MENU 筑波山 つくば近隣ガイド 茨城県 広告 |
桜川市
つくば市の北隣に位置する。筑波山は、南側がつくば市、北側が桜川市となっている。
2005(平成17)年10月1日、真壁郡真壁町、大和村、西茨城郡岩瀬町が合併して誕生。合併前のつくば市の北隣は真壁町。
市北部を東西にJR水戸線が通り、大和駅、岩瀬駅、羽黒駅がある。市の東側に南から筑波山、足尾山、加波山、雨引山などの通称「筑波連山」がある。
なお、市名の由来は、市内を流れる桜川にちなむ。人口42,632人(2015年国勢調査)、面積179.78平方km。
旧真壁町は、1954(昭和29)年12月1日、真壁町に紫尾村、樺穂村、谷貝村が合併して誕生した。 これより前、同年11月2日には長讃村の一部を編入している。筑波山の北西側から加波山の西側に位置する。良質の花崗岩が産出され、石の町として知られる。 合併前の人口は20,039人(2000年国勢調査)、面積63.40平方km。 旧大和村は、1954(昭和29)年1月22日、雨引村、大国村が合併して誕生した。雨引山の西側に位置する。雨引観音の門前町。 合併前の人口は7,556人(2000年国勢調査)、面積29.22平方km。 旧岩瀬町は、1955(昭和30)年3月31日、岩瀬町(旧西那珂村)と東那珂村、北那珂村が合併して誕生。筑波山塊の切れ間に広がる盆地。 旧真壁町と同じく石の町として知られている。 合併前の人口は22,739人(2000年国勢調査)、面積87.16平方km。 桜川 はつくばの河川・橋・池・沼及び 桜川へ。 鏡ヶ池及び桜川に架かる橋は桜川へ。 加波山三枝祇神社かばさんさえなずみじんじゃ、加波山神社 は加波山神社へ。 つくば霞ヶ浦りんりんロード はつくばりんりんロードへ。 伝正寺温泉 は筑波山麓・筑波山の温泉へ。 真壁石、羽黒石 は筑波山地域ジオパークへ。 桜川の桜 磯部稲村神社の参道両側約1qに及ぶ桜並木及び磯部桜川公園周辺は、国指定名勝「桜川」及び国指定天然記念物「桜川のサクラ」 に指定されている。「西の吉野と東の桜川」と並び称される桜の名所とされる。 古来から磯部の百色桜として知られ、『後撰和歌集』には紀貫之が「つねよりも 春へになれば桜川 波の花こそ 間なくよすらめ」と残している。 また、世阿弥元清の謡曲「桜川」の舞台として知られる。 桜川の桜は、ヤマザクラが中心で、品種も桜川匂、樺匂、梅鉢桜、白雲桜、薄毛桜、初見桜、初重桜、源氏桜、大和桜、青毛桜、青桜などがあり、 また桜並木を含む周辺は、桜川公園として整備されている。全体で約1000本のサクラがある。 なお、江戸時代には、現在の隅田川など江戸に多くのサクラが移植されている。 また、徳川光圀によって、当時水戸の那珂川水系の川にも苗木が移植され、桜川と命名されている。 桜川市磯部。桜川の桜の地図 ![]() 桜川の桜 磯部桜川公園 「名勝桜川」を中心に整備された都市公園。園内には国の天然記念物に指定されている山桜系が約500本、 その他のソメイヨシノなどの園芸品種とあわせ全体で約750本の桜がある。 面積44000平方m、うち名勝指定地7000平方m。1986(昭和61)年完成した。 桜川市磯部740−2。磯部桜川公園の地図 ![]() 磯部桜川公園にある「名勝桜川」の碑と桜 櫻川磯部稲村神社 桜川磯部稲村神社。祭神は、天照皇大神、栲幡千々姫命、瀬織津姫命、木花咲耶姫例命、天手力雄命など12柱。 子授け、安産、学業成就などに御利益があるという。 特に神社周辺は「名勝桜川」という桜の名所として古くから知られる場所。 このため最近では「桜咲く」から合格祈願で訪れる受験生が多い。 創建は111(景行天皇40)年、日本武尊が伊勢神宮の荒祭宮である礒宮をこの地へ移祀したと伝えられている。 境内には入口近くに紀貫之の歌碑がある。 また、本殿の北側には要石があり、形が凸型。一説では、鹿島神宮の要石は凹型で、鹿島神宮の要石が鯰の頭を抑え、 磯部稲村神社の要石が尾を抑えると伝えられている。 同神社所蔵の木造の狛犬は室町時代の作で茨城県の文化財に指定されている。 神社の入口から北西に約100m離れた場所に境外摂社の咳嗽神社と御手洗池がある=下記参照。 このほか、境内には糸桜の名木がある。 御朱印有。また、春の桜と秋の紅葉時期には限定御朱印有。 御朱印については御朱印・神社参照。 磯部稲村神社の詳細は磯部稲村神社へ。 桜川市磯部779。磯部稲村神社の地図 ![]() ![]() 磯部稲村神社拝殿(左)、鳥居(右) ![]() ![]() 磯部稲村神社本殿(左)、境内にある鹿島神社、東国3社を祀る(右) ![]() ![]() 磯部稲村神社要石(左)、境内にある紀貫之歌碑(右) ![]() ![]() ![]() 御朱印(左)、オリジナル御朱印帳表紙(中)、裏表紙(右) 咳嗽神社 しゃびきじんじゃ 櫻川磯部稲村神社の境外摂社。社殿脇の御手洗池はかつて禊をした場所という。祭神は咳嗽大神。 御朱印有。御朱印は磯部稲村神社社務所。御朱印については御朱印・神社参照。 桜川市磯部。咳嗽神社の地図 ![]() ![]() 咳嗽神社社殿(左)、御朱印(右) ![]() ![]() 咳嗽神社の御手洗池(左)、鳥居(右) 櫻川磯部稲村神社の糸桜 謡曲「桜川」に謡われたという糸桜。 ![]() 磯部稲村神社の糸桜 櫻川磯部稲村神社の桜 拝殿脇や鳥居脇など境内には多く桜がある。咲く時期が少しずつずれていることもあり、長く花を楽しむことができる。 ![]() 磯部稲村神社境内に咲く白山桜と一葉の桜 ![]() 磯部稲村神社拝殿脇の桜 咳嗽神社の桜 櫻川磯部稲村神社摂社の咳嗽神社境内にも大きな桜がある。 ![]() 咳嗽神社境内の桜 磯部桜川公園の紅葉 国の名勝に指定されている桜の公園として知られるが、紅葉を楽しむこともできる。 ![]() 磯部桜川公園の紅葉 五所駒瀧神社ごしょこまがたきじんじゃ 創建は1014(長和3)年、三条天皇の御代と伝えられる。真壁富士権現山の山懐に一条の瀧があり、地元の村人らが、五穀豊穣を願ってこの瀧の近くに祠を祀ったのが始まりという。 村人からは明神様としてあがめられ、また、この瀧に馬がたびたび現れたことから駒下瀧と呼ばれるようになり、この祠も駒下瀧明神と呼ばれるようになった。 1172(承安2)年、初代真壁城主・真壁六郎長幹が駒下瀧明神を真壁の総社とし、保護した。祭神は武甕槌命、大山咋神、猿田彦神、木花開耶姫神、菅原道真公。 開運、交通安全、厄除け、五穀豊穣、縁結び、安産、学業成就などに御利益がある。地元では厄除けの神社として知られる。 同神社の祭礼である「真壁祇園祭」(正式には五所駒瀧神社の祭礼)は、京都の祇園祭とはルーツの違う祭礼で、独自の伝統を持つ(下記参照)。 また、同じく「かったて祭」は、権現山の神様に火を奉納する祭りで、多くの氏子らが松明(たいまつ)をもって権現山に登る独自の祭り(下記参照)。 御朱印有。御朱印については御朱印・神社参照。 桜川市真壁町山尾499。五所駒瀧神社の地図 ![]() ![]() 五所駒瀧神社拝殿(左)、御朱印(右) 五所駒瀧神社の紅葉 境内には多くのもみじがあり、秋には赤と緑のコントラストが楽しめる。 ![]() 五所駒瀧神社参道の紅葉 真壁の町並み 真壁地区の中心部に残る江戸時代の面影を残す町並み。104棟が国の登録文化財になっている。 2010(平成22)年6月29日には、同地区約17.6haが国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。 枡形と呼ばれる城下町特有の交差点や、蔵や門などの歴史的建造物が残る。 戦国時代末期にこの地方を支配した真壁氏時代に形づくられ、江戸時代初期にこの地を治めた浅野氏時代に現在の姿になったという。 建物は江戸時代の末から昭和初期の建築。建物の詳細は特設ページ真壁の町並みへ。 桜川市真壁町真壁。真壁地区の地図 ![]() 元呉服商鶴屋の潮田家住宅 ![]() ![]() 伊勢屋旅館(左)、高久家住宅(右) ![]() 旧真壁郵便局 ![]() ![]() 橋本旅館(左)、桜井家住宅(右) 真壁伝承館 真壁陣屋跡に建てられた、本館(公民館)、歴史資料館、真壁図書館、まかべホールからなる複合施設。2011(平成23)年9月1日オープン。 旧桜川市立真壁中央公民館の老朽化に伴い建て替えられた。 2階建て、延べ床面積は2785平方m、道に面した外壁は杉板にするなど外観にも配慮した独特のデザインの建物。 建築に先立ち陣屋跡の文化財調査が行われ、建物も地下遺構に配慮して設計されたという。 歴史資料館は、地域にかかわる「時間」=「歴史(REKISHI)」、「空間」=「まち(MACHI)」、「もの」=「たから(TAKARA)」から成る。 第1室がREKISHI、タイムラインという巻物状の展示で桜川の歴史を紹介。第2室のMACHIは、真壁地区の町の成り立ちや町並、城跡などについて紹介。 第3室のTAKARAは、「たからケース」を使って真壁のさまざまなお宝を展示している。 開館時間は午前9時から午後4時30分。月曜日及び年末年始休館。 桜川市真壁町真壁198。真壁伝承館の地図 ![]() 真壁伝承館 真壁祇園祭 五所駒瀧神社の例祭。国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」いわゆる選択無形民俗文化財に指定されている。 祭りは、毎年7月23日から26日の4日間に渡って行われる。23日が神輿渡御。真壁町内の世話人らが正装して五所駒瀧神社に出向き、神様を迎える。 神社での神事後、神輿が町に下り、町内を回り御仮屋である神武天皇遥拝殿に鎮座する。 24日は山車参拝。その名の通り、高上町、仲町、新宿町、上宿町の順で各町内の山車が御仮屋に参拝する。 25日は山車引き廻し。4台の山車が揃って町内を巡行する。 26日は神輿還御。御仮屋を出発した神輿は町内を回り神社に戻る。各町内の山車は神様の御還りを惜しみ、神輿の行く手を阻もうとする。 祇園祭となっているが、京都の八坂神社の例祭の流れをくんでいない独自の祭り。 400年の歴史を持つ五穀豊穣を祈願した祭り。もともとは駒瀧明神六月祭典といわれていたが、明治末から大正初期ごろに祇園祭と改称された。 なお、国選択無形民俗文化財では「五所駒瀧神社の祭事」で登録されている。 真壁祇園祭の詳細は特設ページ真壁祇園祭へ。 桜川市真壁町真壁。神武天皇遥拝殿(御仮屋)の地図 ![]() ![]() 真壁祇園祭で町内を巡行する山車(左)、祇園祭当日の御仮屋近く(右) かったて祭 五所駒瀧神社で8月31日の夜行われる。灯した松明を持って神社の背後にある権現山(真壁富士)の山頂まで登り、山の神様に神火を奉納する。 祭りの歴史は古く、平安時代、平将門公が近くの湯袋峠の合戦で勝利したことから始められたとも伝えられている。 「かったて」の名称も「合戦に勝った」からきているとの説もある。 当日は午後6時から花火の合図で神社社殿で神事が始まる。神事が終わると社殿前に設けられた篝火に神前から火を移し、 そこから松明に火を移し、参加者は次々と頂上を目指して登っていく。この登っていく松明行列は麓からもかすかに見える。 午後7時には頂上についたことを知らせる花火が打ち上げられる。なお、松明は手作りで、参加者が持ちやすい大きさ、長さ、重さに工夫するという。 ![]() ![]() 松明に火をつける参加者(左)、松明を手に登山道を進む参加者(右) 楽法寺 雨引山楽法寺。雨引観音として知られる。真言宗豊山派の寺。標高409mの雨引山の中腹にある。 坂東三十三観音霊場第24番札所。関東八十八ヵ所霊場特別霊場。東国花の寺百ヶ寺茨城第6番。 寺伝によれば、588年中国(梁)出身の法輪独守居士の創建。厄除、延命、安産、子育の霊験あらたかという延命観世音菩薩(国指定重要文化財)が本尊。 安産、子育で有名なほか、息災、延命と開運、商売繁盛にご利益がある。 本堂は明暦年間(1655〜58年)に、仁王門は鎌倉幕府の将軍・宗崇親王の願いにより建長年間(1249〜55年)の建立とされる。いずれも茨城県指定文化財。 多宝塔は嘉永年間(1848〜54年)の建立。黒門は、室町時代中期の建築で、もとは真壁城の城門だった。 日本二大鬼祭「マダラ鬼神祭」で知られる。桜、牡丹、つつじ、あじさい、紅葉等、四季折々の自然豊かな表情も特徴。6月には「あじさい祭」が行われる。 坂東三十三観音霊場については坂東三十三観音霊場も参照。 関東八十八ヵ所霊場については関東八十八ヵ所霊場も参照。 東国花の寺百ヶ寺については東国花の寺・茨城も参照。 御朱印、オリジナル御朱印帳有。御朱印については御朱印・寺院も参照。 楽法寺の詳細は雨引観音へ。 桜川市本木1。楽法寺の地図 ![]() ![]() 楽法寺観音堂(左)、楽法寺坂東三十三観音霊場の御朱印(右) ![]() ![]() 楽法寺仁王門(左)、楽法寺多宝塔(右) ![]() ![]() ライトアップされた楽法寺仁王門(左)、同じく楽法寺本堂(右) ![]() ![]() ![]() ![]() 関東八十八ヵ所霊場の御朱印(左)、東国花の寺御朱印(中左)、雨引観音の御朱印帳表紙(中右)、同じく裏表紙(右) マダラ鬼神祭 雨引観音で行われる祭り。兵火によって寺が焼失したとき、住職の前にマダラ鬼神が現れ大勢の鬼を使い寺を再建したという伝説にちなみ、 鬼神に感謝を捧げる。あわせて稚児行列なども行われている。4月第2日曜日開催。 ![]() 馬に乗って颯爽と登場したマダラ鬼神 ![]() ![]() 鬼踊り(左)、御利益があるという破魔矢を放つ(右) 雨引観音の桜 標高409mの雨引山の中腹にある雨引観音は、あじさいで有名だが、桜の名所としても知られる。 ソメイヨシノやヤマザクラ、シダレザクラ、河津桜など約3000本の桜がある。さくらまつりも開催され、ライトアップも行われている。 ![]() 雨引観音の桜 ![]() ![]() 雨引観音、本堂前の一葉桜(左)、仁王門近くの枝垂桜(右) ![]() ![]() 雨引観音の夜桜(左)、江戸彼岸桜の巨樹(右) 雨引観音の河津桜 2月末から3月初めにかけて境内に咲く桜。 ![]() 多宝塔前の河津桜 ![]() ![]() 本坊前の河津桜(左)、同じく本坊前の河津桜林からの眺望(右) 雨引観音の紫陽花 雨引観音では、6月中旬から7月上旬にかけて、境内にある約3000株のあじさいが咲き誇る。 あじさいの花を池に浮かべるイベントもあじさいの花の時期後半に行われる。 これはあじさいの花の剪定後、少しでも長く見ていただこうという試み。 近年のいわゆる「インスタ映え」人気もあって多くの人がこの時期に訪れる。 あじさいまつりも開催される。 ![]() 雨引観音山門とあじさい ![]() ![]() 池に浮かべられたあじさいの花(左)、ライトアップされた池のあじさいの花(右) 雨引観音の紅葉 境内にはもみじなどがあり、紅葉時期には多くの人出でにぎわう。 ![]() 紅葉時期の雨引観音 薬王院 椎尾山薬王院。天台宗の寺。三重塔が美しい落ち着いた風情のある寺。。 筑波山四面薬師如来のひとつで椎尾薬師と呼ばれている。開山は徳一と伝えられ、法相宗の寺だった。 782(延暦元)年、天台宗の開祖・最澄の高弟である最仙上人によって、桓武天皇の勅願所として天台宗に改められた。 本尊の薬師瑠璃光如来像は鎌倉時代の作と伝えられ、三重の塔と共に茨城県指定の文化財。 本堂は1680(延宝8)年、三重塔は1704(元禄17)年の建立。 病気平癒、眼病平癒、厄除けなどに御利益がある。また、鎌倉時代に椎尾城主が男子誕生を祈願したところ、無事男の子が生まれた。 このことから子授けの祈願で訪れる人も多い。 境内にある古木のスダジイは、推定樹齢約500年。 また、椎尾山の斜面2.6haに287本のスダジイの群生がある。推定樹齢は300〜500年。 スダジイの樹叢として茨城県指定天然記念物。 関東九十一薬師霊場第72番札所。関東百八地蔵尊霊場第62番札所。茨城百八地蔵尊霊場第86番札所。 茨城百八地蔵尊霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。 椎尾薬師の詳細は椎尾薬師へ。 桜川市真壁町椎尾3178。薬王院の地図 ![]() ![]() 薬王院本堂(左)、御朱印(右) ![]() ![]() ![]() 三重塔(左)、仁王像吽形像(中)、仁王像阿形像(右) ![]() 薬王院仁王門 薬王院の紅葉 広い境内には多くのもみじなどがあり、境内内にも標高差があるせいか、同じもみじでも紅葉の時期が違う。このため紅葉の時期も長い。 また、気温の逆転層に位置しており紅葉は山の上にありながら平地部より遅い。 ![]() 薬王院山門前の紅葉 小山寺 施無畏山宝樹院小山寺。富谷観音として知られる。天台宗の寺。735(天平7)年、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開いたと伝えられる。 開運、安産、子育てなどに御利益があるとされる。特に安産、子育てで広く信仰を集めている。安産のお守りとして握秘符が知られる。 境内の三重塔は国の重要文化財に指定されている。 室町時代の1465(寛正6)年多賀谷朝経が建立させたもの。塔の様式はほぼ和様で、細部に禅宗様が見られるのが特徴。 関東以北で、室町時代にさかのぼる塔はこの塔と栃木県益子町の西明寺三重塔の2基のみ。 また、本尊の木造十一面観音菩薩立像は行基の作と伝えられ、寺宝の木造毘沙門天像は運慶作と伝えられる。いずれも茨城県指定文化財。 茨城百八地蔵尊霊場第32番札所。詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。 富谷観音の詳細は富谷観音へ。 桜川市富谷2190。小山寺の地図 ![]() ![]() 小山寺三重塔(左)、御朱印(右) ![]() ![]() 小山寺山門(左)、小山寺本堂(右) 富谷観音節分会 施無畏山宝樹院小山寺、富谷観音で2月3日正午から行われる。約30分の法要後、多くのお菓子や食品もまかれる豆まき、 その後さらに豪華景品が当たる福引が行われる。 ![]() 富谷観音の節分会での豆まき 小山寺の桜 本堂脇、車道入口などに桜がある。 ![]() 小山寺本堂脇の桜 ![]() 小山寺車道入口山桜 富谷山ふれあい公園 富谷山の中腹、富谷観音(小山寺=上記参照)に隣接してある。 眺望を楽しむ公園で展望スペースや展望台、駐車場などが整備されている。 地元の旧岩瀬町はじめ、筑波山などの筑波連山、さらには富士山を見ることができる。 国土交通省の関東富士見100景に指定されている。 桜川市富谷。富谷山ふれあい公園の地図 ![]() ![]() 富谷山ふれあい公園展望スペース、左手に見えるのが筑波山(左)、展望台(右) 富谷山ふれあい公園の桜 公園全体に桜がある。 ![]() 富谷山ふれあい公園、展望台付近の桜 ![]() 富谷山ふれあい公園の八重桜 月山寺 曜光山見明星悟道院月山寺。天台宗の寺。平安時代初期、796(延暦15)年、徳一大師の創建とされる。 初め法相宗だったが、1430(永享2)年、天台宗に改められた。本尊は薬師瑠璃光如来、茨城県の文化財に指定されている。 江戸時代は、天台宗の関東8か壇林の一つとして栄えた。寺宝の網代笈は、弁慶の所持品といわれ、国指定重要文化財。 紅葉の美しい庭園がある(下記参照)。美術館が隣接してあり、寺所有の国、県指定の文化財が展示されている。 東国花の寺百ヶ寺茨城5番。常陸七福神の布袋尊を祀る。関東九十一薬師霊場第70番札所。関東百八地蔵尊霊場第60番札所。茨城百八地蔵尊霊場第31番札所。 東国花の寺百ヶ寺の詳細は東国花の寺・茨城へ。 常陸七福神の詳細は常陸七福神へ。 茨城百八地蔵尊霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。 桜川市西小塙1677。月山寺の地図 ![]() ![]() 月山寺本堂(左)、鐘楼(右) ![]() ![]() 月山寺千手堂(左)、山門(右) ![]() ![]() ![]() 月山寺御朱印(左)、月山寺東国花の寺百ヶ寺の御朱印(中)、月山寺常陸七福神布袋尊御朱印(右) 月山寺美術館 月山寺の境内にある美術館。月山寺所蔵の仏教関係文化財はじめ、笠間市出身の画家・木村武山、桜川市(旧岩瀬町)出身の画家・ 榎戸庄衛などの作品を展示する。 開館時間は午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)。月曜日休館。入館料は大人300円。小学生以下無料。 桜川市西小塙1677。月山寺美術館の地図 ![]() 月山寺美術館 月山寺の紅葉 庭園はじめ本堂前などが紅葉の見どころ。特に庭園には多くのもみじが植えられている。 ![]() 本堂前の紅葉 ![]() 観音堂前の紅葉 妙法寺 秋嶠山地蔵院妙法寺。天台宗の寺。即身仏が祀られている寺として知られる。 本尊は延命水引地蔵菩薩。延暦年間(782〜806年)、広智国講師が草堂を建て、晶屋精舎(あきやしょうじゃ)と称し、草創とされる。 仁寿年間(851〜54年)に慈覚大師円仁が、諸堂を建立し自作の地蔵菩薩を安置して開基と伝えられる。 現在の本堂は、弘仁年間(1844〜48年)、同じく楼門は1712(正徳2)年の建立とされる。 本堂に安置された即身仏は、江戸時代前期の1686(貞享3)年2月、鎌倉の宝戒寺から入山し、衆生済度のため入寂したという瞬義上人とされる。 北関東三十六不動尊霊場第33番札所。霊場については北関東三十六不動尊霊場へ。 関東百八地蔵尊霊場第61番札所。茨城百八地蔵尊霊場第34番札所。 茨城百八地蔵尊霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。 桜川市本郷13。妙法寺の地図 ![]() 妙法寺本堂 ![]() ![]() 妙法寺山門(左)、櫓門(右) ![]() ![]() 妙法寺御朱印(左)、妙法寺北関東三十六不動尊霊場第33番札所御朱印(右) 鴨鳥五所神社 祭神は、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大己貴尊、事代主尊、武甕槌神、金山彦尊。 809(大同4)年、現在地より約2km西の場所に伊弉諾尊、伊弉冉尊を祀ったのが始まりとされる。 1203(建仁2)年、時の領主・結城朝光が現在地に遷座、鹿島、二荒、出雲、南宮の4社を合祀し、鴨鳥五所神社とした。 交通安全、厄除け、六三除けなどに御利益。本殿は、1369(応安2)年の建立。 神社はうっそうとした森に囲まれた丘の上にある。社叢全体が、茨城県の「自然保護特別地域」に指定され、「自然の森100選」にも選ばれている。 御朱印有。授与は参道入口鳥居脇、神社に向かって左側の宮司宅。 御朱印については御朱印・神社も参照。 桜川市大泉1480。鴨島五所神社の地図 ![]() ![]() 鴨鳥五所神社社殿(左)、御朱印(右) 鴨大神御子神主玉神社 祭神は主玉神、太田々根子命、別雷神。延喜式内小社。 現在の本殿は1569(永禄12)年、佐竹義重によって建立された。 鎌倉時代末から江戸時代にかけて奉納された大般若波羅密多経336巻は茨城県指定文化財。 御朱印有。授与は磯部稲村神社社務所。 御朱印については御朱印・神社も参照。 桜川市加茂部694。鴨大神御子神主玉神社の地図 ![]() ![]() 鴨大神御子神主玉神社社殿(左)、御朱印(右) 筑波高原キャンプ場 筑波山の北側中腹、原生林に囲まれた標高500m付近にある自然豊かなキャンプ場。筑波山周辺で最も高い場所にあるキャンプ場。筑波山頂への登山道もある。 およそ140種の野鳥が生息し、バードウオッチングが楽しめるほか、春にはカタクリやニリンソウの花が、近くを流れる沢ではサワガニやサンショウウオを見ることがでる。 まさに原生林のなかで本格的な自然体験型キャンプが楽しめる。ロッジ、ケビン、バンガロー、テントサイト、バーベキュー場などが整備されている。 事前の申し込みが必要。桜川市役所まで。開設時期は4月下旬から9月下旬。 なお、仙郷林道の中間地点にあるため、桜川市側からでも石岡市側からでも、未舗装の林道を通ることになる。未舗装の林道を走る距離は桜川市側から入った方が短い。 桜川市真壁町羽鳥。 筑波高原キャンプ場の地図 ![]() ![]() 見晴らしもいい筑波高原キャンプ場からの眺望(左)、地元のみかげ石を使ったベンチ(右) ![]() ![]() キャンプ場ファイヤーサークル周辺(左)、ファイヤーサークルからキャンプ場の全景(右) 上野沼 慶安年間(1648〜52年)につくられた灌漑用の大きな沼。国道50号からも望むことが出来る。 高さ10mの大きな噴水がシンボル。春には桜の名所として知られる。ほとりにキャンプ場がある。 桜川市上野原地新田。上野沼の地図 ![]() 上野沼 上野沼やすらぎの里 上野沼のほとりに作られた自然の豊かなオートキャンプ場。しかも国道50号からすぐの場所で交通の便もいい。 筑波山麓周辺で最大規模を誇リ、設備も充実している。 オートキャンプサイト53。うちAC電源付が26ある。また、ケビンは定員6人が10棟、定員8人が3棟。 このほか、バーべキューサイト17カ所、炊事場3棟などがある。第1、第3水曜日休み。 桜川市上野原地新田48。上野沼やすらぎの里の地図 ![]() 上野沼やすらぎの里 薬王寺 曛静山華徳院薬王寺。天台宗の寺。本尊は阿弥陀如来。808(大同3)年、徳一大師の創建。江戸時代、良循法印が薬師堂、本堂を再建、中興開山とされる。 現在の本堂は、1723(享保7)年の再建。二宮尊徳ゆかりの寺として知られる。 同寺の山門は、二宮尊徳が江戸時代、疲弊していた地元青木村の農村復興事業の一環で再建された青木堰で使われていた木材を使用して造られている。 これは二宮尊徳の偉業を、青木堰の改修により使われなくなった木材を再利用することで、後世に伝えようというもの。 山門は、1918(大正7)年に再建された。山門前には二宮尊徳像がある。 秋には境内の紅葉が美しく、ライトアップも行われている。 桜川市青木1375。薬王寺の地図 ![]() 薬王寺山門 ![]() ![]() 薬王寺本堂(左)、山門前にある二宮尊徳像(左) 薬王寺の紅葉 多くのもみじがあり、もみじ寺として知られる紅葉の名所。紅葉の時期にはライトアップも行われる。 ![]() 薬王寺門前の紅葉 ![]() 薬王寺本堂前の紅葉 薬王寺の桜 薬王寺の境内南側にある。山の斜面にあり、遠くからも赤と白のコントラストを見せている。 ![]() 薬王寺の桜 日本最古の天神様 羽鳥地区の西側、筑波山を望む小高い丘の上にあるのが天神塚と呼ばれる古墳。 塚の上に菅原道真公を祀った小さな祠があり、日本最古の天神様といわれている。 926(延長4)年、道真公の第3子、景行公が遺骨を持ち、当時この地にあった日月寺の脇に祀ったという。 929(延長7)年に、現在の常総市大生郷の飯沼畔に移された(大生郷天満宮)。 桜川市真壁町羽鳥。天神塚の地図 ![]() 天神塚、奥が筑波山 雨引千勝神社 あまびきちかつじんじゃ 807(大同2)年の創建。祭神は、産業の神様、猿田彦命。 神社の紋章・菊水は、常陸国に来た楠木氏が、戦勝祈願のため菊水の紋を木に彫り奉納したと伝えられる。 桜川市本木214。雨引千勝神社の地図 ![]() ![]() 雨引千勝神社拝殿(左)、御朱印(右) 雨引千勝神社の欅 雨引千勝神社の参道口にある欅の巨樹。鳥居脇にあり御神木として注連縄がある。秋には紅葉した美しい姿を見せる。 ![]() 紅葉した雨引千勝神社の欅 雨引千勝神社の桜 神社参道にある。 ![]() 雨引千勝神社の桜 御嶽神社 筑波連山最北部にある御嶽山の頂上近くに祀られている神社。 江戸時代末に木曽の御嶽から祭神を迎え祀ったとされる。農業の神として信仰厚く、地元だけでなく、遠方からも多くの参拝者が訪れる。 桜川市。御嶽神社の地図 ![]() 御嶽神社社殿 歌姫明神 うたづめみょうじん。筑波山の北側の山すそにある。夫女が石と並んで歌垣が行われていたと伝えられる場所。 なだらかな丘の上、森の中に小さな神社が祀られている。神社の入口には石の鳥居がある。 道路から民家の軒先のような場所を入る。いずれも小さな看板有り。 桜川市羽鳥。歌姫明神の地図 ![]() ![]() 歌姫明神社殿(左)、参道入口の鳥居(右) 歌姫明神の桜 神社参道にある。 ![]() 歌姫明神の桜 熊野神社(酒寄) 祭神は伊弉冉命。由緒は不詳ながら、江戸時代の創建と伝えられる。 江戸時代、酒寄(当時は酒依)付近は、紀伊・熊野神社の社領で、熊野保と呼ばれていた。 茨城県道41号つくば益子線から少し入った丘の上にある。 桜川市真壁町酒寄1756。熊野神社・酒寄の地図 ![]() 丘の上に鎮座する熊野神社 熊野神社(青柳) 祭神は伊弉冉命。配祀は速玉男命、事坂男命。 1157(保元2)年、時の領主、伊弉冉命、速玉男命、事坂男命の3柱の神を崇敬し社殿を再建したとされる。御嶽山北側にある神社。 桜川市青柳125。熊野神社・青柳の地図 ![]() ![]() 熊野神社社殿(左)、鳥居(右) 青柳熊野神社の糸桜 参道入り口に大きな枝垂桜がある。 ![]() 青柳熊野神社参道入り口にある枝垂桜 二十三夜尊 岩瀬地区の二十三夜尊。桜川市役所岩瀬庁舎近くにある。堂の周囲上部に十二支の彫刻がある。 方角に合わせて設けられており、南となる扁額の場所には「午(うま)」の彫刻がある。 向かって右隣には「己(へび)」、同じく左隣は「未(ひつじ)」となっている。 桜川市岩瀬。二十三夜尊の地図 ![]() 二十三夜尊 二十三夜尊の桜 二十三夜尊=上記参照=の堂前にある桜。 ![]() 二十三夜尊前の桜 村井醸造 「公明」の銘柄で知られる酒蔵。延宝年間(1673〜1680)の創業とされる。当主の村井家は、近江国日野の出身。 昭和初期まで日野に本家があり、当地の経営は支配人に任せていたという。 筑波山の伏流水を使った酒造りが特徴。 酒蔵見学も行っている。要予約。 桜川市真壁町真壁72。村井醸造の地図 ![]() 村井醸造 西岡本店 創業は1782(天明2)年。創業者は近江の出身。筑波山の伏流水と地元の良質の米を使った酒造りが特徴。 創業以来の銘柄「花の井」で知られる。また、「蔵元梅酒」や米焼酎とそば焼酎「本格焼酎」の醸造も行っている。 蔵の見学も受け付けている。要予約。また、蔵を改装し、酒蔵ギャラリーとして開放している。 桜川市真壁町田6−1。西岡本店の地図 ![]() 西岡本店 つくし湖 桜川市真壁町椎尾にある霞ケ浦用水のため池として造られた人造湖。正式名称は「霞ケ浦用水南椎尾調整池」。 釣り場として知られる。また春には桜の名所となる。風のない穏やかな日には湖面に逆さ筑波が映る。 桜川市真壁町椎尾。つくし湖の地図 ![]() つくし湖 つくし湖展望台 つくし湖の東側、椎尾山の山裾に整備された森林公園内にあるつくし湖を一望できる展望台。 桜川市真壁町椎尾。つくし湖展望台の地図 ![]() つくし湖展望台とつくし湖の眺望 つくし湖の桜 人造湖・つくし湖の周辺に植えられた桜。また、周囲の山々には山桜が多く咲き美しい。 桜川市真壁町椎尾。つくし湖の地図 ![]() つくし湖周辺の桜 雨引小学校の桜 雨引小学校の校庭の周囲には、多くの桜の古木がある。見事な枝ぶりのものがある。 桜川市本木1591。雨引小学校の地図 ![]() 雨引小学校の桜 岩瀬小学校の桜 岩瀬小学校の校庭の周囲には、多くの桜がある。道路に面した南側は桜並木となっている。 桜川市鍬田553−5。岩瀬小学校の地図 ![]() 岩瀬小学校の桜 花の入公園 加波山の西側斜面中腹にある公園。芝生の広場、アスレチックなどがある。公園は森林に囲まれ、そのなかに遊歩道も整備されており、森林浴や野鳥観察なども楽しめる。 このほか園内には現在のつくば市で1985(昭和60)年に開催された科学万博のタイパビリオンの一部が移築されている。 また、加波山登山の入口ともなる。 桜川市東飯田。花の入公園の地図 ![]() 花の入公園の広場 ![]() ![]() 花の入公園のエントランス(左)、同じくタイパビリオン(右) 花の入公園の桜 園内には多くの桜がある。 ![]() 花の入公園の桜 真壁城跡 平安時代から江戸時代初期に旧真壁町にあった城。1172(承安2)年常陸大掾・多気直幹の四男・六郎直幹が築城、真壁氏を名乗る。 6代城主・幹重は、南北朝時代、小田、関、大宝城とともに南朝に味方し落城するも、その後再興。同じく1422(応永29)年、12代慶幹の時落城するも、13代朝幹が再興。 1602(慶長7)年、19代房幹が出羽国角館の移封されるまで続いた。その後真壁城には浅野長重、稲葉正勝が入城するも1628(寛永5)年、廃城、天領となる。 1874(明治7)年まで城郭の大部分が残っていたことが分かっているが、現在はほとんどない。城門は、雨引観音の黒門として残されている。 城は、本丸、二の丸、中城、陣屋とそれを取り巻く堀から成る。面積は約99000平方m。 本丸の東側に二の丸、その北側に中城を配するなど、丘陵部を利用した巧みに配置した城郭だった。国指定史跡。 桜川市真壁町古城、山尾。真壁城跡の地図 ![]() ![]() 史跡真壁城跡の碑(左)、真壁城跡の郭から筑波山を望む(右) 真壁城黒門 まかべじょうくろもん 真壁城の黒門は、雨引観音に移築されている。貴重な真壁城の遺構。 桜川市本木1。雨引観音(真壁城黒門)の地図 ![]() 真壁城黒門 遍照院 密弘山遍照院正得寺。真言宗豊山派。応永年間(1394〜1428年)の創建と伝わる。 現在の本堂は2011(平成23)年11月の再建。境内に茨城県指定文化財の真壁氏累代墓地及び墓碑群=下記参照=がある。 桜川市真壁町山尾525−1。遍照院の地図 ![]() 遍照院本堂 真壁氏累代墓地及び墓碑群 まかべしるいだいぼちおよびぼひぐん 真壁氏の氏寺と伝えらる遍照院正得寺の境内にある。約40基の五輪塔群は、塔高150p前後で、時代は鎌倉時代から戦国時代のもの。 銘文などは読み取れないが真壁氏の墓碑群と確認されている。茨城県指定文化財。 真壁氏は、1172(承安2)年、常陸大掾・多気直幹の四男・六郎直幹を祖とする。 直幹は真壁郡に領地を得、真壁城を築いてこの地を19代、約400年に渡って治めた。 桜川市真壁町山尾525−1。真壁氏累代の墓の地図 ![]() 真壁氏累代墓地及び墓碑群 遍照院の銀杏 本堂前にある銀杏の巨樹。毎年きれいな紅葉を見せる。 ![]() 遍照院の銀杏 石匠のみち 国道50号、岩瀬バイパス沿いの緑地帯や遊歩道に点在する石彫モニュメント。約1キロにわたって御影石で作られた彫刻11点とモニュメント3点が展示されている。 バイパスのある岩瀬地区は、御影石(羽黒石)の産地として知られる。また、隣接する笠間市の稲田石、真壁地区の真壁石など、付近は御影石の産地。 このため、地場産業の振興などを図るため、地域のシンボルロードとして整備されたもの。 まず「石の彫刻コンクール」を開催、全国から作品を募集し、55点の応募のなかから14点を選出した。 バイパスの4車線化工事にあわせて整備した。道沿いの広々としたスペースには、彫刻やモニュメントを置いただけでなく、日本庭園や公園なども整備されている。 ![]() 石匠のみちにあるモニュメント 桝箕ヶ池 ますみがいけ JR水戸線・羽黒駅の南側、およそ500mにある。白鳥が飛来する池として知られる。 桜川市友部。桝箕ヶ池の地図 ![]() 桝箕ヶ池 松田の枝垂桜 桜川市の松田地区にある2本の枝垂桜。1本は県道沿い、もう1本は近くの民家の庭にある。 ![]() 県道沿いにある枝垂桜 ![]() 民家の庭にある枝垂桜。上記県道沿いの枝垂桜付近から 大泉の枝垂桜 桜川市の大泉地区にある枝垂桜。地蔵堂の近くにある。 ![]() 大泉地区にある枝垂桜 大国玉神社 祭神は、大国主命、武甕槌命、別雷命。創建年代は不詳だが、延喜式に記載がある古社。 また、837(承和4)年に官社に列せられた記録がある。845(承和12)年に従五位下、861(貞観3)年には従五位上を賜る。 江戸時代には、水戸藩主・徳川光圀公から四神乃旗、日月乃幢が奉納されている。毎年正月には、家内安全と五穀豊穣を祈願する「鍬の祭」「さやど廻り」が行われる。 御朱印有。御朱印については御朱印・神社参照。 桜川市大国玉1。大国玉神社の地図 ![]() ![]() 大国玉神社社殿(左)、御朱印(右) 鍬の祭 くわのまつり 1月3日、大国玉神社で行われるいわゆる田遊びの神事を中心とした五穀豊穣と家内安全を祈願する祭り。 神事で使われる翁の面は500年前に作られたものと伝わる。桜川市指定無形民俗文化財。 当日は午後1時から、拝殿での神事に引き続き、境内に設けられた榊の神田で、神職や氏子が集まり儀式を行う。 神職が、榊の鍬を使うなど古式に従い、一連の稲作のしぐさを演じる。 最後にご飯の入ったおひつに豆を投げ入れ、その入り具合で豊作かどうかを占う。その後、ご飯は参加者に振舞われる。 ![]() 翁の面をかぶり神事を行う神職 ![]() ![]() 榊の神田で鍬を入れる神職(左)、500年前からあるという翁の面(右) さやど廻り さやどまわり 1月4日早朝に大国玉神社とその氏子地区で行われる地域の安全を祈願する神事。 正式には「大國玉神社末社七十五社御宮渡巡行」。桜川市指定無形民俗文化財。 当日は午前6時から、氏子が大国玉神社に集まり拝殿で神事を行い、大榊を御祭神として祀る。 その後、氏子たちがその大榊を担ぎ、大太鼓を引き連れこれを打ち鳴らしながら地区内の末社を廻る。 ![]() 大国玉神社の拝殿で神事を終え、外に運ばれる大榊の御祭神 八柱神社 890(寛平2)年、金剛院として創建。明治に入って廃寺となったため、地元に祀ってあった八神、 素戔鳴命、木花咲耶姫命、倉稲魂命、軻遇突知命、大山咋命、巌島姫命、誉田別命、別雷命を合祀、八柱神社となった。 本殿は1785(天明5)年の建立とされる金剛院の聖天堂を利用したもの。 入母屋造り、銅板葺き、本堂の周囲には花や鳥、人物など見事な彫刻がされている。 下野国(栃木県)富田住の彫物師、磯部義兵衛英信の作と伝わる。茨城県指定文化財。 堂内には聖天像が祀られており、縁結び、夫婦和合に御利益があるとして、信仰を集めている。 また、境内にある欅は桜川市の天然記念物に指定されている=下記参照。 桜川市塙世968。八柱神社の地図 ![]() ![]() 八柱神社本殿(左)、拝殿(右) 八柱神社の欅 秋にはきれいな紅葉を見せる。幹周り8.2m、樹高14m、推定樹齢500年。八柱神社ケヤキとして桜川市指定天然記念物。 ![]() ![]() 紅葉した欅(左)、幹(右) 八日まつり 2月8日に桜川市真壁町桜井の五味田地区で行われている「事八日」の行事。 長さ1mを超える大草鞋を飾り、地区の厄除け、無病息災を祈願する。 大草鞋は、手作りのため作る年によって大きさが若干違うが、長さ約1.4m、幅約60cm、重さ約12kgほどある。 この大草鞋を地区南側の田中川に架かる鉄製の門に掲げる。さらに、長さ約60cm、幅約40cmほどの草鞋3枚を地区の 東、西、北の木につるす。 一つ目妖怪の伝説も残る。巨大な草鞋を作ることで、「この地区にはこんな大きな草鞋を履く巨人がいるんだ」として 侵入を防ぐ意味があるとされる。また、草鞋の編み目が「たくさんの目」に見え、一つ目妖怪を撃退する効果があるという。 ![]() 八日まつりの行事で飾られた大わらじ 鹿島神社 上谷貝 祭神は武甕槌命。1162(応保2)年の創建と伝えられる。本殿は1573(天正元)年、領主の真壁久幹の寄進で建立したもの。 一間社流造りで、茅葺屋根。茨城県指定文化財。 桜川市上谷貝1390。鹿島神社・上谷貝の地図 ![]() 鹿島神社本殿 鹿島神社 下泉 祭神は武甕槌神。807(大同2)年の創建と伝えられる。豊作と夫婦和合に御利益があるという。 神社の氏子である桜川市下泉地区に伝わるのが「大飯まつり」(下記参照)。かつては同じ氏子であった本郷地区でも行われていたが近年途絶えてしまった。 桜川市下泉40。鹿島神社・下泉の地図 ![]() 鹿島神社社殿 大飯まつり 桜川市下泉地区に伝わる祭りで、12月の第2日曜日、下泉公民館で行われる。作物の実りを感謝するとともに、人々の健康を祈願する。 まつりで使われるご飯は砲弾型の木型で茶碗に約30cmの高さに超大盛にされ、竹の箸で崩れないように支えられる。一膳当たり約8合にもなるという。 この山盛りにされたご飯は「物相(もっそう)」と呼ばれる。まつりは、午前11時から神事が行われスタート。 ある程度食べたところに神様の「鹿島様」が登場、大きなしゃもじにご飯をのせ、さらに食べるように勧める。 ただ食べきれない人がほとんど。残ったものは持ち帰り家族で食べるという。約1時間ほどで終了する。 なお、大飯祭りで使われるお米は、祭り用の地区共有の田があり、そこでとれたものを使う。 桜川市下泉374−3。下泉公民館の地図 ![]() 参加者にご飯を勧める鹿島様 ![]() ![]() 整列して山盛りご飯を食べる大飯まつり(左)、神事でスタート(右) 香取神社 友部 祭神は経津主大神。774(神亀元)年、下総国の香取神宮から勧請した。当時流行していた悪病が、神社に祈願すると治まったと伝えられている。 このため、病気平癒、勝運、商売繁盛などに御利益があるという。境内には奇木の夫婦樫、縁結びの笹があり、夫婦和合、縁結びにも広く信仰を集めている。 桜川市友部1524−5。香取神社の地図 ![]() ![]() 香取神社拝殿(左)、夫婦樫(右) ![]() ![]() 香取神社本殿(左)、全景(右) 二所神社 西小塙 1873(明治6)年、羽黒神社と八幡宮を合祀し二所神社とした。祭神は倉稲魂命(羽黒神社)、誉田別命(八幡宮)。 本殿は1708(宝永5)年、八幡宮の本殿として建立された。八幡宮は日本武尊ゆかりの神社、羽黒神社は939(天慶2)年、羽黒山に平貞盛が戦勝を祈願したのが始まりという。 桜川市西小塙462。二所神社・西小塙の地図 ![]() ![]() 二所神社拝殿(左)、本殿(右) 西小塙二所神社の枝垂桜 拝殿前に枝垂桜がある。 ![]() 拝殿前にある枝垂桜 羽田神社 祭神は伊弉冉尊。創建不詳ながら「正暦四年十二月(994年)」銘の御神体有。 1873(明治6)年、地区内の神明神社と白山権現を合祀し現社名とする。旧村社。羽田山の西麓にある神社。 桜川市羽田1174。羽田神社の地図 ![]() ![]() 羽田神社拝殿(左)、本殿(右) 后神社 平将門公ゆかりの神社。祭神は須勢理毘売命、平将門公の正室、君の御前。御神体は平安時代の五衣垂髪の女人木造で、君の御前の姿という。 国王神社(坂東市)の平将門公像と対をなすとされる。将門公が新皇を名乗ったことから、その正室は后であるとして、この名になったという。 また神社のある地域の小字名は木崎(きさき)である。 幕末、水戸藩士の青山延光が「后神社考」で、后神社の祭神は、近くの大国玉神社の祭神、大国主命の后である須勢理毘売命だという説を提唱。 これを信じた村人たちは、明治に入ると大国玉神社に合祀してしまった。すると、村に疫病が流行り、「将門様の祟りだ」と恐れ、后神社を元に戻したという。 すると疫病は治まったと伝えられている。 桜川市大国玉。后神社の地図 ![]() 后神社社殿 后神社の桜 后神社境内にある桜。 ![]() 后神社の桜 将門薬師 将門薬師堂。この地にあった延命院の境内にあった。現在でも眼病に御利益があるとして信仰されている。 この地、現在の桜川市大国玉は将門の父、平良将の所領であったとされる。さらにこの場所の字名は「平」といい、平氏の荘園であったとみられている。 このため非業の死を遂げた先祖・平将門の霊を弔らうため、将門の守り本尊である薬師如来を祀って冥福を祈ったとされる。 明治に入り寺は廃寺となり本堂などは壊されたが、薬師堂だけは祟りがあるのではと恐れられ残ったという。 1963(昭和38)年、火災により堂や本尊は焼失してしまった。現在の堂はその後に再建されたもの。 桜川市大国玉。将門薬師の地図 ![]() 将門薬師 将門薬師の桜 将門薬師全体を覆うように桜がある。 ![]() 将門薬師の境内を埋める桜 神武天皇遥拝殿 1881(明治14)年、当時の戸長や町民が、真壁町の発展と町民の安寧幸福の守護として建立。 現在の社殿は1989(平成元)年4月3日の再建。毎年4月3日、4日は神武天皇祭が行われる。 御朱印有。祭礼の4月3日、4日のみ授与。御朱印については御朱印・神社参照。 桜川市真壁町真壁。神武天皇遥拝殿の地図 ![]() ![]() 神武天皇遥拝殿(左)、御朱印(右) 神武天皇遥拝殿の桜 遥拝殿脇に1本の桜がある。 ![]() 神武天皇遥拝殿の桜 上宿薬師 上宿薬師堂。薬師三尊が祀られている。薬師様をめぐってはその昔、怠け者の男がこの薬師如来像を売れば大金が入ると盗み出したが、 急に目が悪くなり失明寸前まで視力が落ちたため、これは罰が当たったと、薬師如来像を返し謝ったところ、視力も戻った。 男はその後真面目に働いたと伝わっている。 桜川市真壁町真壁。上宿薬師の地図 ![]() 上宿薬師堂 五大力堂 平安時代後期の作とされる五大力菩薩像を納めた堂。 五大力菩薩像の作例は少なく、特に平安時代の作品で5体揃っているのは全国で唯一の例とされる。像は茨城県指定文化財。 五大力像は、金剛吼(こんごうく)、龍王吼(りゅうおうく)、無畏十力吼(むいじゅうりきく)、雷電吼(らいでんく)、 無量力吼(むりょうりきく)からなり、いずれも檜の寄木造。像高は中尊座像が135.5cm、4つの立像が154.1cm〜167.1cm。 像の特徴から平安時代後期の作と推定されているほか4つの立像のうち、 右内側の像から「治承二年」(1178年)と書かれた墨書が見つかっている。 平将門公の伝説が残る。五大力菩薩像は鎮護国家思想と結びつきが深く強力な力で国を護るとされている。 また怨敵調伏を願って造像することから、地元では将門公討伐のためにつくられ、死後は将門公の善心を知りその霊を慰めたとされる。 桜川市池亀。五大力堂の地図 ![]() 五大力堂 坂本観音 坂本観音は、華立山福聚院観音寺といい天台宗の寺。古来より「安産子育観音」として霊験あらたかで、 いずれも現在の桜川市内にある「富谷観音」「雨引観音」とともに「三兄弟の観音様」と称された。 明治の廃仏毀釈で取り壊され、本尊の如意輪観音は、月山寺(桜川市西小塙)に移された。 しかしその後、寺内で怪しいことが起こることから1887(明治20)年、寺内に残っていた仁王門に移された。 さらに解体時に残っていた木材を基に使い観音堂を再興。1913(大正2)年に入仏式を行った。 本尊の木造如意輪観世音菩薩は、寄木造、檜材、漆箔、玉眼入り、像高130cm。秘仏とされる。 鎌倉時代の作と考えられるという。茨城県指定文化財。 観音堂の建立時期は不明だが1284(弘安7)年と1487(長享元)年に屋根を葺き替えた棟札がある。 このことから少なくとも鎌倉時代から続く歴史ある寺院だった。再興された観音堂は茅葺屋根だったが老朽化から雨漏等 も発生したため1990(平成2)年4月15日、銅板葺に替えられ落慶法要が行われた。 桜川市坂本。坂本観音の地図 ![]() ![]() 観音堂(左)、仁王門(右) ![]() ![]() 仁王門に祀られる金剛力士像吽形像(左)、同じく阿形像(右) 坂本神社 祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)、大巳貴命(おおなむちのみこと)、大山祇命(おおやまつみのみこと)。 由緒は不詳。旧村社。坂本観音に隣接してある。 桜川市坂本。坂本神社の地図 ![]() 坂本神社 天神宮の桜 桜川市岩瀬の住宅地のなかにポツンとある桜の巨樹。樹の下には天神宮が祀られている。 桜川市岩瀬。天神宮の地図 ![]() 天神宮の桜 三所神社 祭神は武甕槌命、経津主命、菅原道真公。創建は不詳。旧村社。森に囲まれた200mほどある長い参道が特徴。 桜川市真壁町下谷貝1447。三所神社の地図 ![]() 三所神社拝殿 ![]() ![]() 三所神社鳥居(左)、参道(右) 八坂神社 羽鳥 羽鳥道沿いにある八坂神社。うっそうとした森林のなかにある。 桜川市真壁町羽鳥1423。八坂神社・羽鳥の地図 ![]() 八坂神社社殿 子育稲荷神社 こそだていなりじんじゃ 真壁城跡にある稲荷神社。このお稲荷様に参拝すると、子供が丈夫に育つとして知られている。 参道には多くの朱色の鳥居が奉納され、信仰の厚さを物語っている。 桜川市真壁町古城。子育稲荷神社の地図 ![]() 子育稲荷神社 大池 旧大和村と旧岩瀬町の境界付近、JR水戸線・大和駅の西約1.2km、線路をまたいである。 釣りを楽しめるほか、冬には白鳥が飛来し、バードウオッチングも楽しめる。 桜川市大国玉。大池の地図 ![]() 大池 真徳寺 施無畏山實相院真徳寺。天台宗の寺。本尊は阿弥陀如来。850(嘉祥3)年、慈覚大師円仁によって開山。 手の怪我や病に御利益があるという「手接様(てつなぎさま)」(手接観音)が祀られている。 現在は手を使う職業の人々が上達祈願に訪れるという。また、車のハンドルを握るドライバーからも安全運転祈願で知られている。 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。 桜川市真壁町古城566。真徳寺の地図 ![]() ![]() 真徳寺本堂(左)、御朱印(右) 密弘寺 熊野山不動院密弘寺。真言宗の寺。1247(宝治元)年、恵寿僧都の開山と伝えられる。 地元では、境内の井戸からは良質の水が湧いていたので「水不動」とも呼ばれる。 現在の不動堂は1840(天保11)年の再建で、真壁の町並みとして国の登録文化財に指定されている。 なお境内には、幹周り約7.77m、樹高約15mある大ケヤキがあり、桜川市の天然記念物に指定されている。 桜川市真壁町真壁183−2。密弘寺の地図 ![]() ![]() 密弘寺(左)、密弘寺不動堂(右) 密弘寺の桜 開花時期には、密弘寺の境内を埋めるように咲く。 ![]() 密弘寺の桜 洞源寺の枝垂桜 洞源寺の本堂前に大きな枝垂桜がある。 桜川市門毛。洞源寺の地図 ![]() 洞源寺の枝垂桜 大林院の桜 本堂前に2本の大きな桜がある。また駐車場には枝垂桜がある。 大林院は、つくばりんりんロード沿いにあり、サイクリングの途中、桜に見入る人も多い。 桜川市真壁町古城。大林院の地図 ![]() 大林院の桜 真壁の桜並木 真壁地区の南側、県道沿いにある桜並木。 桜川市真壁町真壁。真壁の桜並木の地図 ![]() 真壁の桜並木 加茂部の山桜 桜川市加茂部の畑の中にある桜。 桜川市加茂部。加茂部の山桜の地図 ![]() 加茂部の山桜 明日香の桜並木 明日香地区にある桜並木。 桜川市明日香。明日香の桜並木の地図 ![]() 明日香地区の桜並木 桜川の桜並木 岩瀬地区の桜川畔にある桜並木。 桜川市岩瀬。桜川の桜並木の地図 ![]() 桜川畔の桜並木 桜川岩瀬東調整池の桜 岩瀬地区の桜川右岸にある調整池。岩瀬調整池。調整池を取り囲むように桜が植えられている。 通常(洪水時以外)はサッカー場など運動場として利用されている。 東桜川地区に2ヶ所ある調整池のうちの上流側。なお名称は当サイトが便宜上つけたもの。 桜川市東桜川。桜川東岩瀬調整池の地図 ![]() 調整池を取り囲むようにある桜 桜川岩瀬西調整池の桜 岩瀬地区の桜川右岸にある調整池。岩瀬調整池。調整池を取り囲むように桜が植えられている。 通常(洪水時以外)はサッカー場など運動場として利用されている。 東桜川地区に2ヶ所ある調整池のうちの下流側。なお名称は当サイトが便宜上つけたもの。 桜川市東桜川。桜川西岩瀬調整池の地図 ![]() 調整池周囲の桜 真像寺 真宗高田派の寺。創建は1227(安貞元)年、真佛上人が草庵を結んだことに始まるという。 親鸞聖人座像は、親鸞聖人が京に戻る際、下野国芳賀郡の高田山専修寺で同寺に贈られたもの。 筑波山千貫つつじ1本で作った聖人の自画像とされ、以降寺名を聖人の「真(しん)」の「像(すがた)」を写す寺として「真像寺」になったとされる。 座像は桜川市指定文化財。楼門脇に銀杏の巨樹がある=下記参照。かつては枝垂桜の巨樹があったという。 桜川市金敷288。真像寺の地図 ![]() ![]() 真像寺本堂(左)、楼門(右) 真像寺の銀杏 真像寺の楼門脇にある銀杏の巨樹。 ![]() 真像寺の銀杏 真像寺の桜 真像寺の入口脇にある枝垂桜。 ![]() 真像寺の枝垂桜 伝正寺 山号は天目山。臨済宗の寺として、1268年、真壁城主・真壁時幹が法身国師(真壁平四郎=猫島・現在の筑西市猫島の人)のために建てた寺。 その後、曹洞宗に改宗した。初代真壁藩主・浅野長政(忠臣蔵で知られる赤穂浅野家の宗家)の菩提寺として知られ、境内には長政夫妻の墓がある。 また浅野宗家最後の城主で、明治時代に伝正寺の振興に尽力した浅野長勲夫妻の石像があったが、東日本大震災での被災を受け桜川市役所真壁支所の敷地に移された。 また「どっこい真壁の伝正寺」で知られている。これは、時幹の草履とりを務めていた平四郎が、懐に入れて暖めていた草履を尻に敷いていたと間違われ、ひどい仕打ちを受けた。 そのようなこともあり平四郎は、お寺では、領主も馬を降りて参る、僧になって見返してやりたいと一念発起した。必死に修行をし、そのかいあって中国(当時の宋)にわたって研鑽をつむなどし、国師にまでのぼりつめ、法身となった。 その後法身と再会した時幹が、その時の非礼をわび、寺を建立したものという。 その法身が悟りの心境を述べたものとされる「ひとたび経山に上って風光を弄ぶ 帰り来たって天目道場に坐す 法身覚了すれば無一物 とっこれ真壁の平四郎」これが「どっこい真壁の平四郎」それが転じて「どっこい真壁の伝正寺」になったとされる。 門前には伝正寺温泉がある。 桜川市真壁町桜井1074。伝正寺の地図 ![]() 新しい本堂を建立中の伝正寺 浅野長勲夫妻石像 浅野長勲は、浅野長政を祖とする浅野宗家13代当主。長政は徳川家康の側近で、隠居料として真壁5万石の領地をもらった。 その後浅野家は移封となり、広島藩主として維新まで続いた。 広島藩最後の藩主で、昭和まで生き「最後の大名」とも呼ばれる。明治期には貴族院議員、イタリア公使などを歴任した。 長政の縁で伝正寺=上記参照=の寺勢回復や真壁の町振興に支援を行った。 像は、当時の伝正寺住職はじめ町の有志が長勲顕彰のため、1918(大正7)年に建立したもの。 真壁で産出される花崗岩を使い、明治期に活躍した地元の名工・稲田亀吉が中心となって製作。 このため技術的美術的にも高い評価を受けている。桜川市指定文化財。 もともと伝正寺に建立されていたが、東日本大震災で被災、2017(平成29)年秋、桜川市役所真壁庁舎敷地内に移転、再建立した。 桜川市真壁町飯塚。桜川市役所真壁庁舎の地図 ![]() 浅野長勲夫妻石像 加波山事件 明治時代、1884(明治17)年に発生した自由民権運動の激化事件のひとつで、急進的な自由党員が加波山で蜂起した。 隣県の栃木県で、県令三島通庸の圧政に反旗を翻した16名の自由党員の青年が、栃木県庁落成時に県令を爆殺する計画だったが爆弾を製造中に誤爆。 計画が明らかになると、加波山山頂付近に立てこもり、圧制政府転覆などを掲げて蜂起を呼びかけ、真壁町の警察を襲うなどして抵抗した事件。 加波山山頂近くには、旗立石が、桜川市真壁町長岡には、警官隊と衝突した場所に長岡戦畷(なわて)の碑がある。 なお、加波山事件志士の墓が、筑西市の妙西寺にある。 旗立石 加波山山頂近くにある。加波山事件で蜂起した自由党党員が、自由の魁の旗を掲げた場所とされる。加波山神社本宮の拝殿裏登山道沿いにある。 ![]() 加波山山頂近くのブナ林のなかにある旗立石 岩瀬駅 JR水戸線の駅。旧岩瀬町の中心市街地にある。御嶽山から筑波連山へ向かう登山の起点及び桜川・土浦自転車道(りんりんロード)の北側の起点となっている。 1889(明治22)年1月16日、水戸鉄道の駅として開業。1918(大正7)年9月7日、筑波鉄道が乗り入れる。 1987(昭和62)年3月31日、筑波鉄道が廃線となる。2002(平成14)年、筑波鉄道の線路跡に岩瀬・土浦自転車道が完成する。 桜川市犬田1365。岩瀬駅の地図 ![]() 岩瀬駅 羽黒駅 JR水戸線の駅。1904(明治37)年、貨物駅として開業。1910(明治43)年、旅客開始。 2014(平成26)年2月25日、現在の駅舎が供用開始。 桜川市友部1553。羽黒駅の地図 ![]() 羽黒駅 大和駅 JR水戸線の駅。1988(昭和63)年6月20日、当時の大和村に開業。駅前に桜がある=下記参照。 桜川市高森926。大和駅の地図 ![]() 大和駅 大和駅の桜 JR水戸線、大和駅前に咲く桜。数本の桜が並木となっている。 桜川市高森。大和駅の地図 ![]() 大和駅前の桜 柳沢農村公園 桜川市真壁町田の山側にある農業公園。柳沢貯水池に併設されてある。 広々とした公園で、高台にあり真壁市街や加波山を望むことが出来る。春には桜の名所として知られる。 桜川市真壁町田944−4。柳沢農村公園の地図 ![]() ![]() 柳沢農村公園からの眺望。加波山方面を望む(左)、広々とした柳沢農村公園(右) 柳沢農村公園の桜 公園の周囲に多くの桜が植えられている。 ![]() 農村公園の周囲にある桜 柳沢貯水池 柳沢農村公園脇にある農業用の溜池。柳沢溜池。真壁富士の美しい逆さ富士を見ることができる。 桜川市真壁町田。柳沢貯水池の地図 ![]() 柳沢溜池 柳沢貯水池の桜 柳沢貯水池の堤防に植えられている。堤防の北側に巨樹が2本、南側の湖畔に2本ある。 ![]() 堤防北側にある2本の桜の巨樹 田の桜並木 桜川市真壁町田の茨城県道41号つくば益子線沿いに植えられている。名称は当サイトが便宜上つけたもの。 桜川市真壁町田。田の桜並木の地図 ![]() 田の桜並木 旧紫尾小学校酒寄分校の桜 紫尾小学校酒寄分校は、1889(明治22)年、当時の椎尾尋常小学校の分校として設立。 1978(昭和53)年に本校に統合された。現在も当時の校門の門柱が残る。 桜川市真壁町酒寄。旧紫尾小学校酒寄分校の地図 ![]() 旧紫尾小学校酒寄分校の桜 旧紫尾小学校の紅葉 旧紫尾小学校の角にある。美しく紅葉する。 桜川市真壁町酒寄。旧紫尾小学校の地図 ![]() 旧紫尾小学校紅葉 南椎尾溜池 つくし湖の北側にある溜池。 桜川市真壁町椎尾。南椎尾溜池の地図 ![]() 南椎尾溜池 小野池 霞ヶ浦用水の調整池。八郷用水機場から送られた水がここに貯められる。 桜川市大月。小野池の地図 ![]() 小野池 長者池 霞ヶ浦用水の調整池。ここから桜川市と筑西市の農地に水が送られる。 桜川市真壁町下谷貝。長者池の地図 ![]() 長者池 北岡池 農業用の溜池。桜川市真壁町下谷貝の北岡地区にある。 桜川市真壁町下谷貝。北岡池の地図 ![]() 北岡池 精進沼 桜川市東飯田にある沼。 桜川市東飯田。精進沼の地図 ![]() 精進沼 精進沼の桜 精進沼のほとりにある2本の桜。 ![]() 精進沼の桜 不動の滝 御嶽山の北側斜面にある滝。御嶽山登山道脇にあり、休憩所がある。飲用のひしゃくも設置されている。 桜川市犬田。不動の滝の地図 ![]() 不動の滝 観音堂 八ツ手観音。鎌倉時代の作風を持つ木造菩薩立像がある。茨城県指定文化財。伝准胝観音。等身大檜材寄木造。 桜川市真壁町羽鳥1038。観音堂の地図 ![]() 観音堂 元岩瀬薬師堂 元岩瀬薬師如来。瑠璃光山無量院長千寺。薬師如来像、日光菩薩像、月光菩薩像、十二神将像、如来像があり いずれも桜川市指定文化財。 桜川市岩瀬1348。薬師堂の地図 ![]() 元岩瀬薬師堂 裏筑波観光道路 桜川市真壁町羽鳥地区と筑波山を結ぶ観光道路。茨城県道41号つくば益子線から、古来よりある羽鳥道と交差しながら筑波山の旧ユースホステル跡下まで結ぶ。 ![]() 旧ユースホステル下の裏筑波観光道路 全国緑化行事発祥の地 大日本山林会によって、1934(昭和9)年4月、第1回愛林の日に、桜川市真壁地区羽鳥の筑波山中腹で、日本で初めての統一的な植樹祭が行われた。 愛林の日の植樹は、緑化思想普及のため行われたもので、その後、現在の全国植樹祭へと受け継がれている。 この時植樹された森林が現在も残されており、現在その地には記念碑や近くには案内板が設置されている。 ![]() 全国緑化行事発祥の地案内板 祥光寺 しょうこうじ 瑞雲山祥光寺。806(大同元)年、徳一大師の創建と伝えられる。雨引山のふもとにある。 もとは法相宗だったが、1347(正平2)年、夢窓疎石が中興し、臨済宗に改められる。 本尊の木造阿弥陀如来坐像は、鎌倉時代初期の作。境内にある石造多宝塔には、「建仁2年」(1202年)の銘があり、茨城県最古とされる。 いずれも茨城県指定文化財。 茨城百八地蔵尊霊場第33番札所。詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 桜川市本木78。祥光寺の地図 ![]() 祥光寺山門 最勝王寺 筑波山大法源院最勝王寺。本尊は阿弥陀如来。覚仙僧正が781(天応元)年に開山。 最澄が桓武天皇に奏請し、792(延暦11)年、鎮護国家の道場として最勝王寺の寺号を賜る。 1662(寛文2)年、本孝和尚が再興。筑波山の西麓、山の斜面に作られた釈迦堂などがある。 同寺の経堂に納められている宋版一切経(そうばんいっさいきょう)5535巻は茨城県指定文化財。 桜川市真壁町東山田1644。最勝王寺の地図 ![]() 最勝王寺山門 最勝王寺の桜 山門や参道など多くの桜で境内が彩られる。 ![]() 最勝王寺参道の桜 最勝王寺の紅葉 境内に多くの楓がある。 ![]() 最勝王寺の紅葉 ![]() ![]() 最勝王寺、寺奥のの紅葉(左)、同じく寺入口付近の紅葉(右)、 ウィンド・パワーつくば 加波山中腹、丸山の頂近くに国定公園内としては全国初という風力発電所「ウィンド・パワーつくば」がある。 発電能力は1000KW級風車を2基設置。風力発電としては国内最大級の発電量を誇る。 タワーの高さは60m、ローター部(プロペラ部)の直径60mで、最大高さは90mにもなる。 桜川市真壁町長岡。ウィンド・パワーつくばの地図 ![]() ウィンド・パワーつくば みかげ憩いの森 レストハウスみかげに隣接してある。面積約7.44ha。従来の森林を活かすとともに約2000本を植栽した。 散策の森、恵みの森、憩いの丘からなる。遊歩道やあずまやが整備されている、遊歩道の延長は約1707mある。2007(平成19)年オープン。 桜川市真壁町桜井。みかげ憩いの森の地図 ![]() ![]() レストハウスみかげ脇にあるみかげ憩いの森入口(左)、みかげ憩いの森内の遊歩道(右) レストハウスみかげ 桜川市市営のレストハウス。1975(昭和50)年、旧真壁町営の施設としてオープン。 営業時間は午前10時から午後10時まで。月曜日定休(祝日の場合は翌日)。 経営不振が続き、民間委託などを試みたが好転せず、2013(平成25)年3月31日で閉鎖。 桜川市真壁町桜井1073。 ![]() レストハウスみかげ みかげスポーツ公園 テニスコートとゲートボール場からなる。レストハウスみかげに隣接してある。 桜川市真壁町桜井1073。みかげスポーツ公園の地図 ![]() みかげスポーツ公園のゲートボール場 桜井農村公園 多目的広場を中心とした農村公園。 桜川市真壁町桜井。桜井農村公園の地図 ![]() 桜井農村公園多目的広場。奥に見える山は右が足尾山、左が加波山 布川の桜並木 桜川市亀岡地区の布川沿いに植えられた桜。布川については桜川へ。 桜川市亀岡。布川の地図 ![]() 布川の桜並木 布川の彼岸花 桜川市亀岡地区の布川沿い、桜並木の桜が葉を落とすころ、桜と桜の間に花を咲かせる。 ![]() 布川の彼岸花 青木堰の桜 堰の下流側に桜堤となっている。青木堰については桜川へ。 桜川市青木。青木堰の地図 ![]() 青木堰の桜 桜井不動尊の枝垂桜 不動堂の前に枝垂桜がある。 桜川市真壁町桜井。桜井不動尊の地図 ![]() 不動尊前の枝垂桜 高久神社 鷲宮。鷲大明神。お鷲様。祭神は天日鷲命、素戔嗚尊、日本武尊。932(承平2)年11月、あるいは940(天慶3)年、 平貞盛の勧請とも伝えられる。本殿は一間社流造、幣殿間口1.5間、奥行2間、拝殿寄棟造間口3間、奥行2間。 本殿には彫刻が施されている。本殿は2021(令和3)年3月23日、筑西市指定文化財。 桜川市高久770。高久神社の地図 ![]() 高久神社本殿 ![]() ![]() 高久神社拝殿(左)、同じく社号標と鳥居(右) 山王神社 旧村社。祭神は大山昨命、木花開耶姫命。 由緒不詳ながら、江戸時代初期の建立と伝わる。一時、本新田神社と改称するも1956(昭和31)年、山王神社に戻した。 桜川市岩瀬69。山王神社の地図 ![]() ![]() 山王神社社殿(左)、同じく鳥居(右) 大神宮 旧村社。祭神は大日霊貴命。由緒不詳ながら創建は室町時代と伝えられる。 桜川市岩瀬219。大神宮の地図 ![]() ![]() 大神宮拝殿(左)、同じく鳥居(右) 今宮神社 祭神は誉田別命。長辺寺山の中腹にある。室町時代の創建とされる。元岩瀬鎮守。 桜川市岩瀬2100。今宮神社の地図 ![]() 今宮神社拝殿 ![]() ![]() 今宮神社本殿(左)、今宮神社鳥居(右) 犬田神社 旧村社。祭神は経津主命、武甕槌命、息吹戸主命、誉田別尊。もともと香取神社として祀られていたが、1873(明治6)年、八幡神社を合併し犬田神社となった。 1543(天文12)年に佐竹義昭、1626(寛永3)年に浅野長重が社殿造営の記録がある。現社殿は1992(平成4)年11月の建立。 桜川市犬田696。犬田神社の地図 ![]() 犬田神社 二所神社 門毛 旧村社。祭神は大日漏女命(天照大神)、月夜見尊(月読命)、本多別命(応神天皇)。 791(延暦10)年10月15日創建と伝えられる日月社と、 809(大同4)年8月15日創建と伝えられる八幡社が、1873(明治6)年に合併し二所神社となった。 60年毎に「御扉開扉祭」が行われている。前回は1970(昭和45)年4月、前々回が1910(明治43)年に実施された。 桜川市門毛13。二所神社・門毛の地図 ![]() 拝殿 二所神社 南飯田 旧村社。祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊、武甕槌命。古くから白山神社として祀られており、 1873(明治6)年4月、村内の鹿島神社を合併し二所神社となった。 桜川市南飯田805。二所神社・南飯田の地図 ![]() 二所神社拝殿 高尾神社 旧村社。祭神は軻遇突如命。村の北側にある権現峰に古くから鎮座していたと伝わる。 のちに山中の社殿が荒廃したため、1336(建武3)年、現在地に再建された。 桜川市富谷1075。高尾神社の地図 ![]() 高尾神社の拝殿 ![]() ![]() 高尾神社の本殿(左)、同じく鳥居(右) 雷電神社 細芝 旧村社。祭神は別雷命。創建は江戸時代とされ、「貞享四年(1687年)丁卯六月二十四日」の棟札が残されている。 桜川市真壁町細芝278。雷電神社の地図 ![]() ![]() 雷電神社の拝殿(左)、同じく本殿(右) 雷電神社の桜 桜川市真壁町細芝地区にある雷電神社の桜、境内いっぱいに桜が咲く。 ![]() 雷電神社の境内を埋める桜 田村神社 旧村社。祭神は素戔嗚命、木花開耶姫命、伊邪那岐命、倉稲魂命。創建は天明年間(1781〜89年)という。 境内に田村神社の社務所を兼ねる鍋屋コミュニティセンターがある。 境内の大欅は桜川市指定天然記念物=下記参照。 桜川市真壁町田21。田村神社の地図 ![]() 田村神社 田村神社の欅 田村神社の境内にある鍋屋コミュニティセンター南側にある。 推定樹齢300年以上といい、樹高約18m、幹回り約7.7m。 北側の大きな枝が伐採されているほか、幹が空洞化している。 2003(平成15)年2月28日、「田村神社のケヤキ」として桜川市指定天然記念物。 ![]() 田村神社の欅 真壁運動場の桜 桜川市真壁運動場の施設外周にある桜。 桜川市源法寺43−1。真壁運動場の地図 ![]() 真壁運動場の桜 雨引の里と彫刻 桜川市となる以前の旧大和村で活動している石彫作家7人が中心となって「地元に恩返しを」と、1996(平成8)年スタートしたのが始まり。 最初は旧大和村の特産でもある石彫のみだったが、その後石彫以外の作家も参加している。概ね2年に一度の開催。 第1回は1996(平成8)年4月28日(日)〜6月16日(日)、参加作家8人、 正式名称は「雨引の里と彫刻」のみ。2回目以降開催に当たり区別するため開催後第1回を冠した。 第2回1997(平成9)年11月2日(日)〜1998(平成10)年1月18日(日)、参加作家27人、 第3回1999(平成11)年10月3日(日)〜12月5日(日)、参加作家32人と1グループ、 第4回2001(平成13)年3月25日(日)〜5月27日(日)、参加作家44作家1グループ、 第5回2003(平成15)年8月23日(日)〜11月3日(月・祝)、参加作家44人、1グループ。 以降は回数ではなく年号表記で、2006(平成18)年4月1日(土)〜6月4日(日)まで行われた6回目の開催は 雨引の里と彫刻2006となる=以降同じ。参加作家は43人、1グループ。 7回目は2008(平成20)年9月28日(日)〜11月30日(日)、参加作家は42人、 8回目は2011(平成23)年1月15日(土)〜3月21日(日)、参加作家は42人、この回は「冬のさなかに」のサブタイトルが入った。 9回目は2013(平成25)年9月22日(日)〜11月24日(日)、参加作家は38人、 10回目は2015(平成27)年10月10日(日)〜12月20日(日)で「りんりんロード」のサブタイトルが入り、 その名の通りりんりんロードに作品が展示された。参加作家は40人。 11回目は2019(平成31)年4月1日〜6月9日(日)、参加作家は38人。 12回目となる今回は2022(令和4)年ン10月10日〜12月11日の開催。 参加作家は33人。 ![]() 石の軀2022 ![]() ![]() 筑波嶺の産土神の御座(みざ)2022(左)、支えられるモノ2022(右) 高峯 桜川市と栃木県芳賀郡茂木町の境界にある山。標高は520m。山桜が多く自生しており、桜の時期には多くの登山客が訪れる。 また、 桜川市平沢。高峯の地図 高峯の山桜 数千本の山桜が自生する。桜の濃淡さまざまな紅色と芽吹きの萌黄色が相まって、 パッチワークのような眺望、あるいは珊瑚礁のような景色ともたとえられている。 桜の時期には、高峯の林道平沢線が車両通行止めとなり歩行者専用となるほか、臨時駐車場なども設けられる。 桜川市平沢。高峯の山桜眺望ポイントの地図 ![]() 高峯の山桜 高峯見晴デッキ 山桜の名所である高峯を麓から一望できる。春には山桜の「花見スポット」「フォトスポット」、そして夏には新緑、 秋には紅葉と四季を通じて利用できる。2022(令和4)年3月25日に落成式が行われた。 桜川市平沢217ー2先。高峯見晴デッキの地図 ![]() 高峯見晴デッキ 高峯第一展望台 林道平沢線沿い、標高約235m付近にある。高峯の山桜を上から眺めることができる。 桜川市平沢。高峯第一展望台の地図 ![]() 高峯第一展望台 平沢高峯展望台 林道平沢線沿いに駐車場があり、林道から少し上った標高約340m付近にある。第一展望台同様、高峯の山桜を上から眺めることが出来る。 また、筑波山方面の眺望もある。 桜川市平沢。平沢高峯展望台の地図 桜川市平沢。平沢高峯展望台駐車場の地図 ![]() 平沢高峯展望台から筑波山方面の眺望 ![]() ![]() 平沢高峯展望台(左)、展望台の駐車場(右) 真壁のひなまつり 真壁に春の訪れを告げるまつり。「寒い中、真壁に来てくれる人をもてなそう」という地元住民の呼びかけによって2003(平成15)年から始まった。 期間は立春の2月4日から3月3日まで。 昔ながらの街並みが残る真壁の風情とひなまつりという日本のよき伝統が表現されている祭り。 特に古い商家などに飾られた雛人形は、それぞれの家の歴史を感じさせてくれるもの。 当初は50軒に満たない参加だったが、現在では170軒もの協力を得て盛大に行われている。 茨城県内ばかりでなく、首都圏各地からも観光客が訪れる。 茨城県内で、最も成功した地域おこしのひとつとされる。 期間中、一部の日付限定でつくばエクスプレスのつくば駅から臨時の直通バス「真壁のひなまつり号」が運行されている。 真壁のひなまつりの詳細は真壁のひなまつりへ。 ![]() 真壁のひなまつり ![]() ![]() 真壁のひなまつり ![]() ![]() 真壁のひなまつり 流し雛 地元の小学生などが参加し「真壁のひなまつり」のフィナーレを飾る行事。 毎年3月3日、桜川市真壁町飯塚の山口川で行われている。 流し雛は、折り紙などで作った雛人形に穢れを移し、川に流すことで清めるという風習。 現在では願いを込め、願いが叶うよう雛人形を流す場合も少なくない。 ![]() 山口川で行われた流し雛
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