀られている。坐高65.2cm。檜材の寄木造。安産などに御利益があるとして広く信仰を集めている。 下妻の人、横須賀小六と妻の亀子が、失われた鎌倉時代の千手観音の再興を共に発願、1520(永正17)年、真寿院に安置し、開眼した。 1660(万治3)年と1716(享保元)年に修理した記録が胎内に残る。真寿院は、明治初期に廃寺となり、1905(明治38)年には暴風で堂宇を失った。 その後、念仏寮に安置されていたが、念仏寮も老朽化により倒壊寸前となったため、1936(昭和11)年、地元の人たちによって、観音堂が新築された。 1997(平成9)年、観音堂が老朽化したため、小野子地区の公民館を兼ねた現在の観音堂が完成。同時に観音像も解体修理が行われ、1998(平成10)年6月、竣工式、入仏式が行われた。 1月と8月にご開帳が行われる。 下妻市下妻乙498。小野子千手観音の地図 小野子千手観世音菩薩堂 黒駒不動尊 享保年間(1716〜36年)の頃、不動尊が鬼怒川を流れてきた。初めに発見した人たちが、川から拾い上げようとしたが重くて上がらず、 黒駒の人たちがやると軽々と持ち上がり川から拾い上げることが出来たという。そこで黒駒の人たちは、お堂を建てお祀りしたと伝えられている。 別名「耳不動」として知られている。奉納されているキリを借りて耳にあてると耳の病が治るとして広く信仰されている。 下妻市黒駒。黒駒不動の地図 黒駒不動 今泉不動尊 下妻城主多賀谷氏が下妻城の裏鬼門鎮護のため建立した。徳川家康によって多賀谷氏が追放されると一時荒廃したが、1616(元和2)年、 下妻城主となった松平氏が再建した。現在の不動堂は享保年間(1716〜35年)の再建。1996(平成8)年12月26日、下妻市指定文化財。 桁行、梁間とも三間(約7.6m)、正面に一間の向拝、周囲に回廊がある。柱や梁に施された龍などの浮き彫りが素晴らしい。 彫刻は、江戸中期を代表する彫刻師、無関堂(嶋村)円鉄の弟子、嶋村藤市によるもの。 下妻市今泉。今泉不動尊の地図 今泉不動尊 肘谷観音 木造観世音菩薩立像。カヤ材の一木造。像高154.8cm。平安時代後期の作とされる。この地にあった順貴山西照院光福寺に祀られていた。 1984(昭和59)年3月8日、茨城県指定文化財。 もともとこの観音像は、地元豪族の守本尊だった。寺に祀られるも、豪雨による氾濫で流出。江戸時代、肘谷沼開発事業で見つかり、寺に再び祀られることになった。 明治に入り、寺が廃寺となったため、現在は観音堂が残るのみ。祭日で、豆を煎って供物とすることから、豆煎り観音とも呼ばれる。 下妻市肘谷。肘谷観音の地図 肘谷観音 平将門公鎌輪之宿址碑 下妻市鎌庭は、940(天慶3)年に成立した将門記にある「豊田郡鎌輪之宿」があった地とされる。 もともとこの地域は、鬼怒川が蛇行し、三方が川に囲まれた自然の要塞。さらにその鬼怒川によって肥沃な土地だった。 このため平将門公は、相馬御厨より、この地に移り、ここを本拠地として理想郷実現を図ったともされる。 碑は、河川改修により廃川となった川道跡の埋立地建てられた下妻市役所千代川庁舎(旧千代川村役場)裏にある。 下妻市鬼怒。平将門公鎌輪之宿址碑の地図 平将門公鎌輪之宿址碑 香取神社 鎌庭 創建は1533(天文2)年1月15日、下総国一の宮香取神宮から分祀した。 1909(明治42)年3月、青龍権現、愛宕神社などを合祀した。 940(天慶3)年に成立した将門記にある「豊田郡鎌輪之宿」は、同神社を含めたこの地一帯であるとされる。 下妻市鎌庭54。香取神社・鎌庭の地図 香取神社社殿(左)、鳥居(右) 甲神社 祭神は、阿部宗任命、経津主命。安倍宗任公の兜を祀った場所と伝えられる。2007(平成19)年、社殿再建。 下妻市大園木。甲神社の地図 甲神社(左)、本殿(右) 香取神社 鯨 旧鎧明神。祭神は経津主命。安倍宗任公の青龍の鎧を祀った場所とされる。 創建は不詳ながら、明治時代の上申書に1647(正保4)年再建と記されている。 下妻市鯨。香取神社・鯨の地図 香取神社拝殿 香取神社本殿(左)、鳥居(右) 山尻鹿島神社 祭神は武甕槌神。お鹿様の伝説が残る。その昔、鹿島神社に傷を負った鹿が逃げ込んできた。村人たちが取り押さえたが、かなりの深手で間もなく死んでしまった。 そこに隣の村人たちが来て、その鹿は我々がつかまえようとしてここまで追ってきた。こっちに渡してもらおうかと詰め寄ったという。 山尻の村人たちも捕まえたのは俺たちと譲らなかった。そこで名主が仲裁に入り、鹿は鹿島の神様の使いという。ここまで逃げてきたのはここに葬ってほしいからではないか、と双方を納得させた。 鹿は境内の天神様の近くに埋葬され「御鹿様」として祀られたという。 下妻市山尻。山尻鹿島神社の地図 山尻鹿島神社社殿(左)、同じく全景(右) 神明両社 江 祭神は大日孁命(あおひるめむちのみこと)、豊受比当ス。 創建は807(大同2)年。拝殿の扁額には「高天原」とある。旧村社。 なお境内は、神明両社遺跡上にある。 下妻市江1。神明両社の地図 神明両社拝殿(左)、同じく本殿(右) 金比羅神社 福田 祭神は大物主命、崇徳天皇。享保年間(1716〜36年)に福田長左衛門が大宝沼を干拓する際、 守護神として四国・讃岐からこんぴら様を勧請したという。 現在の社殿は、下妻市内の光明寺にあった太子堂を譲り受け改築したもの。光明寺時代には、 茨城県の文化財指定を受けている聖徳太子立像が安置されていた由緒ある建物。 下妻市福田。金比羅神社の地図 金比羅神社 多宝院 潜龍山護国寺。曹洞宗の寺。本尊は釈迦如来。 1489(延徳元)年、大串村寺山(下妻市大串)で創建、天文年間(1532〜55年)、下妻城主多賀谷家植が、城内(現在地)に移築させ、菩提寺とした。 七堂伽藍を配置した大規模な寺院だった。多賀谷氏は、江戸時代に入ると秋田県に移封。同地にも多宝院を建立し、現存している。 1864(元治元)年、天狗党の幕府追討軍が本陣を置いた。 天狗党の軍勢250人が急襲、本陣を焼き討ちし、このとき本堂などが焼けてしまった。 その後、天狗党に加わっていた檀家の一人で、近くの村の名主だった飯田軍蔵が25両と詫び状を送ってきたと伝えられている。 茨城百八地蔵尊霊場第41番札所。詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 下妻市下妻乙1035。多宝院の地図 多宝院本堂(左)、山門(右) 多宝院の桜 多宝院の本堂前に枝垂桜とソメイヨシノがある。 境内本堂前には大きな枝垂桜(本堂から離れた側)と小ぶりの枝垂桜(本堂から近い側)が並んである。また、大きな枝垂桜の反対側にソメイヨシノがある。 年によっても若干の違いがあるが、枝垂桜先行して咲き、最後にソメイヨシノの開花が追いつく展開が少なくない。 最後は3本の桜の競演となる年も多い。 多宝院の大きな枝垂桜 本堂前の小さな枝垂桜(左)、ソメイヨシノ(右) 多宝院の銀杏 多宝院の本堂前にある。 多宝院の銀杏 新福寺 池上山瑞龍院新福寺。時宗の寺。本尊は阿弥陀如来。1272(文永9)年、結城広綱公が都阿智栄上人に帰依し、結城市内に長楽寺を建立する。 広綱公逝去後、広綱公の法名、新福寺殿から新福寺に改める。1455(康生元)年、多賀谷氏家公が下妻に築城する際、城内に寺を移築させた。 1864(元治元)年、水戸藩の天狗党追討軍が陣を敷いた。 下妻市下妻乙869。新福寺の地図 新福寺本堂(左)、山門(右) 雲充寺 紫光山西生院。浄土宗の寺。本尊は阿弥陀如来。1240(仁治和元)年、多賀谷家発祥の地である武蔵国騎西庄多賀谷郷(現埼玉県加須市)で家政公により創建された。 1445(文安2)年、多賀谷氏が下妻に移るとともに、寺も移転した。1864(元治元)年、高崎藩の天狗党追討軍が陣を敷いた。 下妻市下妻戊237−2。雲充寺の地図 新福寺本堂(左)、観音堂(右) 普門寺 沼音山慈眼院普門寺。天台宗の寺。本尊は十一面観世音菩薩。 1357(正平12)年、下総国豊田郡の飯沼城主、飯沼憲時が草庵を建立。 1382(弘和2)年、飯沼範達が庵を下妻に移し、尊海を開祖とした。 同寺は縁結びの寺として知られていた。かつて本堂前に高さ約3mもある2体の露座の金仏があった、 金剛界大日如来と胎蔵界大日如来で縁結びの仏様として「金仏さん」と親しまれていたという。 金仏は太平洋戦争時に供出させられ失われている。 下妻市下妻丁222。普門寺の地図 普門寺 天龍円福寺 霊雲泰鳳山神光瑞現院天龍円福寺。真言宗豊山派。本尊は不動明王。1336(延元元)年、足利尊氏の兄、足利高義の発願により、 下総国岡田郡今里邑(現在の八千代町今里)で創建。1394(応永元)年、鎌倉公方、足利氏満の意を受けた宍戸希宗と赤松祐弁によって再興された。 開山は賢吽。1571(元亀2)年、北条氏政の下総国北部の侵攻による兵火で堂宇を焼失。同年、多賀谷政経が現在地に移した。 1875(明治8)年〜1878(明治11)年まで茨城県下妻支庁が置かれた。 1997(平成9)年、現在の本堂が完成。新四国八十八ヵ所霊場がある。 下妻市下妻丙20。天龍円福寺の地図 天龍円福寺 金林寺 こんりんじ 貞松山長楽院金林寺。時宗。本尊は阿弥陀如来。1325(正中2)年、遊行第四世呑海上人の開山と伝わる。 1805(文化2)年、この付近の大火で、本尊阿弥陀如来など数体の仏像を残して堂宇一切を焼失。 1910(明治43)年、中居指村で廃寺となっていた天台宗明月院の本堂を買い受け間口5間、奥行4間半に縮小して再建。 同寺所蔵の釈迦涅槃像(根釈迦)は、檜材の寄木造で、彫眼、全長は112.1cm。 製作年代は不明だが、眼の彫りや衣文の自然な彫出など鎌倉時代の作風を示しているとされる。下妻市指定文化財。 涅槃像と如意輪観音、大日如来を祀る釈迦堂が1987(昭和62)年1月に建立されている。 現在の本堂は1999(平成11)年3月に完成。 下妻市下妻丙14。金林寺の地図 金林寺本堂(左)、釈迦堂(右) 満徳寺 神隆山金剛院満徳寺。真言宗豊山派。本尊は大聖不動尊。 創建年代は不詳ながら、記録では1737(元文2)年、当時2世覚源法印和尚以前の創立。 現本堂は1979(昭和54)年の建立。8月に同寺の檀徒による新仏を迎える行事「村岡の高灯籠」=上記参照=は。下妻市指定無形民俗文化財。 下妻市村岡1027。満徳寺の地図 満徳寺本堂 無量院 薬樹山東漸寺無量院。685(白鳳14)年、行基菩薩の開山とされる古刹。行基菩薩作と伝わる薬師如来像がある。 本尊の阿弥陀如来像は、恵心僧都作と伝えられている。 茨城県の文化財に指定されている薬師如来立像は鎌倉時代後期の作で鋳銅製。高さは約90cmあり、この時代の銅製のものとしてはかなり大型の仏像。 運慶様式の影響を受けたものとされる。現在の本堂は1960(昭和60)年の建立。 無量院先の鬼怒川べりに大欅がある。高さ約23.6m、目通り幹周り約6.4m、根本周囲約7.4m、推定樹齢は500年程度という。 以前この場所は、皆葉河岸、皆葉の渡しがあった場所で、鬼怒川を運航する船の目印になったという。 下妻市皆葉。無量院の地図 無量院薬師堂 無量院本堂(左)、無量院鐘楼(右) 無量院の桜 無量院の本堂前にある枝垂桜とソメイヨシノ2本がある。 無量院の桜 観音寺 蓮台八葉山清浄東南院観音寺。真言宗豊山派。本尊は十一面観世音菩薩。 1316(正和5)年、多賀谷家植公が本丸の東に創建し、祈願所としたと伝わる。 一方寺伝では、真言宗修験道場として小島字蔵王にそうけんされたとされる。 境内にある桜が知られている。 下妻市下妻乙568。観音寺の地図 観音寺本堂 観音寺の桜 観音寺の本堂前にある桜。枝垂桜と江戸彼岸桜の樹が並んである。 観音寺の桜 法光寺 下栗山妙楽院法光寺。曹洞宗の寺。1501(文亀元)年の創建。天正年間(1573〜92年)に現在地に移った。 鎌倉時代の板碑2基が残る。1304(嘉元2)年の年号が入ったものは「南無阿弥陀仏」と記されており、1326(正中3)年のものは阿弥陀三尊が種子として刻まれている。 下妻市指定文化財。1873(明治6)年〜1891(明治24)年まで宗道小学校の前身となる下栗小学校が置かれていた。 「旗掛の松」は、昔、この地方の豪族、豊田氏が軍旗を掛けたという松で、近くを流れていた鬼怒川の船の船頭たちが航行の目印にしたという。 高さ25mもの大木だったが、1942(昭和17)年の落雷で焼失した。 下妻市下栗407。法光寺の地図 法光寺本堂 法光寺仁王像吽形像(左)、同じく阿形像(右) 高道祖の枝垂桜 下妻市高道祖地区にある枝垂桜。道路沿い、民家の門前にある。 高道祖の桜 常願寺 慈国山阿弥陀院常願寺。真言宗豊山派。1502(文亀2)年の創建。本尊の金銅阿弥陀如来三尊像は秘仏で室町時代の作とされ茨城県指定文化財。 「雨ごいの阿弥陀さま」、「雨ごいの阿弥陀三尊」として知られる。1864(元治元)年、天狗党による兵火で堂宇焼失するも、本尊は住職の機転により難を逃れたという。 毎年11月15にちには「阿弥陀まち」を開催している。 2018(平成28)年11月15日、本尊の厨子修復、及び同年の干支が戌年で守本尊が阿弥陀如来であることなどから1863(文久3)年以来、 155年ぶりの御開帳をした。また合わせて30年ぶりに稚児行列を行った。 本堂前に大きな枝垂桜がある=下記参照。 下妻市高道祖4429。常願寺の地図 常願寺本堂 常願寺の枝垂桜 下妻市高道祖の常願寺にある枝垂桜。本堂前のほか、道路沿いにもある。 常願寺の桜 林翁寺 瑞祥山。曹洞宗。本尊は延命地蔵菩薩。寛永年間(1624〜45年)、多宝院9世傳室前授和尚が、 多宝院の開山、小傳宗ァ和尚が作った小庵を、多宝院の開基である下妻城主多賀谷左近太夫家植を開基、自らを開山として林翁寺を建立した。 現在、下妻花火大会の日に砂沼畔で行われている沼施餓鬼と精霊流しは、現在下妻仏教会により宗派に関係なく行われているが、 もとは林翁寺第17代住職機屯寛一大和尚が始めたもの。 現在の本堂は1990(平成2)年の再建。また、入口にある赤の小六角堂は、本堂再建に合わせて現在地に移築されたもの。 赤地蔵尊として木製の地蔵菩薩立像がおさめられている。 下妻市下妻乙198。林翁寺の地図 林翁寺本堂(左)、赤地蔵尊の小六角堂(右) 百体観音堂 かつて相原山長春院という寺院があった場所で、現在は観音堂のみ残る。 下妻坂東三十三ヶ所の5番札所。扁額には「百體観世音」。 下妻市。百体観音堂の地図 百体観音堂 竈神社 かまどじんじゃ 祭神は、奥津比古命、奥津比売命。776(宝亀7)年の創立とされる古社。 樋橋郷に一本の松があり、その松から光明が射しているので村人が見てみると、松の下に「八面荒神」の像があった。 村人はその像を、お宮を建てて祀ったのが神社のはじまりとされる。通称「荒神さま(こうじんさま)」。 荒神は、仏法僧の三宝を守護する三面六臂の三宝荒神とされるが、竈神社の神は八面六臂で八面荒神と称される。 不浄を嫌い、竈(かまど)、台所で祀られている。また、縁結びの荒神さまで知られる。 下妻市樋橋。竈神社の地図 竈神社 江三仏堂 瑠璃光山三仏堂。正面に薬師瑠璃光如来、向かって左手に観世音菩薩、同じく右手に弘法大師空海が祀られている。 現在の堂は2023(令和5)年に新築されたもの。 下妻市江。江三仏堂の地図 江三仏堂 大師堂 大園木 薬師堂として1715(正徳5)年頃の建立。行屋としても利用された。 現在建てられている場所は、龍泉寺というお寺があった場所で、もとは道を挟んだ反対側にあった。 明治維新後、龍泉寺が廃寺となり、その頃現在地に移されたという。 建物は1959(昭和34)年に茅葺き屋根から瓦葺きに変更されるなど大改修を行った。 この時に大師像がおさめられ、大師様と呼ばれるようになった。 下妻市大園木。大師堂・大園木の地図 大園木の大師堂 福田の桜並木 下妻市福田地区にある桜並木。 下妻市福田。福田の桜並木の地図 福田の桜並木 大形小学校の桜 大形小学校の南側に大きな桜の木が並んである。 下妻市別府199。大形小学校の地図 大形小学校の桜 村岡香取神社の桜 下妻市村岡にある香取神社。参道が桜並木になっているほか社殿前にも大きな桜がある。 下妻市村岡。香取神社・村岡の地図 村岡香取神社の桜 駒城跡 駒館、駒楯。南北朝時代に築城された城跡。東西約120m、南北約180mの規模でいわゆる館だったと見られる。 現在はその北東部と見られる場所に一部土塁などが残る。また、城跡の碑がある。 南北朝時代、大宝城=上記参照=とともに常陸国における南朝の拠点とされる。1340(興国元、暦応3)年、高師冬(こうのもろふゆ)によって落城した。 下妻市黒駒147−1。駒城跡の地図 駒城跡 宗道河岸 江戸時代から明治時代にかけての舟運の盛んな頃、鬼怒川は高瀬舟で賑わった。その荷物の集散地が河岸である。鬼怒川で最も賑わった宗道河岸、久保田河岸(結城市)、水海道河岸(常総市)を鬼怒川三大河岸という。 宗道河岸は、鬼怒川が大きく東に蛇行していた部分の左岸側に出来た天然の良港だった。上中下の三河岸からなり、それぞれ河岸問屋の名から上河岸を内田河岸、中河岸を森河岸、下河岸を浅野河岸と呼んだ。横瀬夜雨や長塚節の文にも宗道河岸の盛況の様子が描かれている。 舟運の衰退とともに、蛇行部分は埋め立て工事が始まり、1935(昭和10)年竣工。宗道河岸も完全に消滅した。 埋め立てられた蛇行部分は、大字「鬼怒」の場所で、現在は下妻市役所千代川支所などがある。当時の面影を残すのは現在では島屋百貨店ぐらいになっている。 下妻市本宗道。島屋百貨店の地図 宗道河岸華やかし頃を垣間見せる島屋百貨店 宗道河岸の桜 旧鬼怒川の河道護岸沿いに植栽されている。名称は当サイトが便宜上つけたもの。 下妻市本宗道。宗道河岸の桜の地図 宗道河岸の桜 江連用水 下妻市から常総市に至る鬼怒川と小貝川に間の地域を灌漑する。もとになった用水は江戸時代の享保年間(1716〜36年)に完成したとされる。 その後、鬼怒川の河床上昇などで取水できなくなり、困り果てた農民たちは、当時使われていなかった上江連村(栃木県真岡市)の取水口を利用することを考え、 幕府に願い出て許された。1829(文政12)年に江連用水として完成した。 現在の江連用水は、鬼怒川、小貝川水系の他の用水と共同で1975(昭和50)年に完成した栃木県真岡市勝瓜の勝瓜頭首工から鬼怒川の水を取水。 用水幹線路の延長は約88km、灌漑面積は約2700ha。 宗任神社北側に江連用水旧溝が残されている。これは、1879(明治12)年、同神社境内を切り開いて分水溝(用水を2股に分水する施設) を作ったことから「宮裏堰」あるいは「宮裏両樋」と呼ばれている。 江連用水のなかで最も景観が美しいところといい、現在残されているのは1900(明治33)年に完成した煉瓦造りの重厚な樋門。 東西各長さ3.6m、高さ1.3mの二連イギリス積み煉瓦造樋門と湾曲する煉瓦擁壁が一体となって水量を調整しながら分水できる珍しい構造をしているという。 使われている煉瓦は現在の下妻市鯨にあった煉瓦工場で製作されたもの。茨城県内に残る最も古い煉瓦造りの樋門。 江連用水旧溝宮裏両樋として、日本の近代土木遺産。同じく2015(平成27)年3月26日、国登録有形文化財。 一方千代川地区では、旧講の雨水対策と親水性のある水辺空間の創出などを目的に改修事業が行われた。 なお砂沼は江連用水の溜池。また、下妻市合併前の千代川村の名称は、 江戸時代に幕府御普請総見廻役・市村宗四郎が江連用水の開通を記念して呼んだ句「樋びらきや豊田郡の千代の水」からとられたもの。 下妻市宗道。江連用水旧溝宮裏堰の地図 江連用水旧溝宮裏堰(左)、千代川地区の改修された江連用水(右) 江連用水の桜 千代川地区の江連用水改修地区に植栽された桜並木。名称は当サイトが便宜上つけたもの。 江連用水の桜 水戸地方裁判所下妻支部の桜 水戸地方裁判所下妻支部の敷地内にある桜。 下妻市下妻乙99。水戸地方裁判所下妻支部の地図 水戸地方裁判所下妻支部の桜 横瀬夜雨 よこせやう 明治から昭和初期にかけて活躍した詩人。1876(明治11)年1月1日、現在の下妻市横根生まれ。本名は虎壽(とらじゅ)。 郷土的哀調を持った詩が多く、郷土の筑波山から筑波嶺詩人と呼ばれた。4歳の時に“くる病”に冒され、それ以後身体が不自由だった。 1895(明治28)年、自分の境遇をうたった「神も仏も」で認められ、その後「名月」(1899年)、「二十八宿」(1907年)などの詩集を出版、「お才」「やれだいこ」などの詩が知られている。 晩年には、「天狗騒ぎ」(1928年)、「太政官時代」(1930年)などの歴史書を著している。 1934(昭和9)年、急性肺炎により没。 下妻市横根には、現在も生家が残るほか、横根の小貝川のほとりと筑波山の御幸ケ原の東側にも歌碑がある。下妻市ふるさと博物館には、横瀬夜雨の部屋を再現している。 横瀬夜雨生家 2階建て入母屋作り茅葺屋根。生誕100年の年に現在の屋根に葺き替えられた。安政年間(1854〜1860年)の建築。下妻市の文化財に指定されている。 下妻市横根。横瀬夜雨生家の地図 横瀬夜雨生家入口 横瀬夜雨歌碑 下妻市横根の小貝川の堤防上にある歌碑。筑波山を望める景勝地にある。歌碑には、夜雨の代表作である「やれだいこ」が刻まれている。 やれだいこは、お才とともに夜雨民謡詩の傑作とされている。1899(明治32)年に発表され、1905(明治38)年の「花守」に収められた。 1970(昭和45)年建立。 下妻市横根。横瀬夜雨歌碑の地図 横瀬夜雨歌碑 横瀬夜雨歌碑の桜 小貝川堤防にある横瀬夜雨歌碑を取り囲むように桜が植えられている。 横瀬夜雨歌碑の桜
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