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茨城町・城里町

 東茨城郡茨城町は、水戸市の南側に位置する町。涸沼の西側に広がる。1955(昭和30)年2月11日、東茨城郡長岡村が 町制施行し長岡町になり、即日、東茨城郡長岡町と同郡川根村、同郡上野合村、鹿島郡沼前村が合併し東茨城郡茨城町が発足した。 1958(昭和33)年3月5日、東茨城郡石崎村を編入合併し、現在の茨城町の形になった。 人口32,921人(2015年国勢調査)、面積は121.64平方km。
 町の中央部を南北に国道6号が走る。江戸時代は水戸街道の小幡宿、長岡宿があり交通の要衝として栄えた。 また、北関東自動車道が町の北部を東西に走り、茨城町西インターチェンジ、茨城町東インターチェンジがある。 このほか東関東自動車道が町の中心部を南北に走り茨城空港北インターチェンジがある。
 茨城県免許センターが同町長岡にある。
 平成の大合併では、全世帯アンケートの結果、水戸市との合併を望む声が多かったことから 茨城町から水戸市に対して合併を念頭に置いた協議の申し入れを行った。 両市町による事務協議、広域行政研究会、合併研究会などを経て 2006(平成18)年2月6日、水戸市・茨城町合併協議会が発足。 同年5月までに5回の協議を重ね2007(平成19)年中の合併を目指していた。 しかし、2007(平成19)年4月に行われた町長選挙で合併慎重派が当選。 同年6月19日茨城町から水戸市に合併協議会の打ち切りを申し入れた。 水戸市との合併協議は中止となり、同年9月29日合併協議会は解散した。
 東茨城郡城里町は、水戸市の西側に位置する町。 2005(平成17)年2月1日、東茨城郡常北町、同桂村、西茨城郡七会村が合併して誕生した。 町の東側を那珂川流れ、西側は鶏足山、花香月山、高取山、八瓶山などがある自然豊かな町。 人口19,800人(2015年国勢調査)、面積は161.73平方km。
 旧常北町は、1955(昭和30)年2月11日、石塚町、小松村、西郷村が、 同じく旧桂村も、同日、圷村、岩船村、沢山村が合併して誕生した。 旧七会村は、1889(明治22)年4月1日、徳蔵村、塩子村、小勝村、大網村、真端村、上赤沢村、 下赤沢村の7ヶ村が合併した。村の名称は7つの村の合併から七会となった。 現在でもこの旧7ヶ村は、全て大字名として残る。 茨城県内で町村制施行以来合併せずに村のまま平成まで続いたのは七会村だけだった。 また七会村は、茨城県内で長い間最も人口が少ない村だった。

茨城町

涸沼
 面積は約9.35平方km、海水と淡水が交じり合う汽水湖。鉾田市と大洗町、茨城町にまたがる。 笠間市を源とする大谷川や涸沼川が流入。一方、涸沼川で流れ出て、那珂川に合流し海に通じている。 満潮時には、那珂川、涸沼川を逆流して海水が流れ込むほか、洪水時には那珂川の水が涸沼川を通じて流れ込む。 ヤマトシジミの全国的な産地となっているほか、最近では、ハゼの釣り場として人気がある。
 江戸時代、水戸藩主・徳川斉昭は、涸沼中部の米津鼻から見た景色を、水戸八景「広浦秋月」として選んでいる。
涸沼の地図
涸沼弁天鼻
弁天鼻から見た涸沼
涸沼米津 涸沼親沢
米津鼻から見た涸沼(左)、親沢鼻から見た涸沼(右)
弁天鼻
 涸沼の南西岸にある岬。弁天鼻周辺は網掛公園として整備されている。
 東茨城郡茨城町網掛。弁天鼻の地図
弁天鼻
弁天鼻
親沢鼻
 涸沼の北西岸にある岬。親沢鼻周辺は親沢公園、親沢公園キャンプ場として整備されている。
 東茨城郡上石崎。親沢鼻の地図
親沢鼻
親沢鼻
涸沼自然公園
 涸沼の北岸中部にある公園。面積約34.5ha。せせらぎ広場、太陽の広場、展望広場、わいわい広場、あじさいの谷、 一休広場などがある。特に、あじさいの谷は6月中旬から7月上旬にかけ谷一面にアジサイが咲く。 また、せせらぎ広場には同公園のシンボルともなっているイトトンボ橋が架かる。
 眺望コース(約30分)、桜コース(約40分)、あじさいコース(約35分)の散策コースがる。
 公園にキャンプ場がある(下記参照)。
 開園時間は午前9時から午後5時。休園日は4月〜10月は無休、11月〜3月までは毎週月曜日。入場無料。無料駐車場有。
 東茨城郡茨城町下石崎。涸沼自然公園の地図
せせらぎ広場眺望
イトトンボ橋から見たせせらぎ広場
太陽の広場 眺望
太陽の広場(左)、太陽の広場から見た涸沼の眺望(右)
涸沼自然公園の紫陽花
 涸沼自然公園では、あじさいの谷をはじめ、園内には約1万株の紫陽花がある。 開花期間中の6月中旬から7月上旬にかけて「ひぬまあじさいまつり」が開催され、さまざまなイベントも行われる。 ひぬまあじさいまつりは2010年からスタートした。
涸沼自然公園紫陽花
涸沼自然公園の紫陽花
涸沼自然公園の桜
 園内の散策路両側に桜があり桜のトンネルとなる。
涸沼自然公園桜
園内の散策路で桜のトンネルをつくる
広浦公園
 涸沼の北岸中部にある公園。「名勝広浦」と呼ばれる景勝地。鳥居越しのダイヤモンド筑波で知られる。キャンプ場、バーベキュー場が整備されている。
 東茨城郡茨城町下石崎1651。広浦公園の地図
広浦公園 広浦公園
広浦公園
親沢公園
 親沢鼻にある公園。「名勝親沢」と呼ばれる景勝地。キャンプ場、バーベキュー場として整備されている。 公園内に水戸藩2代藩主・徳川光圀公が詠んだ「親沢の一つ松」の句碑がある。
 東茨城郡上石崎4144−4。親沢公園の地図
親沢公園 親沢公園
親沢公園(左)、親沢の一つ松の句碑(右)
網掛公園
 弁天鼻にある公園。芝生広場やグラウンドなどがある。野鳥観察ポイント。 野鳥観察台が設けられている。
 東茨城郡茨城町網掛52。網掛公園の地図
網掛公園
網掛公園
野鳥観察台 野鳥観察台涸沼
野鳥観察台(左)、野鳥観察台から見た涸沼(右)
涸沼自然公園キャンプ場
 涸沼自然公園にあるキャンプ場。テントサイトは最大約300張。オートキャンプサイトは全56区画。
 東茨城郡茨城町下石崎。涸沼自然公園の地図
広浦公園キャンプ場
 広浦公園にあるキャンプ場。テント最大60張。バンガロー2棟、ツリーハウス3棟がある。またバーベキュー場がある。涸沼畔にある。
 東茨城郡茨城町下石崎1651−6。広浦公園の地図
広浦公園キャンプ場
広浦公園キャンプ場
親沢公園キャンプ場
 親沢公園にあるキャンプ場。キャンプ場とバーベキュー場がある。涸沼畔にある。
 東茨城郡上石崎4144−4。親沢公園の地図
親沢公園キャンプ場
親沢公園キャンプ場
涸沼のオオワシ
 涸沼に飛来するオオワシは毎年1月に飛来し3月中旬ごろまで涸沼周辺で越冬している。 1998(平成10)年から確認されており、くちばしの形状などから同一個体とみられる。 オオワシは国天然記念物で絶滅危惧種。日本で見られるワシタカ類で最も大型。
 2021(令和3)年は確認されなかった。
涸沼オオワシ
涸沼上空を飛ぶオオワシ
大杉神社 下石崎
 涸沼湖畔にある神社。祭神は大物主命。1838(天保9)年3月15日、疫病が流行したことから疫病退散に霊験あらたかという 河内郡阿波村(現在の稲敷市)の大杉神社(あんばさま)から分祀した。現在の社殿は2008(平成20)年6月の再建。 毎年7月、涸沼に船上山車が出ることで知られる「あんばまつり」は同神社の祭礼。
 東茨城郡茨城町下石崎。大杉神社・下石崎の地図
大杉神社 大杉神社涸沼鳥居
大杉神社社殿(左)、大杉神社前の鳥居越しに見た涸沼の風景(右)
ポケットファームどきどき茨城町店
 JA全農いばらき(全農茨城県本部)直営の農畜産物直売所兼レストラン。バーベキュー広場はじめ手作り体験教室などもある。
 農畜産物直売所はとれたての野菜が揃う。精肉コーナーは茨城県の銘柄黒毛和牛「常陸牛」と豚肉は「ローズポーク」を取り扱う。 また手作りハム・ソーセージ工房がある。このほか手作りパン工房のパンも人気。営業時間は午前9時30分〜午後5時30分。水曜日定休。
 レストランは、ブッフェスタイルで「農業と食を結ぶ素敵な出会いを好きなだけ」そして「毎日食べても飽きない」がコンセプト。 ランチのみの営業。時間は午前11時30分〜午後3時(受け付けは午前11時〜午後2時)。 料金は大人2040円、シルバー(70歳以上)1740円、小学生1220円などとなっている。
 東茨城郡茨城町下土師1945。ポケットファームどきどき茨城町店の地図
ポケットファームどきどき茨城町店
ポケットファームどきどき茨城町店
夷針神社
 夷針武熊大明神。祭神は興津日子命、興津比売命。式内社論社。725(神亀2)年創建。長さ約350mの参道がある。
 東茨城郡茨城町大戸。夷針神社の地図
夷針神社拝殿 夷針神社本殿
夷針神社拝殿(左)、本殿及び覆屋(右)
小幡山七福神神社
 国道6号沿いにあるその名のとおり七福神が祭神の神社。 約8000平方mの境内に約100本の檜があり、荘厳な鎮守の杜となっている。 杜には散策路があり、その路沿いに七福神の石像が祀られている。 社殿は2013(平成25)年10月6日完成。
 御朱印有。神社の御朱印については御朱印・神社も参照。
 東茨城郡茨城町小幡702−1。小幡山七福神神社の地図
小幡山七福神神社 七福神神社御朱印
小幡山七福神神社社殿(左)、御朱印(右)
七福神 恵比寿 大黒天
七福神(左)、境内に祀られている恵比寿(中)、同じく大黒天(右)
毘沙門天 弁財天 寿老人 福禄寿 布袋尊
境内に祀られている毘沙門天、弁財天、寿老人、福禄寿、布袋尊(左から)
大戸の桜
 国天然記念物に指定されている白山桜。1932(昭和7)年、植物学者が「白山桜の巨樹としては全国一」と折り紙をつけ、国の天然記念物に指定された。 推定樹齢800年。しかし樹は、その後急速に衰え朽ち枯れてしまった。現在の樹はひこばえが大きくなったもの。 現在の株の根元の周囲は7m、高さは約15mほど。 往時は、株の根元の周囲約10.4m、地上1.5mの幹囲約9.5m、枝張りは300坪にもなったという。 花の時期は4月20日ごろ。
 東茨城郡茨城町大戸1539。大戸の桜の地図
大戸の桜
大戸の桜
千貫桜桜並木
 国道6号沿い、茨城県立茨城東高校入口の反対側に千貫桜碑があり、そこから茨城県畜産センター養鶏研究室まで、約750mにわたっておよそ150本の桜がある。 千貫桜は、徳川光圀公が「まさに千貫の価値がある」と称えた桜の巨樹で、この付近にあったが枯死してしまった。 現在の桜並木は、千貫桜ゆかりの場所に昭和40年代に植栽された。
 東茨城郡茨城町小幡。千貫桜碑の地図
千貫桜桜
千貫桜桜並木
木村家住宅
 長岡宿脇本陣。木村家は庄屋や問屋を務めており、1808(文化5)年以降は長岡宿で休泊所を管理する御殿守(ごてんもり)の代わりを務めていた。
 建物は1857(安政4)年の大火後に建てられたもので、以後改築は無いという。
 東茨城郡茨城町長岡229−1。木村家住宅の地図
木村家住宅
木村家住宅
小幡北山埴輪製作遺跡
 国指定史跡。その名の通り、埴輪を作った窯跡の遺跡。 古くからこの地は、俗に「カペット山(壁土山)」と呼ばれ良質の粘土が穫れる場所として知られていた。 1953(昭和28)年、開墾作業中に人物埴輪や円筒埴輪、馬の埴輪などが出土した。 しかし、遺跡の調査は行われず、このため一部耕地化されてしまっている。 1987(昭和62)年5月、最初の発見地点から西約250mの地点から窯跡が発見されたことから、同年から翌年にかけて3次にわたる調査が 行われ多くの埴輪と窯跡が発見されている。窯の数は59基と発見当時全国で一番多かった。 また粘土を掘った後や跡や埴輪を保存した建物跡も見つかっている。6世紀中頃から7世紀前半の遺跡と見られている。
 東茨城郡茨城町小幡2735−45ほか。小幡北山埴輪製作遺跡の地図
小幡北山埴輪製作遺跡
小幡北山埴輪製作遺跡、窯のあった場所跡
小幡北山埴輪製作遺跡窯 小幡北山埴輪製作遺跡古墳
復元された埴輪窯(左)、同じく復元された古墳(右)
水戸浪士の毛塚
 楠公社(なんこうしゃ)。1860(万延元)年、大老の井伊直弼襲撃に向けて、長岡に駐屯していた水戸浪士17人が江戸に向うとき、 南北朝時代の尊王の武将、楠木正成の忠誠の故事にならい、髪を切り駐屯地近くに埋めた。 1876(明治9)年、地元住民らが現在地に塚を築き髪の毛を移し、社を建立し楠公社として祀ったもの。 毛塚は茨城町指定文化財。
 東茨城郡茨城町長岡。水戸浪士の毛塚の地図
水戸浪士の毛塚
水戸浪士の毛塚
鹿島神社 宮ケ崎
 807(大同2)年、近隣7村の鎮守として勧請された。鎮守の森、そして長い参道がある。 大洗磯先神社の八朔祭では、大国主命と鹿島、香取の2神による古代神話にまつわる神事が鹿島神宮から神官が下向して行われていた。 南北朝時代以降は同神社が鹿島神宮に代わり行っていた。戦争による中断、戦後復活したが1959(昭和34)年を最後に行われていない。
 東茨城郡茨城町宮ケ崎954−1。鹿島神社・宮ケ崎の地図
鹿島神社宮ケ崎拝殿
鹿島神社拝殿
鹿島神社宮ケ崎本殿 鹿島神社鳥居
鹿島神社本殿(左)、鳥居と参道(右)
香取神社 南島田
  879(元慶3)年4月5日、下総国香取大神の御分霊を勧請する。 御神体は白紫色に光る京都鏡山の名石という。
 東茨城郡茨城町南島田371。香取神社・南島田の地図
香取神社拝殿
香取神社拝殿
如意輪寺
 龍谿山西楽院如意輪寺。天台宗。天台宗水戸十ヶ寺。 創建は平安時代、慈覚大師円仁の開山とされる。 江戸時代、水戸徳川家2代徳川光圀公により如意輪観音像と観音堂が寄進される。
 東茨城郡茨城町小鶴1771。如意輪寺の地図
如意輪寺
如意輪堂
福性寺
 三池山普門院福性寺。天台宗。本尊は阿弥陀如来。飯沼城跡の西側にある。 元弘年間(1331〜4年)、この地方を治めていた飯沼城主、桜井氏が菩提寺として創建。 観音堂は飯沼城主が夫人の安産を祈って建立したもので1585(天正13)年の棟札が残る。 現在の本堂は2007(平成19)年12月2日に落慶法要。もみじ寺として知られる=下記参照。
 同寺にある阿弥陀如来三尊板碑は1322(元亨2)年、五輪塔は南北朝時代のそれぞれ建立、 木造如来形座像は平安時代のものと推定されている。いずれも茨城町指定文化財。
 東茨城郡茨城町上飯沼926。福性寺の地図
福性寺本堂
福性寺の本堂
福性寺観音堂 福性寺山門
福性寺の観音堂(左)、福性寺の山門(右)
福性寺の紅葉
 もみじ寺として知られ、約200本あるという。紅葉の時期にはライトアップも行われている。
福性寺紅葉山門 福性寺紅葉参道
福性寺山門前の紅葉(左)、福性寺参道の紅葉(右)
金龍寺の桜
 神谷山金龍院。本堂周辺に桜がある。
 東茨城郡茨城町神谷。金龍寺の地図
金龍寺桜
金龍寺の桜
旧駒場小学校の桜
 2015(平成27)年3月31日をもって閉校した旧駒場小学校にある桜。同校は1875(明治8)年創立。 現在地には1976(昭和51)年に移転しており、桜もその当時に植えられたものとみられる。 閉校後は2016(平成28)年7月4日から茨城町駒場庁舎として使われており教育委員会などが入る。
 東茨城郡茨城町駒場450。茨城町駒場庁舎の地図
旧駒場小学校桜
旧駒場小学校の桜

城里町

道の駅かつら
 国道123号沿い、那珂川大橋近くにある。1993(平成5)年4月22日に登録。茨城県内で第1号の道の駅。
 那珂川の近くにあり、那珂川の河川敷に出られる。また、御前山ハイキングコースの玄関口にもなっている。
 東茨城郡城里町御前山37。道の駅かつらの地図
道の駅かつら
道の駅かつら
物産センター山桜
 地元で採れる米や野菜などの農産物直売所。食堂を併設。地元産の常陸秋そばを使った蕎麦が人気。
 営業時間は午前9時から午後5時まで(夏期6、7、8月が午後6時まで)。食堂は午前11時から午後4時まで。
 東茨城郡城里町小勝80。物産センター山桜の地図
物産センター山桜
物産センター山桜
いせきぴあ茨城
 茨城県埋蔵文化財センター。茨城県内の遺跡出土品の整理研究、収蔵保管、展示公開を行っている。 廃校となった旧北方小学校を活用。2016(平成28)年7月26日開所。
 開館時間は午前9時から午後5時まで。毎週土曜日及び祝日、年末年始休館。入館料無料。
 東茨城郡城里町北方1481。いせきぴあ茨城の地図
いせきぴあ茨城
いせきぴあ茨城
城里町健康増進施設ホロルの湯
 藤井川ダムのうなぎ地蔵湖畔にある温泉施設。温泉はアルカリ性単純泉で湯色は灰白色、PHは9.0。 神経痛や筋肉痛、関節痛などに効能があるという。
 温泉には、屋内の浴室に加え、露天風呂、薬湯、サウナが設けられている。このほか、プールや大広間、食事施設などがある。
 営業時間は午前10時から午後9時まで。受付(入場)は午後8時まで。浴室、プールの利用は午後8時45分まで。 休館は月曜日(祝日の場合は翌日)。入館料は大人1020円(休日)、820円(平日)、510円(午後5時以降)、 小人(中学生以下)510円(休日)、410円(平日)、300円(午後5時以降)。
 東茨城郡城里町下古内1829−3。ホロルの湯の地図
ホロルの湯
ホロルの湯
城里町総合野外活動センターふれあいの里
 旧常北家族旅行村藤井川ダムふれあいの里。城里町が運営する公営キャンプ場。 キャビン、バンガロー、オートキャンプ場、バーベキュー場などの施設はじめ、天文台がある。通年で利用できる。
 オートキャンプ場は2か所あり、第1オートキャンプ場は全55区画。AC電源付の第2オートキャンプ場は全10台。 キャビンは8人用、6人用、4人用があり、全27棟。8人用と6人用はエアコンも完備している。 山小屋風のバンガローは10棟ある。このほかベーべキューエリアには屋根付が13、屋根無が12。
 天文台には口径400mmのニュートン式反射望遠鏡があり、本格的な天体観測ができる。
 東茨城郡城里町。ふれあいの里の地図
ふれあいの里管理棟 ふれあいの里キャビン
ふれあいの里入口、三角屋根の特徴ある管理棟(左)、広場から見た色とりどりのキャビン(右)
藤井川ダム
 城里町下古内の藤井川にあるダム。堤防高37.5mの重力式コンクリートダム。 洪水調節、水道用水供給、灌漑用水供給などを目的とする多目的ダム。
 1956(昭和31)年に防災ダムとして建設、 1977(昭和52)年、ダム上流部にゲート3門を備えた非常用洪水吐を設置するなどして多目的ダムに改造された。 総貯水容量4462000立方m、湛水面積0.40平方km、集水面積は約700平方km。
 東茨城郡城里町下古内。藤井川ダムの地図
藤井川ダム
下流川から見た藤井川ダム
うなぎ地蔵湖
 藤井川が藤井川ダムでせき止められたこといよりできた人造湖。 ブックバスなどの釣りの名所となっている。湖に面して城里町健康増進施設ホロルの湯がある。
 東茨城郡城里町下古内。うなぎ地蔵湖の地図
うなぎ地蔵湖
藤井川ダムから見たうなぎ地蔵湖
石塚のスダジイ
 城里町役場の北側にある。樹齢は推定約400年。樹高約11.5m、幹周約4.3m。半球状の樹冠の形が美しい。 城里町指定天然記念物。 現在はスダジイ広場として整備されており町民に親しまれている。
 東茨城郡城里町石塚1428−25。スダジイ広場の地図
石塚のスダジイ
石塚のスダジイ
青山花しょうぶ園
 約70種類、約16000株の花しょうぶが1500坪の休耕田に植えられている。 開園は6月10日から6月30日。期間中には青山花しょうぶ祭りも開催され、ステージや茶会などの催しが行われる。
 東茨城郡城里町下青山。青山花しょうぶ園の地図
青山花しょうぶ園
青山花しょうぶ園
青山神社
 祭神は五十猛命。延喜式内社論社。772(宝亀3)年9月29日創建。中世には若宮八幡、鹿島明神と称していたが徳川光圀公の命により青山神社の古名に戻した。 現在の社殿は1866(慶応2)年の建立。参道は約300mの長さがある。祭神の五十猛命は森林保護の神として信仰されている。 このため、境内は現在も青山緑地環境保全地域に指定されている。また茨城の自然百選にも選ばれている。
 御朱印有。授与は水戸市の水戸八幡神社社務所。神社の御朱印については御朱印・神社も参照。
 東茨城郡城里町上青山229。青山神社の地図
青山神社 青山神社御朱印
森の中にある青山神社社殿(左)、御朱印(右)
手子后神社
 祭神は埴安姫命(はにやすひめのみこと)。創建は807(大同2)年2月10日とされる。長い参道がある。 坂上田村麻呂が戦勝を祈願したと伝わる。もと手子木崎神社と呼ばれていたが1696(元禄9)年、徳川光圀公の命により現在名になった。
 御朱印有。授与は神社脇の宮司宅。神社の御朱印については御朱印・神社も参照。
 東茨城郡城里町上圷199。手子后神社の地図
手子后神社 手子后神社御朱印
手子后神社社殿(左)、御朱印(右)
石船神社 いしふねじんじゃ、いわふねじんじゃ
 祭神は鳥石楠船命(とりのいわくすふねのみこと)。御神体は兜石と呼ばれる周囲約15mの花崗岩。式内社。 創建は不明ながら859(貞観元)年以前とされる。なお神社名の「石」には一番上の横線と口の間に点がつく。境内には雨ごいを祈願したという「船形石」や源義家が射た矢が的中したという「矢の根石」などがある。 また境内の「藤の群生」は城里町天然記念物。
 御朱印有。授与は手子后神社宮司宅。神社の御朱印については御朱印・神社も参照。
 東茨城郡城里町岩船606。石船神社の地図
石船神社社殿 石船神社御朱印
石船神社社殿
石船神社 石船神社鳥居
石船神社社殿周辺、社殿前を川が流れ橋が架かる(左)、参道鳥居(右)
風隼神社 かぜはやじんじゃ
 祭神は武甕槌命。旧村社。創建は大同年間(806〜810年)とされる。1569(永禄12)年、領主の佐竹義国が社殿を修繕した記録が残る。 かつては風華(かぜはな)神社と呼ばれていた。
 東茨城郡城里町石塚。風隼神社の地図
風隼神社拝殿
風隼神社拝殿
風隼神社本殿 風隼神社鳥居
風隼神社本殿(左)、同じく鳥居及び参道(右)
小坂神社
 祭神は倉稲魂命、天手力雄命。配神は事解男命、伊弉諾命、速玉男命。旧村社。 1871(明治4)年、村内にあった笠宮、飯野宮、熊野権現を合祀、1874(明治7)年、小坂神社と称した。
 笠宮は806(大同元)年の創建とされる。常陸二の宮静神社の本宮とされ、かつては静神社の祭礼に笠宮の榊を送るならわしがあった。 その後川の洪水で送れない事態に陥ったため、笠宮の榊を静神社の境内に移植し送らないで済むようにしたとされる。
 また飯野宮から伝わる木造の御神体は男神像で「文明十一年(1479)年」の銘があり、在銘神像としては茨城県内最古とされる。 城里町指定文化財。
 境内にあった「笠懸の松」は、1962(昭和37)年、茨城県指定天然記念物。しかし虫害により枯れてしまい、1973(昭和48)年、伐採された。 現在でも立派な切り株が拝殿脇にある。
 東茨城郡城里町小坂。小坂神社の地図
小坂神社拝殿
小坂神社拝殿
小坂神社本殿 小坂神社笠懸の松
小坂神社本殿(左)、境内にある笠懸の松の切株(右)
阿波山上神社
 701(大宝元)年創建とされる。祭神は少彦名命。式内社論社。旧郷社。 祭神が御神木の大杉に降臨したという伝説から降木明神とも呼ばれる。 樹齢1000年ともいわれた2代目の御神木があったが、1972(昭和47)年9月18日、落雷により炎上。その影響もあり倒木の危険性があったことから 1973(昭和48)年7月5日伐採された。長い参道が神社の歴史を感じさせる。
 御朱印有。授与は手子后神社宮司宅。神社の御朱印については御朱印・神社も参照。
 東茨城郡城里町阿波山664。阿波山上神社の地図
阿波山上神社 阿波山上神社御朱印
阿波山上神社
鹿島神社 上古内
 祭神は武甕槌命。創建は806(大同元)年という。同神社裏の山頂は「鹿島土屋」といい、武甕槌命が、出雲国の国譲りに続き、 東国平定のため降臨の地と伝えられる。三代実録などによると、鹿島神宮で20年毎に行われていた社殿の建て替えに使う用材、 5万本余は、古内山から切り出されたという。 1908(明治41)年10月24日、村社の指定を受け、社殿及び境内地を整備、近くの諏訪神社を合祀するなど 「御鎮座壱千壱百年記念事業」を行った。 また、2010(平成22)年3月28日、「御鎮座壱千弐百年記念事業」として社殿及び境内整備を行った。
 東茨城郡城里町上古内238。鹿島神社・古古内の地図
鹿島神社上古内拝殿
鹿島神社拝殿
鹿島神社上古内本殿 鹿島神社上古内鳥居
鹿島神社本殿(左)、鹿島神社全景(右)
草懸神社 くさかけじんじゃ
 祭神は武甕槌命。創建は1097(承徳元)年2月18日創建という。 かつてこの地は武甕槌命の軍が、当地方鎮定に当たって強力な敵軍と戦ったところとされ、 大激戦の中、一旦後退のやむなきに至った際、草を懸けて隠れたところ、追撃の兵たちは気付かず走り去ったとされる。 その後兵を立て直し、大勝をおさめ、鎮定されたと伝えられる。 その後、武甕槌命の偉業を伝えるためこの付近は「鹿島河原」と呼ばれ、のちに祠を建てて祀ったとされる。
 本殿は流造銅板葺方1.5間、拝殿入母屋造千鳥破風間口5間。
 東茨城郡城里町上泉。草懸神社の地図
草懸神社拝殿 草懸神社本殿
草懸神社拝殿(左)、同じく草懸神社本殿(右)
那珂西神社
 祭神は誉田別命。1694(元禄7)年、水戸2代藩主・徳川光圀公が水戸にあった八幡宮をこの地に移す。 1707(宝永4)年、水戸3代藩主・徳川綱條公が再び水戸に移した。跡地には改めて八幡宮が祀られた。 光圀公が水戸から移す前にも八幡宮があったとも伝わる。天保年中(1830〜44年)、上那珂西の鹿島神社と 下那珂西の春日神社を合祀し那珂西神社と改められた。1901(明治34)年12月1日村社。
 東茨城郡城里町那珂西1484。那珂西神社の地図
那珂西神社拝殿
那珂西神社拝殿
那珂西神社本殿 那珂西神社鳥居
那珂西神社本殿(左)、同じく那珂西神社の鳥居と社号標(右)
大山草庵跡
 浄土真宗開宗宣言の地とされる。浄土真宗を開いた親鸞聖人は1216(健保4)年、この地に入ったという。もともとここには、聖人の師であり浄土宗を開いた 法然上人の孫弟子、行観上人が開いた阿弥陀寺があった。聖人は、師ゆかりの寺を頼ってこの地にこられ、境内に草庵を構えたという。 親鸞聖人は、法然上人の三回忌法要をこの地で執り行い、これは「真宗興行の法要」といわれ、これをもって浄土真宗開宗宣言とされる。 草庵を引き継ぐ浄土真宗阿弥陀寺は1392(明徳3)年、額田城内へ移り城の守護寺となる。現在も那珂市額田南郷に阿弥陀寺としてある。 一方浄土宗の阿弥陀寺は徳川斉昭公の寺院整理により廃寺となった。なお同地の草庵跡も遺構はなく、 阿波山上神社の参道脇に大山草庵跡の碑があるのみ。なお碑がある場所の道路を挟んで反対側には城里町立桂中学校がある。
 東茨城郡城里町阿波山664−1。大山草庵跡の地図
大山草庵跡
大山草庵跡の碑
薬師寺
 佐久山多聞院薬師寺。天台宗の寺。本尊は薬師如来。平安時代、坂上田村麻呂が戦勝を祈願し建立したと伝わる。 室町時代に建立された本堂は1957(昭和32)年石塚の大火で焼失、1965(昭和40)年4月現在の本堂が再建された。 本尊の薬師如来と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍は国指定文化財。
 東茨城郡城里町石塚1422。薬師寺の地図
薬師寺
薬師寺本堂
大山寺 たいさんじ
 高根山閑心院大山寺。真言宗豊山派の寺。「虫封じ高根山」として知られる。本尊は大日如来(金剛界)。
 810(弘仁元)年、弘法大師の開創と伝えられる。古くは符貴山金剛王院妙法寺といった。1457(長禄元)年、 宥阿上人の時、領主の大山城主・大山義成公が祈願所として中興した。このとき寺号を改めた。江戸時代は、水戸徳川家の庇護を受けた。
 同寺に伝わる弘法大師の真筆という「乾閻婆王尊画」(けんだつばおうそんが)は、虫封じ、子授け、安産などに霊験あらたかという。
 山門は1457(長禄元)年の建立。本堂は1990(平成2)年の建立。婆王尊堂は同年の大改修。 光明殿は1989(平成元)年の完成。
 関東八十八ヵ所霊場第31番霊場。佐竹七福神福禄寿。茨城花の寺めぐり第3番札所。
 関東八十八ヵ所霊場の詳細は関東八十八ヵ所霊場へ。 佐竹七福神の詳細は佐竹七福神へ。 茨城花の寺めぐりの詳細は茨城花の寺めぐりへ。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 東茨城郡城里町高根118。大山寺の地図
大山寺婆王尊堂
大山寺婆王尊堂
大山寺山門 大山寺本堂
大山寺山門(左)、本堂(右)
大山寺関東八十八ヵ所霊場御朱印 茨城花の寺めぐり御朱印 佐竹七福神福禄寿御朱印
関東八十八ヵ所霊場第31番霊場の御朱印(左)、茨城花の寺めぐり第3番札所の御朱印(中)、佐竹七福神福禄寿の御朱印(右)
大山寺の紫陽花
 境内に多くの紫陽花がある。
大山寺アジサイ
大山寺境内の紫陽花
徳蔵寺 とくぞうじ
 引布山金剛光院徳蔵寺。真言宗智山派の寺。徳蔵大師(とくらだいし)。本尊は大日如来。
 弘仁年間(810〜23年)、弘法大師が山頂に八瓶(やつがめ)を設け雨を祈ったところ、 山上から白雲が起こり布をのばすように広がったことから引布山になったという伝説が残る。 開山は今から約800年前、弁海上人が諸仏と弘法大師の像を勧請、七堂伽藍を整備した。 往時は300坊を数える大寺院だった。
 境内には大師堂はじめ、観音堂や四国88ヶ所霊場の砂を埋め、ここに足を置けば四国88ヶ所霊場を巡礼したのと同じ御利益があるという御砂踏場がある。
 茨城花の寺めぐり第6番札所。佐竹七福神寿老人を祀る。 佐竹七福神の詳細は佐竹七福神へ。 茨城花の寺めぐりの詳細は茨城花の寺めぐりへ。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 東茨城郡城里町徳蔵874。徳蔵寺の地図
徳蔵寺本堂
徳蔵寺本堂
徳蔵寺大師堂 徳蔵寺観音堂
徳蔵寺大師堂(左)、観音堂(右)
徳蔵寺御朱印 徳蔵寺佐竹七福神寿老人御朱印
徳蔵寺の御朱印(左)、佐竹七福神寿老人御朱印(右)
徳蔵大師祭
 毎年4月29日に開催。健康長寿や開運厄除けの護摩祈祷特別札授与はじめ大師堂での弘法大師像御開帳、福まきや餅つき、 茶席、抽選会などの多くのイベントがある。また会場には露店やキッチンカーの出店もある。
徳蔵大師祭
徳蔵大師祭の大師堂
徳蔵大師祭舞台 徳蔵大師祭露店
徳蔵大師祭で大師堂前に設けられたステージ(左)、同じく露店(右)
小松寺
 白雲山普明院小松寺。真言宗智山派の寺。本尊は大日如来。境内の枝垂桜は素晴らしい。 平重盛の墓があることで知られる。
 開山は745(天平17)年、行基菩薩と伝えられる。 1182(養和2)年、平貞能が平重盛夫人とともに平重盛の遺骨を持ってこの地に落ちのびたという。 貞能は出家し小松坊以典となり重盛の菩提をともらったとされる。 重盛公の念持仏の如意輪観世音像は、高野山参詣の際、守護仏として授けられたものという。国指定文化財。
 佐竹七福神毘沙門天を祀る。佐竹七福神の詳細は佐竹七福神へ。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 東茨城郡城里町上入野3912。小松寺の地図
小松寺本堂
小松寺本堂
小松寺観音堂 小松寺唐門
観音堂(左)、唐門(右)
小松寺 小松寺
小松寺の御朱印(左)、佐竹七福神毘沙門天の御朱印(右)
小松寺の枝垂桜
 小松寺の入口と本堂前に大きな枝垂桜がある。
小松寺枝垂桜
入口の枝垂桜
龍谷院
 瑞雲山龍谷院。曹洞宗の寺。本尊は釈迦牟尼仏。茨城花の寺めぐり第1番札所。
 創建は1459(長禄3)年。開基は佐竹義成公。開山は秀峰宗岱和尚。
 本堂は鉄筋コンクリート造で1979(昭和54)年の完成。千手観音を祀る観音堂は2003(平成15)年再建された。 山門は1811(文化8)年の建立。瑞雲山の扁額は水戸祇園寺の開創、心越禅師の筆によるもの。 茨城花の寺めぐりの詳細は茨城花の寺めぐりへ。
 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。
 東茨城郡城里町阿野沢1509。龍谷院の地図
龍谷院本堂 龍谷院御朱印
龍谷院本堂(左)、御朱印(右)
龍谷院観音堂 龍谷院山門
龍谷院観音堂(左)、山門(右)
龍谷院の紫陽花
 境内に多くの紫陽花がある。花の時期には「あじさい行燈まつり」が開催される。
龍谷院アジサイ
龍谷院参道の紫陽花
仏国寺
 岩谷山清浄院仏国寺。真言宗豊山派。関東の女人高野と呼ばれる。
 行基菩薩の開基とされ、慶長年間(1596〜1614年)、教導上人が再興したされる。 道鏡の伝説が残る。本尊の十一面観世音菩薩は像高約57cm、銅製で、茨城県指定文化財。
 東茨城郡城里町塩子1736。仏国寺の地図
仏国寺本堂
仏国寺本堂
清音寺
 太古山獅子院清音寺。臨済宗南禅寺派。809(大同4)年、弘法大師が草庵を構えたことに始まると伝わる。 837(承和4)年、真雅僧正が堂宇を建立、浄光寺とした。源頼朝公らも崇敬したというが1237(嘉禎3)年罹災する。 1352(文和元)年、佐竹義敦公が複庵大光禅師を招き臨済宗に改め開山、大伽藍を建立したとされる。再び兵火などで罹災し衰えるが、 1602(慶長7)年には徳川家康公の助力で復興。さらに水戸徳川家、徳川光圀公の上申によって南禅寺派に属したという。 古内茶発祥の地とされ境内にも茶畑がある。銘茶母木「初音(はつね)」は光圀公の命名。 境内に3基の宝篋印塔がある。城里町指定文化財。南北朝時代のものとされ高さはいずれも約140cm。向かって右から佐竹貞義公、複庵大光禅師、佐竹義敦公。
 東茨城郡城里町下古内1130。清音寺の地図
清音寺本堂 清音寺塔
清音寺本堂(左)、宝篋印塔(右)
うなぎ地蔵
 清音寺に伝説が残っている。それによると清音寺にひときわ目立って美しくまじめな小僧がいた。 毎日どこからか赤飯を持ってきて御本尊に御供えしていたという。 ある日、龍潭渕=下記参照=で大きなうなぎが釣りあげられ、腹を裂くと赤飯が出てきた。 その日以降、小僧は姿を消してしまった。そのため、あの小僧はうなぎの化身ではなかったか言われ、村人は供養のため地蔵を祀ったとされる。 現在も龍潭渕のそばにある。
 東茨城郡城里町下古内。うなぎ地蔵の地図
うなぎ地蔵
うなぎ地蔵(向かって右側)
うなぎ地蔵の桜
 うなぎ地蔵のそばに建つ1本桜。
うなぎ地蔵の桜
うなぎ地蔵の桜
龍潭渕 りゅうたんぶち
 徳川光圀公が清音寺詣での帰りに藤井川のこのあたりで鮎釣りをしたという。 光圀公は、川の水は清く龍が潜んでいるような深みに感動しこの淵を「龍潭渕(りゅうたんぶち)」と名付けたとされる。 現在は淵沿いに道路が通っているが淵の斜面が高く、川岸までは降りることはできない。
 東茨城郡城里町下古内。龍潭渕の地図
龍潭渕
龍潭渕
龍潭渕の桜
 淵の斜面に複数本の桜が咲く。
龍潭渕桜
龍潭渕の桜
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