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雨引観音
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雨引観音は雨引山楽法寺(あまびきさんらくほうじ)といい、真言宗豊山派の寺。 標高409mの雨引山の中腹にある。 坂東三十三観音霊場第24番札所。関東八十八ヵ所霊場特別霊場。東国花の寺百ヶ寺茨城第6番。 「一に安産、二に子育てよ、三に桜の楽法寺」と詠まれるほど安産や子育ての寺として知られる。 これは740年頃、聖武天皇と光明皇后が安産を祈願したところ、霊験あらたかだったことからという。 現在でも安産祈願や七五三などでの参拝者でにぎわう。 587(用明天皇2)年、中国(梁)出身の法輪独守居士の創建。 本尊は延命観世音菩薩。推古天皇、聖武天皇、嵯峨天皇の勅願寺として知られる。 特に嵯峨天皇の821(弘仁12)年、国中が旱魃で苦しんだことから、降雨を願い天皇自ら写経し寺に納めた(天皇の御染筆は寺宝として現存)。 すると国中、雨に恵まれ五穀は実ったという。天皇は大いに喜び、勅命により、雨引山と山号を定めたという。 また鎌倉時代には幕府将軍、宗尊親王の信仰厚く、寄進によって多くの堂宇が建立された。 さらに江戸時代にも幕府から多くの寄進があるなど広く信仰を集めている。 本尊の延命観世音菩薩は前立尊とともに国指定重要文化財。榧(かや)材を用いた一木造で、平安初期の一木彫像(いちぼくちょうぞう)風という。 また、一種の地方作風ともいうべき特色がある。 前立尊は、本尊にならって造られたものと考えられるが、製作年代は鎌倉時代とみられ、寄木造となっているなど製法も異なっている。 このほか、本堂、仁王門、東照山王社殿(附棟札2枚)、多宝塔(棟札1枚)、絹本着色愛染明王画像、絹本着色弁財天画像、絹本着色十一面観音画像、 木造不動明王立像、五鈷杵、大般若経が茨城県指定文化財。 雨引山黒門、鬼子母神堂、東照権現徳川家康公像、仁王尊像一対、木造五智如来坐像は桜川市指定文化財。 仁王門の仁王像は、2017(平成29)年11月に吽形、2018(平成30)年年11月に阿形が寺から搬出され、 東京都内にある東京芸術大学大学院の保存修復彫刻研究室で解体修理が行われた。2020(令和2)年12月24日修理を終え戻っている。 仁王像は約800年前の鎌倉時代のものと考えられ、県内最古の仁王像という。最初の仁王門が建立された当時のものと推定される。 作者は「慶派」の流れをくむ仏師によるものと見られている。像の大きさは高さ約2.4m、幅最大約1.2m。 木目の連続性などから2体は1本の巨木からつくられた。阿形の内部に1519(永正16)年に修理した際の銘札が見つかっている。 なお、当ページの作成に際し、公式パンフレット、公式ホームページなどを参考にした。 本堂 観音堂。記録に残る本堂は、1254(建長6)年、鎌倉幕府の将軍、宗尊親王が執権北条時頼を諭して再建したと伝えられる。 1474(文明6)年、真壁城主真壁久幹と弟の高幹によって五間四面の本堂が建立された。 その後せまくなったことから1526(大永6)年、真壁城主真壁治幹大檀那として七間四面の堂宇に改築した。 現在の本堂は江戸時代1682(天和2)年に建立されたもの。本堂の彫刻は、日光東照宮の彫刻を手掛けた無関堂円哲による。 1998(平成10)年、屋根瓦葺き替え及び塗り替えを行った。扁額は「観音堂」。茨城県指定文化財。 本堂、正面から(左)、本堂の扁額(右) 仁王門 仁王門は1254(建長6)年、本堂と同じく鎌倉幕府の将軍、宗尊親王によって建立されたのが最初。 現在の仁王門は1628(天和2)年の再建。 2階建て、上層に縁を張り出して高欄を巡らした楼門形式が特徴。また、柱はすべて丸柱で、柱脚部を丸める「ちまき」がみられる。 仁王門の彫刻は、1704(宝永元)年、本堂同様、無関堂円哲による。扁額は「雨引山」。鎌倉時代に「慶派」の仏師によって造られた 仁王尊像がおさめられている。茨城県指定文化財。 仁王門(左)、仁王門の扁額(右) 多宝塔 天平年中(730年)、聖武天皇の后、光明皇后よって建立されたのが最初と伝わる。 1683(天和3)年、三重塔を再建しようと進めたがかなわず、1853(嘉永6)年に三重塔を改め多宝塔とした。 上層の平面が円形、下層は正方形。屋根の最上部には鋳鉄製の相輪がつけられている。茨城県指定文化財。 多宝塔 東照山王権現 1613(慶長18)年、当時の住職が現在の静岡県の駿府城にて徳川家康公に謁見し、家康公の命令により各宗の学僧と対論、 法論に勝って賞詞を受けるとともに寺領を賜った。このことに恩義を感じ家康公の死後の1625(寛永2)年、 境内に家康公を祀る東照大権現を建立した。現在の社殿は、1727(享保12)年、東照大権現と山王大権現を合祀し再建したもの。 正面に扉が2つあるのはこのため。 小さい建物ながら軒反りの強い入母屋造の屋根の上に千鳥破風をのせ、正面の向拝は軒唐破風を設けている。 東日本大震災の影響により傾きなどが見られたことから、2018(平成30)年8月21日から2019(平成31)年3月20日にかけて 世界最古の企業として知られる社寺建築の金剛組により社殿保存修理工事が行われ、傾き直しやこけら葺きの葺き替えを行った。茨城県指定文化財。 東照山王権現社殿 薬井門 通称「黒門」と呼ばれる。真壁城の城門として造られたものを、廃城に伴い雨引観音の表門として移転した。 真壁城の貴重な遺構でもある。「雨引山黒門」として桜川市指定文化財。1999(平成11)年に現在地に移転修復した。 薬井門 磴道 とうどう。「厄除けの石段」といい、薬井門と仁王門の間、145段ある大石段。 江戸時代の1821(文政4)年から1年2ヶ月かけて造られた。 一段登るごとに「南無観世音菩薩」と唱えて登れば、145段登りつめた時、厄が落ちるとされる。 磴道 阿弥陀堂 大正時代に建立された阿弥陀堂が老朽化したことにより再建され2021(令和3)年3月完成した。 高齢者や妊産婦などに配慮しバリアフリー化、参拝者の利便性及び安全性の向上を図った。金剛組の施工。 阿弥陀堂 手水舎 仁王門に隣接してある。 手水舎(左)、手水(右) 参道 仁王門と本堂の間の石段は新しく造られたもの。やや急ながらきれいな石段となっている。 参道階段 延命水 伝説では、寺を開いた法輪独守居士が持参した本尊延命観世音菩薩の袖から滴り落ちた水が泉となって涌きかえったとされ、 本尊の名にちなんで延命水と名付けられたと伝わる。 この霊泉の水を飲むと、延命観世音菩薩の霊力がその身に加わり、延命長寿の功徳があるという。 また、1400年余、いかなる旱魃の時にも清らかな浄水をたたえ枯れなかったされる。 古歌に「ひとしずく 手にむすびなば 雨引の 命を延ばす 薬井の水」と詠まれている。 延命水(左)、延命水全景(右) 鬼子母神堂 もと御所明神と言い、約600年前に足利尊氏を祀るため建立されたものという。いつしか鬼子母神堂となったとされる。 現在の堂は約300年前に再建されたもの。老朽化により2015(平成27)年4月から修復工事が行われ、 2017(平成29)年3月16日、落慶式が行われた。桜川市指定文化財。 鬼子母神堂 弁財天 弁財天は、開山当初から祠られている鎮守。 財宝をもたらす女神、また琵琶を奏でていることから技芸上達の霊験もあるとされる。 聖見堂前の弁財天像 弁財天脇手水(左)、弁財天前の泉(右) 六角堂 六角堂は、正六角形鉄筋コンクリート銅板葺造り木造勾欄付建物という。 本尊は薬師如来。1723(享保8)年、江戸幕府8代将軍、徳川吉宗公が養女竹姫の眼病平癒祈願のために、仏師円哲に彫刻させた仏像で、 このことから眼病平癒の霊験あらたかとされる。 またこの堂に祀られる不動明王像は茨城県指定文化財。 1438(永享10)年、室町幕府の将軍足利義教公が関東鎮護の本尊として謹刻させ奉納したもの。 六角堂 御供所 総受付、札守授与所、納経所。安政年間(1854〜60年)の建立。2層の建物で、江戸時代の楼閣として特色のある建造物とされる。 祈祷の受付、御守の授与、御朱印の授与はこちらへ。 御供所 絵馬堂 絵馬堂として建てられたが現在は改装され、「お休み処・おみやげ処」となっている。参拝者は誰でも無料で利用できる。 建物は1934(昭和9)年の建立で、現在でも大小の絵馬数十枚が飾ってある。 絵馬堂 客殿 奥の院。江戸時代は雨引山楽法寺運営の中枢的建物だった。 仁王門などと同様、1254(建長6)年、宗尊親王によって建立されたのが最初。 現在の建物は1792(寛政4)年の再建。1987(昭和62)年に瓦葺きに替えられた。 主尊は聖観世音菩薩、前立として普賢菩薩を祀る。 客殿 本坊 本坊は、1871(明治4)年以降、1976(昭和51)年に建て替えられるまで 雨引観音の寺院内にあった安養院の庫裡を使用していた。 この建物は、正面から見れば平家建て、側面から見ると2階建てという変型的2階建てだった。 これは江戸時代、幕府の犯罪人が逃げて来た場合、仏の慈悲をもってかくまった遺構という。 当時いかに権威の有った寺院であったかを示すものとされる。 現在の建物は、2011(平成23)年12月に完成した。鉄筋コンクリート2階建て、金剛組の施工。 本坊 地蔵堂 子安地蔵尊を祀る。この建物も仁王門などと同様、1254(建長6)年、宗尊親王によって建立されたのが最初。 仁王門向かって左手にある。 地蔵堂 聖見堂 聖見堂は、雨引山第30世聖見和尚の徳を偲んで、1995(平成7)年に多宝塔の西側、弁天池の上方に建立された。 室町様式の建造物で、本尊は、建武年中(1334〜37年)に室町幕府の初代将軍となる足利尊氏公が寄進した大日如来。 学業成就の功験あらたかであるという。 聖見堂 宿椎 やどしい。推定樹齢1000年のスダジイの巨樹。 本堂が火災になった際、本尊がこの樹の下に避難し仮の宿としたとの言い伝えからこの名があるという。 桜川市指定天然記念物。 宿椎の幹(左)、宿椎全景(右) 鐘楼堂 最初は仁王門と同じく1254(建長6)年、宗尊親王によって建立された。 その後1682(天和2)年に再建、現在の鐘楼堂は1830(文政13)年に建立されたもの。 1975(昭和50)年に瓦葺きに替えられた以外は建設当時のもの。 鐘楼堂 聖徳明福智観世音 多宝塔前にある。交通安全、火災消除に御利益有とされる。 聖徳明福智観世音 白衣観世音菩薩 びゃくいかんのん。世界の平和と自由、幸福及び日本の繁栄、交通安全の為にと、 1975(昭和50)年4月、弁天池の東側に建立、その後、多宝塔奥に移転した。 白衣観世音菩薩 水子地蔵尊 御供所の前に建立されている。1980(昭和55)年10月奉納。 水子地蔵尊 千手観世音菩薩 客殿前にある。 千手観世音菩薩 延命観世音菩薩 石造延命観世音菩薩前立尊。 延命観世音菩薩 大石垣 御供所下の石垣は1822(文政5)年、尾張(現在の愛知県)の知多半島の石工を招き構築したと伝えられる。 高さ13m、横幅約70m、御供所下以外の部分を含めると約200mに及ぶ。 大石垣 三笠 薬膳中華茶房三笠。「医食同源」「地産地消」「手作り」を基本理念とし、 地元の厳選食材をバランス良く調理した薬膳本格中国料理を提供する。 三笠 マダラ鬼神祭 日本二大鬼神祭とされ、京都・広隆寺と雨引観音のみで行われている。マダラ鬼神が馬で大石段をのぼり、 鬼を従えて踊り、破魔矢を放つなど見ごたえのある行事となっている。 マダラ鬼神祭については桜川市へ。 マダラ鬼神祭での鬼踊り 孔雀 境内では孔雀が放し飼いされている。1996(平成8)年頃、数羽放したのが最初。 その後増え、現在10数羽いる。 満開の桜の樹にとまる孔雀 桜 仁王門周辺や本堂前などに桜がある。河津桜や染井吉野などの桜が約3千本が植えられている。 3月から約1カ月間にわたって様々な桜が楽しめる。雨引観音の桜については 桜川市へ。 紫陽花 磴道の両側には10種3000株の紫陽花が植えられている。雨引観音の紫陽花については 桜川市へ。 藤 初夏には参道を登りきると藤が迎えてくれる。 藤 ライトアップ 桜や紫陽花の時期に境内のライトアップが実施される。 ライトアップされた仁王門 ライトアップされた多宝塔の前(左)、同じくライトアップされた紫陽花の水中花が施された池(右) 記念撮影 雨引観音の記念撮影場所は、多宝塔前に年間を通して記念看板が設けられているが、 桜の時期などには特別な臨時の場所が用意されることがある。また、スマートフォンなどの三脚も用意されている場所もある。 河津桜の時期に用意された臨時の撮影ポイント 御朱印 御朱印は3種類ある。坂東33観音霊場、関東霊場88カ所、東国花の寺の3つだが、 いずれも真ん中に「延命観世音」と書かれ、右上の印が「坂東二十四番」「関東八十八カ所特別霊場」 「東国花の寺百ヶ寺」と変わる。御朱印とだけお願いすると坂東33観音の御朱印になる。 オリジナル御朱印帳は、表紙側に多宝塔と本堂、裏表紙に諸堂図がデザインされている。 御朱印の授与は御供所へ。 坂東33観音の御朱印(左)、関東88ヵ所霊場の御朱印(中)、東国花の寺の御朱印(右) オリジナル御朱印帳の表紙(左)、裏表紙(右) アクセス 茨城県桜川市本木1。雨引観音の地図 【車】 北関東自動車道、桜川筑西インターチェンジから約10分。 【駐車場】 参拝者無料駐車場が複数ある。 雨引観音前駐車場の地図 黒門前駐車場の地図 雨引観音前駐車場からの参道入口 【公共交通機関】 JR水戸線岩瀬駅から地域コミュニティバス、ヤマザクラGO「筑波山口」行で 土日は雨引観音前駐車場にある雨引観音バス停下車すぐ、平日は麓の本木バス停下車徒歩約30分。 もしくは平日は岩瀬駅からタクシー。 雨引観音バス停の地図 本木バス停の地図 雨引観音前駐車場にある雨引観音バス停
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