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石岡市

 つくば市の北東隣に位置する。筑波山から北へ足尾山、加波山と連なる東側に街がある。イチゴやナシ、クリなど果樹栽培が盛んで、 筑波山から連なる直線の道路はフルーツラインと呼ばれる。2005(平成17)年10月1日、旧石岡市と旧八郷町が合併し誕生した。つくば市との隣接は旧八郷町。 人口76,020人(2015年国勢調査)、面積215.62平方km。
 旧石岡市には常陸の国府が置かれており、茨城で最も古い町を掲げる。奈良時代、聖武天皇の命令で建立された国分寺、国分尼寺が置かれており、その跡は国の特別史跡に指定されている。 国分寺跡と国分尼寺跡の両方が指定されているのは全国で唯一。 江戸時代は、水戸・徳川家から出た松平家の城下町として明治維新まで続いた。酒の醸造が盛んで関東の灘と呼ばれている。 江戸時代までは「常陸府中」(ひたちふちゅう)や「常府」(じょうふ)と呼ばれていた。 明治時代に版籍奉還の際に石岡と改名された。石岡の名称の由来は定かではないが、13世紀にあった石岡城からとの説が有力。 なお、茨城の地名発祥の地でもある。
 1889(明治22)年の町村制施行で、石岡町、高浜町、三村、関川村が成立。1953(昭和28)年11月16日、石岡町と高浜町が合併し石岡町となり、 翌1954(昭和29)年2月11日に市制施行し石岡市となった。同年12月1日に三村、関川村を合併している。 合併前の人口は52,568人(2000年国勢調査)、面積59.60平方km。
 旧八郷町は、1955(昭和30)年1月1日、柿岡町と園部村、瓦会村、林村、恋瀬村、葦穂村、小幡村、小桜村の8町村が合併して誕生した。 8つの町村なので八郷町となったという。四方を山に囲まれ、八郷盆地(柿岡盆地)と呼ばれる。合併前の人口は30,551人(2000年国勢調査)、面積153.78平方km。
加波山神社、文殊院加波山神社へ。
やさと温泉ゆりの郷筑波山の温泉へ。
安倍晴明伝説、朝日トンネル筑波山麓へ。
恋瀬川及び恋瀬川の支流と恋瀬川に架かる橋 は恋瀬川へ。
龍神山、富士山(柿岡富士、八郷富士)、鬼越山・石岡市筑波の山々へ。
鬼越峠筑波の峠・林道へ。
霞ヶ浦、霞ヶ浦湖岸道路水郷筑波国定公園へ。
つくば霞ヶ浦りんりんロード及び霞ヶ浦湖岸のサイクリングロードはつくばりんりんロードへ。
恋瀬川サイクリングコース茨城のサイクリングロードへ。
いばらきフラワーパーク
 2021(令和3)年4月29日、リニューアルオープンした。 これに合わせ名称も「茨城県フラワーパーク」から「いばらきフラワーパーク」に変更された。 花を愛で、自然を感じ、五感を取り戻す。「見る」から「感じる」フラワーパークへ――がコンセプト。
 四季折々の花が楽しめる。茨城県の花であるバラのテラスはじめ、アジサイ園、ボタン園、シャクヤク園などがある。 園内が一望できる展望塔やアスレチック、滑り台などの遊具も充実。
 園内の花を見て、買いたいという人のために展示販売も行われている。
 開園時間は午前9時から午後5時(12月から2月は午後4時)まで。毎週火曜及び年末年始(12月28日〜1月2日)休園。 入園料は通常期間大人900円、小人300円、ペット200円。バラシーズン(5月中旬〜6月下旬、10月〜11月中旬)は 大人1200円、小人400円、ペット200円。 年間パスポート有大人3600円、小人1200円、ペット500円。
 石岡市下青柳200。いばらきフラワーパークの地図
茨城県フラワーパーク 茨城県フラワーパーク展望塔
フラワーパーク(左)、展望塔(右)
茨城県フラワーパーク全景 茨城県フラワーパーク入場口
フラワーパーク入口からの全景(左)、入場口(右)
フラワーパークウインターイルミネーション
 いばらきフラワーパークで冬期に開催される茨城県内でも最大級の規模を誇るイルミネーション。毎年11月から翌年1月にかけて行われる(年によって若干前後する)。 約60万球のLED電球が使われている。幸福の鐘を鳴らして占うという人気コーナー「光のフォーチューン」はじめ、20分に1度音楽に合わせて光が点滅するショータイム 「光のカーニバル」などが見どころ。このほか光のトンネル「妖精の通り道」などがある。
 イルミネーション期間中の開園時間は午後4時30分から午後9時まで。イルミネーションは午後5時から点灯。 完全入れ替え制で昼間の時間から連続して入場していることはできない。 月曜及び年末年始休園。入園料は大人500円、小人250円。
フラワーパークイルミネーション
入り口側から見たフラワーパークイルミネーション
茨城県フラワーパーク奥から フラワーパークイルミネーション妖精
奥からフラワーパーク入口側を見る(左)、同じく約100m続く光のトンネル妖精の通り道(右)
フラワーパーク光のフォーチュン
人気コーナー光のフォーチュン
常陸國總社宮 ひたちのくにそうしゃぐう
 常陸国内の神社を分祀、統合した神社。鎮護常陸國の総鎮守として祀られている。 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、素盞鳴尊(すさのおのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、 大国主命(おおくにぬしのみこと)、大宮比売命(おおみやひめのみこと)、布瑠大神(ふるのおおかみ)の6柱を祀っている。
 古代、国司に着任した最初の仕事は国内の神社を巡回し参拝することだった。平安時代になると国府に総社を置き、巡回を省くようになった。 常陸國總社宮の創建年代は不詳だが、そのような経緯を考えると、平安時代には創建されていたと考えられる。 ただ、祀られている6柱と常陸国内の大きな神社の祭神と一致しない部分がある。
 本殿は神社では珍しく西を向いている。これは、京都の御所を向いていると伝えられている。2016(平成28)年10月9日、改修工事完成。 拝殿は、1985(昭和60)年に再建された。茅葺屋根で趣のある随神門、本殿脇には神楽殿がある。 このほか、境内には日本武尊腰掛石、樹齢500年という大楠のご神木、神井などがある。
 厄除け、縁結び、安産、交通安全などにご利益がある。 茨城十二社詣神社、詳細は茨城十二社詣へ。 御朱印及びオリジナル御朱印帳有。授与は守札授与所。 オリジナル御朱印帳の表紙は同神社の例大祭である「石岡のおまつり」の獅子が刺繍されており、人気がある。 また、1月及び9月限定授与(規定数売切れ次第販売終了)のジャングル大帝御朱印帳がある。 限定御朱印等、御朱印については御朱印・神社参照。
 なお、總社宮の北側にある石岡小学校が国衙跡。
 石岡市総社2−8−1。常陸國總社宮の地図
常陸國總社宮拝殿 常陸國總社宮御朱印
常陸國總社宮社殿(左)、御朱印(右)
常陸國總社宮本殿 常陸國總社宮神楽殿
常陸國總社宮本殿(左)、神楽殿(右)
常陸國總社宮随神門 常陸國總社宮日本武尊腰掛石
常陸國總社宮随神門(左)、日本武尊腰掛石(右)
常陸國總社宮御朱印帳表紙 常陸國總社宮御朱印帳裏表紙 常陸國總社宮ジャングル大帝御朱印帳表紙 常陸國總社宮ジャングル大帝御朱印帳裏表紙
常陸國總社宮オリジナル御朱印帳表紙(左)、同御朱印帳裏表紙(左中)、常陸國總社宮ジャングル大帝御朱印帳表紙(右中)、同御朱印帳裏表紙(右)
常陸國總社宮例大祭 ひたちのくにそうしゃぐうれいたいさい
 関東3大祭の一つ。周辺では「石岡のおまつり」として知られる。例祭(主に總社宮における神事)は毎年9月15日に開催、神幸祭・奉祝祭・還幸祭は敬老の日(9月の第3月曜日)を含む三連休に行われる。 以前は中日が敬老の日の祝日となる9月14日・15日・16日に行われていたが、ハッピーマンデー制度の施行により神幸祭〜還幸祭のみ実施日が変更された。
 起源は、8世紀ごろに武家の武運長久や五穀豊穣を祈願したのがお祭りに発展したと考えられ、現在のような祭りになったのは江戸の中期ごろからとされるが詳しくは分かっていない。 現在のような形態になったのは1902(明治35)年、年番町制度が確立されてからとされる。 年番町は、石岡旧町内の15町(当初16町、戦後1町内辞退)をいい、毎年交代で祭礼の中心的な役割を果たす。 また年番町には、御仮殿が設けられ、祭り期間中御神輿が鎮座し、氏子地域を清めるとされる。次の祭礼まで1年間、神社への奉仕に努める。
 祭りは、各町内から3日間にわたって獅子や山車がくりだし、その勇壮さで知られる。時に獅子舞の獅子頭は、通常の獅子舞で使われる倍以上の大きさで、重さは3〜4倍あるという大きさが特徴。 山車は、屋根の無い2層〜3層構造で、最上層には高さおよそ2mほどの山車人形がつけられている。また期間中には、奉納相撲や奉納神楽も執り行われる。
 一方、雨天や荒天による祭りの中止は原則無い。山車、幌獅子ともビニールシートで覆い、雨対策をした上で巡行する。 残念ながら山車は、雨天時に山車人形を取り外され、ビニールシートがかけられることが多い。
 2021(令和3)年10月20日、石岡市教育委員会は、祭礼行事全体を「常陸国総社宮祭礼の獅子・山車・ささら行事」として 石岡市無形民俗文化財に指定した。このほか同祭礼では、 神輿の露払いを務める富田町のささらは、茨城県指定無形民俗文化財。同じく露払いを務める土橋町の獅子頭は茨城県有形民俗文化財。 同じく露払いを務める仲之内町の獅子頭は石岡市指定有形民俗文化財。 中町の山車人形「日本武尊」と金丸町の山車及び山車人形「弁財天」は、石岡市指定有形民俗文化財。 また、お囃子「石岡ばやし」は、茨城県指定無形民俗文化財。
 詳細及び各町内の山車、幌獅子については石岡のおまつりへ。
神輿 富田町ささら
神幸祭での神輿(左)、富田町のささら(左)
土橋町獅子 仲之内町獅子
土橋町の獅子(左)、仲之内町の獅子(右)
金丸町山車 猿田彦大神
金丸町山車(左)、大神輿の供奉行列で猿田彦大神(右)
中町山車 若松町山車
中町山車(左)、若松町山車(右)
中町通り夜 香丸町山車雨
多くの人で賑わう中町通り(左)、雨天時仕様でビニールがかかった香丸町の山車(右)
例祭神事 講社祭巫女舞
例祭における社殿での神事(左)、神事での巫女舞(右)
常陸國總社宮追儺祭
 常陸國總社宮で2月3日に行われる。節分追儺祭。芸能人や大相撲の力士、ゆるキャラなども豆まきに参加する。
 午前10時から2時間おきに午後6時まで5回実施。神事に引き続き、巫女舞や獅子舞、居合の奉納がある。その後豆まきを実施。 このほか福引なども行われている。
常陸國總社宮豆まき
常陸國總社宮の豆まき
常陸國總社宮御田植祭
 石岡市根小屋の常陸國總社宮献穀田で毎年5月4日のみどりの日に行われている。10人の早乙女が田植えを行い豊作を祈願する。
 御田植祭は、午前10時、宮司、早乙女らが献穀田に参進。祝詞奏上、玉串奉奠などの神事を行った後、早乙女らが田に入り田植えの儀を行う。
 石岡市根小屋682付近。常陸國總社宮献穀田の地図
御田植祭 御田植祭列
献穀田での早乙女の田植え(左)、献穀田に参進する早乙女ら(左)
常陸國總社宮夏越大祓 なごしおおはらえ
 6月30日に常陸國總社宮で行われる。 大祓は病気や不幸の原因となる罪や穢を祓い清める行事で、6月の夏越、12月の年越があり、特に夏は「茅の輪くぐり」をして心身を清める。
 午後5時、境内に設けられた茅の輪前で神事。茅の輪くぐりが続いて行われ、神職がくぐった後、参列者が続く。
常陸國總社宮夏越大祓
夏越大祓で茅の輪をくぐる神職
常陸國總社宮寒中禊 かんちゅうみそぎ
 1年間の罪や穢れを清めて新しい年を迎えようというもので毎年12月29日に行われている。 参加者は褌姿(女性は禊装束)で総社宮の拝殿前で参拝、その後、禊場近くに移り、鳥船(とりふね)という舟をこぐような動きで準備を整えた後、 禊場に移動、「エイッ」という掛け声とともに水に入り、全員で「大祓詞」を唱えた。
 常陸國總社宮では1941(昭和16)年を最後に長く禊が途絶えていたが、「氏子青年ひたみち会」が発足し、 土砂に埋まっていた禊場を修復、湧き水をひいて復活させ、2013(平成25)年12月29日に72年ぶりに禊を行った。
常陸國總社宮寒中禊
常陸國總社宮寒中禊
總社宮園遊会
 菊祭り。11月上旬に開催される。 總社宮で72年間途絶えていた菊祭りを氏子青年ひたみち会によって2012(平成24)年ごろ復活させた。 菊の展示だけでなくさまざまなイベントが行われるのが特徴。
總社宮園遊会 總社宮園遊会菊
總社宮園遊会で展示されている菊(左)、同じく展示されている菊(右)
石岡祇園祭
 石岡市街地で7月の第1日曜日に行われる祭り。常陸國總社宮に合祀されている八坂神社の祭礼。 八坂神社は旧中町にあったが、1934(昭和9)年、總社宮に合祀された。 祭礼である祇園祭も長く途絶えていたが、2001(平成13)年、老朽化した神輿を修復するなどして復活させた。 總社宮で神事の後、午後2時宮出しとなる。
神輿渡御 神輿宮出し
石岡市内を渡御中の神輿(左)、総社宮を出る神輿(右)
いしおか雛巡り
 石岡市のJR石岡駅西口周辺の100の店舗や事業所が参加、店先などには「おかえりなさいいしおか」をコンセプトに伝統ある雛飾りやつるし飾りなどが展示される。 期間は2月中旬から3月3日まで。
 明治時代から大正、昭和、平成までの段飾り、平飾り、親王飾りなどが展示されている。また期間中はさまざまなイベントも行われる。
いしおか雛巡り藍 いしおか雛巡り総社宮
大正、昭和、平成の雛飾りが見られるまち蔵「藍」(左)、常陸国総社宮の神楽殿(右)
いしおか雛巡りまちかど情報センター いしおか雛巡り情報センター
まちかど情報センターの展示(左)、同じくまちかど情報センターの展示(右)
柿岡の雛まつり
 2月中旬から3月初旬にかけて石岡市中央公民館(柿岡地区公民館)を会場に開催される。 同公民館の講座で製作した雛飾りやつるし飾りが展示される。また、八郷地区の保育園や幼稚園の園児が製作した雛飾りも展示されている。
 石岡市柿岡。石岡市中央公民館の地図
柿岡の雛まつり 柿岡のこども雛まつり
柿岡の雛まつり(左)、こどもひなまつり(右)
常陸国分寺
 浄瑠璃山東方院国分寺。真言宗智山派。本尊は薬師如来。 752(天平勝宝4)年の建立。聖武天皇が、741(天平13)年に出された国分寺建立の詔によって建立された。 建立当時は、塔や金堂、講堂などを持つ大伽藍だったが、戦国時代に焼失、元禄時代に再建されたがそれも明治の大火で焼失した。 現在の国分寺は、それ以降に再建されたもので、規模がかなり縮小されている。 風情のある山門は旧千住院から移築したもの。現在の国分寺の入口には、「常陸国分寺址」の石柱が立つ。 春には桜の名所(下記参照)として知られる。
 また境内には、都々一坊扇歌堂がある。これは、江戸時代、寄席芸人として活躍し、都々逸節を完成させた都々一坊を記念して1933(昭和8)年に建立された。 都々一坊は、現在の常陸太田市の生まれだが、当時の政治や社会を批判したため、江戸追放となり、姉の嫁ぎ先であった府中香丸町(現在の石岡市)の旅籠に身を寄せており、そこで没した。
 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。
 石岡市府中5−1。常陸国分寺の地図
国分寺 国分寺御朱印
国分寺の薬師堂(左)、御朱印(右)
国分寺本堂 弘法大師堂
国分寺本堂(左)、弘法大師堂(右)
旧千住印山門 都々一坊扇歌堂
国分寺境内にある旧千住院山門(左)、都々一坊扇歌堂(右)
常陸国分寺跡
 国指定特別史跡。金光明四天王護国之寺。発掘調査で、七重塔や金堂、講堂、中門などが確認されている。境内に建立当時の礎石が残っている。 現在の国分寺の入口付近が中門、薬師堂の辺りが金堂、都々一坊扇歌堂の付近が講堂があった場所で、これらの建物が一直線に並んでいたことが分かる。 また七重塔の礎石は、現在の山門前にあるが、もとはかなり東にあったもの。 寺域は東西約270m南北約240mの規模で、全国の国分寺のなかでも規模の大きな方だったという。
 石岡市府中5−1。常陸国分寺跡の地図
常陸国分寺跡
現在の国分寺境内に残る常陸国分寺の講堂跡
常陸国分寺の桜
 開花時期の4月8日にはお釈迦様の誕生を祝う「花まつり」が行われている。
常陸国分寺桜
常陸国分寺の桜
常陸国分尼寺跡
 国指定特別史跡。国分尼寺は、同じく聖武天皇の詔によって国ごとに建立された寺院で、正式には法華滅罪之寺。 現在当時の面影を残すものはなく、寺跡は広場になっている。この周辺は尼寺ケ原と呼ばれている。 発掘調査で、南大門、中門、金堂、講堂が一直線に並ぶ伽藍配置などが確認されている。広場にはこれらの伽藍配置がわかるよう植樹されている。
 石岡市若松3−1。常陸国分尼寺跡の地図
常陸国分尼寺跡
国分尼寺の伽藍部分は史跡として残されいる
常陸国分尼寺跡の桜
 常陸国分尼寺跡の複数個所に桜がある。
常陸国分尼寺跡桜
常陸国分尼寺跡のほぼ中央にある桜
常陸国分尼寺跡桜南 常陸国分尼寺跡桜北
常陸国分尼寺跡の南側にある桜(左)、同じく北側にある桜(右)
常陸風土記の丘
 復元された古代家屋や市内で出土した土器などの考古資料を展示した歴史公園。台座からの高さ14m、幅10m、奥行10m、日本一の大きさの獅子頭が外観の展望台がある。 また桜をはじめ、四季折々の花が彩る。
 縄文時代住居や弥生時代住居などの古代人住居、奈良・平安時代、鎌倉時代の住居を復元した中世の民家、 そして江戸時代後期の長屋門、曲屋、近世の曲屋、直屋を復元している古代家屋復元広場、 そして、常磐自動車道建設に伴う発掘調査で発見された工房・住居跡、官衙跡(奈良時代から平安時代)などを復元した鹿の子史跡公園が、有料エリア。 それ以外のふれあい広場、獅子頭展望台、会津民家、時の門モニュメント、水際公園、ちびっこ広場、展望広場などの利用は無料。 展示研修施設では、市内の舟塚山古墳や国分寺跡、国分尼寺跡などで発掘された埋蔵文化財を展示している。 なお、無料駐車場からの入口には売店があり、オリジナルのお土産などが販売されているほか、江戸時代の曲屋を利用した食堂がある。
 開園時間は、午前9時から午後5時まで(11月から2月は午後4時まで)。休園日は、月曜日(祝休日の場合はその翌日)及び12月28日から1月2日まで。
 石岡市染谷1646。常陸風土記の丘の地図
獅子頭展望台 常陸風土記の丘
獅子頭展望台(左)と古代家屋復元広場方面を望む(右)
常陸風土記の丘の桜
 敷地内には、ソメイヨシノ、シダレザクラ、ボタンザクラの3種の桜が植えられており、4月上旬はソメイヨシノ、中旬はシダレザクラ、 下旬はボタンザクラとほぼ1ケ月間にわたって桜を楽しめ、その間は「さくらまつり」としてさまざまなイベントも行われる。
常陸風土記の丘枝垂桜
常陸風土記の丘の枝垂桜
つくばねオートキャンプ場
 筑波山東側の裾野に広がるキャンプ場。 約4万平方メートルの敷地にオートキャンプサイト20区画、ケビン4棟、デイキャンプサイト10区画、40〜50人が同時に利用できるバーベキュー棟、 シャワー施設などが完備されている。
 筑波山麓で唯一のオートキャンプ場。また、通年利用できるのも唯一。オートキャンプサイトには全てAC電源付。
 石岡市小幡2132−14。つくばねオートキャンプ場の地図
つくばねオートキャンプ場
筑波山のふもとにあるつくばねオートキャンプ場
東筑波ユートピア
 猿芸を中心としたレクリエーション施設。アスレチックコースやオートキャンプ場などもある。 また4WDコース、モトクロスバイクコースなどモータースポーツやパラグライダー(パラグライダースクール有り)なども楽しめる。
 石岡市吉生2730−3。東筑波ユートピアの地図
東筑波ユートピア
東筑波ユートピア入口
陣屋門
 陣屋門は、府中松平藩の陣屋唯一の遺構。高麗門形式の門。本柱の上に屋根がつき、本屋根と直角に控柱の小屋根がついている。
 府中松平藩は、1700(元禄13)年、初代水戸藩主徳川頼房公の5男、松平頼隆公(保内藩主・現在の大子町)が藩主となり立藩。2万石。 以降170年間、明治維新を迎えるまで続いた。松平家は水戸徳川家の分家であることから御連枝と呼ばれ、格式が高かったという。
 陣屋門は、1828(文政11)年2月、9代松平頼縄(よりつぐ)公の時、江戸小石川の藩邸を新築した際の余まった材料で建築された。 もとは、石岡小学校の校門として使われており、現在の石岡市民会館のところにあった。 1969(昭和44)年、石岡小学校の校庭内に移され、もとの場所には「石岡の陣屋門跡」の碑が建てられた。 2014(平成26)年11月30日、修復工事に伴い再び元の位置に再移転した。
 石岡市総社1−2−5。陣屋門の地図
陣屋門 陣屋門の碑
陣屋門(左)、陣屋門の碑(右)
石岡市民俗資料館
 商都として栄えた石岡の民俗資料と、石岡市内の奈良、平安時代の遺跡から出土した考古資料を展示している。
 開館日は金、土、日及び祝日。料金は無料。開館時間は午前9時〜午後4時30分。石岡小学校の敷地内にある。
 石岡市総社1−2−10。石岡市民俗資料館の地図
石岡市民俗資料館 石岡市民俗資料館展示室
石岡市民俗資料館外観(左)と展示室(右)
石岡市立中央図書館
 茨城県内で最も古い歴史を持つ図書館。1889(明治22)年、石岡書籍館として石岡尋常小学校内に創設した私立図書館が前身。 1923(大正12)年5月に当時の石岡町に移管され石岡町立図書館となった。 1954(昭和29)年2月、市制施行に伴い石岡市立図書館となった。1980(昭和55)年4月、現在の図書館が完成した。 2005(平成17)年10月、八郷町の合併に伴い石岡市立中央図書館に改称した。
 現在の図書館は敷地面積約1130平方m、鉄筋コンクリート3階建て、建築面積約660平方m、延床面積約1520平方m。 2017(平成29)年4月1日、中央図書館隣接地に「こども図書館本の森」が開館。 中央公民館(柿岡)、東地区公民館(東石岡)、城東地区公民館(三村)に図書館分室の図書室がある。
 開館時間は午前9時〜午後7時(土日祝日は午後5時)。月曜日休館(祝日の場合は翌日)。毎月最終木曜日、年末年始、特別整理期間休館。
 石岡市若宮1−6−31。石岡市立中央図書館の地図
石岡市立中央図書館
石岡市立中央図書館
常陸国府跡
 国指定史跡。常陸国衙跡。現在の石岡小学校のある場所が国衙の中心地区で行政官の官舎があった。 7世紀末から11世紀にかけての遺構。これまでの調査で、時代によって施設の変遷があるという。
 石岡小学校内になる石岡市民俗資料館の前に「常陸国府跡」の碑がある。
 石岡市総社1−2−10。常陸国府跡碑の地図
常陸国府跡碑
常陸国府跡碑
まちかど情報センター
 石岡駅前通りにある空き店舗を活用。中心市街地の活性化などを目的に開設されている。石岡市や周辺の観光情報、イベント情報などを提供。 内部は市民サロン、市民の会議室、市役所機能の窓口などがあり、音楽会や寄席、展示会なども行われている。
 開館時間は午前10時〜午後8時まで(短縮の場合あり)。木曜日及び年末年始(12月28日〜1月4日)休館。 
 石岡市国府3−1−16。まちかど情報センターの地図
まちかど情報センター
まちかど情報センター
歴史散策コース
 石岡の中心市街地にある史跡などを巡る散策コース。全長4kmの常陸大掾歴史コース、全長6kmの健康ウオーキングコースの2コース。いずれもJR石岡駅を起終点とする。
 正一位青木稲荷神社、二十三夜尊、青屋神社、常陸国衙跡、陣屋門、府中城跡、常陸国総社宮、愛宕神社、金刀比羅神社、清涼寺、北向観音堂、 常陸大掾氏墓所(平福寺)、鈴ノ宮稲荷神社を巡る。所要時間は約70分。
 健康ウオーキングコースは、隅宮福徳稲荷神社、常陸国分寺跡、イベント広場、十一面観音立像、若宮八幡神社、青屋神社、常陸国衙跡、陣屋門、府中城跡、常陸国総社宮、 愛宕神社、金刀比羅神社、清涼寺、北向観音堂、常陸大掾氏墓所(平福寺)、宇迦魂稲荷神社、鈴ノ宮稲荷神社を巡る。所要時間は約90分。
歴史散策コース案内板
歴史散策コース案内板
石岡駅
 JR東日本常磐線の駅。1895(明治28)年11月4日、常磐線の前身、日本鉄道土浦線の開通とともに開業。 2016(平成28)年3月30日、現在の橋上駅舎完成。 また、1924(大正13)年6月8日、鹿島参宮鉄道が開業、その後関東鉄道鉾田線を経て鹿島鉄道となったが、2007(平成19)年4月1日、廃線となった。
 石岡市国府1−1−17。石岡駅の地図
石岡駅舎 旧石岡駅舎
現在の石岡駅舎(左)、旧駅舎(右)
みんなのタロー
 みんなのタロー像。17年間にわたって駅で飼い主の女の子を待ち続けた「忠犬タロー」の銅像。 タローは、1964(昭和39)年、旧鹿島鉄道で石岡市内の幼稚園に通う飼い主の女の子とはぐれた。 石岡東小学校に迷い込み、ここで飼われることになったが、毎日朝夕、約2km離れた石岡駅まで通い飼い主を待ったという。 小学校の子供たちにも可愛がられよく遊んだが決まった時間になると石岡駅に向かった。それは1981(昭和56)年の死ぬ前日まで続いた。 その後マスコミに取り上げられたことでもとの飼い主がわかったが、生きているうちに再開はかなわなかった。 地元の有志らがこの物語を後世に伝えようと銅像の建立を計画し募金を募っていた。 像の製作は石岡市内に住む彫刻家の平田寿一さんでタローの両脇に児童を配し「みんなのタロー」と命名された。高さ約80cm、幅約170cm。 銅像は石岡駅西口前に設置され、2017(平成29)年4月15日、除幕式が行われた。
 石岡市国府1−1−17。みんなのタロー像の地図
みんなのタロー像
みんなのタロー像
石岡駅ステーションパーク
 石岡駅西口、バスターミナルの屋上にある公園。石岡のお祭りをテーマにしたからくり時計がシンボル。
 石岡市国府1−1−20。石岡駅ステーションパークの地図
石岡駅ステーションパーク
石岡駅ステーションパーク
高浜駅
 JR東日本常磐線の駅。石岡駅同様、1895(明治28)年11月4日、常磐線の前身、日本鉄道土浦線の開通とともに開業。
 石岡市北根本245。高浜駅の地図
高浜駅
高浜駅
いしおかイベント広場
 石岡市街地の中心部にある製糸工場跡地。軽トラ朝市、フリーマーケットなどが行われているほか、石岡のおまつりの際は駐車場として利用される。
 石岡市若宮3−1。いしおかイベント広場の地図
石岡イベント広場
いしおかイベント広場
柿岡のおまつり
 柿岡八坂神社の祭礼。柿岡祇園祭。7月下旬の土曜日、日曜日に開催される。八郷地区最大の祭り。 多くの文化財が登場する。両日とも柿岡八坂神社前の道路が歩行者天国となる。
 石岡市指定無形民俗文化財の「館獅子」、同じく石岡市指定無形民俗文化財の「荒宿のささら」が出るほか、山車の上では 茨城県指定無形民俗文化財の「片野排禍ばやし」などが披露される。また不定期だが、茨城県指定無形民俗文化財の「柿岡からくり人形」の山車もでる。 山車の上に太さ12cm角、長さ1.8m、の柱をたて、その上に横木を組んで」、そこで「ことわり人形」「はらんばい人形」そして「くらり人形」の3対の人形をぶら下げ操る。 クライマックスは、最終日に行われる6台の山車の競演。柿岡八坂神社については下記参照。
 柿岡のおまつりの各町内の山車など詳細については柿岡のおまつりへ。
柿岡祇園祭山車競演
柿岡祇園祭のクライマックスとなる6台の山車競演
柿岡八幡宮太々神楽 かきおかはちまんぐうだいだいかぐら
 柿岡八幡神社伝わる太々神楽。毎年旧暦の8月15日の夜と前日の夜、神社拝殿を兼ねる舞台で2日間に渡って行われる。 両日とも午後7時から午後11時過ぎまで4時間を超えて演じられる。地元では「じゃかもこじゃん」と呼ばれ親しまれている。 境内には露店が出るなど多くの人でにぎわう。
 起源は、戦国時代、柿岡城主・長倉義興が伊勢神宮に参拝した際、奉納24神楽のうち12神楽を持ち帰ったとされる。 400年を超える歴史がある。 1座・国堅(くにがため)の舞、2座・老翁(おきな)の舞、3座・天狐(てんこ)・種稼(たねかし)の舞、4座・龍神の舞、 5座・地法(ちのり)の舞、6座・神酒(みき)の舞、7座・西之宮大神(にしのみやおおかみ)の舞、8座・鈿女(うずめ)の舞、9座・岩戸の舞、 10座・戸隠(とがくし)の舞、11座・猿田彦、12座・山の神から成る。このほか神子舞として、幣(へい)の舞、榊の舞、扇の舞が奉納される。 柿岡八幡神社については下記参照。
 太々神楽の詳細は柿岡八幡宮太々神楽へ。
柿岡太々神楽岩戸
柿岡太々神楽岩戸の舞
柿岡太々神楽天狐・種稼 柿岡太々神楽地法
柿岡太々神楽天狐・種稼の舞(左)、同じく地法の舞(右)
染谷十二座神楽
 染谷の佐志能神社に伝わる里神楽。毎年4月19日の佐志能神社の例祭で佐志能神社拝殿で舞われ奉納されるほか、 毎年9月には石岡のおまつりで知られる常陸國總社宮例大祭の中日に、常陸國總社宮の神楽殿で行われる。
 神楽の由緒は文献資料がないため、正確にはわからないがおよそ350年ほど前から行われていたと考えられている。演目は、 1座・猿田彦の舞、2座・矢大臣の舞、3座・長刀つかいの舞、4座・剣の舞、5座・豆まきの舞、6座・狐の田うないの舞、 7座・種まきの舞、8座・巫女の舞、9座・鬼の餅まきの舞、10座・みきの舞、11座・えびすの舞、12座・天の岩戸の舞から成る。 染谷佐志能神社については下記参照。
 十二座神楽の詳細は染谷十二座神楽へ。
染谷十二座神楽狐の田うない
染谷十二座神楽狐の田うないの舞
染谷十二座神楽鬼の餅まき 染谷十二座神楽みき
染谷十二座神楽鬼の餅まきの舞(左)、同じくみきの舞(右)
七代天神社十二神楽
 根小屋の七代天神社に伝わる十二神楽。奏でられる音から「じゃかもこじゃん」として知られる。毎年11月3日の祭礼に行われる。石岡市指定無形民俗文化財。
 戦国時代、この地にあった片野城主、太田美濃守資正公が城の鎮守として久慈郡佐竹郷天神林の七代天神を迎え、十二座神楽を奉納したことが始まりという。 400年を超える歴史がある。この地の長男に伝えられたことから代々神楽とも呼ばれる。 1座・槍の舞(猿田彦命)、2座・長刀の舞(右大臣)、3座・剣の舞(左大臣)、4座・豆撒の舞(思金命)、 5座・神酒の舞(神2)、6座・田耕の舞(狐2)、7座・種蒔の舞(翁)、8座・鬼追出の舞(矢大臣)、9座・餅撒の舞(赤鬼、青鬼)、 10座・鯛釣の舞(恵比寿、おかめ)、11座・岩剥しの舞(手力男命、天鈿女命、天照大神)、12座・羯鼓の舞(巫女2)から成る。 また、神楽の前に巫女舞が行われる。
 祭礼では、正午からの巫女舞の後、休憩をはさんで神楽が始まる。現在は12座のうち半分の6座ほどが行われ、午後3時ごろには終わる。 最後は餅撒きが行われるのが恒例となっている。
 石岡市根小屋。七代天神社の地図
田耕の舞
田耕の舞の狐
槍の舞 岩剥しの舞
猿田彦命の槍の舞(左)、手力男命の岩剥しの舞(右)
餅撒の舞
餅撒の舞の赤鬼と青鬼
片野排禍ばやし
 片野の八幡神社に伝わる。16世紀末、当時の領主が八幡神社を建立、この時、禍を排すため奉納したことが起源とされる。 神社の例祭で奉納されるほか、地元の片野祇園祭、柿岡祇園祭(柿岡のおまつり)でも披露される。茨城県指定無形民俗文化財。
 お囃子の演目は4つで、最初が獅子舞。武家の威厳を示す品格ある踊りという。2番目はおかめで、戦国時代の女性の忍耐やおおらかさを表現しているとされる。 3番目はきつね踊り。リズミカルな速いテンポと力強い足さばきが特徴。最後はひょっとこで、おどけた面で、聴衆を盛り上げる。例祭では餅まきも行われる。
 石岡市片野。片野八幡神社の地図
獅子舞 きつね踊り
例祭で奉納される獅子舞(左)、同じくきつね踊り(右)
三村祇園祭
 三村須賀神社祇園祭。三村須賀神社祭礼。毎年7月の第3土、日曜日の2日間に渡って行われる。 2日間に渡って三村地区全体を神輿が渡御する。最大の見せ場は2日目夜の宮入り。神社入口の階段での攻防は、迫力がある。
 宮入りは午後9時ごろから始まる。若手が担ぐ神輿が宮入りしようとすると、先輩たちが階段の最上部で待ち受け「まだまだ還るのは早い」と押し返す。 以前は日付が変わってから宮入りということもあったようだが、現在はその日のうちには宮入りが行われるようになった。
 かつては「三村の大祇園」といわれ旧暦の6月26日に行われていた。また、各集落毎に出し物があるなど近郷随一の規模を誇ったという。
 石岡市三村。三村須賀神社の地図
三村祇園宮入
最終日神社への宮入り、階段で押し合う神輿の担ぎ手ら
三村祇園神輿水 三村祇園神輿
渡御の途中、かけられる水の下で神輿をもむ(左)、渡御する神輿(右)
JA新ひたち野農産物直売所大地のめぐみ
 地元産の野菜を中心に取り扱う。「つくり手の思いが見える食べものづくり」「食と農を繋ぐ情報発信の場」「笑顔で食卓を囲む幸せを応援」がコンセプト。 パン工房こむぎや、かぁちゃんかふぇを併設。
 営業時間は午前9時30分〜午後6時。第2、第4木曜日定休。年末年始休。
 石岡市南台3−21−14。JA新ひたち野直売所大地のめぐみの地図
JA新ひたち野農産物直売所石岡そだち
 トマト、きゅうり、なす、ほうれん草などの野菜はじめ、梨、栗、レンコン、赤ねぎ、そば粉、米、小菊、産直たまごなどを取り扱う。
 営業時間は午前9時〜午後6時。毎週月曜日定休。年末年始休。
 石岡市八軒台11−36。JA新ひたち野直売所石岡そだちの地図
JAやさと柿岡直売所
 地元産の野菜、果物はじめ、納豆、肉類などを取り扱う。 営業時間は午前9時〜午後7時(11月〜3月は午後6時まで)。年末年始のみ休業。
 石岡市柿岡3638−1。JAやさと柿岡直売所の地図
JA柿岡直売所
JA柿岡直売所
JAやさと園部農産物直売所里の四季
 地元産の野菜、果物はじめ、納豆、肉類などを取り扱う。2階は手打ちそば処「里のめぐみ」併設。 営業時間は午前8時から午後7時(4〜10月)、午前8時30分から午後6時30分(11月〜3月)。 そば処は午前11時〜午後3時。 定休日8月13、14日。
 石岡市宮ヶ崎472−2。JAやさと園部農産物直売所里の四季の地図
JA園部直売所
JAやさと園部農産物直売所里の四季
茨城乳業
 「自分たちの牛乳を直接消費者に」というコンセプトで誕生した乳業メーカー。 茨城玉川農協のミルクプラントとして創業。1992(平成4)年5月1日、茨城乳業として創立した。 現在は、老舗乳業メーカー、中沢フーズと事業協力を行い、同社傘下。 「いばらき3.6牛乳」などのブランドで知られる。
 工場見学が可能。1カ月前までに予約が必要。受け入れ人数は10人から50人。見学時間は約1時間から1時間30分。
 石岡市東田中1187−1。茨城乳業の地図
石岡酒造
 江戸時代から続く蔵元4社が1972(昭和47)年に合併して石岡酒造が誕生。茨城県内で最も大きな酒蔵のひとつ。 代表ブランドは「白鹿」。鹿島神宮の白鹿に由来し、江戸時代から使われている伝統の銘柄。 一方、高級酒の新ブランドとして、1985(昭和60)年に「筑波」、 1993(平成5)年に「酔鶴」、1997(平成9)年に「寿山」を発表した。
 酒蔵見学は可能。平日のみ。予約必要。人数制限有。
 2022(令和4)年6月17日付で、水戸地裁土浦支部から破産手続き開始決定を受けた。
 石岡市東大橋2972。
石岡酒造
石岡酒造
府中譽
 1854(安政元)年、初代山内権右衛門が創業。 代表ブランドは、常陸府中の名を冠し、会社名にもなっている「府中譽」。そして、幻の酒米といわれた渡舟を使った「渡舟」、そして季節限定酒「太平海」。
 酒蔵見学は可能。午前10時〜午後4時までの間で対応。1週間前までに予約必要。人数制限有(15人まで)。 
 石岡市国府5−9−32。府中譽の地図
府中譽
府中譽
白菊酒造
 広瀬家が創業。1805(文化2)年以前から酒造を行ってという。前身の広瀬商店は1935(昭和10)年の設立、 その後広瀬商店、広瀬倉庫などが共同で1961(昭和36)年に白菊酒造を設立した。 代表ブランドは、社名にもなっており、創業以来使用している「白菊」。そのほか「紅梅一輪」「霧の里」など。
 酒蔵見学は可能。平日のみ。予約必要。
 石岡市高浜880。白菊酒造の地図
白菊酒造
白菊酒造
まち蔵「藍」
 江戸時代末期に建てられた染物屋「丁子屋」(ちょうしや)の店舗を利用した石岡市の観光案内所。 木造2階建て。1929(昭和4)年の大火で焼け残った唯一の商家建築。 隣接地は無料の駐車場となっており、街の散策などに利用できる。
 石岡市国府3−5−6。藍の地図
藍
まち蔵「藍」
昭和レトロな街並み
 昭和初期の看板建築(一部商家建築)を残す街並み11棟が国の登録文化財に指定されいる。 石岡市内の看板建築は、1929(昭和4)年の大火で焼失し、翌年の1930(昭和5)年に建築されたものが多い。 当時、東京では関東大震災による復興で、多くの看板建築が造られた。石岡市内でも大火からの復興で看板建築が建てられた
 看板建築とは、典型的な例は、木造2階建ての店舗兼住宅、さらに屋根裏部屋を造り、建物前面は平坦(軒を出さない)。 外壁は、モルタルや銅板、装飾に凝っているものも多い。 建物前面の看板のような平面を利用し、自由なデザインが試みられたため、 当時、東京大学大学院生で、建築家としても知られる藤森照信工学院大教授(元東京大学生産工学研究所教授)によって看板建築と命名された。
中町通り街並み
中町通りの街並み
喫茶店四季
 1930(昭和5)年頃建てられた看板建築。貸店舗。木造2階建て。屋根に取り付けられた煙突風の装飾などが特徴。当初から貸店舗として建築されたという珍しい建物。
 石岡市国府3−3−24。喫茶店四季の地図
森戸文四郎商店
 1930(昭和5)年頃建てられた看板建築。飼料店(現在は生花店)。木造2階建て。柱のレリーフ、縦長の窓、褐色タイルなど全体にアールデコ調の外観が特徴。
 石岡市国府3−2−6。森戸文四郎商店の地図
喫茶店四季 森戸文四郎商店
喫茶店四季(左)、森戸文四郎商店(右)
きそば東京庵きそばとうきょうあん
 1932(昭和7)年頃建てられた和風食堂建築。蕎麦屋。木造2階建て。数奇屋風の外観が特徴。
 石岡市国府3−3−16。きそば東京庵の地図
すがや化粧品店すがやけしょうひんてん
 1930(昭和5)年頃建てられた看板建築。木造2階建て。雑貨店(現在は化粧品店)。 ギリシャ神殿風の柱飾りなど重厚な外観が特徴。
 石岡市国府3−5−1。すがや化粧品店の地図
きそば東京庵 すがや化粧品店
きそば東京庵(左)、すがや化粧品店(右)
栗山呉服店くりやまごふくてん
 1932(昭和7)年頃建てられた商家建築。呉服店。木造2階建て。2階正面にあるガラス戸の瀟洒(しょうしゃ)な組子は、 明治以降の日本建築近代化の特徴をよくあらわしているとされる。
 石岡市国府3−4−25。栗山呉服店の地図
十七屋履物店じゅうしちやはきものてん
 1930(昭和5)年頃建てられた看板建築。履物店。木造2階建て。1929(昭和4)年の大火後、この地区で最初に再建された建物。
 石岡市国府3−4−22。十七屋履物店の地図
栗山呉服店 十七屋履物店
栗山呉服店(左)、十七屋履物店(右)
久松商店ひさまつしょうてん
 1930(昭和5)年頃建てられた看板建築。化粧品店、雑貨店。木造2階建て。
 石岡市国府3−4−21。久松商店の地図
福島屋砂糖店ふくしまやさとうてん
 1931(昭和6)年頃建てられた商家建築。砂糖問屋。木造2階建て。土蔵造りの壁が、土壁漆喰塗りではなくコンクリートでできている。
 石岡市国府3−4−20。福島屋砂糖店の地図
久松商店 福島屋砂糖店
久松商店(左)、福島屋砂糖店(右)
丁子屋ちょうしや
 まち蔵「藍」として、観光案内所となっている。地図、写真等は上記参照。
府中譽ふちゅうほまれ
 主屋、長屋門、文庫蔵、仕込蔵、釜場、春屋(つきや)の7棟が指定されている。地図、写真等は上記参照。
平松理容店ひらまつりようてん
 1928(昭和3)年に建てられた看板建築。理容店。木造3階建て。1929(昭和4)年の大火を免れた建築当初の姿がよく保たれている。
 石岡市府中2−7−20。平松理容店の地図
平松理容店
平松理容店
西光院
 峰寺山。天台宗の寺。本堂は、断崖に柱を建てた懸造りが特徴で、関東の清水寺と呼ばれる。 平安時代、807(大同2)年、徳一大師の開山と伝えられる。 法相宗から鎌倉時代に真言宗となり、その後天台宗に改宗した。 本尊は馬頭観音、高さ3mの自然石という。 また、常陸七福神の毘沙門天が祀られている。
 本堂廻廊からの眺めはすばらしく、お寺自体がかなりの高所にあることもあり、回廊の端に立つと、手すりが低いせいもあり怖いくらい。 関東の清水寺の名に恥じない眺望がある。1777(安永6)年の火災で諸堂を焼失、現在の本堂は1791(寛政3)年の再建。 茨城県の文化財に指定されている。
 本堂手前にある堂には、高さ約6mの立木観音菩薩像(十一面観音像)が安置されている。 もともとはふもとの吉生村の立木山広照院長谷寺にあったもの。 桧材一木造りで平安時代末期の12世紀、約800年前に造られたものと見られ茨城県指定文化財。
 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。 常陸七福神については常陸七福神へ。
 石岡市吉生2734。西光院の地図
西光院本堂 西光院御朱印 西光院毘沙門天御朱印
西光院本堂(左)、本尊御朱印(中)、常陸七福神毘沙門天御朱印(右)
阿弥陀院あみだいん
 福力山阿弥陀院。真言宗智山派。本尊は阿弥陀如来。1490(延徳2)年、京都随心院門跡祐伝和尚の開山と伝えられる。 石岡市文化財に指定されている書籍「弥陀名号」(みだみょうごう)は、源平合戦、一の谷の戦いで平敦盛を討ち取ったことで知られる熊谷次郎直実が、 その後、敦盛の菩提を弔うため、法然房源空を師とし仏門に入り蓮生法師となった。 この書籍は、蓮生法師が法然から授けられたものという。その後、開山の祐伝和尚が所持していたものとされる。「授蓮生法師」「源空」の落款がある。 関東八十八ヵ所霊場第36番霊場。 2023(令和5)年9月、弘法大師誕生1250年を記念し恋瀬川霊場会発足、2番札所。8月には万灯祭が行われている。
 関東八十八ヵ所霊場の詳細は関東八十八ヵ所霊場へ。 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 石岡市半田1117。阿弥陀院の地図
阿弥陀院 阿弥陀院御朱印
阿弥陀院の山門と鐘楼(左)、関東八十八ヵ所霊場第36番霊場の御朱印(右)
阿弥陀院本堂 阿弥陀院客殿
阿弥陀院の境内と本堂。正面の階段の上にある建物が本堂(左)、現在は本堂の役割も兼ねるという客殿(右)
阿弥陀院の桜
 急な階段のところ本堂前に桜がある。
阿弥陀院桜
本堂前にある桜
薬王院
 廃寺となった十三塚地区の筑波四面薬師の薬師如来が移され、安置されている。 寺号標には「筑波四面薬師 薬王院」とある。
 同寺の釈迦涅槃図は、石岡市指定文化財。
 石岡市小幡。薬王院の地図
薬王院本堂
薬王院の本堂
薬王院山門 薬王院山号標
薬王院の山門(左)、薬王院の山号標(右)
金刀比羅神社ことひらじんじゃ
 常陸大掾ゆかりの神社。祭神は大物主神。「こんぴらさん」の愛称で親しまれている。 神社の歴史は古く、四国の金刀比羅宮を勧請する以前からあった。神社周辺は「森の地」と呼ばれ、森の神社、森木神社、守木神社などと呼ばれていたという。 また、森木寺や八大寺という寺院があった。その後、平安時代中期になると平氏が常陸大掾として勢力を拡大、国府に着任すると同時に森の神社の祭祀を継承したという。 「大森大明神」と尊称されていたという。
 しかし、1590(天正18)年、戦乱による兵火で神社は壊滅、常陸大掾による支配も終わった。 その後、平氏の後裔である別当の八大寺によって神社が復興された 江戸時代になると、平村(現在の石岡市中心部)の鎮守として当時の府中藩松平氏の崇敬も厚かった。 1827(文政10)年、讃岐国象頭山(香川県琴平山)の金毘羅大権現を勧請した。1906(明治39)年には、金刀比羅神社と香取神社が合併している。 社殿は、1929(昭和4)年、石岡の大火で焼失。1936(昭和11)年、再建。2000(平成12)年、不慮の火災で焼失。 現在の社殿は、2007(平成19)年9月再建されたもの。
 御朱印有。授与は神社社務所。御朱印については御朱印・神社参照。
 石岡市国府6−2−1。金刀比羅神社の地図
金刀比羅神社 金刀比羅神社御朱印
金刀比羅神社社殿(左)、御朱印(右)
佐志能神社染谷 さしのうじんじゃ
 龍神山の南側の峰、中腹にある神社。染谷と村上の佐志能神社1対で祀られている。 龍神山の龍神(雨の神)を祀るとされ、染谷の佐志能神社は雌龍(めたつ)。 創建された年代は不明。式内社。本殿脇にある屏風岩には、「風神の穴」があり、この穴に指を入れると、雷が鳴るまで抜けなくなるという。 4月19日の例祭では、「染谷12座神楽」が奉納される。400年の歴史があるとされ、12座全てが演じられる。 現在まで残っている数少ない里神楽として、石岡市の有形民俗文化財に指定されている。
 御朱印有。授与は常陸國總社宮社務所。御朱印については御朱印・神社参照。
 石岡市染谷1857−2。佐志能神社・染谷の地図
染谷佐志能神社 染谷佐志能神社御朱印
染谷佐志能神社拝殿(左)、御朱印(右)
佐志能神社村上 さしのうじんじゃ
 龍神山の北側の峰、中腹にある神社。もとは村上村の鎮守で、一つの神社だったが、江戸時代に分村したことで、現在は村上と染谷の佐志能神社1対で祀られている。 龍神山の龍神(雨の神)を祀るとされ、村上の佐志能神社は雄龍(おたつ)。 江戸時代、村上村が分割されることになり、もとの佐志能神社が新たに出来た染谷地区に入ってしまったことから、新たに分霊し、祀ったもの。
 御朱印有。授与は金刀比羅神社社務所。御朱印については御朱印・神社参照。
 石岡市村上494。佐志能神社・村上の地図
村上佐志能神社 村上佐志能神社御朱印
村上佐志能神社拝殿(左)、御朱印(右)
佐志能神社柿岡 さしのうじんじゃ
 佐志能神社という名前ながら、上記2つの神社とはまったく別の神社。別名白鳥明神で、旧八郷町柿岡の高友地区にある。 祭神は第11代崇神天皇第1皇子豊城入彦命。
 石岡市柿岡。佐志能神社・柿岡の地図
佐志能神社柿岡
うっそうとした森の中にある佐志能神社
真家みたま踊り
 800年の伝統を誇るという石岡市真家地区に伝わる念仏踊り。毎年8月15日に行われている。茨城県指定無形民俗文化財。 国選択無形民俗文化財(記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)。
 平安時代末期、福寿院に現在の奈良県の長谷寺から伝わったとされる。同院の僧が御詠歌と踊りを普及させたという。 かつては盆を中心に「御霊供養」として寺の庭に老若男女が集まり夜を徹して踊っていた。その後、菩提寺と新盆の家で行われるようになった。
 踊りは「くりこみ」と呼ばれる列を作って囃子方と踊り手が入場する。踊り手は浴衣、花笠、紅たすき、手っ甲、白足袋、草履の揃いの衣装。 花笠には「オゴマ」と呼ばれる顔を隠すひらひらしたものがつけられている。 扇子を持って踊る「七月の舞」に始まり、「二の谷の舞」「十六拍子の舞」が披露される。再び列を作って退場する。
 現在は午前8時、明円寺で行われ、その後新盆の家など真家地区を回って順次踊った後、最後に福寿院で踊り終了となる。
 石岡市真家1055。明円寺の地図
 石岡市真家273。福寿院の地図
みたま踊り
明円寺で披露されたみたま踊り
みたま踊りくりこみ みたま踊り終
明円寺の参道を列をつくって入場するくりこみ(左)、同じく終了時も列をつくって退場する(右)
佐久良東雄旧宅
 憂国勤皇の歌人として、多くの勤皇の志士に影響を与えた佐久良東雄の生家。幼少期をこの家で過ごした。母屋は桁行八間半、梁間四間半、茅葺の寄棟造り。 18世紀中期ごろの建築と見られている。正面の長屋門も同時期のものとされる。この地方の旧家の特徴をよくのこす貴重なものとされ、国の史跡に指定されている。
 石岡市浦須314−1。佐久良東雄旧宅の地図
佐久良東雄旧宅
佐久良東雄旧宅
佐久の大杉
 石岡市佐久にある鹿島神社の御神木。推定樹齢1300年。樹高28.6m、幹周り8.9m。茨城県指定天然記念物。
 神社が創建された応永年間(1394〜1428年)には、すでに1000年近い大杉として知られていた。 1997(平成9)年〜2000(平成12)年にかけて樹勢回復治療を行い、合わせて見学者用の歩廊などが整備された。
 石岡市佐久。佐久の大杉の地図
佐久の大杉
佐久の大杉
佐久の大杉根もと 佐久の大杉全景
佐久の大杉根もと付近、周囲には見学者用の歩廊がある(左)、佐久の大杉全景、手前に一部見えるのが鹿島神社の社殿屋根(右)
鹿島神社 佐久
 創建は応永年間(1394〜1428年)とされる。神社の背後にある御神木は「佐久の大杉」として知られる=上記参照=。
 石岡市佐久。鹿島神社・佐久の地図
鹿島神社佐久
佐久の鹿島神社社殿
七代天神社 根小屋
 創建は天正年間(1573〜92年)。佐竹郷から神霊を迎えた。七代天神社代々神楽は石岡市無形民俗文化財に指定されている=上記参照=。 また境内には、創建当時からあるという推定樹齢約400年の杉と欅がある。
 石岡市根小屋416。七代天神社の地図
七代天神社
七代天神社
瓦塚遺跡
 古代の瓦を製造した窯跡。 奈良時代の741(天平13)年、常陸国国府(現在の石岡市)に国分寺、国分尼寺を建立した際に、その屋根の瓦を造るため築窯されたと見られている。 1968(昭和43)年、隣接する山林の開墾中に7基の釜跡が発見された。 さらにその後の調査で、合わせて24基の窯跡が見つかっており、保存状態や規模などから日本有数の窯跡遺跡とされている。 窯の構造は粘土質の山の斜面をくり抜いてつくられた「地下式有段登窯(ちかしきゆうだんのぼりがま)」と判明した。 燃焼部と燃成部が区分されているのが特徴で、燃成部は5段になっているという。8世紀後半から10世紀ごろまで使われていたと見られる。
 石岡市部原604。瓦塚の地図
瓦塚 瓦塚
瓦塚の第3号窯跡(左)、同じく釜跡(右)
有明の松
 南北朝時代、難台山の攻防と言われる戦いがあった。その時難を逃れた婦女子が、ここから見た夜明けが素晴らしかったことから、有明の松と呼ばれるようになった。 1666(昭和41)年、茨城県の文化財に指定されたが1980(昭和55)年、松くい虫の被害によって伐採された。 その後、この松の種子から育った2代目の松が植えられたが、それも伐採され、現在は碑が残るのみ。
 1380年、南朝方の小山義政が難台山に陣を構え北朝方と戦い敗れた。 1387年、南朝方の小田藤親と義政の子、若犬丸が、難台山に陣を構え北朝方と戦い再び敗れた。 この時、難台山の婦女子が、夜を徹して山を降り、この松の下に集まって夜を明かした。この時の伝説という。
 石岡市中戸。有明の松の地図
有明の松
有明の松跡
龍神山森林公園
 龍神山の南麓にある森林公園。キャンプ場はじめ、雄池、雌池を中心に豊かな自然を生かした散策路がある。 園内1周周回路1.5km、散策路372m、雄池周遊歩道311m、雌池周遊歩道392m。
 石岡市染谷1617−4。龍神山森林公園の地図
雄池 散策道
雄池(左)、散策路(右)
龍神山キャンプ場
 龍神山森林公園内にある公園。
 予約が必要。使用期間は火曜日から日曜日。日帰りは午前9時〜午後4時まで。宿泊は正午から翌日正午まで。 月曜日及び年末年始(12月26日〜1月4日)は休場。
 石岡市染谷。龍神山キャンプ場の地図
キャンプサイト 管理棟
キャンプサイト(左)、管理棟(右)
ダチョウ王国
 日本一のダチョウの牧場。約9ヘクタールの敷地に約1000羽のダチョウが飼育されている。 ポニー、アルパカ、ワラビー、ウサギなどいろいろな動物と触れ合うことができる。 また、低カロリー高たんぱくの肉として注目を集めているダチョウ肉。園内ではダチョウ肉のステーキが食べらるバーベキュー施設などもある。
 石岡市半の木14052。ダチョウ王国の地図
船塚山古墳
 1921(大正10)年、国史跡指定。全長186mの前方後円墳。前方部の幅約100m、高さ約10m、 後円部は、直径約90m、高さ約11m、堀の幅約35m。 大きさは茨城県内最大で、東日本でも2番目の大きさを誇る。円筒埴輪などの出土品から5世紀前半の築造と考えられる考えられている。
 石岡市北根本597。船塚山古墳の地図
船塚山古墳
船塚山古墳。前方部から後円部をのぞむ
府中愛宕山古墳
 船塚山古墳の北東約300mにある前方後円墳。茨城県指定史跡。 全長約96.6m、後円部直径約57m、前方部幅約57m、後円部高さ約8、5m、前方部高さ約7、5m。 6世紀初めごろの築造とされる。
 石岡市北根本694。府中愛宕山古墳の地図
府中愛宕山古墳
府中愛宕山古墳。前方部から後円部をのぞむ
気象庁地磁気研究所
 石岡市柿岡にある地球の地磁気を観測する施設。第1回国際極年観測(1882年 -1883年)を契機にして1883(明治16)年に東京・赤坂に開設された。 東京での鉄道電化に伴い、観測結果に影響が出るため1913(大正2)年に現地に移転した。
 メインの観測施設は「KASMMER」。地磁気の素早い変化を高い精度で観測できるシステムで世界的にも高い評価を得ている。 原理は地磁気の変動を連続して観測する4台の磁力計と地場の方向と強度を測る装置を組み合わせ、これらのデータをコンピューターで解析処理する。
 施設内は、大正期の建築物が多く残る。本館(第一庁舎)は、1925(大正14)年完成。 シンメトリーのドイツ風建物で、正面玄関から筑波山が真正面に見えるように設計されている。 このほか、1912(大正元)年完成の石室(第一変化計室)、1924(大正13)年完成のレンガ造り実験室など、趣のある建物が多い。
 同施設のため、茨城県内を走る常磐線と水戸線の電化が遅れたと指摘されている。現在は、観測に影響のない交流電車(都内などは直流電車)で電化されている。 常磐線は交直両用電車で運行され、取手駅と藤代駅間で直流、交流が切り替えられ(以前は切り替え場所で電車内の照明が消えた。現在は消えない車両が多い)ている。 つくばエクスプレスも同様に守谷駅以北を走る電車に限ってに交直両用電車で、守谷以南は直流、以北は交流で運行されている。
 施設の見学も可能。月曜日〜金曜日(祝日及び年末年始を除く)の午前8時30分〜正午、午後1時〜午後5時までの間で対応。 申し込みが必要で、見学申請書を提出。なお、毎年4月の科学技術週間には施設の一般公開が行われている。
 石岡市柿岡595。気象庁地磁気研究所の地図
地磁気研究所
地磁気研究所入口
石岡の一里塚
 旧水戸街道の元杉並木入口にある。道路両側に高さ約3mの築山が築かれ、上に榎が植えられていた。 茨城県内で道の両側に一里塚が残っているのはここだけ。茨城県指定文化財。 現在も東側の一里塚の榎は樹勢もよく立派な姿を見せている。西側の一里塚にあった榎は2002(平成14)年7月の台風で倒木した。 倒れた榎は樹齢約400年、高さ20m、幹周り約4.2m。2008(平成20)年、一里塚内に生えていた幼木を2代目榎として植えた。
 石岡市泉町2108、12805。石岡の一里塚の地図
石岡の一里塚
石岡の一里塚
石岡の一里塚の桜
 石岡の一里塚脇にある桜。道路の両側にある。
石岡の一里塚桜
石岡の一里塚の桜
柏原池公園
 その名の通り柏原池(かしわばらいけ)を中心とした公園。柏原池は山王川へと流れ出る。古くからの桜の名所として知られている。 芝生広場や散歩コースなどが整備されている。公園内には、東京・新島から贈られたモヤイ像がある。
 石岡市鹿の子3−4。柏原池公園の地図
柏原池公園
柏原池公園
柏原池公園の桜
 柏原池公園の広場や散歩コース周辺に多くの桜がある。
 石岡市鹿の子3−4。柏原池公園の桜の地図
柏原池公園の桜
柏原池公園の桜
国府公園
 石岡中心市街地のシンボル的な公園。豪華な噴水が特徴。広場やアスレチック遊具などもある。 周囲に1周340mのジョギングロードがある。3周で約1kmとなる。
 石岡市国府6−573−3。国府公園の地図
国府公園
国府公園
国府公園広場 国府公園ジョギングロード
国府公園広場(左)、ジョギングロード(右) 
神生家の殿桜
 樹齢約750年という桜の巨樹。
神生家の殿桜
神生家の殿桜
照岩寺の枝垂桜
 本堂脇に大きな枝垂桜がある。
 石岡市鯨岡208−1。照岩寺の地図
照岩寺枝垂桜
照岩寺の枝垂桜
柏原工業団地の銀杏並木
 柏原工業団地内の道路は多くが銀杏並木になっている。
 石岡市鹿の子。柏原工業団地の銀杏並木の地図
柏原工業団地銀杏並木
柏原工業団地の銀杏並木
高浜神社
 祭神は武甕槌命。配祀は月読命、菅原道真。 高浜の地は、常陸国国府の外港として栄えた。国府に赴任した国司は、領内の神社(大社)に奉幣祈願するのが習わしだった。 鹿島神宮には、この高浜から船でいくのが順路だったが、悪天候などで船が出せない時があった。 その時、浜にススキやマコモなどの青草で御仮屋(青屋)をつくり遥拝したのが神社の始まりとされる。 社殿はのちにこの青屋があったとされる場所に建立されたもの。 現在の本殿、拝殿は、いずれも茅葺屋根の重厚な造りとなっている。本殿と拝殿は石岡市指定文化財。
 石岡市高浜865。高浜神社の地図
高浜神社拝殿 高浜神社本殿
高浜神社拝殿(左)、本殿(右) 
高浜神社青屋祭
 青屋祭は、もともと府中総社の宮祭の一つとされ、霞ヶ浦の航海の安全と水産物の豊穣を祈願するために行われたものという。
 7月の連続した最終土曜日及び日曜日に行われる。山車が1台、幌獅子が2台出る。
高浜神社青屋祭山車
高浜神社の青屋祭で巡行する山車
若宮八幡宮わかみやはちまんぐう
 728(神亀5)年の建立とされる。1082(永保2)年、八幡太郎源義家が奥州征伐の際、かぶら矢を奉納して戦勝を祈願したと伝えられる。 また、1395(応永2)年には太田道灌が参拝したという。
 社殿は1590(天正18)年、佐竹義宣の府中攻略の際、焼失。1602(慶長2)年、再建された。 その後、1627(安永4)年、1665(寛文5)年に改築。現在の社殿は元文年間(1736〜1740年)の再建による。 石岡市指定文化財。 桁行3間、梁間3間、正面が入母屋造、背面が寄棟造。また神門は、四脚門形式で、風神、雷神を祀っている。
 石岡市若宮2−1−3。若宮八幡宮の地図
若宮八幡宮 若宮八幡宮
若宮八幡宮社殿(左)、神門(右)
青屋神社
 祭神は天照大神、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命、武甕槌命。安産に御利益があるという。
 石岡市総社1−4。青屋神社の地図
青屋神社
青屋神社
鈴ノ宮稲荷神社
 府中七稲荷。天狗党ゆかりの神社。筑波義挙発祥の地とされる。1864(元治元)年3月27日、藤田小四郎ら天狗党63人がこの神社に終結し、筑波山に向けて出立したという。 なお、この神社の脇に新地八軒と呼ばれる遊郭があった(現在は駐車場)。藤田らはそこを定宿としていたという。
 石岡市国府2。鈴ノ宮稲荷神社の地図
鈴ノ宮稲荷神社
鈴ノ宮稲荷神社
青木稲荷神社
 祭神は倉稲魂命。府中七稲荷。平国香が「国家鎮護、武運長久」のために、屋敷の中に勧請したと伝えられている。 もと宝沢院という寺院内にあったが、廃寺後、神社だけが残った。
 石岡市府中2−2。青木稲荷神社の地図
青木稲荷神社
青木稲荷神社
隅之宮福徳稲荷神社 すみのみやふくとくいなりじんじゃ
 祭神は稲倉魂命(うかのみたまのみこと)と天之御中主命(あめのみなかぬしのみこと)の2柱を祀る。府中七稲荷。 769(神護景雲3)年、常陸大掾氏が府中城を築く時、鬼門守護として京都・伏見稲荷神社の分霊を勧請し創建した。 1870(明治3)年の大火で社殿焼失。石岡のおまつりで獅子舞を奉納する仲之内町にあり、獅子頭もこの火災で焼けてしまった。 その後再興されたが、仲之内町の獅子頭は焼け残った御神木で作られたという言い伝えが残る。
 石岡市府中1−10。隅之宮福徳稲荷神社の地図
隅之宮福徳稲荷神社 隅之宮福徳稲荷神社鳥居
隅之宮福徳稲荷神社の社殿(左)、同じく鳥居(右)
天之宮稲荷神社
 祭神は倉稲魂命。府中七稲荷。
 石岡市国府6−3。天之宮稲荷神社の地図
天之宮稲荷神社
天之宮稲荷神社
宇迦魂稲荷神社
 祭神は宇迦魂命。創建は不詳。府中七稲荷。
 石岡市国府6−1。宇迦魂稲荷神社の地図
宇迦魂稲荷神社
宇迦魂稲荷神社
平福寺
 春林山平福寺。常陸大掾を務めた平国香が建立。常陸大掾氏の菩提寺となる。 境内にある「常陸大掾氏墓所」は、石岡市指定文化財。平国香の墓と伝えられる五輪塔はじめ、14基の五輪塔がある。 本堂前には高さ3.2mの「常陸大掾氏碑」がある。
 石岡市国府5−9−3。平福寺の地図
平福寺
平福寺本堂
照光寺
 雷電山西向院照光寺。浄土宗。本尊は阿弥陀如来。常陸府中松平氏の墓所がある。
 1374(応安7)年、常陸大掾高幹(たかもと)が開基、良善上人を開山として現在の鹿の子の地に創建。その後、大掾氏は佐竹氏に滅ぼされ、その時の兵火で焼失。 佐竹氏は、称往上人を招き、現在地に移して再興した。
 常陸府中松平氏の墓所は、東京・小石川の宗慶寺にあったが1926(大正15)年、照光寺に移された。 茨城百八地蔵尊霊場第90番札所(元禄の延命地蔵尊)。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
 石岡市府中2−4−9。照光寺の地図
照光寺本堂 照光寺山門
照光寺本堂(左)、山門(右)
東耀寺
 高照山養願院東耀寺。天台宗の寺。721(養老5)年の創建とされる。 980(天元3)年の頃、法相宗で広大寺と称していたという。のち真言宗。 1640(寛永17)年、天台宗に改められた。 新撰組九番隊隊長、鈴木三樹三郎の墓がある。
 石岡市若宮1−1−13。東耀寺の地図
東耀寺本堂 東耀寺山門
東耀寺本堂(左)、山門(右)
清涼寺
 興国山清涼寺。曹洞宗の寺。本尊は虚空蔵菩薩。1330(元徳2)年、常陸大掾高幹(たかもと)が開基、興国尼が開山。 国分尼寺に真言宗の寺、興国山春林院清涼寺として創建。 1501(文亀元)年、真言宗から曹洞宗の改宗した。いたずらする狸が登場する「清涼寺の古狢(むじな)」の話が伝わっている。
 漫画家・手塚治虫氏の祖先で、同氏のまんが「陽だまりの樹」にも出てくる常陸府中藩医・手塚良仙(2代目)の妹の子である同じく藩医・手塚良運の墓がある。 陽だまりの樹は、舞台やアニメ、ドラマ化されている。 茨城百八地蔵尊霊場第89番札所(水子子育地蔵尊)。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
 石岡市国府6−2−3。清涼寺の地図
清涼寺
清涼寺
鳴滝
 石岡市の北部、瓦谷地区の山中にある。水量はそれほど多くないが落差約20m、長さ約50m。
 岩肌を伝わって流れ落ちる水の音が素晴らしく、特に大雨の後は大きな音がすることからこの名がついた。滝の上には不動尊「鳴瀧不動明王」が奉られている。 筑波山周辺では最も大規模な滝。水口川の源流。茨城の自然100選及び石岡市の文化財、名勝に指定されている。馬滝、赤滝とともに石岡3滝とされる。
 石岡市瓦谷。鳴滝の地図
鳴滝 鳴滝不動尊
鳴滝(左)、鳴滝不動尊(右)
馬滝
 石岡市と小美玉市との境界を流れる園部川の源流とされる。「真家の馬滝」と言われ、石岡市の北部、真家地区の山中にある。
 五段の滝で、最上部が 馬の尾に似ていることから、この名がついたという。 鳴滝、赤滝とともに石岡3滝とされる。
 大澤山明圓寺の脇を抜けて、車一台がやっと通れる山道に入る。馬滝の前に車数台が止められるスペースがある。
 石岡市真家。馬滝の地図
馬滝
馬滝
赤滝
 石岡市西南部、風返峠へ向う、小幡地区十三塚の山中にある。雨の後など、土砂が混じって赤褐色の滝になることから、 赤滝と名付けられたとされる。 風返峠を挟んで、つくば市側にある白滝とともに、筑波の紅白滝ともいわれる。落差約15m。茨城県道42号笠間つくば線沿いにある。 県道からの入り口には桜元地蔵が祀られている。 鳴滝、馬滝とともに石岡3滝とされる。
 石岡市小幡。赤滝の地図
赤滝 桜元地蔵
赤滝(左)、桜元地蔵(右)
赤滝入口 赤滝看板
茨城県道42号笠間つくば線の赤滝入口(左)、右手に桜元地蔵を見て突き当たりを右へ(右)
赤滝分岐 赤滝けもの道
すぐに真っ直ぐと左への分岐があるのでここを左(左)、すぐに右側にけもの道があるのでここを下ると正面にある(右)
球状花崗岩
 花崗岩に黒雲母と微量の石英、燐灰石などを含む玉子状の硬い粒が散在している。このため小判石とも呼ばれる。 1937(昭和12)年2月5日、茨城県天然記念物に指定。
 石岡市。球状花崗岩の地図
球状花崗岩 球状花崗岩入口
球状花崗岩(左)、道路脇入口(右)
足尾神社あしおじんじゃ
 足尾山山頂にある神社。祭神は国常立尊、面足尊、惶根尊。山頂近くに拝殿、山頂に本殿がある。また、石岡市側の山麓に里宮がある。 920(延喜20)年ごろ、醍醐天皇が足病消除祈願をしたところ、たちまち全快されたことから「日本最初足尾神社」の勅額を賜ったという。 その後、野火によって焼失したが、1464(寛正5)年、再び勅額と菊の紋入り喇(うがい)石を授かっている。 以降、足の病を治す神様として信仰され、信者が草履やわらじを奉納する風習が生まれたという。また最近では、アスリートをはじめスポーツ選手の参拝も多いという。 境内には奉納された多くの履物やギブスなどが山積みとなっている。なお、お札は「足形の御影」を版木によって写しており、「足形のお札」として知られている。 また、筑波山や加波山と並んで古来より山岳信仰の対象となっており、山中には多くの霊場もある。足尾山のふもと、石岡市小屋には里宮がある。 登山道は、石岡市側は、上曽や小屋から、桜川市側からは白井からが古くから知られている。
 北筑波稜線林道沿いに足尾神社入口がある。かつては鳥居があったが東日本大震災の影響で倒壊。その後車道が拝殿前まで整備された。 また、拝殿も倒木の影響で倒壊していたが、近年再建された。 その拝殿脇の左側から山頂に続く石段がある。かなり急で狭い。さらに段数も相当ある。これを上りきると山頂の本殿。周囲は樹木も少なく、見晴らしもいい。
 石岡市上曽の上曽宿には一の鳥居がある。鳥居のたもとには「あしを道」の道標は石岡市指定文化財=下記参照。
 御朱印有。御朱印については御朱印・神社参照。
 石岡市小屋1。足尾神社本殿の地図
 石岡市小屋。足尾神社拝殿の地図
 石岡市小屋387。足尾神社里宮の地図
足尾神社本殿 足尾神社御朱印
足尾山山頂にある本殿(左)、御朱印(右)
足尾神社拝殿 足尾神社入口鳥居
足尾神社拝殿。山頂へは、この左側から登っていく(左)、足尾神社旧本殿(右)
足尾神社草鞋奉納所 足尾神社入口鳥居
足尾神社拝殿前にある草鞋奉納所(左)、北筑波稜線林道沿いにある足尾神社入口(右)
足尾神社里宮 足尾神社一の鳥居
足尾神社の里宮(左)、上曽宿にある一の鳥居(右)
あしを道道標
 足尾神社一の鳥居のたもとにある。石製で「あしを道」「西まかべ道」と書かれてる。 高さ約150cmほどある。 裏面には「享和甲子歳三月」と刻まれており、1804(享和4)年3月の建立とわかる。石岡市指定文化財。
 石岡市上曽。足尾神社一の鳥居の地図
あしを道道標
あしを道道標
子授け地蔵 こさずけじぞう
 子授けにご利益があるスポットとして有名。婆が峯、爺が峯伝説が、筑波山の東側、石岡市の旧八郷町小幡の十三塚に残る。 昔、この場所を通った婆さんと爺さんが追い剥ぎにあい、必死に逃げたが殺されてしまった。そこで村人が石仏を作り、春と秋の彼岸に供養法要を営んだ。 そしてこの石仏を抱くと子宝に恵まれるという言い伝えが残っている。このため抱き石とも呼ばれる。筑波パープルライン沿い、風返し峠近く。
 石岡市小幡。子授け地蔵の地図
子授け地蔵
筑波山を望む子授け地蔵
子授け地蔵祠 子授け地蔵全景
子授け地蔵の祠(左)、同じく全景(右)
朝日里山学校
 里山文化を活かした交流・体験型観光施設。2004(平成16)年3月に閉校した旧朝日小学校を活用した。 旧朝日小学校は、旧八郷町で唯一の木造平屋建ての校舎で、地元の人たちに親しまれていた。そこで、この建物をできる限りの残すとともに、地元の里山文化を伝える施設とした。 2008(平成20)年11月24日オープンした。 農業体験、ピザづくり体験、ジャムづくり体験、そば打ち体験、餅つき体験、かまど炊き体験、陶芸体験などが出来る。月曜日休校。
 石岡市柴内630。朝日里山学校の地図
朝日里山学校
朝日里山学校
朝日里山学校の桜
 旧朝日小学校時代に植えられた桜がある。
朝日里山学校桜
校庭南側にある桜
朝日里山学校入口桜 朝日里山学校西桜
入口付近にある桜(左)、校舎西側にある桜(右)
万葉の森
 ライオンズ広場。八郷ライオンズクラブ創立25周年記念事業で造られた。 万葉集に詠まれている植物を集めた公園。湯袋観光道路沿いにある。
 石岡市小幡。万葉の森の地図
万葉の森入口 万葉の森
万葉の森入口の碑(左)、眺望もある万葉の森(右)
吉祥院
 摩尼山吉祥院廣厳寺。真言宗豊山派。本尊は延命地蔵尊。 1124(天治元)年、弘法大師14世法孫宥祥阿闍梨によって現在の石岡市真家で創建。 その後火災などもあり1598(慶長3)年、宥清の代に現在地で再建される。 江戸時代には談林として栄え、門末21ケ寺を有した。 本尊の延命地蔵尊は、御丈2尺5寸で興教大師の作と伝わる。 本堂は1743(寛保3)年の建立。間口10間、奥行き8間半の木造瓦葺き。 茨城百八地蔵尊霊場第91番札所(子安地蔵尊)。霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。
 御朱印有。御朱印については御朱印・寺院も参照。
 石岡市山崎608。吉祥院の地図
吉祥院 吉祥院御朱印
風格ある吉祥院本堂(左)、御朱印(右)
吉祥院の桜
 本堂前と本堂向かって右手にある。夜にはライトアップも行われている。
吉祥院桜
本堂前の桜
吉祥院桜夜
ライトアップされた吉祥院の桜
華園寺
 常栄山華園寺。時宗の寺。1281(弘安4)年、創建とされる。
 本堂前にえび子安地蔵尊がある。真教上人が常陸を訪れた際、この堂を念仏道場とし、華園寺の寺号を与えたとされる。安産に御利益があるとして広く信仰されている。
 石岡市国府2−5−20。華園寺の地図
華園寺 えび子安地蔵尊
華園寺本堂(左)、えび子安地蔵尊(右)
常光院
 来迎山常光院極楽寺。天台宗の寺。本尊は阿弥陀如来。平安時代中期、後朱雀天皇(1036〜45年)の代に府中城の外城に大学清治が創建。 万能の発明者、鈴木万能の墓がある。
 石岡市国府5−2−11。常光院の地図
常光院
常光院
如来寺
 帰命山無量寿院如来寺。親鸞聖人二十四輩第4番。浄土真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来。 1215(建保3)年、乗然房領海が聖人の形見として聖徳太子像を賜り、霞ヶ浦湖畔に草庵を建てたのが始まりとされる。 1498(明応7)年、現在地に移る。 領海が賜った太子像は「聖徳太子浮足の像」と呼ばれる。高さ63cm、木彫の立像。太子像の足が台座から半紙1枚が通るぐらい浮いていることからこうよばれる。
 石岡市柿岡2741。如来寺の地図
如来寺本堂
如来寺本堂
如来寺山門 如来寺楼門
如来寺の山門(左)と楼門(右)
明圓寺
 大澤山常陽院明圓寺。親鸞聖人二十四輩第19番。浄土真宗本願寺派。開基の明法房は、もと山伏弁円。 弁円は、最初は親鸞聖人を快く思っておらず、なき者にしようと企てていたが果たせず、その後、教えを受けて弟子になった。 上宮寺(那珂市)を預かっていたが、隠居し、1240(仁治元)年、同地に寺を開いた。明法の明と弁円の円をとって明圓寺とした。 1786(天明6)年には山津波に遭い、本堂などが約800m下の畑まで流されている。
 石岡市真家1055。明圓寺の地図
明圓寺本堂 明圓寺参道
明圓寺本堂(左)、参道(右)
常林寺
 浄土宗の寺。もと自道院と称したが、永禄年間に常林寺と改めた。 寛政年間に七堂伽藍を整備したが、明治年間に2度に渡る火災で焼失するも、再建された。
 石岡市柿岡1951。常林寺の地図
常林寺
常林寺本堂
善慶寺
 国豊山善慶寺。曹洞宗の寺。1336(延元元)年、佐竹氏の一族、長倉義春によって長倉(現在の常陸大宮市長倉)で創建される。 1595(文禄4)年、長倉氏が柿岡城主に任じられたことから、寺も同地に移った。
 石岡市柿岡2136。善慶寺の地図
善慶寺
善慶寺本堂
観音寺
 村上山金剛院観音寺。真言宗智山派。本尊は十一面観世音菩薩。南北朝時代の1335(建武2)年の創建。 本堂は2022(令和4)年11月の落慶。本堂内の欄間は、江戸時代に建てられた旧本堂にあったものを修復した。 1714(正徳4)年に無関堂円鉄(島村円鉄)によるもので、円鉄は当時、 雨引山楽法寺や椎尾山薬王院(いずれも現在の桜川市)の彫刻も手掛けている。 修復により色鮮やかな当時の姿がよみがえっている。また、江戸時代に寄進された駕籠も新品同様に修復され本堂内におさめられている。 境内西側にある手接堂(てつぎどう)は、金剛手菩薩(普賢菩薩)、不動明王、十一面観音坐像を祀り、 手に関して御利益があるといい「てつぎさま」として信仰を集める。 2023(令和5)年9月、弘法大師誕生1250年を記念し恋瀬川霊場会発足、3番札所。 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 石岡市下林1。観音寺の地図
観音寺 観音寺御朱印
観音寺本堂(左)、御朱印(右)
観音寺手接堂 観音寺鐘楼
観音寺の手接堂(左)、同じく鐘楼(右)
雲照寺
 常明山寶聚院雲照寺。真言宗豊山派の寺。本尊は不動明王。1470(文明2)年、葦穂村に建立された。開山は慶阿闍梨。 その後兵火で焼失するも、片野城主、太田三楽が再建。柿岡城主、長倉遠江守が修理したが、慶長年間に廃寺となった。 1616年(元和2)年、宥岳上人が現在地に再興した。
 石岡市瓦谷。雲照寺の地図
雲照寺本堂 雲照寺山門
雲照寺本堂(左)、山門(右)
八坂神社 柿岡
 柿岡八坂神社。享禄年間(1528〜31年)、小田氏一族に代わって柿岡城主となった佐竹氏一族の長倉義興が、那珂郡長倉村から神霊を勧請し、創建した。 祭神は素戔鳴命。柿岡地区の中心部に位置する。柿岡の祇園祭は、旧八郷町地区最大の祭り(上記参照)。
 石岡市柿岡1972。八坂神社・柿岡の地図
八坂神社・柿岡
八坂神社社殿
八幡神社 柿岡
 柿岡八幡神社。柿岡八幡宮。同神社に伝わる「柿岡八幡宮太々神楽」は毎年旧暦8月15日の夜とその前日の夜、2日間に渡って行われる(上記参照)。
 石岡市柿岡1857。八幡神社・柿岡の地図
八幡神社柿岡
八幡神社社殿
柿岡八幡神社の桜
 境内入口に大きな桜がある。また枝垂桜など複数の桜が境内にある。
柿岡八幡神社桜
柿岡八幡神社の桜
八幡神社 片野
 片野八幡神社。永禄年間(1558〜70年)、片野城主、太田美濃守三楽斎資正(すけまさ)公が武運を祈願して建立。 祭神は誉田別尊(応神天皇)。同神社に伝わる「片野排禍ばやし」は、茨城県指定無形民俗文化財。 神社建立時、禍を排すため奉納したことが起源とされる=上記参照=。
 石岡市片野619。八幡神社・片野の地図
八幡神社・片野
八幡神社社殿
須賀神社 三村
 三村須賀神社。1570(元亀元)年、三村城主、平常春公の創建。祭神は建速須佐男命。経津主命、菅原道真公を配祀する。 伝染病が流行し、住民が苦しんでいることを憂いた常春公が祀り、災いを逃れたと伝えられる。 毎年7月に行われる三村祇園祭は同神社の祭礼=上記参照=。最終日、神輿の還御の際、参道階段で繰り広げられる攻防は圧巻。
 石岡市三村1880。須賀神社・三村の地図
須賀神社三村拝殿
須賀神社拝殿
須賀神社三村本殿 須賀神社三村階段
須賀神社本殿(左)、祇園祭で最後の攻防が繰り広げられる参道階段(右)
白鳥神社小幡 しらとりじんじゃ
 旧村社。祭神は日本武尊。
 石岡市小幡。白鳥神社の地図
白鳥神社
白鳥神社社殿
爪書き阿弥陀堂
 親鸞聖人が石に爪で描いたという阿弥陀像がある。 鹿島神宮参詣のためこの地を通った親鸞聖人が、腫れ物のひどかった村人の症状を回復させたという伝説があり、その時書かれたものという。 このため、ここにお参りすれば腫れ物が治ると伝わる。 なお弥陀像は普段見ることができない。
 石岡市高浜839。爪書き阿弥陀堂の地図
爪書き阿弥陀堂
爪書き阿弥陀堂
大覚寺
 板敷山大覚寺。浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来立像。1221(承久3)年、浄土真宗の開祖・親鸞聖人の法弟、周観大覚が開山。大覚は、後鳥羽上皇の第三子正壊親王。 本堂裏には、京都にある「桂離宮」を模して造園された日本庭園がある。どの角度から見ても裏がないことから「裏見無しの庭」と呼ばれる。
 石岡市大増3220。大覚寺の地図
大覚寺本堂
大覚寺本堂
大覚寺山門 大覚寺鐘楼
大覚寺山門(左)、鐘楼(右)
大覚寺裏見無しの庭
大覚寺の裏見無しの庭
長楽寺
 真言宗豊山派。本尊は薬師如来。824(天長元)年、滝本坊として創建されたという古刹。1605(慶長10)年、長楽寺に改められた。 仁王門は二間半四方で、仁王像が残されている。岩間山の13天狗は、もと12天狗とされ、長楽寺の天狗が加わり13天狗になったなど、天狗伝説が残る。
 現在は映画やドラマのロケ地として知られる。周囲が山林で電柱など近代的なものが見えないため時代劇のロケ地として人気がある。 映画の「座頭市」はじめ、NHK大河ドラマの「武蔵」「篤姫」など、多くの作品の撮影が行われている。
 石岡市龍明(狢内)633番外。長楽寺の地図
長楽寺堂 長楽寺門
長楽寺本堂(左)、仁王門(右)
北向観音
 富田観音。富田北向観音。安産、子育て、厄除けに御利益ありとして近隣の信仰を集めている。 常陸國總社宮内にあった神宮寺の観音堂として建立された。元禄年間(1688〜1704年)に神宮寺が富田町地内に移ったことに伴い、観音堂も移築、さらに現在地に移った。 十一面観音菩薩像が安置されている。また、鰐口は天仁年間(1108〜10年)の銘があったとされる。なお、石岡市小野越にも小野小町伝説が残る北向観音がある。下記参照。
 石岡市国府5−9。北向観音の地図
北向観音
北向観音
愛宕神社
 祭神は迦具土命。天狗党の薄井龍之が境内で私塾を開いていたという。
 石岡市府中2−7。愛宕神社の地図
愛宕神社
愛宕神社
二十三夜尊
 本尊は勢至菩薩。樹齢500年を越える銀杏があった。現在は伐採され、切り株のみが残る。
 石岡市若宮1−5。二十三夜尊の地図
二十三夜尊
二十三夜尊
護身地蔵
 野菜の屑を奉納すると風邪が治ると伝えられている。戦国時代、戦いに敗れた武士が、この地蔵付近まで逃れてきて、不思議な老婆に出会い、塵芥の山のなかに隠れて助かったという伝説が残る。 助かった武士が、感謝して石の地蔵を寄進し、塵芥(ごみ)から護身(ごみ)に転じたとされる。
 石岡市国府5−7。護身地蔵の地図
護身地蔵
護身地蔵
木比提稲荷神社 きびさげいなりじんじゃ
 祭神は宇迦魂命。創建は不詳。狐の恩返しの伝説が残り、それが評判となり多くの参拝者を集めたという。 拝殿前に続く参道は、20本余りの奉納された白木の鳥居が続く。
 石岡市石岡。木比提稲荷神社の地図
木比提稲荷神社拝殿
木比提稲荷神社拝殿
木比提稲荷神社本殿 木比提稲荷神社鳥居
木比提稲荷神社本殿(左)、奉納された鳥居が続く参道(右)
日天宮 にってんぐう
 祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)。古来、太陽、月、星は信仰の対象で、国府だった石岡にはそれらを祀った神社が創建された。 日天宮のほか月天宮=下記参照=、星の宮=移転し常陸国総社宮境内=があり「府中三光宮」として信仰されている。 境内には稲荷大明神、御嶽神社がある。
 石岡市国府7−4。日天宮の地図
日天宮
日天宮
月天宮 がってんぐう
 府中三光宮の一社。祭神は月読尊(つきよみのみこと=天照大神の弟)。境内に子安観音堂、弘法大師堂などがある。
 石岡市貝地1−2。月天宮の地図
月天宮
月天宮
息栖神社
 祭神は住吉三神。旧村社。
 石岡市川又1274。息栖神社の地図
息栖神社社殿 息栖神社鳥居
息栖神社社殿(左)、鳥居(右)
吉生香取神社の桜
 吉生香取神社の社殿近くにある桜。
 石岡市吉生。吉生香取神社の地図
吉生香取神社桜
吉生香取神社の桜
旭台の桜並木
 石岡市旭台1丁目の国道6号「旭台1丁目」交差点から石岡市東光台5丁目の丁字路までの約1.1km、両側に桜が植えられている。
旭台桜並木
旭台の桜並木
南台の桜並木
 フローラルシティ南台として住宅地開発した時に116本の染井吉野が小学校近くの道路両側に植えられた。南台景観道路。
南台桜並木
南台の桜並木
上曽宿
 上曽峠を越える旅人の宿場として栄えた。峠へ向かう直線の道沿いに、現在でも当時の面影を残す風情のある家が数軒残る。
 石岡市上曽。上曽宿の地図
上曽宿
上曽宿
盛賢寺
 本願院霊通山成賢寺、真言宗の寺で、水戸黄門ゆかりの寺。1689(元禄2)年、徳川光圀が領内巡検の際、那珂郡額田村(現在の那珂市)から移転建立させた。 玄盛和尚を中興として開山している。1784(天明4)年に焼失、翌年再建された。阿弥陀堂は、石岡市指定文化財。 山門には仁王像がある。仁王像は2代目と考えられており、初代の仁王像は火災により焼けてしまった。 現在の仁王像は1740(元文5)年の開眼。明治時代、山門が焼けた時は、村人が仁王像を救出したという。石岡市の文化財に指定されている。
 石岡市井関1024。盛賢寺の地図
盛賢寺阿弥陀堂 盛賢寺山門
盛賢寺阿弥陀堂(左)、山門(右)
盛賢寺仁王像吽形 盛賢寺仁王像阿形
盛賢寺の仁王像吽形像(左)、同じく阿形像(右)
代田の大人形
 石岡市井関の代田地区で旧盆の8月16日につくられる藁製の大人形。別名ダイダラボッチ。石岡市指定無形民俗文化財。 昔の村境に立て疫病や災いが侵入しないようにつくられているとされているが詳細は不明。天明の大飢饉の後から作られ始めたと考えられている。
 人形は藁を使い周囲を杉の葉で覆う。手、足、へそ、男根を藁で、また竹槍と刀を持たせる。 高さは約2m。完成すると1年を通して村境に置かれ、翌年古い人形を解体し新しいものを作成、同じ場所に置く。 かつては8月17日に行われていたが旧盆である8月16日に変更されたという。
 石岡市井関では代田地区のほか、梶和崎地区、古酒地区、長者峰地区でも同様の人形が作られている。 大きさはいずれの地区も高さ約2m程度、様式も一部に若干の違いはあるものの藁製で杉の葉で覆うという基本は同じものとなっている。 梶和崎地区が8月の第1日曜日、古酒、長者峰両地区が8月16日の実施。 なお、この3地区では後継者及び材料不足などにより、今後の継続が不安であるとして文化財指定を辞退した。
 石岡市井関。代田の大人形の地図
 石岡市井関。梶和崎の大人形の地図
 石岡市井関。古酒の大人形の地図
 石岡市井関。長者峰の大人形の地図
代田の大人形 梶和崎の大人形
代田の大人形(左)、梶和崎の大人形(右)
古酒の大人形 長者峰の大人形
古酒の大人形(左)、長者峰の大人形(右)
親鸞聖人法難之遺跡碑
 板敷峠の旧峠にある。板敷峠(旧峠)は、山伏弁円が、親鸞聖人を襲うため待ち伏せした場所とされる。 碑には「親鸞聖人法難之遺跡 板敷山」とある。
 石岡市大増。親鸞聖人法難之遺跡碑の地図
法難の地碑
親鸞聖人法難の遺跡碑
山伏弁円護摩壇跡
 板敷峠の旧峠、板敷山の山頂近くにある。当時常陸国で布教していた親鸞聖人を快く思っていなかった山伏の弁円が、親鸞聖人を呪った護摩壇の跡。 弁円は、親鸞聖人を亡き者にしようと、ここで三日三晩護摩をたいて念を込め、すぐ近くにある板敷峠(旧峠)で待ち伏せするなどした。 しかし果たせず、その後、親鸞聖人の人徳に触れ、改心して弟子になったという。親鸞二十四輩、明法房として親鸞聖人の布教に尽力した。
 石岡市大増。山伏弁円護摩壇跡の地図
護摩壇跡
山伏弁円護摩壇跡
善光寺楼門
 小田城第12代城主・小田左衛門尉成治公が1501(文亀元)年に「月光山無量寿院善光寺」として月光山麓に建立した。 1701(元禄14)年、現在地に移される。その後廃寺となり、当時を偲ばせるものは楼門のみとなっている。本堂も残っているが半壊状態。 楼門の特徴は2階部分を造りながら何らかの原因で完成を断念した「三間一戸楼門」の形態。 戦国時代の世相を反映したものとみられ、室町時代後期の建築細部様式を持つ。1993年から1995年にかけて解体修理が行われた。国指定重要文化財。
 石岡市太田948。善光寺楼門の地図
善光寺楼門 善光寺本堂
道祖神峠の入口に建つ善光寺楼門(左)、楼門から階段を登ってある本堂。半壊状態だが、映画やドラマのロケなどで使われている(右)
善光寺楼門の彼岸花
 善光寺楼門脇に咲く彼岸花。
善光寺楼門彼岸花
善光寺楼門脇の彼岸花
正法寺
 大増山正法寺。曹洞宗の寺。1559(永禄2)年の創建。開基は古尾谷隠岐守治貞。 百観音で知られる。西国、秩父、坂東の霊場の写しで、黄銅鋳物観音像。像には設置者として 「常州新治郡大増村大増山正法寺現第十四世諦学代」とある。1804(文化元)年から1811(文化7)年 にわたる記名があり、特に江戸からの奉納が多くみられる。百体のうち2体が増高1m6cmで西国1番の千手観音、 秩父1番の聖観音、うち1体が増高90zmで坂東1番の十一面観音、残りは増高45cm。
 門前に多くの二十三夜塔、十八羅漢像がある。
 石岡市大増1644。正法寺の地図
正法寺
正法寺本堂
国民宿舎つくばね
 筑波山東側の中腹、標高約300mにあった。自然豊かな環境の中にあり、ここから望む日の出は格別で全ての部屋から関東平野望めた。 客室は全24室、104人収容。最大120人収容の大広間はじめ、大小の会議室も完備し、研修などにも利用されていた。
 1974(昭和49)年オープン以来長年多くの人たちに親しまれていたが、施設の老朽化により2020(令和2)年9月30日での閉鎖が発表された。 その後諸般の事情により、1か月早まり2020(令和2)年8月31日をもって閉鎖となった。
 石岡市小幡2132−50。
国民宿舎つくばね
国民宿舎つくばね
湯袋観光道路
 湯袋峠の東(茨城県道150号月岡真壁線接続)と風返峠を結ぶ観光道路。 石岡市(旧八郷町)から筑波山への主要な路線。なお全線で終日自動二輪及び原動機付自転車の通行禁止。
湯袋観光道路
湯袋観光道路
北向観音堂
 小野小町伝説が立ち寄ったという伝説が残る。小野小町が皮膚の病のため、山を越えて北向観音堂を訪れ、十一面観世音菩薩に祈願したところ、たちまち平癒したと伝えられる。 北向観音堂は、行基菩薩が弟子に命じて建立されたという菖蒲沢にあった龍光院の別院。本来の本尊は十一面観世音菩薩だが、失われており、現在は聖観世音菩薩が本尊として祀られている。 皮膚病や婦人病、子宝、子育てなどに御利益があるとして広く信仰されている。
 観音堂周辺には、小町伝説の場所が多くある。小町腰掛石、小町姿見の池、小町かんざしの木、小町硯石など。毎年7月15日には、地元の人たちによって万灯会が行われている。
 観音堂は、茨城県道138号つくば石岡線からあぜ道を入る。観音堂の前を小桜川が流れ、ほたる橋という石の橋が架かる。 テレビのロケーションも行われている。
 石岡市小野越。北向観音堂の地図
北向観音 観音堂参道
北向観音堂(左)、観音堂の登る階段(右)
いぼ神様 小町せせらぎ館
観音堂の参道前にあるいぼ神様の霊石(左)、同じく観音堂の参道前にある小町せせらぎ館は旧小野越公民館を利用、万灯会の時などに利用される(右)
小町ほたる橋 観音堂入口
観音堂入口の小桜川に架かる小町ほたる橋(左)、茨城県道138号つくば石岡線沿いにある観音堂入口の案内板(右)
葦穂小学校の桜
 葦穂小学校の校庭東側に大きな桜の木が複数ある。
 石岡市小屋1054。葦穂小学校の地図
葦穂小学校桜
葦穂小学校の桜
園部中学校の桜
 園部中学校の道路に面した北側に大きな桜の木が複数ある。
 石岡市山崎1862。園部中学校の地図
園部中学校桜
園部中学校の桜
園部の桜
 幹の太さからかなりの巨樹だったことがうかがえるが、もとの幹は空洞で枯死していると見られる。 現在は空洞となった幹の間から生えたひこばえが主となっている。
園部桜
園部の山桜
恋瀬川桜づつみ
 恋瀬川右岸の最下流にある。駐車場やトイレもあり、恋瀬川サイクリングコースの起点ともなっている。 恋瀬川サイクリングコースについては恋瀬川へ。
 石岡市高浜。恋瀬川桜づつみの地図
恋瀬川桜づつみ
恋瀬川桜づつみ
三村のコスモス
 三村地区の水田の中を通る茨城県道221号飯岡石岡線の両側、約1km弱にわたってある。
 石岡市三村。三村のコスモスの地図
三村秋桜
三村のコスモス
菖蒲沢薬師堂
 筑波四面薬師のひとつ。もとは、筑波山不動院東光寺の奥院として建立された。 東光寺は807(大同2)年、徳一法師の開山。記録では、1646(正保3)年火災で焼失、1696(元禄9)年に再建された。 1839(天保10)年、山林火災で山門、鐘堂などを焼失、1842(天保13)年、小規模に再建された。 この時、薬師如来坐像は、村人たちによって運び出され難を逃れている。
 薬師如来坐像は、2007(平成19)年から行われた修復で、胎内から1687(貞享4)年4月8日、東光寺29代別当の寛泉の建立、 京烏丸大仏師松崎冶兵衛らの作という銘文が見つかっている。
 薬師堂も老朽化してきたことから、同じく2007(平成19)年から修復に着手、2008(平成20)年12月に完成した。 坐像も2009(平成21)年3月に修復が完了。同年7月、開眼供養が行われた。
 石岡市菖蒲沢。菖蒲沢薬師の地図
菖蒲沢薬師堂 薬師如来
菖蒲沢薬師堂(左)、お堂に祀られている薬師如来(右)
菖蒲沢薬師古道
 石岡市菖蒲沢の桑柄山にある菖蒲沢薬師堂に至る古道。入口となる菖蒲沢公民館(筑波山不動院東光寺跡地)から東光寺奥院にあたる菖蒲沢薬師堂まで約500m。 途中分岐が道があり、庚申塚までの約540mと合わせて全体で約1040mの古道。薬師堂が中腹にあるため登山道となっている。 道は階段状に整備され登りやすくなっている。
 古道は、菖蒲沢公民館から進むと、すぐ脇に徳一法師小屋跡、さらに馬櫪神(農耕馬の健康と安全を願う馬の守護神)、二十三夜供養塔(勢至菩薩を祀る)、氏神様、不動尊などが立て続けにある。 さらに進むと左側に天白稲荷神社。稲荷神社の裏に分岐がある。そこを右に進むと薬師如来坐像除き灯篭、仁王門跡を経て、石の階段を一度降りると弁財天を祀る弁天池、さらあに石の階段を上がると菖蒲沢薬師堂がある。
 稲荷神社の分岐を左に進むと大きな岩の下に龍神様がある。ここからの眺望は抜群で浅間山や龍神山などを望むことが出来る。 さらに進むと庚申塚に至る。
 駐車場は、朝日里山学校の駐車場を利用。朝日里山学校から菖蒲沢公民館まで約1.2km。
古道入口 小屋跡
茨城県道138号つくば石岡線からの入口(左)、徳一法師小屋跡(右)
馬櫪神 古道
馬櫪神(左)、整備された古道(右)
二十三夜供養塔 氏神様
二十三夜供養塔(左)、氏神様(右)
不動尊 稲荷神社
不動尊(左)、天白稲荷神社(右)
灯篭 仁王門跡
薬師如来坐像除き灯篭(左)、仁王門跡(右)
弁財天 古道
弁財天(左)、龍神様へ向う古道(右)
龍神様 眺望
龍神様(左)、龍神様からの眺望(右)
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