MENU 筑波山 つくば近隣ガイド 広告 |
かすみがうら市
日本で2番目に大きな湖、霞ヶ浦に突き出した新治郡霞ヶ浦町と筑波山塊の東側に面する新治郡千代田町が合併して2005(平成17)年3月28日、誕生した。
つくば市とは接していない。ただ、筑波山塊の東側が旧千代田町にかかっている。人口42,147人(2015年国勢調査)、面積156.61平方km。
旧霞ヶ浦町は、1955(昭和30)2月11日、下大津村、美並村、牛渡村、佐賀村、安飾村、志士庫村の6村が合併し出島村となった。 村名の出島は、霞ヶ浦に村域が突き出していたため名づけられた。1997(平成9)年に町制施行し霞ヶ浦町となった。 合併前の人口は18,569人(2000年国勢調査)、面積70.27平方km。 同じく旧千代田町は、1954(昭和29)年3月20日、志筑村、新治村、七会村が合併し千代田村が誕生。 1992(平成4)年町制施行し千代田町となった。 筑波連山の東麓を占めていた。合併前の人口は26,660人(2000年国勢調査)、面積48.50平方km。 雪入山ハイキングコースは東筑波縦走コースへ。 金命水、銀命水は筑波の湧き水へ。 恋瀬川、天の川、雪入川 及びこれらの川の支流と架かる橋は恋瀬川へ。 霞ヶ浦、霞ヶ浦湖岸道路、霞ヶ浦大橋は水郷筑波国定公園へ。 つくば霞ヶ浦りんりんロード及び霞ヶ浦湖岸のサイクリングロードはつくばりんりんロードへ。 恋瀬川サイクリングコースは茨城のサイクリングロードへ。 雪入ふれあいの里公園 筑波山塊の東側の山の地形を利用して作った公園。ネイチャーセンター、展望広場、鳥の池、花の池、風の池、芝生広場、観察舎などが整備されている。 ネイチャーセンターを中心に遊びながら自然とのふれあい体験、自然学習ができる。 ネイチャーセンター内には、森のジオラマ展示室や立体ハイビジョンシアター、テラス、園内観察カメラなどがある。 開園時間は午前9時から午後4時30分。入園無料。月曜日休園。 かすみがうら市雪入。雪入ふれあいの里公園の地図 雪入ふれあいの里公園ネイチャーセンター(左)、ネーチャーセンター駐車場からの眺望(右) 雪入ふれあいの里公園の桜 雪入ふれあいの里公園内には多くの大きな桜がある。 かすみがうら市雪入。雪入ふれあいの里公園の桜の地図 雪入ふれあいの里公園入口にある桜 雪入の桜並木 雪入ふれあいの里公園へ通じる雪入地区の道路にある桜並木。 かすみがうら市雪入。雪入の桜並木の地図 雪入の桜並木 成沢の山桜 かすみがうら市雪入地区(旧千代田町)の山の斜面には約3000本のヤマザクラが群生している。見ごろには山の斜面をヤマザクラの花が埋め尽くす。 人の手がまったく加えられておらず、自然にこれだけの数が群生しているのは珍しい。茨城の自然百選にも選ばれている。 かすみがうら市立上佐谷小学校を抜けて雪入方面に向かう途中が全体を見渡せるビューポイントとなっている。なお、見ごろは4月上旬から中旬の数日間。 かすみがうら市。上佐谷小の地図 桜の時期の雪入山の山肌 三ツ石森林公園 浅間山の中腹にある里山の豊かな自然に触れることができる公園で、もりの小屋や自然観察園、見晴らし広場、芝生広場、水辺の広場などの施設がある。 季節ごとにアジサイやヤマツツジ、ヤマハギなど四季折々の花を楽しむことができる。 かすみがうら市上佐谷。三ツ石森林公園の地図 三ツ石森林公園もりの小屋(左)、もりの小屋裏手にある標高220m三ツ石の丘(右) 三ツ石森林公園園内の自然(左)、同じく遊歩道(右) 三ツ石森林公園もりの小屋前からの眺望、右手に霞ヶ浦の土浦入り、左手に高浜入りが見える 藤見の滝 雪入ふれあいの里公園へ向かう途中の林道脇にある。滝の近くに大きな藤の木があることからこの名がある。 林道脇を降りていくため、夏場などは草に埋もれてしまう場合もある。 かすみがうら市上佐谷。藤見の滝の地図 藤見の滝 みかえりの滝 三ツ石森林公園の入口にある滝。 かすみがうら市上佐谷。みかえりの滝の地図 みかえりの滝 石噛桜 いしはみさくら。雪入の登山道沿いにある桜。その名の通り根は大きな石に絡み合っている。 かすみがうら市雪入。石噛桜の地図 石噛桜(左)、石噛桜の根元(右) 眺望大桜 雪入地区の林道沿いにある桜。地元の団体が命名した。 かすみがうら市雪入。眺望大桜の地図 眺望大桜 天空の桜 雪入地区の林道沿いにある桜。地元の団体が命名した。 かすみがうら市雪入。天空の桜の地図 天空の桜 福禄桜 雪入地区の林道沿いにある桜。地元の団体が命名した。七福神の福禄寿から命名されたもので雪入七福神桜めぐりの1本。 かすみがうら市雪入。福禄桜の地図 福禄桜 寿老桜 雪入地区の林道沿いにある桜。地元の団体が命名した。七福神の寿老人から命名されたもので雪入七福神桜めぐりの1本。 かすみがうら市雪入。寿老桜の地図 寿老桜 椎名家住宅 1968(昭和43)年、国指定文化財。東日本最古の民家。1970(昭和45)年〜1971(昭和46)年にかけて解体修理が行われ、建築された当時の姿に復元された。 解体修理の際、差鴨居の柄(ほぞ)から「延宝弐年きのゑ寅十二月三日」の墨書が発見され1674(延宝2)年の建築であること分かった。 建物は、寄席棟造り、桁行き15.3m、梁間9.6m。直屋(すごや)と呼ばれる形態で、間取りは「ねま」が「ひろま」の後方へ張り出す「変形ひろま型」と呼ばれるもの。 全国的には、茨城県南部と千葉県北部にみられる代表的な江戸時代の民家とされる。 椎名家は、寛永年間(1624〜43年)以前から続く旧家で、代々茂右衛門を襲名した。 かすみがうら市加茂4148。椎名家住宅の地図 椎名家住宅 稲吉宿本陣 水戸街道稲吉宿の本陣。水戸街道で本陣が残っているのは、取手宿、中貫宿とこの稲吉宿の3カ所。 本陣は、他の屋敷よりも一段高い敷地に造られている。建物は、本陣の要素である門、玄関、上段の間が設けられている。 屋根には、領主の家紋「笹竜胆」がつけられている。なお、江戸時代には、本陣の向かい側に脇本陣があったという。 かすみがうら市下稲吉1401。稲吉宿本陣の地図 稲吉宿本陣 木村家住宅 稲吉宿の旅籠「皆川屋」。茨城県指定文化財。水戸街道に残る唯一の旅籠。 江戸時代末の建築で、2階建て、桁行き八間、瓦葺。出格子や障子が往時を偲ばせる。 かすみがうら市下稲吉1393。木村家住宅の地図 木村家住宅 旧下大津小の桜 鉄筋コンクリートの校舎が残されている下大津小と道路を挟んで反対側、空き地となっている場所の中央部にある。 下大津小が2016(平成28)年3月で廃校となったため、正確には旧旧下大津小、下大津小跡地となる。一部下大津地区公民館として利用されている。 下大津小は、1903(明治36)年に下大津尋常小学校として開校、桜はその翌年1904(明治37)年に植えられたという。 小学校はその後道の反対側に移転、さらに廃校となった。 かすみがうら市加茂4472。下大津地区公民館の地図 旧下大津小の桜 JA水郷つくばさんふれ花野果 JA水郷つくばサンフレッシュ花野果。旧JA土浦サンフレッシュ花野果。旧JA茨城千代田花野果農産物直売所。JA水郷つくばの農産物直売所。 2012(平成24)年2月1日、JA茨城千代田とJA土浦が合併しJA土浦サンフレッシュ花野果に、 2019(平成31)年2月1日、JA水郷つくば誕生に伴い現在の店舗名になった。 大根、きゅうり、トマト、ごぼう、さつまいも、たまねぎなど、地場産の野菜や果物など約400品目を取り扱う大型農産物直売所。 そば店「農協そば」を併設。 営業時間は午前9時30分〜午後6時。年中無休(お盆、年末年始を除く)。 農協そばは、営業時間午前11時から午後2時。定休日は水曜日及びお盆、年末年始。無料駐車場68台。 かすみがうら市下稲吉2633−14。千代田ショッピングモール内。JA水郷つくばさんふれ花野果の地図 花野果(JA茨城千代田花野果農産物直売所時代) JA水郷つくばさんふれ霞ヶ浦店 JA水郷つくばサンフレッシュ霞ヶ浦店。旧JA土浦サンフレッシュ霞ヶ浦店。JA水郷つくばの農産物直売所。 2019(平成31)年2月1日、JA水郷つくば誕生に伴い現在の店舗名になった。 円筒形のユニークな外観の店舗。営業時間は午前9時から午後6時(10月から3月までは午後5時まで)。年中無休(お盆、年末年始を除く)。 かすみがうら市深谷3467−4。JA水郷つくばさんふれ霞ヶ浦店の地図 JA水郷つくばさんふれ霞ヶ浦店 恋瀬橋ロードパーク 国道6号、恋瀬橋の南側にある休憩施設。かすみがうら市市川と石岡市石岡の両市にまたがっている。敷地面積約4000平方m。 大型車6台、普通車(小型車)19台、身障者用2台の駐車場がある。トイレのほか、約200平方mのあずまやがある。 また、1931(昭和6)年に完成し、現在の恋瀬橋が2000(平成12)年6月に完成するまで使われていた旧恋瀬橋の親柱や欄干がモニュメントとして残されている。 このほか、旧恋瀬橋の石岡市とかすみがうら市の観光案内版などもある。 かすみがうら市市川。恋瀬橋ロードパークの地図 恋瀬橋ロードパーク 歩崎公園 霞ヶ浦に突き出した旧霞ヶ浦町の東端、同市坂に位置する。霞ヶ浦随一の景勝地として知られ、 展望台から望む三叉沖の眺めは、茨城百景や茨城の自然100選に選ばれている。 公園内には、歴史博物館、水族館、あゆみ庵(茶室)、民家園などの施設があるほか、台地側に森林公園、湖岸に園地が整備されている。 かすみがうら市歴史博物館 三層の天守閣をイメージした外観が特徴。歩崎の目印として、かすみがうら市のシンボルになっている。 館内には、3分の2の大きさで造られた帆曳舟はじめ、昔この地方で使われていた漁具や農具などが展示されている。 4階にある展望台からは、霞ヶ浦や筑波山、晴れた日には富士山まで見渡せる眺望が楽しめる。 開館時間は午前9時〜午後4時30分。月曜日休館(月曜が休日の場合は翌日)。 入館料は小中学生110円(水族館と共通券は210円)、大人220円(水族館と共通券は430円)。無料駐車場有。 かすみがうら市坂1029。歴史博物館の地図 立派な天守が特徴の歴史博物館 かすみがうら市水族館 霞ヶ浦に生息する魚を中心に、世界の淡水魚などを集めた水族館。鑑賞するだけでなく、フナやコイなどに直接触れることができるタッチ水槽が、子供たちに大人気。 その他、360度観察できる円柱水槽、アマゾンの巨大魚などがいる大型魚展示水槽などがある。 大型の淡水魚で人気の巨大なアロアナの展示が人気を集めている。 開館時間は午前9時〜午後4時30分。月曜日休館(月曜が休日の場合は翌日)。 入館料は小中学生150円(資料館との共通券は200円)、大人310円(資料館との共通券は410円)。無料駐車場有。 かすみがうら市坂910−1。水族館の地図 かすみがうら市水族館 かすみがうら市交流センター 霞ヶ浦の沿岸部を対象としたブルーツーリズムの拠点施設。歩崎公園の一角、霞ヶ浦の湖岸に隣接してある。 自転車で霞ヶ浦湖岸を1周する「かすいち」の拠点ともなっている。2015(平成27)年3月完成。 2階建ての施設で1階がかすみがうら市産のフルーツや野菜、オリジナル商品などを販売する「かすみマルシェ」。 2階は、地産地消×ヘルシーをコンセプトにかすみがうら市産を生かしたメニューを提供するレストラン「かすみキッチン」。 このほか1階にはサイクリストのためのシャワー施設(15分200円)やレンタサイクル、コインロッカーなどがある。 開館時間は午前9時から午後5時、かすみキッチンは月・火曜日定休で営業時間は午前11時から午後3時(土日祝日は午後4時)まで。 公園と共有の無料駐車場がある。 かすみがうら市坂4784。交流センターの地図 かすみがうら市交流センター あゆみ庵 あゆみ庵は、数寄屋造りの建物で、茶室と座敷広間がある。自然に囲まれた場所で抹茶をいただくことができる。また、和服の着付けなども行う。 開園時間は午前10時〜午後3時。月曜日休館(月曜が休日の場合は翌日)。入場無料(茶菓代別)。 かすみがうら市坂888−2。あゆみ庵の地図 民家園 民家園は、同市内にあった江戸時代中期に建てられた旧福田馨家住宅と江戸時代末期に建てられた旧福田与兵衛家板倉の寄贈を受け、移築した。 いずれも同市内の牛渡地区にあったもので、1992(平成4)年に移転、復元された。 旧福田馨家住宅は、茅葺屋根の曲がり屋で、この地方の当時の民家の特徴を伝えている。 旧福田与兵衛家板倉は、板壁裏の墨書から1843(天保14)年の建築であることがわかっている。 板倉は、収穫した穀物や農機具を格納していた倉庫で、壁が板張りになっている。また、小屋裏が2階になっている。 茅葺屋根のままで残っており、建築当初の原型をほぼとどめていると考えられている。 かすみがうら市坂888−2。民家園の地図 歩崎森林公園 霞ヶ浦を一望する高台にある総面積約6.5haの森林公園。自然の起伏を活かして造られたせせらぎ、池、散策道などがある。 子供たちには50mのローラーすべり台やアスレチックなどがあり楽しめる。 かすみがうら市坂地内。歩崎森林公園の地図 芝生広場 歩崎園地 霞ヶ浦に隣接する場所に作られた広大な親水空間。大きな池や芝生広場でゆったりできる。 湖岸堤防は霞ヶ浦自転車道として整備されており、その休憩所にもなっている。 無料駐車場や水産物の直売所が完備されている。歩崎公園といった場合、歩崎園地を指すことが多い。 かすみがうら市坂4784地先。歩崎園地の地図 霞ヶ浦湖岸にある歩崎園地 長禅寺 歩崎山宝性院長禅寺。歩崎観音。真言宗の寺。天平年間(729年〜749年)、旅の僧がこの地を訪れ、行基菩薩が彫ったとされる十一面観音を祀ったのが始まりと伝わる。 1475(文明7)年の開山とされる。本尊の十一面観音は、33年に1度開帳される秘仏。 水難除けとして、霞ヶ浦を往来する水上交通の安全に広く信仰がある。また安産にもご利益がある。 朱色の観音堂と仁王門が、周囲の緑とコントラストを成している。 霞ヶ浦を望む高台にある。境内には歩崎展望台があり、「茨城100景歩崎」の碑がある。 かすみがうら市歩崎921。歩崎観音の地図 歩崎観音の観音堂(左)、仁王門(右) 観光帆引き船 霞ヶ浦の風物詩として知られ、映画などにも登場した。大きな帆を張るその優雅な姿が特徴的。現在は観光用に残るのみ。 帆引き船は、同市の折本良平氏によって考案され、明治13年に初めて霞ヶ浦に登場した。 20人以上の人手が必要だった従来の漁法に比べ、一人で操縦が出来ることから、当時帆引き網漁は画期的な漁法だった。 1965(昭和40)年ごろからトロール船に取って代わられ、まもなく姿を消した。 霞ヶ浦漁業の歴史を知る上で極めて重要な文化的遺産で、1971(昭和46)年に観光帆引き船として復活している。 歩崎公園近くの志戸崎漁港から、帆引き船の随伴船が出る。 運航期間や随伴船など詳細は水郷筑波国定公園へ。 歩崎公園の霞ヶ浦湖岸に建つ帆引き船発祥の地の碑 かすみがうら市歴史博物館の桜 歴史博物館周辺には多くの桜がある。城型の建物との相まって人気となっている。 桜と歴史博物館 南円寺なんえんじ 五智山南円寺。真言宗豊山派。本尊は大日如来。 1394(応永元)年、祐尊によって開山。小田領4ケ寺の一つ。東国花の寺百ヶ寺茨城第3番。 17代俊盛住職は、1675(延宝3)年、総本山長谷寺の第10代化主(貫主)。 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。 かすみがうら市加茂4476。南円寺の地図 南円寺本堂(左)、御朱印(右) 南円寺釈迦如来(左)、南円寺鐘楼(右) 南円寺の桜 花の寺として知られ、境内には多くの桜がある。 南円寺境内の桜 長興寺 ちょうこうじ 鳳林山長興寺。曹洞宗。創建は1602(慶長7)年。奥州・本堂から国替となった本堂氏が、本堂から竜山和尚を招いて開山した。 本堂と山門がかすみがうら市指定文化財。本堂氏の菩提寺として保護されてきた。境内には五百羅漢といわれる多くの石仏がある。 かすみがうら市中志筑1353。長興寺の地図 長興寺本堂(左)、山門(右) 松学寺しょうがくじ 牧洞山松学寺。曹洞宗の寺。1493(明応2)年、模堂永範禅師の開山と伝えられる。寺宝の木造地蔵菩薩立像は茨城県指定文化財。 平安時代の作と見られている。高さ約1m、一木両袖寄木造り。腹の部分に腹帯をしていることから「腹帯地蔵」として親しまれ、安産のご利益があると伝わっている。 かすみがうら市戸崎1300。松学寺の地図 松学寺本堂(左)、松学寺山門(右) 法蔵寺ほうぞうじ 1406(応永13)年、朝賢の開山と伝えられる。本尊の十一面観音坐像は、高さ約90cmの寄木造り、鎌倉時代中期の作とみられ、茨城県指定文化財。 また、鎌倉時代末の作という「宝珠杵」(ほうしゅしょ)も茨城県の文化財に指定されている。 かすみがうら市深谷1399。法蔵寺の地図 法蔵寺本堂(左)、法蔵寺山門(右) 最勝寺さいしょうじ 松翁山瑞雲院最勝寺。浄土宗。永禄年間(1558〜70年)、時の領主、菅谷貞次が母の菩提所として建立。願慶上人の開山。 本尊の木造阿弥陀如来坐像は、鎌倉時代中期の作。背面に銘があり、1698(元禄10)年、徳川光圀公が寄進したもの。茨城県指定文化財。 かすみがうら市宍倉787。最勝寺の地図 最勝寺本堂 最勝寺山門(左)、鐘楼(右) 出島の椎でじまのしい 長福寺の境内にある。幹周り約7m、樹高約15m、樹齢約700年の巨樹。1958(昭和33)年3月12日、茨城県指定天然記念物。 かすみがうら市下軽部。出島の椎の地図 出島の椎全景(左)、幹(右) 長福寺 華輪山不動院。真言宗豊山派の寺。1150(保元元)年の開基。江戸時代には、末寺36を数えた由緒と格式のある寺。 1886(明治19)年の火災でほとんどが焼け、当時のものは山門などをわずかに残すのみ。 かすみがうら市下軽部。長福寺の地図 長福寺山門(左)、本堂(右) 新治神社 にいはりじんじゃ 創建年代は不明。祭神は眦奈良珠命。配神は豊城入彦命。日本武尊の伝説が残っている。 日本武尊が、国造・眦奈良珠命に命じて井戸を掘らせたところ、流泉浄澄、尊は大いに喜ばれ、手を洗い、御衣の袖を漬けられたとされている。 その井戸とされる場所が近くに残っている=下記参照。 延喜式常陸国茨城郡小社、夷針神社の論社のひとつ。現社殿は2008(平成20)年10月25日竣工。 御朱印有。授与は胎安神社社務所。御朱印については御朱印・神社も参照。 かすみがうら市新治584。新治神社の地図 新治神社社殿(左)、新治神社御朱印(右) 新治の井 新治神社の近くにある。かつては新治神社の例祭時に禊場として使われたという。 現在碑が建てられており、桜が植えられている。井戸は暗渠化されており、水を見ることはできない。 かすみがうら市新治558。新治の地図 新治の井 新治の井の桜 新治の井に植えられている桜。 新治の井の桜 八坂神社 深谷 深谷八坂神社。毎年7月第4土、日曜日の2日間にわたって行われる藤切り祇園祭で知られる=下記参照=。 かすみがうら市深谷1379−2。八坂神社・深谷の地図 八坂神社本殿(左)、八坂神社拝殿(右) 藤切り祇園 深谷八坂神社祇園祭。毎年7月第4土、日曜日の2日間にわたって行われ、土曜日が宵祇園、日曜日が本祇園と呼ばれる。祭りは疫病退散、五穀豊穣、民生安定を祈願する。 祇園祭の最大の特徴である藤切りは、宵祇園の土曜日午後に行われる。午後2時30分に宮出し。御浜降りを行う。 神社から御浜降り神事が行われる池の途中に藤切り坂があり、行きはスムーズに通すが、帰りに藤切りの神事を行う。 山からとってきた太い「藤づる」と樫の木などを小枝で包んで魚の形にした「大魚」で神輿の通行を邪魔する。藤には御神体をつけ、それをなぎなたで切り落とすことで始まる。 藤づるは弓なりにして回転させ、それをなぎなたで切る。実際には藤の方をなぎなたの刃にぶつけて切る。このため、一度では切れずに何度も人を変えて行う。 藤が切れると次は大魚をなたで切る。神輿側が2人で交互になたを振り下ろし切る。この時の木くずは縁起物として見物人らがもらい受ける。 かすみがうら市深谷1379−2。八坂神社・深谷の地図 かすみがうら市深谷。藤切り坂の地図 藤のつるをなぎなたで受け切る 準備が整った藤づると大魚(左)、大魚を切る(右) 八坂神社 西成井 西成井八坂神社。祭神は素戔嗚尊。939(天慶2)年の創建とされる。 毎年7月21日以降の土日曜日に行われる同神社の祇園祭=下記参照=には、「西成井のひょっとこ」として親しまれている かすみがうら市無形民俗文化財「成井囃子」が奉納される。、 かすみがうら市西成井77。八坂神社・西成井の地図 八坂神社拝殿 八坂神社本殿(左)、同じく拝殿に奉納されている額(右) 西成井祇園祭 西成井八坂神社の祭礼。7月21日以降の土日曜日に行われる。「西成井のひょっとこ」として親しまれている かすみがうら市指定無形民俗文化財「成井囃子」が奉納される。囃子は「シンバカ」「シチョウメン」「ミンバ」の3調子。 踊りは「獅子舞」「狐踊り」「ひょっとこ」「おかめ」から成る。 祇園祭に登場する成井囃子の山車は、上部のみで回転する。加えて仕掛け花火が取り付けられ、着火と同時に山車上部を回転させるのが特徴。 このため「西成井煙火囃子」の名がある。また祭りでは、両日とも午後9時ごろから八坂神社脇の敷地で打ち上げ花火や仕掛け花火が行われ最後を飾る。 かすみがうら市西成井。八坂神社・西成井の地図 山車に花火を仕掛け、さらにお囃子に合わせて回す(左)、山車でお囃子に合わせて舞う狐(右) 逆西祇園祭 さかさいぎおんさい かすみがうら市の神立駅前、逆西地区で行われる祇園祭。7月の第3土日に行われる。 同じく土浦市の神立駅前で開催される神立祇園祭と合同で開催されることもある。 逆西祇園祭宮神輿 逆西祇園祭九区山車(左)、同じく逆西十区山車(右) 文殊院 豊森山文殊院。真言宗智山派。本尊は文殊菩薩。1642(慶安2)年、宥圓上人が再興。 それ以前は詳しく分からないが、1602(慶長7)年に常福寺という寺があった記録が残る。 同寺所蔵の阿弥陀如来坐像、聖観音菩薩立像はかすみがうら市指定文化財。 2023(令和5)年9月、弘法大師誕生1250年を記念し恋瀬川霊場会発足、1番札所。 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。 かすみがうら市下志筑675。文殊院の地図 文殊院本堂 文殊院山門(左)、文殊院御朱印(右) 太宮神社 806(大同元)年の創建とされる古社。祭神は太宮売命、武甕槌命、経津主命、高皇産霊命、神皇産霊命、天照大神、国常立尊、邇邇芸命、国狭槌命、天忍穂耳命の10柱。 過去には、流鏑馬祭、湯たて神事が行われていた。青銅製の鰐口は直径33cm、厚さ7.3cm。「常州國南野荘安食郷太宮鰐口」との銘がある。 1403(応永10)年の作で、1969(昭和44)年12月1日、茨城県指定文化財。 御朱印有。授与は社務所。御朱印については御朱印・神社も参照。 かすみがうら市安食1071。太宮神社の地図 太宮神社拝殿(左)、太宮神社御朱印(右) 太宮神社本殿(左)、鳥居及び社号標(右) 鹿島神社 牛渡 祭神は武甕槌命。旧村社。806(大同元)年の創建という古社。 毎年5月5日に行われる例祭は五穀豊穣、子孫繁栄を願う奇祭「平三坊」として有名(下記参照)。 かすみがうら市牛渡4190。鹿島神社・牛渡の地図 鹿島神社拝殿 平三坊へいさんぼう かすみがうら市牛渡の鹿島神社(上記参照)の例祭、毎年5月5日に五穀豊穣、子孫繁栄を願って行われる。性の営みのしぐさが行われる奇祭として知られる。 祭りのベースは、豊作を祈る「お田植祭り」だが、稲穂が豊かに実ることと、人が子を孕むことを結びつけ、さらに木製の巨大な男根も登場することから子宝に御利益があるという。 午後3時1番太鼓が鳴らされる。3番太鼓を合図に拝殿で神事が執り行われ、それが終わると「代掻き」を表現するという馬が 氏子の若者たち4人に曳かれて登場する。拝殿前でお払いを受けた後、かなりの勢いで社殿を3周、最後は颯爽と去る。 それと入れ替わりに平三坊役の老爺が現れる。小さな男根を振り回しながら同じく社殿を3周する。 社殿を回り終えるころ、飯だらいを頭の上に載せた妊婦役のおかめ2人が「おーい、おーい」と呼びながら登場。 これを受けて大きな男根に持ち替えた平三坊が、おかめと性の営みのしぐさを行い祭りはクライマックスとなる。 一連の行為は「種まき」を表すという。 最後に神主と2人の早乙女が「田植え」を表現しているという神社拝殿前を往復、豊作と健康を祈る。 なお午後4時前には終了する。 祭りの由来はわかっていないが、その昔、平左とその女房がお田植え祭りの行事を面白おかしく演出したことから、 平左と女房がなまって「平三坊」になったという。 平三坊老爺とおかめ(左)、神事(右) 平三坊役の老爺(左)、妊婦役のおかめ2人(右) 4人がかりで馬を曳きかなりのスピードで社殿の周囲を回る 鹿島神社 牛渡・上高谷 祭神は武甕槌命。道鏡様という特殊な神事が伝わっている。大根で作った男根などを供える。 かすみがうら市牛渡。鹿島神社・牛渡上高谷の地図 鹿島神社本殿 鹿島神社拝殿(左)、同じく鳥居(右) 素鵞神社 柏崎 旧村社。祭神は素戔嗚命。創建は817(弘仁8)年と伝わる。1659(万治2)年、現在地に再建される。 同神社の祭礼は現在は行われていないが「竹切り祇園」と呼ばれた。これは神輿還御の際、先導する馬を竹をたたいて阻止し、 最後にその竹を日本刀で切り、馬と神輿を神社に通すという儀式だった。戦前は毎年行われていたが、戦争で中断し1956(昭和31)年から1962(昭和37)年 まで復活したが、馬がいなくなり以降途絶えている。 かすみがうら市柏崎。素鵞神社・柏崎の地図 素鵞神社拝殿 素鵞神社の本殿(左)、素鵞神社、参道から見た鳥居(右) 鹿島神社 宍倉 宍倉総鎮守。創建は809(大同4)年という古社。祭神は武甕槌命。現在の本殿は江戸時代の1673(延享元)年の再建。 御神体は、徳川光圀公が寄進したもの。1873(明治6)年村社。宍倉、成井、上軽部、下軽部4村の総鎮守。 かすみがうら市宍倉。鹿島神社・宍倉の地図 鹿島神社社殿(左)、鳥居(右) 鹿島神社 田伏 937(承平7)年7月7日創建とされる古社。扁額には「鹿嶋宮」とある。 1861(文久元)年、小松崎周介、高崎半助の両名によって奉納された太白流和算の算額がある。かすみがうら市指定文化財。 かすみがうら市田伏。鹿島神社・田伏の地図 田伏鹿島神社拝殿(左)、本殿(右) 二木天満神社 二木天神。祭神は菅原道真。旧村社。955(天暦9)年創建。 1木から3体の神像を作り、1体を京都・北野天満宮に進納、2体を同神社に奉斎したことから「二木天神」と呼ばれるようになったという。 境内社の須賀神社の祭礼(祇園祭)は、「下佐谷のまとい」とも呼ばれ、大きな「纏(まとい)」が出る。現在の社殿は2001平成13)年10月25日完成。 かすみがうら市下佐谷664。二木天満神社の地図 二木天満神社の拝殿 二木天満神社の本殿(左)、同じく鳥居(右) 千手観音堂 朝日山慈眼院千手寺。真言宗の寺。本尊の木造十一面千手観音像は、像高189cm、台座の高さが43cmある。金箔塗りの立像で、鎌倉時代の作と推定される。 1963(昭和38)年8月23日、茨城県指定文化財。観音堂は、1702(元禄15)年、領主・本堂氏はじめ、近在の人々の浄財により再建された。 1971(昭和46)年、かすみがうら市(当時千代田村)指定文化財。 かすみがうら市中志筑。千手観音堂の地図 千手観音堂 千手観音堂の桜 観音堂前に桜がある。 観音堂前の桜 あゆみ祭り湖上打上花火 7月中旬に歩崎公園をメイン会場に行われるイベント「あゆみ祭り」の最後を飾る。 午後7時20分から、歩崎公園先の霞ヶ浦湖上に設けられた特設の打ち上げ場所からスターマインを中心に約1000発が打ち上げられる。 あゆみ祭りでは、かすみがうら市内の各種団体による演芸披露はじめ、お笑い芸人によるステージなどもある。また、地元農産物の販売などもある。 このほか霞ヶ浦湖上では観光帆曳き船の合同操業、Eボートレースなども行われる。 あゆみ祭りの湖上打上花火(対岸の行方市から撮影) 富士見塚古墳公園 全長80.2mの前方後円墳(富士見塚古墳1号墳)を中心にした古墳公園。 1号墳は、後円部径38.4m、高さ8.5m、前方部(推定復元)幅49.4m、高さ9m、くびれ部幅21.4m。年代は5世紀末から6世紀初頭。 墳丘はじめ、周溝がみつかっており、円筒形や朝顔形、家形、人物などの埴輪が出土している。 2号墳は、直径25mの円墳で、年代は1号墳と同年代。3号墳は直径18m、年代は6世紀末と推定される。 旧出島村は、1988(昭和63)年、ふるさと創生事業として古墳周辺の整備を決定。1990(平成2)年、発掘調査を実施、1992(平成4)年、復元整備が行われた。 富士見塚古墳公園展示館があり、出土品が公開されている。展示館は午前9時から午後4時30分。入館無料。月曜日(祝日の場合はその翌日)及び年末年始休館。 かすみがうら市柏崎1553−3。富士見塚古墳の地図 富士見塚古墳1号墳(左)、2号墳(右) 富士見塚古墳展示館(左)、1号墳上からの眺望(右) 富士見塚古墳公園の桜 古墳全体に多くの桜が植えられている。 富士見塚古墳公園の桜 崎浜横穴古墳群 カキの貝殻層(カキ化石床)に、古墳時代後期(約1200〜1300年前)に作られた横穴古墳。 現在16基が確認されている。 内部は正面にやや高いところに副葬品を置き、左右の一段高いところに棺を安置した。また、正面にのみ棺を安置したものや 正面及び左右と3つの棺を安置したものもある。 なお、同地域は古東京湾形成時のカキ化石床が観察できるとして、筑波山地域ジオパークのジオサイトに指定されている。 かすみがうら市加茂。崎浜横穴古墳群の地図 崎浜横穴古墳群 師付の田井 しづくのたい 万葉集にも詠まれている師付の田井。水田の真ん中に、現在もこんこんと水が湧き出る井戸がある。地元の人たちは、長くしめ飾りをして守ってきたという。 1971(昭和46)年、かすみがうら市(当時千代田村)指定文化財。井戸の場所には「旧跡師付の田井」の碑がある。 かすみがうら市中志筑。師付の田井の地図 師付の田井の碑(左)、今でもこんこんと水が湧き出る井戸(右) 志筑城址 志筑城は、鎌倉時代、下河辺政義の築城。恋瀬川近くにあり、東西約200m、南北約80mの平山城。 東、北、西は水田に囲まれ、南には堀跡の池がある。 江戸時代は本堂氏が入り、城跡には志筑陣屋が置かれた。2011(平成23)年まで志筑小学校があった。 かすみがうら市中志筑。志筑城址の地図 志筑城址 伊東甲子太郎顕彰碑 中志筑村出身(現在のかすみがうら市)の新撰組隊士、伊東甲子太郎の顕彰碑。 2020(令和2)年11月18日、地元の住民有志により志筑城址に建立された。 没後76年の1943(昭和18)に顕彰碑建立が計画され、碑文は当時の東京帝国大学名誉教授の塩谷温博士に依頼、 彫刻も終わっていたが、碑石が盗難に遭い建立されずに終わっている。今回は、その当時の碑文を使っている。 伊東は、志筑村などを治めていた本堂家の家臣、鈴木家の長男で鈴木大蔵といった。 青年期に水戸学を学び、剣術も神道無念流、北辰一刀流を極めたとされる。 北辰一刀流の伊東道場を任され、道場主の娘と結婚し伊東大蔵となった。その後、大蔵の弟子ですでに新撰組隊士となっていた 藤堂平助誘われ新撰組に入隊した。入隊が甲子の年だったことから甲子太郎に改名した。 その後、新撰組隊長の近藤勇らとの意見の対立から同市15名と離脱し、孝明天皇の「御陵衛士」となる。 1867(慶応3)年の大政奉還の際には新しい日本の方針を示した32か条からなる建白書を提出した。 しかし同年11月15日に暗殺されている。 かすみがうら市中志筑。伊東甲子太郎顕彰碑の地図 伊東甲子太郎顕彰碑 観音寺 菩提山観音寺。高野山真言宗。不動堂に祀られている不動明王像は「波切不動」と呼ばれ、像高50cm、台座9cmの立像で、 同寺の檀家である鈴木家に代々伝わっていたもの。作風から鎌倉時代末期の作とされ、かすみがうら市の文化財に指定されている。 なお不動堂は、1984(昭和59)年に同寺が行った「弘法大師千百五十年祭」の記念事業として檀家により建立されたもの。 かすみがうら市上土田885−1。観音寺の地図 観音寺本堂 観音寺の観音堂(左)、山門(右) 波切不動を祀る観音寺の不動堂(左)、鐘楼(右) 観音寺の桜 観音寺入口に桜がある。 観音寺入口の桜 杲泰寺 こうたいじ 陽広山杲泰寺。曹洞宗。1503(文亀3)年、宍倉城主菅谷氏が下野国大中寺の桂庵和尚を迎えて開山。 宍倉城主、菅谷貞次の墓がある。 かすみがうら市宍倉666。杲泰寺の地図 杲泰寺の本堂(左)、同じく山門(右) 雪入の郷倉 江戸時代、凶作に備えて貯穀した倉庫。当時この地を治めていた志筑藩は、古代の義倉の制度にならい、凶作に備えて穀物を蓄えておく制度をスタートさせた。 毎年年貢米の40分の1を蓄えたという。 雪入の郷倉は、雪入村分の貯穀のための倉庫。間口3間、奥行2間の板倉。1971(昭和46)年、かすみがうら市(当時千代田村)指定文化財。 かすみがうら市雪入。雪入の郷倉の地図 雪入の郷倉 十五社神社 国常主命、武甕槌命、経津主命、大己貴命、少彦名命、伊弉諾命、伊弉冉命、面足命、惶根命、国狭土命、豊斟淳命、泥土煮命、大工道命、大苫辺命、沙土煮命の15柱を祀る。 同神社に伝わる祭礼幕は、江戸時代の文政年間(1818〜29年)に作られたもので、当時、疫病退散で流行ったという鹿島踊りが描かれている。2009(平成21)年12月1日、かすみがうら市文化財に指定。 かすみがうら市雪入。十五社神社の地図 十五社神社社殿(左)、鳥居(右) 伊保田神社 いぼ取りの神様として知られる。神社にある小石を借りていぼをこするといぼがとれるとされる。治ったら小石を数倍にして返すという。 境内には奉納された小石や小さな鳥居が数多く置かれている。 かすみがうら市上佐谷。伊保田神社の地図 伊保田神社 百体磨崖仏 閑居山北東側の中腹にある。百体観音ともいう。花崗岩に刻まれた磨崖仏(まがいぶつ)。 山麓に弘法大師が草創したと伝えられる閑居したという伝説がある志筑山惣持院願成寺がかつてあり、鎌倉時代、寺中興の僧乗海が手彫りしたものとされる。 風化が進んでおり、輪郭だけがわかるものだけになったものも多い。茨城県指定文化財。 かすみがうら市上志筑。百体磨崖仏の地図 百体磨崖仏 昭和天皇御野立所の碑 かすみがうら市の権現山山頂近くにある。1929(昭和4)年11月15日、当時の新治郡志筑村で行われた旧日本陸軍特別大演習で、昭和天皇が統監した場所。 碑には「大元帥陛下御統監聖蹟」と刻まれている。 現在の果樹研究所千代田試験地が演習場だった。1973(昭和48)年、かすみがうら市(当時千代田村)史跡指定。 かすみがうら市上志筑。昭和天皇御野立所の碑の地図 昭和天皇御野立所の碑(左)、碑からの眺望(右) 権現山城跡 権現山山頂近くにある山城跡。土塁とみられる遺構が残る。 鎌倉時代、この地方を治めた益戸氏(下川辺氏)が志筑城の出城として築いたされる。 一説には、戦国時代、小田氏一門の志筑左近が築いた城とも言われている。 かすみがうら市上志筑。権現山城跡の地図 権現山城跡 山本石造五輪塔せきぞうごりんとう かすみがうら市山本地区にある石造五輪塔。室町時代のもので、花崗岩製、高さ約2.4m。 「奉造逆修大旦那道志天文14年」(1545年)の銘がある。逆修とは、生前から死後の菩提を祈ったもの。茨城県指定文化財。 かすみがうら市山本191。山本石造五輪塔の地図 山本石造五輪塔 石造五輪塔せきぞうごりんとう かすみがうら市中志筑地区にある石造五輪塔。かすみがうら市指定文化財。 室町時代(戦国時代)の1546(天文15)年製と考えられる。筑波山域から産出される花崗岩製。 高さ209cm、最大幅76cm。「松延」「天文十五年」の文字が刻まれている。 須賀神社の鳥居前にある。 かすみがうら市中志筑1277。石造五輪塔の地図 石造五輪塔 第1常陸野公園 照明付の野球場、テニスコート、多目的広場、温水プールなどがある。また隣接して緑花木センターがある。 かすみがうら市中佐谷1250。第1常陸野公園の地図 第1常陸野公園野球場(左)、海洋センター(右) 第2常陸野公園 バーベキュー場やターゲットバードゴルフ場がある。また、桜の時期には花見が楽しめる。 かすみがうら市中佐谷671−1。第2常陸野公園の地図 第2常陸野公園ターゲットバードゴルフ場(左)、バーベキュー場(右) かすみがうら市役所千代田庁舎の桜 かすみがうら市役所千代田庁舎の周囲にある桜。 かすみがうら市上土田461。かすみがうら市役所千代田庁舎の地図 かすみがうら市役所千代田庁舎の桜 間沢池 かすみがうら市中志筑にある池。池の周囲に桜が植えられている。 かすみがうら市中志筑。間沢池の地図 間沢池 間沢池の桜 かすみがうら市中志筑にある池の周囲にある桜。 間沢池の桜 胎安神社 たやすじんじゃ 創建は763(天平宝宇6)年、祭神は香取神宮の御分霊である経津主命と京都市右京区、梅宮大社の御分霊で、胎内安全の神として木花咲耶姫命。 子授け、胎内安全、安産の神様として広く信仰されている。 源義家が、奥州征討の時、都にいる御内室の安産を祈願したという。無事男子が誕生し、同神社では源氏の家紋である笹竜胆(ささりんどう)を賜ったと伝えられている。 下記の子安神社にも同様の伝承があり、神社ももとは同一であったとも伝えられている。 境内にある「子持ちの松」は石(子)を抱いた珍しい松で、「月々に子持ちの松をいだきなば、子なき婦人も子持つとしれ」 という歌も伝えられ、明治時代に枯れてしまったが、その霊験からか、それ以降も参拝者が途絶えない。 腹帯、各種御札、安産や子授けお守り、絵馬有り。例祭は3月3日。 御朱印有。御朱印には毎月違った花の印が押される。また、正月には獅子、ゴールデンウィークにはこいのぼりなどの印が押される。 御朱印については御朱印・神社参照。 かすみがうら市西野寺434。胎安神社の地図 胎安神社拝殿(左)、御朱印、奉拝の下に毎月違った花の印が押される。またさらにその下に獅子などが特定期間に押される(右) 子安神社 こやすじんじゃ 創建は807(大同2)年、祭神は鹿島神宮の御分霊である武甕槌神と静岡・富士宮、富士浅間大社の御分霊で木花咲耶姫命を祀る。 安産、子授けの神様として広く信仰されている。 源義家が、奥州征討の時、都にいる御内室の安産を祈願したという。同神社では源氏の家紋である笹竜胆(ささりんどう)を賜ったとされる。 上記の胎安神社と同様の伝承となっている。また、子安神社と胎安神社は、利根川挟んで鎮座する鹿島神宮と香取神宮の御分霊をそれぞれ迎えており、 さらに、子安神社が北を、胎安神社が南を向いて建っている。 拝殿は1673(寛文13)年に建立された記録があり、本殿はそれ以前の建立と考えられている。 また境内には、1753(宝暦3)年の明神鳥居、1773(安永2)年の安永灯篭などがある。 腹帯、各種御札、安産や子授かりのお守り、絵馬有り。例祭は9月3日。 御朱印有。御朱印については御朱印・神社参照。 かすみがうら市東野寺239−1。子安神社の地図 子安神社拝殿(左)、御朱印(右)
copyright © 2007-2024 つくば新聞 by tsukubapress.com all rights reserved.
|