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筑西市
茨城県筑西市。読みは「ちくせいし」。つくば市の北西隣に位置する。
2005(平成17)年3月28日、下館市と真壁郡明野町、同関城町、同協和町が合併して誕生。
つくば市とは旧明野町地区が隣接する。人口は104,573人(2015年国勢調査)、面積205.35平方km。
旧下館市は、1889(明治22)年の町村制施行に伴い、下館町、伊讃村、嘉田生崎村、大田村、五所村、中村、河間村、竹島村、養蚕村が成立。 昭和の大合併で、1951(昭和26)年4月1日、下館町と伊讃村が合併し下館町として町域を拡大。 1954(昭和29)年2月1日に、下館町と竹島村、養蚕村が合併し下館町となり、 同年3月15日、さらに五所村、中村、河間村、大田村、嘉田生崎村が編入して市制施行した。 合併前の人口は65,034人(2000年国勢調査)、面積86.25平方km。 旧明野町は、1954(昭和29)年1月1日、大村町と長讃村が合併、さらに11月3日、大村町、上野村、鳥羽村、村田村が合併し発足した。 合併前の人口は17,796人(2000年国勢調査)、面積48.35平方km。 旧関城町は、1956(昭和31)年8月1日、関本町と河内村、黒子村が合併して発足した。梨の生産地として知られる。 合併前の人口は16,145人(2000年国勢調査)、面積34.51平方km。 旧協和町は、1954(昭和29)年12月1日、小栗村、新治村、古里村が合併し、協和村となった。1964(昭和39)年12月1日に町制施行した。 合併前の人口は17,145人(2000年国勢調査)、面積36.24平方km。 茨城県西部の中心都市。県西合同庁舎があり茨城県の出先機関が集中しているほか、国土交通省下館河川事務所などがある。東西に国道50号、南北に国道294号が走るほか、東西にJR水戸線、中央から南に関東鉄道常総線、中央から北に真岡鉄道が通る交通の要衝地。 鬼怒川、小貝川、勤行川が南北に流れる肥沃な土地で、日本有数の穀倉地帯、同じく梨、そしてこだまスイカの産地として知られる。 奈良時代、この地方の行政組織であった新治郡衙が置かれていたほか、平安時代には、藤原秀郷が平将門討伐のため、上館、中館、下館を築いたとされる。 また、南北朝時代には関城や伊佐城など、南朝方の拠点として登場。1478(文明10)年、には、この地方の豪族・結城氏の四天王といわれた水谷(みずのや)勝氏が結城氏から下館領を与えられ下館城を築城。 以降、江戸時代まで水谷氏が支配する。1590(天正18)年には、水谷勝俊が豊臣秀吉から下館領4万7000石を安堵されている。 その後、水谷氏が転封、水戸・徳川家の長男・松平頼重が5万石で入る。松平氏転封後は、一時天領時代が挟むものの増山正弥、老中などを務めた井上正岑、寺社奉行などを務めた黒田直邦のいずれも譜代大名が1代限りで入った。 その後1732(享保17)年、寺社奉行や若年寄を務め伊勢神戸藩では名君として領民から親しまれていた石川総茂が2万石で入る。 石川氏が9代続き明治維新となった。明治期以降もこの地方の中心として栄えた。 安倍晴明伝説は筑波山麓へ。 下館駅(関東鉄道常総線)、大田郷駅、黒子駅、黒子駅の桜 は関東鉄道常総線・駅へ。 関東鉄道常総線の車両については関東鉄道常総線・車両へ。 鬼怒川の河川、支流、橋などについては鬼怒川へ。 小貝川の河川、支流、橋などについては小貝川へ。 筑西市サイクリングロードは茨城の自転車道へ。 真岡鉄道 真岡鉄道は筑西市の下館駅から栃木県の真岡市などを経て栃木県茂木町の茂木駅に至る全長41.9kmの私鉄。 毎週土日及び祝日、夏休み期間中には「SLもおか」として蒸気機関車が運行され、人気を集めている。 真岡鉄道は、1912(明治45)年4月1日、旧国鉄の真岡軽便線として下館−真岡間が開通。翌1913(大正2)年7月11日真岡−七井間が、 1920(大正9)年12月15日七井−茂木間が開通した。1922(大正11)年に真岡線に改称した。1987(昭和62)年に民営化によりJR東日本の真岡線となり、 翌1988(昭和63)年4月11日、第3セクターの真岡鉄道真岡線となっている。 運行されているSLは、C12型。旧国鉄時代が1933(昭和18)年11月に山口県の工場で、同形66号機として誕生。 全長11.350m、重量は50.05t、最大出力は505馬力、最高運転速度は時速75km。 66号機は、鹿児島から岩手、青森、長野などで運行され、1972(昭和47)年に廃車。総走行距離は172万kmに及んだ。 その後、福島県川俣町で保存されていた車両を1993(平成5)年に動態復活、翌1994(平成6)年から真岡鉄道を走っている。 2019(令和元)年までC11型のSLも運行していたが、同年12月1日にラストランを行い、東武鉄道に譲渡した。 運行日は、毎週土日と祝日、夏休みなどは加えて金曜日だが、定期点検の場合は運休するので要確認。 午前10時35分に下館駅を出発、茂木駅で折り返し午後3時56分に下館駅に戻る。片道は1時間弱。 乗車には普通乗車券(定期券及び回数券は不可)のほか、SLもおか券(SL乗車整理券、大人500円、小人250円、指定券ではない)の2券が必要。 もおか券は、真岡駅、久下田駅、益子駅、茂木駅の窓口で、インターネットからの申込者を対象に販売。 また無人駅からの乗車の場合も、インターネットからの申込者を対象に乗車後車掌から購入する。 下館駅近くを走るC12(左)、同じくC11=現在は他社へ譲渡(右) 真岡鉄道、蒸気機関車の重連運行。手前がC11、奥がC12(左)、 現在の真岡鉄道主力車両モオカ14(右) 下館駅近くを走る「999」のヘッドマークをつけたC12。 しもだて美術館「松本零士展−夢の彼方へ」開催を記念し、2016(平成28)年5月21日、22日、6月11日、12日の4日間、 「真岡鉄道999号」として運行された(左)、 令和のヘッドマークをつけたC11。 天皇陛下即位を記念し2019(令和元)年5月1日、3日、4日、5日の4日間運行された(中左)、 米寿のヘッドマークをつけたC12。2021(令和3)年11月末で 製造から88周年であることから同年11月27日、28日の両日、「C1266米寿記念号」として運行された(中右)、 旧下館市出身で、陶芸家として初の文化勲章を受章した板谷波山を生誕150年を記念したヘッドマークをつけ、 2022(令和4)年4月9日、10日、16日、17日の4日間運行された(右) 蒸気機関車とディーゼル車の重連(左)、新年最初の土日に運行される「新年号」(右) 下館祇園まつり 筑西市最大の祭り。羽黒神社(下記参照)の祭礼。毎年7月の最終木曜日から日曜日まで4日間に渡って開催される。 木曜日から土曜日までは、JR下館駅北口前通りをメイン会場に毎年担ぐ神輿としては日本一の大きさを誇る「平成神輿」など、 多くの神輿が登場するほか、最終日である日曜日の早朝には筑西市金井町の勤行川で川渡御する。 祭りでは、「平成神輿」神輿のほか、日清戦争勝利を記念して造られた「明治神輿」、羽黒神社の相殿神「玉依姫」 の女神輿(姫神輿)などが渡御する。このほか、筑西市内各地区から30数基の町神輿、子供神輿も通りを練り歩き祭りを盛り上げる。 土曜日の夜は「わっしょいカーニバル」と題して、多くの神輿が集結する。市内の神輿だけでなく市外からの参加もある。 また、平成神輿、明治神輿の競演もみどころのひとつ。 川渡御は、勤行川に橋上から神輿をクレーンで降ろし、川の中で神輿を担ぐ。さらには神輿を川につけ、水で清める。 川渡御を終えた神輿は、羽黒神社へ向かい宮入りする。 祇園まつりの神輿などの詳細は下館祇園まつりへ。 川渡御 下館駅前通りを渡御する平成神輿(左)、同じく明治神輿(右) 平成神輿(手前)と明治神輿(奥)の競演 板谷波山 いたや はざん 筑西市出身の日本陶芸界の巨匠。1872(明治5)年4月10日、真壁郡下館町(現筑西市)生まれ。本名は板谷嘉七。 波山は、筑波山からとったという。東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科入学、岡倉天心、高村光雲らの指導を受ける。 卒業後は、石川県金沢の石川工業学校彫刻科の教師として赴任。1903(明治36)年、教師の職を辞して東京・田端に築窯。このころから波山の号を用いる。 1907(明治40)年には東京勧業博覧会で3等賞を受賞。以降、さまざま展覧会、博覧会で受賞、入選を果たす。 1929(昭和4)年、帝国美術院会員、1934(昭和9)年、帝室技芸員。1953(昭和28)年、陶芸家として初めて文化勲章を受章。 波山が始めたとされる葆光(ほうこう)彩磁はじめ、釉下彩(下絵付)による彩磁や彫文様を生かした磁器などの作品で知られる。 波山の登場以降は、陶芸家が職人ではなく、芸術家として認知されるようになったともいわれる。下館市(筑西市)名誉市民、茨城県名誉県民。 1963(昭和38)年、田端にて没、享年91歳。 板谷波山記念館前にある板谷波山像 板谷波山記念館 板谷波山の生家跡に、波山の功績を顕彰するため、1980(昭和55)年に開設された。 1995(平成7)年には、庭園、工房、展示館などを整備し新装開館した。 生家は木造平屋建て、瓦葺、建築面積71.8平方m。明和年間(1764〜71年)の建築とみられる。 6畳2間と3畳の間に玄関と台所がある。工房は、田端にあった波山の工房をそっくり移築したもの。 展示館には波山の作品のほか、愛用していた日用品なども展示されている。 開館時間は午前10時から午後6時。月曜日休館。入館料は200円、しもだて美術館との共通券は300円。高校生以下無料。 無料駐車場有。 筑西市甲(田町)866。板谷波山記念館の地図 板谷波山記念館 アルテリオ 筑西市の旧下館市中心部にある。地上3階、地下1階。1、2階がしもだて地域交流センター、3階にしもだて美術館、地下は駐車場となっている。 設計を日本芸術院会員の池原義郎氏によるもので、ガラス張りの大きな空中展示プロムナードからは筑波山を望むことも出来る。 集会室、ギャラリー、地域展示コーナーなどがある。開館時間は午前10時〜午後6時、月曜日休館。入館料は美術館のみ。 筑西市丙372。アルテリオの地図 アルテリオ しもだて美術館 アルテリオ3階にあるしもだて美術館は、板谷波山はじめ、郷土ゆかりの作家による作品の収蔵・展示を核として、 筑西市オリジナルの文化継承と再発見、さらには新たな地域文化の創造に貢献することを目的としている。 開館時間は午前10時〜午後6時、月曜日休館。常設展の入館料は美術館のみ200円、板谷波山記念館との共通入場券が300円。 高校生以下は無料。企画展の入館料は展覧会によって異なる。 筑西市丙372。しもだて美術館の地図 筑西市立図書館 中央図書館と明野図書館、関本公民館に設置された関城分館と協和公民館に設置された協和分館からなる。 1971(昭和46)年4月、下館市立図書館開館。1986(昭和61)年7月、明野町立図書館開館。 1998(平成10)年5月、現在の中央図書館となる下館市立図書館の新図書館が完成。 2005(平成17)年3月28日、筑西市の誕生に伴い、筑西市立図書館となる。 中央図書館、明野図書館及び分館の開館時間は午前9時から午後7時(分館は午後5時)。 月曜日休館(祝日の場合は開館、分館のみ火曜日休館)。 筑西市下岡崎1−11−1。筑西市立中央図書館の地図 筑西市海老ケ島2120−7。筑西市立明野図書館の地図 筑西市立中央図書館(左)、筑西市立明野図書館(右) 道の駅グランテラス筑西 北関東最大級の道の駅。茨城県内14番目の道の駅として2019(令和元)年7月11日オープン。 敷地は約4万8千平方m、地元の農産物などを販売する物産直売レストランカフェ棟、筑西市の情報発信を兼ねた雑貨ベーカリー棟はじめ 体験交流テナント棟、イベント広場、トイレ情報提供施設棟などがある。駐車場は普通車318台、大型43台分ある。 物産直売施設などの営業時間は午前9時から午後6時(6月から8月は午後7時)まで。 筑西市川澄1850。グランテラス筑西の地図 グランテラス筑西のメイン施設物産直売レストランカフェ棟 グランテラス筑西イルミネーション 18000球のイルミネーションがグランテラス筑西の屋外広場と渡り廊下で行われている。 12月上旬から2月末まで。 グランテラス筑西のイルミネーション あけの元気館・晴明の湯 筑西市営の天然温泉を中心とした健康増進施設。泉質は、ナトリウム、カルシウムを含む塩化物泉。無色、無臭、塩味。 療養泉として、虚弱児童、慢性婦人病、神経痛、筋肉痛、慢性消化器病、病後回復期、切り傷などに効果がある。 温泉は、内風呂、露天風呂(洋風・和風)がある。 和風の露天風呂は、「晴明の湯」と名がつけられている。 浴室には、フィンランドサウナ、水風呂などがある。また、館内の温水プールやトレーニングルームも入浴料だけで利用できる。 休館日は第2、第4水曜日。営業時間は午前10時から午後10時。入浴料は大人700円(中学生以上)、高齢者600円(満65歳以上)、 小人300円(3歳以上)。 筑西市新井新田48−1。あけの元気館の地図 あけの元気館 筑西遊湯館 鬼怒川のほとり、筑波山を望む場所にある総合健康増進施設。ごみ処理場の余熱を使った温水プールとお風呂がメーンの施設。 温水プールは、スイミングプール、キッズプールなど4種類。お風呂は洋風風呂、和風風呂、露天風呂の3種類。このほかトレーニングルームなどがある。 利用料金は大人(中学生以上)600円、小人(4歳〜小学生)300円、高齢者(65歳以上)500円、障害者(手帳持参)200円、介助者500円。 休館日は第2、第4木曜日(祝日の場合は翌日)。利用時間は午前10時から午後10時30分(土日祝は午後9時まで)。 筑西市下川島471−2。筑西遊湯館の地図 筑西遊湯館 日本ハム茨城工場 日本ハムのハム、ソーセージ製品の3割を生産する最大の工場。 茨城工場は、1963(昭和38)年操業開始。敷地面積約81000平方m。新工場が2000(平成12)年4月に完成した。東洋一の規模を誇る。関東全域と東北の一部に商品を供給している。 新工場は、太陽光発電システムや氷畜熱空調システムなどを備えた省エネ工場。2001(平成13)年にISO14001を取得した。 工場に関する説明、工場見学、試食からなる。無料。 工場見学は毎週土曜日、午前の部(午前10時〜)と午後の部(午後2時〜)の2回。見学時間は約2時間。 見学には事前に申し込みが必要。受付時間は平日の午前10時〜午後5時。見学希望日の1カ月前から受付開始、締め切りは見学日前々日の午後5時。 なお工場には隣接してハム、ソーセージの手作り体験が出来る下館工房が併設されている。午前11時から午後4時まで。 水曜日定休。手作り体験は約2時間から3時間。材料も1kg〜15kg。有料(525円〜)。 筑西市みどり町2−1−1。日本ハム茨城工場の地図 日本ハム茨城工場(左)と下館工房(右) 七羽黒神社 下館初代城主・水谷将勝は、羽黒神社を中心に、下館城の鬼門、風門、病門、天門と、5社の羽黒神社を創建。 その後、6代城主・水谷正村が1545(天文14)年、久下田城築城の際して、鬼門、病門と、更に2社を創建し、あわせて七羽黒と称した。 羽黒神社 下羽黒神社。下館初代城主・水谷将勝が1481(文明13)年、領内鎮護を祈願し、出羽国(山形)の羽黒大権現を勧請、西郷谷に建立した。 羽黒神社は、その後下館城を中心に7つ建立され、七羽黒と称された。羽黒神社は七羽黒の筆頭神社として、歴代城主の崇敬篤く、武運長久、領内安全、子孫繁栄を祈願したと伝えられている。 一間社流造の社殿は、1634(寛永11)年建立のもので、桃山風の建築様式を備えている。本殿と愛宕明神立像、絵馬は茨城県の文化財に指定されている。 羽黒神社境内の西側にある愛宕神社は、同神社が勧請されるまで西郷谷(現在の羽黒神社付近)の鎮守だった歴史を持つ。 祭神は伊弉冉尊、火産霊神。御神体の愛宕明神立像は鎌倉時代の作とされ、木造彩色で翼を持つ。 現在の愛宕神社本殿は1971(昭和46)年の再建、同じく拝殿は羽黒神社の旧拝殿を移動した。 下館祇園祭は、同神社の祭礼で、毎年7月の最終木曜〜日曜に行われる(上記参照)。 神社神輿は2つあり、一つは1992(平成4)年に新調された毎年担ぐ神輿では日本一の大きさを誇る「平成神輿」。 重さは約2t、台座の幅1.4m、高さ3.5m、担ぐ棒の長さは縦7m、横6.4mにもなる。 もう一つは、1895(明治28)年、日清戦争の戦勝を祝って造られた重さ約1tの「明治神輿」。 戦勝を記念しただけあって胴の扉の上には日章旗と軍艦旗が彫刻され、その間には戦争勝利時に飛来したという「鷹」も彫られている。 2010(平成22)年に修復が行われた。 御朱印有。御朱印については茨城の御朱印・神社も参照。 筑西市甲(大町)37。下館羽黒神社の地図 羽黒神社拝殿(左)、御朱印(右) 羽黒神社本殿(左)、同じく鳥居(右) 愛宕神社 羽黒神社節分祭 羽黒神社で2月3日に行われる。午後5時から第1回、午後6時に第2回、午後7時に第3回が行われる。 年男、福女と呼ばれる参加者は、弓などを持った神職の先導で拝殿に入る。祈祷(約15分)を受けた後、拝殿前から豆まき、福まきを行う。 節分祭で拝殿前から豆をまく参加者 羽黒神社の紅葉 羽黒神社には銀杏はじめ多くの落葉広葉樹があり、秋の境内を彩る。 神社入口の紅葉 神社入口の銀杏 稲野辺羽黒神社 竹島神社 鬼門に当たる稲野辺の羽黒神社。明治時代、近隣の神社と共に合祀され、竹島神社となった。稲野辺の地名は残されているが、竹島神社があるのは市野辺。 合祀などの案内板はない。七羽黒で唯一、羽黒神社として現存していない。 筑西市市野辺。竹島神社の地図 竹島神社 下岡崎羽黒神社 風門に当たる下岡崎の羽黒神社。金井町の薬師堂、菅谷神明宮とともに結界を形成する。本殿、拝殿は1956(昭和31)年4月の鷹場町の大火で焼失。同年11月再建された。 なお、鷹場町の大火は、同神社で延焼がとまった。鳥居は1996(平成8)年、区画整理によって東南の方角に移された。 筑西市下岡崎3−1−7。下岡崎羽黒神社の地図 下岡崎羽黒神社 外塚羽黒神社 病門に当たる外塚の羽黒神社。以前は境内が船の形をしていたこともあり船羽黒とも呼ばれた。城の搦手である岡芹とともに西口の要衝。1980(昭和55)年、区画整理によって現在地に移された。 筑西市外塚183。外塚羽黒神社の地図 外塚羽黒神社 上羽黒神社 天門に当たる岡芹の羽黒神社。城の搦手につくられた。一間社流造の本殿と寄棟造の拝殿、それに絵馬が茨城県の文化財に指定されている。 筑西市岡芹968−1。上羽黒神社の地図 上羽黒神社 大根田羽黒神社 久下田城の鬼門に当たる大根田の羽黒神社。1995(平成7)年に再建された。 栃木県真岡市(旧二宮町)大根田。大根田羽黒神社の地図 大根田羽黒神社 口戸羽黒神社 久下田城の病門に当たる口戸の羽黒神社。 筑西市口戸。口戸羽黒神社の地図 口戸羽黒神社 千妙寺せんみょうじ 東睿山金剛寿院千妙寺。天台宗の寺。本尊は釈迦如来。最澄の直弟子・慈覚大師円仁が834(承和元)年、現在地より南東の上野の地に創建。 当時は承和寺といった。 その後、平将門の乱による戦火で本堂など全て焼失した。、 859(貞観元)年、清和天皇の勅願による祈祷が行われたとき大恩寺に改められた。 南北朝時代の中ごろ、1351(観応2)年、崇光天皇(北朝3代)の勅により、第16世亮守が現在地の黒子に移転し寺を再興、中興開山とされる。 西の比叡山延暦寺とともに、天台の伝法灌頂道場として栄えた。 盛時には、末寺、門徒寺は7カ国、600余ケ寺を数えたという。伝法灌頂道場は、比叡山延暦寺と千妙寺だけに伝えられる貴重な宗教行事という。 東国花の寺百ヶ寺茨城第7番。茨城百八地蔵尊霊場第39番札所。詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 御朱印有。寺院の御朱印については茨城の御朱印・寺院も参照。 筑西市黒子214。千妙寺の地図 千妙寺客殿(左)、御朱印(右) 通称・釈迦堂と呼ばれる千妙寺総本堂(左)、千妙寺山門(右) 千妙寺の彼岸花 千妙寺の境内に咲く彼岸花。2016(平成28)年7月、本堂前の庭園にあった池の跡地に、檀家、総代世話人などの協力を得て約5000球の彼岸花を植えたもの。 秋の彼岸に合わせるように彼岸花が満開となる。 千妙寺の境内に咲く彼岸花 積善院の枝垂桜 積善院の本堂前ある枝垂桜。なお花見は駐車場から、境内への立入禁止。 筑西市黒子230。積善院の地図 積善院の枝垂桜 赤浜神社 承和寺(現在の千妙寺=上記参照)の守護社として、承和寺3代、長意住職が勧請した。俗に「山王さま」と呼ばれている。 元は「日吉神社」または「日枝神社」だったが、明治維新の際、稲荷神社を合祀して「赤浜神社」と改称した。 観請した日吉神社は、近江国の一の宮で、比叡山の近くにあり、東本宮に大山咋命、西本宮に大己貴命を祀っている。 その縁もあって、承和寺の守護神として勧請したと考えられている。承和寺が移転後も、神社はそのまま残った。 筑西市赤浜525。赤浜神社の地図 赤浜神社拝殿 伊佐城跡 茨城県指定文化財。築城年代は不明。南北朝時代、城主の伊佐氏は、南朝方の北畠親房が拠る小田城に呼応、大宝城、関城などとともに戦った。 しかし北朝方、高師冬の攻撃についに落城、以後廃城となった。 東は五行川を望む台地にあり、現在の城跡は二の丸跡とされ、観音寺が建立されている。 筑西市中館522。伊佐城跡の地図 伊佐城跡の碑 観音寺 中館観音。施無畏山延命院観音寺。天台宗の寺。 用明天皇の時代(585〜87年)雨引観音と同じく、中国(梁)出身の法輪独守居士の創建。 本尊の木造観世音菩薩立像は高さ約102cm。鎌倉時代の作で国の重要文化財。別名延命観世音菩薩。 御朱印有。2種類ある。寺院の御朱印については茨城の御朱印・寺院も参照。 筑西市中館522。観音寺の地図 観音寺(左)、同じく山門(右) 観音寺本堂(左)、観音寺御朱印(中)、御影タイプの御朱印(右) 観音寺の桜 観音寺境内には多くの桜がある。 観音寺境内の桜 観音寺境内の枝垂桜(左)、同じく観音堂前の桜(右) 観音寺の彼岸花 観音堂と本堂の間の参道に多く咲く。 観音寺の彼岸花 延命水 中館観音寺が創建されたころ、この地方に疫病が流行し死者が続出していた。 そこで法輪独守居士が、悪疫退散の祈願を行なうと不思議にも清泉が怫然として湧き出てきたという。 そして、この水を飲んだ人はたちまち疫病が治ったと伝えられている。 その後、孝徳天皇の代に再びあらたかな霊験があり天皇の叡感により「延命」という称を賜ったと伝えられる。 現在でも木の根元から水が湧き出している。 筑西市中館522。延命水の地図 延命水 最勝寺 清瀧山最勝寺。天台宗の寺。1258(正嘉2)年、五所村上平塚に浄土真宗の寺として創建される。 1628(寛永5)年、現在地の伊讃村下平塚に移転、天台宗に改められた。 本堂手前の参道西側に東面してある薬師堂は筑西市指定文化財。 桁行三間、梁間三間、寄棟造。「貞亨二年」(1685年)の棟札があり、このころの建築様式を伝えている。なお薬師如来は秘仏。 御朱印有。寺院の御朱印については茨城の御朱印・寺院も参照。 筑西市下平塚57。最勝寺の地図 最勝寺本堂(左)、御朱印(右) 最勝寺山門(左)、薬師堂(右) 最勝寺の彼岸花 最勝寺の庭園や参道などさまざまな場所に咲く。 最勝寺の山門手前に咲く彼岸花(左)、同じく駐車場脇に咲く彼岸花(右) 最勝寺の紅葉 最勝寺の境内では多くの木々が紅葉する。 最勝寺の本堂前の紅葉 最勝寺の山門前の紅葉(左)、同じく庭園の紅葉(右) 五行川ごぎょうがわ勤行川ごんぎょうがわ 小貝川の支流。延長52.4kmあり、小貝川の支流では最長。栃木県さくら市(旧氏家町)の水田に源を発し、塩谷郡高根沢町、芳賀郡芳賀町、真岡市を経て筑西市に入る。 筑西市では、旧下館市の中心部を流れ、小貝川に流入する。下館祇園祭で有名な川渡御は、五行川で行われる。 また、鮭の遡上する川として知られる。例年10月末から11月にかけて川を上る鮭を見ることが出来る。 旧下館市内の中心市街地の橋の上からよく見ることができる。また、遡上の季節には、さまざまなイベントも行われている。 国土交通省の表記では五行川となっているが、旧下館市では勤行川と呼ばれることが多い。また、筑西市ではホームページ等の案内でも勤行川と表記している。 勤行の名は、平将門が栃木県・真岡市にある大崎明神に戦勝祈願するため勤行したからという説と、筑西市中館の観音寺の僧がこの川で勤行したからという説があり、由緒ある名前となっている。 なお、五行を冠した橋名はないが、国道50号に架かる橋は「勤行大橋」となっている。 五行川・勤行川の詳細は小貝川へ。 五行川 勤行川桜づつみ 勤行川(五行川)沿い、筑西市サイクリングロード沿いに植えられた桜並木。 女子競歩の元オリンピック代表・川崎真裕美選手が練習コースとして使用していたことから「五輪への道」と刻まれた記念碑がある。 筑西市小林。勤行川桜づつみ(南側)の地図 勤行川桜づつみ 勤行川コスモスロード 筑西市蒔田の勤行川沿いにある。延長約1.5km。地元のボランティア団体が育てている。10月中旬から11月上旬が見頃。 筑西市蒔田。勤行川のコスモス(南側)の地図 勤行川沿いのコスモス(左)、コスモス越しの筑波山(右) 勤行川の桜 桜堤になっている場所以外にも勤行川の堤防には桜が植えられている。 特に下岡崎近隣公園付近には大きな桜が植えられている。 筑西市下岡崎。勤行川の桜の地図 勤行川の桜 勤行緑地 勤行川右岸、筑西市小林の仙在橋から筑西市高島の高島橋の間に設けられた緑地。川沿い約1kmある。 筑西市。勤行緑地の地図 勤行緑地 勤行緑地の紫陽花 勤行緑地内には多くの紫陽花が植えられている。 勤行緑地の紫陽花 筑西雛祭りひなめぐり しもだて地域交流センター「アルテリオ」をメーン会場に、JR下館駅周辺の商店や事業所で、雛人形やつるし雛が飾られている。 2月上旬から3月3日まで。 一番の見どころは、メーン会場のアルテリオにある高さ5mという巨大な雛飾り。 下から見上げるだけでなく、吹き抜けに飾られていることから2階から見下ろすこともできる。 アルテリオの巨大雛飾り 下館大町だるま市 筑西市のJR下館駅北口、大町通りで毎年成人の日に開催されている。 当日は大町通りから、下館羽黒神社前が歩行者天国となり、多くのだるまの露店に加え、飲食の露店や数々のイベントも実施され多くの人でにぎわう。 筑西市甲。大町通りの地図 下館大町だるま市 招福舘男舘女 下館大町だるま市と同時開催。下館羽黒神社神事として行われる。 羽黒神社拝殿前をゴールにした福男、福女選びの短距離走。 神社前の羽黒坂から参道を走る。いずれも上り坂。小学生の部と中学生以上の成人の部がある。いずれも男女一緒に走る。 1着、2着、3着には、それぞれ一番福、二番福、三番福の称号と賞品が贈られる。 筑西市甲。下館羽黒神社の地図 羽黒神社拝殿前のゴール目指して走る 久下田城跡 1545(天文14)年、下館城主の水谷正村が、北方の宇都宮氏から下館領を守るため、下館城の北に築城した。 東は五行川を望む台地にあり、筑西市樋口の城山周辺が城域。城跡(二の丸跡)には、城跡公園がある。 茨城県指定文化財。 筑西市久下田。久下田城跡の地図 久下田城跡 下館城跡 1478(文明10)年、水谷勝氏が結城氏広から下館領を与えられ築城。3代勝之の時完成した。 水谷氏はその後も戦国時代を生き抜き、さらに関ケ原の戦いでも東軍につき、大名となっている。 城は、平城で、堀を三重にめぐらし、「螺城」の別名を持つ。本丸、二の丸、三の丸があったが、ほとんど当時の遺構は見られない。 現在は、本丸跡に八幡神社が建っており、二の丸は大部分が下館小学校の敷地になっている。 なお下館藩は、水谷氏が1639(寛永16)年、勝隆の時、備中成羽に転封となった。同年、水戸藩主・徳川頼房の長男・松平頼重が5万石で入封。 1642(寛永19)年、讃岐高松藩へ転封となり、一時天領となったが、1663(寛文3)年、増山正弥が入封、以後井上正岑、黒田直邦と続き、 天領を経て1739(享保17)年、石川総茂が2万石で入封し、石川氏が九代続いて明治維新を迎えている。 筑西市甲。下館城跡の地図 下館城跡 関城跡 国指定史跡。筑西市南端の関舘地区にある鎌倉時代から南北朝時代の城跡。城主は関氏。 東、南、西の三方が旧大宝沼に囲まれ北は台地続きで、土塁と掘割をめぐらせた天然の要塞。 南北朝時代、南2.5kmのところにある大宝城と呼応し、南朝に味方した。 1341(興国2)年、北畠親房らがこの城に入り、城主の関宗祐親子が、わずか300名の兵力で、高師冬ら北朝の軍勢と戦った。 攻めあぐねた師冬軍が、城へ入るための地下道(坑道)を掘った跡などが残されている。およそ2年間戦ったが、関城は力尽き滅ぼされた。 城跡には城主・関宗祐親子の墓がある。 なお、北畠親房は、小田城で書いた神皇正統記を、ここで加筆し完成させたという。落城寸前に脱出し、吉野に帰っている。 筑西市関館。関城跡の地図 関城跡 辻集落火渉 つじしゅうらくかしょう 筑西市辻地区の稲荷神社境内(辻田園都市センター前)で行われる火渉神事。薪を燃やしたあとを素足で歩くことで無病息災などを祈願する。筑西市指定無形民俗文化財。 かつては初午に行われていたが、現在は初午直後の日曜日に行われている。 火渉は、江戸時代の1830(文政13)年から続くといい200年近くの歴史がある。会場には薪を並べて火渉の道を作り、その上に薪や粗朶を重ねる。間口2m、長さ4m、 高さ1.5〜2mになる。午後2時から神事を執り行い、修験者によって四方から火が放たれる。約30分後火が落ち着いてくると、長い竿を使って中央部分をかき分け道を作る。 修験者が最初に渡り、それに続いて参加者が渡る。 渡りが終わると最後に多くの人が燃え残った「燃えさし」を持ち帰る。これを家の入口に吊るすと疫病除けになると伝わっている。1年たつとこれを返して再び新しいものを持ち帰る。 筑西市辻。辻田園都市センターの地図 火渡りする修験者(左)、燃え上がる薪(右) 荒川家住宅荒七 下館の中心市街地にある商家。国登録文化財。 主屋、店蔵、付属屋、内蔵、石蔵の5棟。主屋は木造3階建、アールデコ調の洋館で、3階の屋根は方形屋根の特異な外観持つ。 1875(明治8)年の建造物で、5棟のなかで最も新しい。東側には土蔵造2階建の店蔵があり、現在も酒店として使われている。 主屋の北側に付属屋、その北側に内蔵がある。2階建ての土蔵で、5棟のなかでは最も古く、1868(明治元)年の建造物。石蔵は東北端にある。 明治期の下館商店街の繁栄を示す建物として貴重なものとなっている。 筑西市甲868(田町)。荒川家住宅・荒七の地図 荒川家住宅 一木歯科医院 国登録文化財。木造鉄網コンクリート2階建て。1922(大正11)年の建造物。1階が診療室、2階が和室となっている。 筑西市甲12(田町)。一木歯科医院の地図 一木歯科医院 荒川家住宅荒為 国登録文化財。「荒為」の屋号で知られる商家。旧卸問屋。上記荒川家住宅とは、道を挟んで反対側にある。主屋、旧店蔵、土蔵の3棟。 主屋は、木造2階建て、江戸時代末に建てられた。寄棟造、銅板葺き。旧店蔵は、1908(明治41)年の建物。土蔵造2階建て。 1933(昭和8)年、国道50号の拡幅に伴い、現在の場所に移動した。同時に3階建て、洋館風の袖蔵を増築した。 土蔵は、土蔵造2階建て、明治後期の建造。 上記荒川家住宅同様、明治期の下館商店街の繁栄を示す建物。 筑西市甲929(田町)。荒川家住宅・荒為の地図 荒川家住宅旧店蔵と袖蔵 常陸入道念西・仙台伊達氏の祖 常陸入道念西は、この地方にあった伊佐郡を本拠とした武将で、仙台の独眼流で知られる伊達政宗を輩出した伊達氏の祖とされる。 鎌倉時代、源頼朝による奥州征伐の石那坂の戦い(いしなざかのたたかい)で、念西の4人の息子、為宗、為重、資綱、為家が功をたてた事から、奥州の伊達郡を戦功としてもらい、以降、伊達氏を名乗った。 念西は、初代・伊達朝宗(だて ともむね)とされる。念西は、藤原氏の流れをくみ、祖父の代に常陸に地方豪族として根をはり、伊佐氏を名乗る。 念西の時代には源頼朝につかえ、有力御家人として関東で地位を固めていた。娘(大進局)が頼朝の側室となっている。 なお、伊達領拝領後は、念西は居を伊達郡に移すが、伊佐郡の土地は長男の為宗が治め、引き続き伊佐氏を名乗った。 伊達氏は次男の為重(後の宗村)が相続している。伊達政宗は、念西(朝宗)を初代とし、17代目の子孫。なお、伊佐氏は、南北朝の戦いで南朝方についたため、没落している。 観音寺には、同じく朝宗より7代目、南北朝時代の武将で、南朝方の伊佐氏を助け、北朝方の高師冬の軍勢と戦った 伊達宮内大輔行朝公(伊達行朝)の廟(供養塔)がある。 筑西市中舘。伊達行朝廟の地図 伊達行朝廟 下館藩主石川総管の墓 石川総管(いしかわふさかね)の墓は、観音寺境内にある。筑西市指定文化財。 総管は、江戸時代末期、下館藩第9代藩主。講武所奉行、若年寄、陸軍奉行、陸軍副総裁などを歴任した。 明治維新後、版籍奉還により下館知藩事となった。1899(明治32)年6月23日、東京の屋敷で亡くなっている。 筑西市中舘。下館藩主石川総管の墓の地図 観音寺境内にある石川総管の墓 下館駅 JR東日本水戸線、関東鉄道常総線、真岡鉄道の3つの路線が交差する。関東鉄道常総線と真岡鉄道は終点駅となる。 北側から順に、1番線・真岡鉄道、2,3,4番線・JR東日本水戸線、5,6番線関東鉄道常総線のホームとなる。 開設は1889(明治22)年、水戸線が水戸鉄道として、小山・水戸間の開通に伴うもの。 その後1912(明治45)年、真岡鉄道が真岡軽便線、下館・真岡間が開通。 1913(大正2)年、常総線が常総鉄道として取手・下館間が開通した。 茨城県内で3つの鉄道事業者(JR貨物を除く)による3路線が乗り入れている駅は下館駅のみ。 関東鉄道常総線下館駅の詳細は関東鉄道常総線・駅へ。 筑西市乙86。下館駅の地図 下館駅 星のファンタジーinしもだて 下館駅南口ロータリーや周辺の街路樹がイルミネーションに飾られる。12月上旬から1月末まで。下館さくら商店街振興組合主催。 下館駅南口ロータリーのイルミネーション 新治駅 JR東日本水戸線の駅。1895(明治28)年9月15日開業。 現在の駅舎は2021(令和3)年3月6日供用を開始した。延床面積は45.8平方m。筑波山を連想させる屋根が特徴。 筑西市新治2003−3。新治駅の地図 新治駅(左)、現在は取り壊されている旧新治駅(右) 玉戸駅 JR東日本水戸線の駅。1988(昭和63)年6月20日開業。 筑西市玉戸1675−1。玉戸駅の地図 玉戸駅 川島駅 JR東日本水戸線の駅。1889(明治22)年4月16日、伊佐山駅として開業。同年5月25日川島駅に改める。 現在の駅舎は2015(平成27)年1月12日供用開始。 2021(令和3)年12月12日、同駅前に人面付壺形土器モニュメントが設置された。 人面付壺形土器は、川島駅近くの同市女方にある女方遺跡で、1939(昭和14)年から行われた発掘調査で出土した同市を代表する文化財。 弥生時代中期のものといい、当時行われていた「再葬墓」(一度土葬した後、白骨化して改めて壺に遺骨をおさめて埋葬) で遺骨が入れられたものという。目と口の周りに隈取りがあり、この時代の人面付壺形土器では特に精巧なもの。 現在は東京国立博物館が展示、保管している。モニュメントは高さ約69.5cmで原寸大。 筑西市伊佐山168−1。川島駅の地図 川島駅 跨線橋(左)、人面付壺形土器モニュメント(右) 川島駅前の桜 JR水戸線、川島駅前にある桜。駅の東側にある。駅の向かい側にもう一本ある。 筑西市伊佐山168−1。川島駅の地図 川島駅前の桜 大田郷駅前の桜 大田郷駅前のロータリー内にある桜。 筑西市玉戸。大田郷駅前の桜の地図 大田郷駅前の桜 県西生涯学習センターの桜 県西生涯学習センターにある一本の桜。 筑西市野殿。県西生涯学習センターの地図 県西生涯学習センターの桜 中村美術サロン 旧下館市内の旧家・中村家の土蔵を改造した美術館。中村家は代々続く名家で、9代目は俳号を「風篁」といい、与謝蕪村を支援するなど、文化に理解が深かった。 そのDNAが受け継がれ、19代目が現在のサロンをオープンさせた。中村家所蔵の板谷波山の作品はじめ、日本画や油絵を展示。 また、多くの個展も開かれている。白壁の土蔵造りの建物が目印。 筑西市甲(大町)46。中村美術サロンの地図 中村美術サロン 関城の梨 筑西市関城地区(旧関城町)は日本でも最も古い梨の産地のひとつ。「幸水」「豊水」「大高」が主な品種。 茨城県銘柄生産地。夏から秋にかけてがシーズン。関城地区の沿道では、梨の直売所も設けられる。 協和の紅こだまスイカ 筑西市協和地区(旧協和町)は、国内有数のこだまスイカの生産地。紅こだまスイカは実が赤い品種。茨城県の銘柄産地指定を受けている。 協和地区の沿道では、紅こだまスイカの直売所も設けられる。 JA北つくばきらいち筑西店 2004(平成23)年10月26日オープン。 売場面積約466平方m、駐車場は約120台。 このほか、地元農家と消費者の交流を図る場として多目的ホール約70平方m、体験農園約1000平方mがある。 営業時間は午前9時〜午後6時30分(4月〜10月)、午前9時30分〜午後6時(11月〜3月)、毎月第3水曜日定休。 筑西市西方838−1。きらいち筑西店の地図 きらいち筑西店 JA北つくば協和直売所 協和農産物直売所。営業時間は午前9時〜午後4時、毎週火曜日、土曜日定休。 筑西市上星谷369。協和直売所の地図 県西総合公園 「スポーツ、レクリエーションを通じた地域コミュニティの向上」を目的に整備された。1992(平成4)年開園。 多目的広場、バーベキュー広場、野外ステージ、テニスコート、ターゲットバードゴルフ場、体育室や会議室があるコミュニティクラブハウスなどがある。 公園の入園は無料だが、多目的広場やバーキュー広場などの利用は有料。 開園時間は午前8時30分〜午後9時(12月〜3月は午後5時まで)。第1水曜日(祝日の場合は翌日)及び1月1日、12月31日が閉園。 筑西市桑山2818。県西総合公園の地図 コミュニティクラブハウス 親水池とあずまや(左)、南側入口モニュメント(右) 多目的広場(左)、こども広場の巨大遊具(右) 県西総合公園の桜 公園内に多くの桜がある。 遊歩道の両側を彩る桜 公園内の桜(左)、築山の上を覆う桜(右) 大鳥の桜 明野公民館の桜 明野公民館の周囲に植えられている桜。明野公民館のある場所は、旧明野町立大鳥中学校の跡地。 1951(昭和26)年3月、当時の大村・鳥羽村組合立大鳥中学校第2回卒業生が、その記念として、1人1本づつ、計170本の桜の苗木を植えたもの。 筑西市海老ケ島2120−7。大鳥の桜の地図 大鳥の桜 小栗判官まつり 12月の第1日曜日に筑西市立新治小学校校庭を主会場にJR水戸線新治駅前通りで行われている武者行列を中心とした歴史イベント。 同地は、小栗判官物語のモデルとなった常陸国小栗御厨の城主、小栗氏の本拠地。まつりは、地域起こしを目的に旧協和町時代の1989(平成元)年にスタートした。 新治小学校に設けられたステージでは、祭りのメーンイベントである武者行列の出陣式及び凱旋式が行われる。 武者行列では、馬に乗った小栗判官、御所車の「照手姫」はじめ、四天王、十勇士、侍女、旧協和町内の小学校の児童など約200人で歴史絵巻が展開される。 例年、小栗判官役にはテレビなどで活躍する俳優やタレントが起用されている。 このほかステージでは、茨城県無形民俗文化財に指定されている「小栗太々神楽」などの伝統芸能の披露も行われる。 筑西市門井1890−2。新治小学校の地図 馬上の小栗判官(左)、小栗に仕えた四天王と十勇士の行列(右) さまざまな格好の武者(左)、侍女の列(右) 新治廃寺跡 奈良時代にあった寺跡。国指定史跡。 1939(昭和14)年に始まった調査で、金堂の東西に塔を配し、北側に講堂がある伽藍配置であることがわかった。 また、多くの古瓦が出土している。建物のあった部分には盛土され、遺跡が保護されている。そのため、伽藍配置がイメージしやすい。 国道50号沿いにある。石碑と案内板がある。 筑西市久地楽、古郡。新治廃寺跡の地図 新治廃寺跡。東塔から金堂の方向を望む 新治郡衙跡 奈良時代の古代律令制度のもとにあった新治郡(現在の筑西市、桜川市、笠間市あたり=近世の新治郡とは別)の役所跡。国指定史跡。 1941(昭和16)年に始まった調査で、庁舎跡と倉庫跡を計51棟確認。 また、『日本後紀』の817(弘仁8)年に常陸国新治郡の不動倉13棟と穀9990石を焼失したという記事と符合する建物跡と炭化した穀物も確認されている。 現在は、遺跡のほぼすべてが畑となっており、遺構はない。石碑と案内板だけが、畑のなかにある。 筑西市古郡。新治郡衙跡の地図 新治郡衙跡の碑と案内板 内外大神宮ないげだいじんぐう 小栗内外大神宮。大同年間(806〜810年)の創建と伝えられる。伊勢神宮と同じく内宮に天照大神、外宮に豊受大神を祀る。 本殿は応永年間(1394〜1427年)に焼失、1679(延宝7)年に再建されたもの。 内宮、外宮の本殿が並んであり、向かって右が内宮、左が外宮。本殿が並んでいるのは茨城県内では珍しいという。両宮本殿とも三間社神明造。 御遷殿は、遷宮(うつしのみや)ともいい、1574(天正2)年の建立。一間社流造。2009(平成21)年、両本殿及び御遷殿が国の重要文化財に指定されている。 小栗周辺は平安時代後期に、伊勢内宮領となった。茨城県内で唯一の御厨(みくりや=小栗御厨)で、常陸大掾・平維幹の曾孫である重義(重家)が小栗氏を名乗り、代々この地を治めた。 内外大神宮に伝わる太々神楽は、茨城県指定無形民俗文化財(下記参照)。 筑西市小栗1。内外大神宮の地図 内宮本殿(左)、外宮本殿(右) 内外大神宮拝殿(左)、覆屋に保護されている御遷殿(右) 小栗内外大神宮太々神楽 小栗内外大神宮に伝わる太々神楽。毎年4月21日と11月10日の直前の日曜日に行われる神社の祭礼で奉納される。茨城県指定無形民俗文化財。 1751(寛延4)年、山城国愛宕郡三嶋宮神主らにより時の内外大神宮宮司に伝えられたとされる。 その後、伊勢神楽師の指導を受け、12神楽36座が成立したという。 また番外の八岐大蛇退治の舞がある。神楽は、神々の功績をたたえ、平穏な自然と作物の豊穣を祈り、悪を払い幸福を祈願する。 これを勇壮な舞と融和的な舞とで表現する。 小栗太々神楽の詳細は小栗内外大神宮太々神楽へ。 太々神楽鬼祓神楽(左)、同じく素戔嗚命の八岐大蛇退治(右) 太々神楽稲生神楽(左)、同じく春日舞(右) 雲井宮郷造神社くもいのみやくにつくりのみやつこじんじゃ 祭神は、正殿が武甕槌命、左殿・事代主命、毘奈良珠命、右殿・大国主命、御名方命。元鹿島大明神で、地元では「明神様」と呼ばれる。 常陸西国三十三観音札所第2番。境内には天神宮、道祖神が祀られている。 筑西市倉持928。雲井宮郷造神社の地図 雲井宮拝殿(左)、本殿(右) 雲井宮門(左)、天神宮(右) 雲井宮郷造神社の桜 参道から社殿周辺まで多くの桜がある。 雲井宮拝殿前の桜 下館駅南桜並木 下館駅の南地区の街路が桜並木となっている。駅周辺の複数の通りが桜並木で、開花時期には桜まつりも開催される。 筑西市。下館駅南の地図 下館駅南の桜並木 日立化成桜並木 日立化成株式会社下館事業所(五所宮)にある桜並木。1974(昭和49)年3月、当時の工場長が「市民の憩いの場となるように」 との願いから植えたもの。工場東側の道路沿いに約200本の桜が植えられている。 筑西市五所宮1150。日立化成下館事業所の地図 日立化成桜並木 定林寺 玉叟山定林寺。曹洞宗の寺。もとは稲野辺にあり、般若山定林寺といい、真言宗の寺だった。下館城主水谷家の菩提寺として、水谷氏歴代の墓がある。 1481(文明13)年、、初代下館城主水谷勝氏が、結城の乗国寺から良室欣栄和尚を開山に迎え、曹洞宗に改宗した。この時、玉叟山に改めた。玉叟は勝氏の号。 境内にある銅鐘は、室町時代の作で、1567(永禄10)年、第7代下館城主水谷勝俊の寄進。 また、境内には鎌倉時代のものと見られる板碑がある。いずれも茨城県指定文化財。 筑西市岡芹957。定林寺の地図 定林寺本堂(左)、定林寺山門(右) 妙西寺 祥雲山妙西寺。曹洞宗の寺。もと善陽寺といい、真言宗の寺だった。 1586(天正14)年、第6代下館城主・水谷政村が母の冥福を祈るため、結城の安穏寺から天秀真慧和尚を招き開山とし、これ以降曹洞宗に改宗した。 山号の祥雲、寺号の妙西は、母の法名・祥雲院殿蓮室妙西大姉からとったもの。 筑西市乙(新花町)657。妙西寺の地図 妙西寺本堂 加波山事件志士の墓 妙西寺の門前にある。間口4m、奥行き2mほどの大きさで、4本の角柱の墓が建てられている。 角柱には、加波山事件で亡くなった、茨城県と栃木県出身の富松正安、保多駒吉、玉水嘉一と平尾八十吉の4人の名前がそれぞれに刻まれている。 筑西市乙(新花町)657。加波山事件志士の墓の地図 加波山事件志士の墓 雷神社 樋口雷神社として知られる。1087(寛治元)年、源義家が後3年の役で勝利し、帰陣の途中、この地で休憩し、一宇を建立し、戦勝の報賽を行ったのがはじめりという。 本殿は、1776(安永5)年の再建。拝殿は、1779(安永8)年の建立。幣殿は1689(元禄2)年、拝殿として建立され、新しい拝殿の建立とともに、幣殿に改築された。 旧暦3月16日に行われる湯立祭は、1691(元禄4)年から続いており、湯立てにより、その年の吉凶を占う神事(下記参照)。 筑西市樋口412。雷神社の地図 樋口雷神社社殿 湯立祭 ゆたてさい 樋口雷神社で行われる湯を使ってその年の吉凶などを占う神事。毎年4月の第1日曜日に行われる。 「雷神社の湯立祭」として筑西市無形民俗文化財に指定されている。 1691(元禄4)年、本殿改築の説きから始まったという。境内に4本の竹と注連縄などで結界を作り、 その中央に釜を据え湯を沸かす。行者は、笹の枝で湯を頭上から降り注ぐ行為を繰り返し、 最後には神がかってお告げを氏子や講中に伝える。 当日は朝から氏子が中心となって準備が進められ、午前11時から神楽の奉納、 午後3時から花火を合図に湯立の神事が行われる。 湯立祭(左)、湯立祭で奉納された神楽(右) 薬師堂 1478(文明10)年、初代下館城主水谷勝氏の建立といわれる。もと大徳寺というお寺だった。 薬師堂は、1691(元禄4)年の再建と伝えられている。本尊は薬師如来。木造欅材入母屋造平屋瓦葺。蟇又に十二支の彫刻、正面に龍の丸彫がある。 眼病に御利益があるとして信仰を集めている。 筑西市甲(金井町)898。薬師堂の地図 薬師堂(左)、薬師堂前にある大欅(右) 五所神社 722(養老6)年の創建とされる。1189(文治5)年、源頼朝の奥州征伐に従った伊佐氏が戦功により伊佐荘を領有した時、5ケ所の神霊を祀り創建したとも伝えられる。 祭神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売命。境内社として、日枝神社、八幡神社、熊野神社、天満神社、稲荷神社が祀られている。 現在の本殿は1622(元和8)年の再建。三間社流造、銅瓦棒葺。 伊佐荘33カ村の総鎮守。歴代領主からも崇敬された。 筑西市五所宮1。五所神社の地図 五所神社社殿 三所神社 祭神は誉田別命(八幡神)、武甕槌命(鹿島神)、経津主命(香取神)の三社を祀る。 811(弘仁2)年、武甕槌命を勧請し創建。その後、近隣の八幡神社、香取神社を合祀したことから三所神社となる。 現在の本殿は1912(大正元)年の再建。 筑西市村田1700。三所神社の地図 三所神社拝殿(左)、本殿(右) 三所神社の桜 境内に多くの桜があり、参道は一部桜のトンネルになる。 三所神社の桜 二所神社 祭神は武甕槌命、別雷命。平安時代後期、成田氏が、鹿島神宮から神霊を勧請し、成田鹿島神社として祀った。 1186(文治2)年、一の谷の戦いにおける戦功で、小貝川筋12郷を領地として賜ったので、その神徳に感謝し鹿島神社として再建した。 1877(明治9)年、別雷神社を合祀し二所神社と改称した。旧郷社。大正時代まで流鏑馬が行われていた。 境内に大榊がある。 筑西市成田386。二所神社の地図 二所神社拝殿(左)、二所神社本殿(右) 二所神社の桜 境内に多くの桜があり、参道は桜のトンネルになる。 二所神社の桜 船玉古墳 鬼怒川の左岸の丘陵部に位置する装飾古墳。およそ35m四方の方墳で高さは約4mと推定。玄室。前室、羨道からなる横穴式石室で南側が開口部。 石室は雲母片岩の板石で構築されている。赤と白の顔料で壁画が描かれていた。 古墳時代後期に作られたもので、茨城県内では最大規模の古墳。茨城県指定史跡。 古墳上には船玉神社、そして境内社の七鬼神社があったが、東日本大震災により倒壊、現在は撤去され、古墳南側に移転再建されている。 筑西市船玉。船玉古墳の地図 船玉古墳(左)、船玉古墳石棺入口(右) 船玉神社 祭神は、誉田別命、底筒男命、中筒男命、表筒男命。創建は不詳ながら、水上安全の守護神、船玉大明神として古くから祀られていた。 1709(宝永6)年の手洗石が残されている。またいわゆる力石がある。 境内社として七鬼神社(祭神=不詳)、粟島神社(祭神=少名彦命)、天満宮(祭神=菅原道真公)、 稲荷神社(祭神=倉稲魂命)、山神神社(祭神=大山祇命)がある。 船玉神社は、現在の社殿北側にある船玉古墳の上に建てられていたが、2011(平成23)年3月11日の東日本大震災で倒壊した。 この社殿は1923(大正12)年、船玉地区のほかの場所にあったものを移築したと考えられている。 再建にあたり、古墳上は文化財の関係もあり、古墳の南側に再建され、2022(令和4)年4月17日完成した。 船玉神社の拝殿には2月の立春から3月にかけて雛飾りが展示される。 御朱印、オリジナル御朱印帳有。月替わり限定御朱印有。 御朱印については茨城の御朱印・神社も参照。 筑西市船玉248。船玉神社の地図 船玉神社社殿(左)、船玉古墳上時代の船玉神社社殿(右) 船玉神社拝殿内(左)、同じく船玉神社扁額(右) 船玉神社拝殿の雛飾り 船玉神社御朱印(左)、船玉神社オリジナル御朱印帳表紙(中)、 同裏表紙(右) 七鬼神社 船玉神社の境内社。地元では「しちふくさん」と呼ばれ親しまれている。4月の大祭には神楽の奉納がある。 御朱印有。授与は船玉神社社務所。 御朱印については茨城の御朱印・神社も参照。 筑西市船玉248。七鬼神社の地図 七鬼神社社殿(左)、七鬼神社御朱印(右) 七鬼神社全景(左)、同じく七鬼神社脇に飾られた奉納画(右) 船玉神社の桜 船玉神社の境内脇の駐車場にある桜。 船玉神社の桜 七鬼神社の大祭 七鬼神社の大祭は、かつて4月20日に行われていたが、近年は4月20日直近の日曜日に行われている。 太太神楽が午後1時から奉納される。神楽は「関本神社太太神楽」=下記参照=で、第1座五行の舞、 第2座那岐・那美の舞、第3座猿田彦の舞、第4座翁の舞、第5座八幡の舞、第6座蛭子の舞、第7座連の舞、第8座岩戸開きの舞からなる。 最後に餅まきが行われる。 七鬼神社の大祭、奉納神楽、那岐・那美の舞(左)、同じく八幡の舞(右) 同じく猿田彦の舞(左)、同じく連れ舞(右) 関本神社 1873(明治6)年4月、稲荷神社に、当時の関本村内にあった鹿島神社、若宮八幡神社、郡神社、神明神社を合祀、関本神社となった。 筑西市の無形民俗文化財となっている「太太神楽」(だいだいかぐら)は、毎年春の3月3日と秋の11月23日の大祭で奉納されている=下記参照。 境内にある欅(けやき)は、推定樹齢400年以上の古木。筑西市指定の天然記念物となっている。 筑西市関本上1404。関本神社の地図 関本神社拝殿 関本神社本殿(左)、同じく鳥居(右) 関本神社太太神楽 関本神社で3月3日の春の大祭と11月23日の秋の大祭で奉納される。江戸時代の享保年間ごろから行われているという。 筑西市指定無形民俗文化財。 神楽は8座からなる。第1座五行の舞、第2座那岐(なぎ)・那美(なみ)の舞、第3座猿田彦の舞、第4座翁義の舞、 第5座八幡の舞、第6座蛭子(ひるこ)の舞、第7座連の舞、第8座岩戸開きの舞。 関本神社太太神楽の詳細は関本神社太太神楽へ。 関本神社太太神楽岩戸神楽の舞 夫婦の狐による連の舞(左)、大山祇命による餅まき(右) 木戸神社 祭神は大山咋神、菅原道真公、素戔嗚命。旧村社。長い参道がある。1872(明治5)年1月25日、この地域に祀られていた山王神社(日枝神社)、天満宮、 八坂神社を合祀し木戸神社とした。拝殿の扁額は右から「日枝神社」「天満宮」「八坂神社」の3社が書かれている。 また境内社として稲荷神社、白山神社、淡島神社、浅間神社、水神社、愛宕神社がある。 筑西市木戸1。木戸神社の地図 木戸神社拝殿 木戸神社本殿(左)、同じく鳥居(右) 木戸神社初天神 毎年1月25日に行われる。神事後に行われる流鏑馬は江戸時代に始まると伝わる。 実質的には馬は使わず拝殿前で的に向けて弓を射る「御歩射(オビシャ)」が行われている。 初天神では、正面鳥居から宮司を先頭に参進。神事が執り行われた後、的を射る「流鏑馬神事」を行う。 宮司が最初に3度矢を射った後、参加者が交代で同じく3度ずつ射る。的に当たった数で農作物の出来を占うとされる。 拝殿前での流鏑馬神事(左)、祭礼日の神社入口の幟と鳥居に掲げられた国旗(右) 木戸神社の桜 長い参道に大きな桜が複数本ある。 木戸神社鳥居脇の桜 関本祇園祭 関本神社の夏季祭礼。祭りに伝わる関本祇園囃子は、江戸時代、鬼怒川の水運を通じて伝承したといい、 300年以上の歴史がある。大杉囃子を起源にしたもので、現在12の楽曲が伝わる。 祭りでは、神輿の渡御のほか複数のお囃子会による山車の運行がある。7月第4土曜日及び日曜日の2日間、関本地区の通りは歩行者天国となる。 渡御する関本中町神輿 川島天満宮夏祭り 川島地区にある天満宮の祭りで、7月第3土曜日夜にはJR川島駅前通りが歩行者天国となる。 現在の神輿は、1984(昭和59)年に当時の川島神輿の胴回りの彫刻をいかして大修理したものという。 また同神社には1888(明治21)年の神輿が残る。現在の同市女方、宮田庄三郎に、よるもので、総漆塗一部極彩色高欄造という豪華なもの。 現在は失われてしまったが屋根の野筋四方に龍の丸彫が施され、軒先に龍頭がきて口から大きく炎を吐き出し蕨手となっていたという。 筑西市川島。川島天満宮の地図 渡御する川島天満宮の神輿 村田の夏祭り 村田三所神社の神輿が渡御する。第3日曜日の夕方から夜にかけて、村田三所神社近くの道路が歩行者天国になる。 神輿の渡御は一時途絶えていたが、2006(平成18)年、23年ぶりに復活した。 渡御する村田三所神社の神輿 宮山観音堂 もとは無量院という寺院で、創建は不詳ながら、江戸時代には鹿島神社の本地仏、十一面観世音菩薩を祀り、 特に牛馬の安全を護る仏として信仰を集めていた。明治時代に入り、神仏分離により無量院が廃寺となり、観音堂のみが残った。 現在の観音堂は、1723(享保8)年の上棟。桁行3間、梁間3間、屋根は寄棟造、向拝1間。 内部の欄間には七福神の彫刻がある。もともと茅葺だったが1973(昭和48)年の改修で茅葺の上に鉄板が被せられた。 大工棟梁は箱田村(現在の笠間市)の藤田孫平次で、藤田は現在の桜川市の小山寺楼門の棟梁、 同じく千葉県・成田市の新勝寺三重塔では棟梁の次に名前がある。筑西市指定文化財。 筑西市宮山。宮山観音堂の地図 宮山観音堂 宮山観音古墳 宮山観音堂の北側にある古墳。全長92mの前方後円墳で、5世紀初期の築造と考えられている。 前方部長さ約47、幅約40m、高さ約4m、後円部が直径約45m、高さ約6m。 筑西市宮山。宮山観音古墳の地図 観音堂の後方にある宮山観音古墳後円部 宮山観音古墳の前方部(左)、観音堂脇にある宮山観音古墳のオブジェ(右) 宮山石倉遺跡 南北70m、東西30mの範囲に巨石が積み上げられたような状態になっている遺跡。 標高は約48mある。頂上にある巨石は「弘法の硯石」と呼ばれ、1ヶ所に水が溜まっており、 渇水期でも枯れることなく潤っていたとされる。この水で墨をすり字を書くと上達すると言い伝えられている。 筑西市宮山。宮山石倉遺跡の地図 宮山石倉遺跡(左)、同じく頂上部の巨石「弘法の硯石」(右) 山倉神社 祭神は、高皇産霊神(たかむすびのかみ)、建速須佐男神(すさのおのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)。 天文年間(1532〜55年)、下総国山倉村の山倉大神から分霊を勧請し創建。1874(明治7)年まで山倉大六天王と称した。 その後山倉大神、1952(昭和27)年9月22日、山倉神社。病難除災に御利益ありとして広く信仰を集める。 御朱印有。御朱印については茨城の御朱印・神社も参照。 筑西市小川1528。山倉神社の地図 山倉神社社殿(左)、御朱印(右) 春日神社 祭神は、天児屋根命、大日霎貴命、武甕槌命、斎主命。藤原武麿が麿山(現在地の西方)に創建した。 784(延暦3)年、現在地に遷座したという。旧村社。1665(寛文5)年、領主の井戸氏(旗本)が本殿と拝殿を建立した。 現在の本殿は1848(嘉永元)年の再建とされる。一間社流造。屋根は「とち葺き」(板葺きの一種)。 筑西市嘉家佐和1772。春日神社の地図 春日神社社殿 福蔵院 慈眼山福蔵院光福寺。梶内観音。天台宗の寺。行基菩薩作と伝えられる十一面観音が本尊。 1刀3礼の作とされ、安産、子育てに霊験があるとして知られる。 838(承和5)年慈覚大師の創建という。江戸時代の1711(正徳元)年、定観が中興した。 毎年3月17日は、護摩法要が盛大に行われる。 茨城百八地蔵尊霊場第40番札所。詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 筑西市梶内805。梶内観音の地図 梶内観音 延命寺 荘台山地蔵院延命寺。真言宗豊山派。本尊は地蔵菩薩。創建は1637(寛永14)年以前という。 江戸時代、徳川家の庇護厚く、本堂には、1708(宝永5)年につくられたという2代将軍秀忠公、3代将軍家光公、4代将軍家綱公の 位牌が安置されている。また、代々の将軍から賜った朱印状が残されている。境内、本堂前には樹齢300年を超える枝垂桜がある(下記参照)。 筑西市伊佐山142。延命寺の地図 延命寺 延命寺の枝垂桜 延命寺の境内にある樹齢300年を超える枝垂桜。花の時期にはさまざまなイベントや夜のライトアップも行われる。 筑西市伊佐山142。延命寺の地図 延命寺の枝垂桜 夜の枝垂桜 観音院 正法山観音院。別名律院。檀家を持たない寺院。1744(延享元)年の創建。本堂は1862(文久2)年の建立。 三間四方総檜方形造。蟇又に十二支、正面欄間に花鳥風月の彫刻がある。筑西市指定文化財。 境内には樹齢150年というしだれ桜(下記参照)や江戸の石工が建てたという宝篋印塔がある。 筑西市森添島1107。観音院の地図 観音院本堂(左)、桜の時期の境内(右) 観音院の枝垂桜 正法山観音院の境内にある樹齢150年を超える枝垂桜。境内入口には紅枝垂桜もある。 筑西市森添島1107。観音院の地図 観音院の枝垂桜 田中稲荷神社 田中稲荷大明神。祭神は倉稲魂命。古くから田中村(現在の田町、金井町、末広町、春日町、桜町)の惣社。 1189(文治5)年、源頼朝が奥州征伐の帰路、詣でたという記録がある。1789(寛政元)年、神位を受け正一位田中稲荷大明神。 1857(安政4)年、火災により焼失。1863(文久3)年、現在地に移転、再建。 筑西市甲(田町)855−1。田中稲荷神社の地図 田中稲荷神社 田中稲荷愛宕神社 田中稲荷大明神。1857(安政4)年、火災により焼失、遷座し、同地には愛宕神社を祀ることになったが、稲荷神社も合わせて祀られたためこのような名称となった。 筑西市丙124。田中稲荷愛宕神社の地図 田中稲荷愛宕神社 田中稲荷愛宕神社の冬桜 田中稲荷愛宕神社境内にある冬桜。その名の通り冬に咲く桜。花は小ぶりだが多くの花をつける。花が咲く時期が長いのも特徴。 筑西市丙124。田中稲荷愛宕神社の地図 田中稲荷愛宕神社の冬桜 桑山神社 創建は不詳だが、1714(正徳4)年の神祗官宣旨がある。 祭神は大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、 天児屋根命(あめのこやねのみこと)、別雷命(わけいかずちのみこと)。社殿は1785(天明5)年の再建。 1873(明治6)年、八龍神、富士浅間を合祀し、桑山神社となった。 本殿及び関流算額絵馬は筑西市指定文化財。本殿向拝の2本ある柱には、磯部秀猷作と伝わる昇り龍、下り龍の見事な彫刻がある。 筑西市桑山1694。桑山神社の地図 桑山神社社殿 桑山神社の紅葉 拝殿前にある巨樹の紅葉。 桑山神社の紅葉 八幡神社 本城 下館城跡にある。1732(享保17)年、下館城主となった石川近江守総茂は、代々崇敬していた京都・石清水八幡宮から勧請し氏神として下館城内に祀り 石川氏の武運長久、領民の安泰を願ったとされる。本殿は筑西市指定文化財。 筑西市甲(本城町)611。八幡神社・本城の地図 八幡神社拝殿 八幡神社 中舘 諏訪八幡神社。中舘八幡神社。祭神は誉田別命、建御名方命。文治年中(1185〜89年)、仙台伊達氏の先祖である伊佐朝宗が伊佐城主となった時、 諏訪、八幡両社を祀り、守護神としたという。 筑西市中舘380。八幡神社・中舘の地図 八幡神社拝殿 八幡神社本殿、八幡神、諏訪神の2つある(左)、鳥居(右) 中舘八幡神社の桜 中舘八幡神社境内にある桜。 中舘八幡神社の桜 鹿島神社 東石田 1611(慶長16)年の創建とされる。 筑西市東石田919。鹿島神社・東石田の地図 東石田の鹿島神社(左)、本殿(右) 鞍懸神社 旧村社。祭神は国常立命。 筑西市宮後1393。鞍懸神社の地図 鞍懸神社拝殿(左)、本殿(右) 鞍懸神社の桜 鞍懸神社の境内にある桜。 鞍懸神社境内の桜 不動堂 月海山観喜院医王寺(廃寺)の不動堂。生貫不動尊。 医王寺は1295(永仁3)年、源平合戦で源義経の軍に参加し、屋島の戦いで戦死した佐藤継信の子、佐藤英信が父の戦跡視察で この地を訪れ薬師堂を建て医王寺を建立したとされる。英信は故郷に戻ることなくこの地で没した。 不動堂は1723(享保8)年の建立。総欅で三間(約5.4m)四方の方行造。筑西市指定文化財。 堂の下には土中から三尺ほど突き出た石があり、それに「かんまん」の梵字が書かれているという。 筑西市岡芹867−1。不動堂の地図 不動堂 月海山観喜院医王寺石仏 廃寺となった月海山観喜院医王寺の薬師堂前にある花崗岩製の石仏。 左右あり、向かって左側は1677(延宝5)年、同じく右側は1670(寛文10)年の建立。像高は左が175cm、右が185cm。 筑西市指定文化財。 筑西市岡芹。医王寺石仏の地図 医王寺石仏、向かって左(左)、同じく右(右) 月海山観喜院医王寺の藪椿 廃寺となった月海山観喜院医王寺の石仏像脇にある。樹齢は不明ながら樹高約10m、幹回り約1.7m。筑西市指定天然記念物。 筑西市岡芹。医王寺の藪椿の地図 医王寺の藪椿 石造五輪塔 鎌倉時代のものと考えられる石造五輪塔。茨城県指定文化財。筑西市村田、中町地区の共同墓地中央の高台にある。 すでに建立から700年経過していることから五輪塔に刻まれた摩耗が激しく読み取ることは難しくなっているが、 古文書などから村田荘の初代地頭、村田朝政を慰霊するために建立されたものと推察されるという。 明治期以前は近くの三所神社境内にあった神宮寺にあり、1868(明治元)年、現在地に移された。 筑西市村田1736。石造五輪塔の地図 石造五輪塔 長光寺 石田山長光寺。曹洞宗の寺。 筑西市東石田1048。長光寺の地図 長光寺本堂(左)、山門(右) 長光寺の桜 山門と本堂の間にある。また、境内には枝垂桜、本堂裏には山桜がある。 長光寺の桜 長福寺 宮後山法受院長福寺。浄土真宗の寺。1234(文暦元)年、西願御坊の開基とされる。 西願は、常陸源氏の棟梁、佐竹頼泰の子孫で、宍戸三郎重俊といい、宍戸を領していたが、戦に破れて真壁に逃れた。 その頃、東国布教の親鸞聖人に出会い、1228(安貞2)年、弟子となり、西願の法名を賜る。 長福寺は、江戸時代、幕府から庇護され、1685(貞享2)年には、徳川綱吉から寺領を賜っている。 筑西市宮後1029−1。長福寺の地図 長福寺 尊像寺の枝垂桜 尊像寺境内にある枝垂桜。 筑西市成田451。尊像寺の地図 尊像寺の枝垂桜 光見寺の枝垂桜 光見寺の本堂前にある枝垂桜。 筑西市樋口216。光見寺の地図 光見寺の枝垂桜 神宮寺の枝垂桜 神宮寺の本堂前と山門脇にある枝垂桜。 筑西市桑山1696。神宮寺の地図 神宮寺の枝垂桜(左)、山門脇の枝垂桜(右) 上中山鹿島神社の大寒桜 筑西市上中山の鹿島神社にある桜。 筑西市上中山35。上中山鹿島神社の地図 上中山鹿島神社の大寒桜 女方観音の桜 筑西市女方の女方観音にある桜。 筑西市女方。女方観音の地図 女方観音を覆うようにある桜 大谷川の桜並木 筑西市を南北に流れる小貝川の支流大谷川沿いにある桜。川沿いの数カ所に並木がある。 筑西市西方。大谷川の桜並木の地図 筑西市西方付近の大谷川桜並木 川西の桜 筑西市一本松を流れる大谷川に架かる川西橋のたもとにある小さな公園の桜。名前は当サイトが便宜上つけたもの。 筑西市一本松。川西の桜の地図 川西の桜 新善光寺 如體山廣嶋院新善光寺。時宗の寺。本尊は缶三尊阿弥陀如来。開山は観鏡上人。 1239(延応元)年、現在の笠間市に宍戸氏によって建立される。1595(文禄4)年、宍戸氏の城替えに伴い現在地に移転する。 観鏡上人は、一遍上人に学び、後に時宗12派のひとつである解意派を興した。 1334(建武元)年には後醍醐天皇により、建武の新政に功のあった小田氏一門の寺として「解意一派新善光寺」勅額が下賜されている。 全国善光寺会会員。 筑西市松原432。新善光寺の地図 新善光寺の本堂(左)、山門(右) 大谷寺 だいこくじ 松壽山大谷寺。日蓮宗。1624(寛永元)年、深如院日淵上人により真言宗の寺を改宗、当時は大谷山星宮寺と称した。 1889(明治22)年、下館本城町に移転。 1909(明治42)年、移転後の廃寺同然のこの地で日壽上人が縫製回復に尽力。 1950(昭和25)年、日乗上人が新寺を建立、「松壽山大谷寺」と称し現在に至る。 虚空蔵堂は、真言宗時代からある。現在の堂は棟札などから1747(延享4)年の再建。筑西市指定文化財。 虚空蔵菩薩像が2体と三十番神像が祀られている。菩薩像のうち1体はこの再建時に勧請、もう1体はそれ以前からあるもの。 智恵、学業増進、眼病に御利益があるとして信仰を集めている。 筑西市大谷632。大谷寺の地図 大谷寺の本堂(左)、大谷寺虚空蔵堂(右) 蓬田天満宮 蓬田地区にある天神山(標高100m)の頂付近に鎮座する。957(天徳元)年、京都・北野天満宮から勧請した。 祭神は菅原道真公。旧村社。 本殿は1983(昭和58)年4月22日、旧協和町の文化財に指定された(のちに合併により筑西市指定文化財)が 2013(平成25)年に火災により焼失、文化財指定は解除となった。 現在の本殿は2018(平成30)年の再建で、日本3天神とされる常総市の大生郷天満宮より御分霊を勧請した。 春の例祭は1月25日直前の日曜日、秋の例祭は11月23日に行われている。 神社周辺のいわゆる鎮守の森は蓬田自然環境保全地域に指定されている。 筑西市蓬田737。蓬田天満宮の地図 蓬田天満宮拝殿 蓬田天満宮本殿(左)、同じく鳥居から参道を見る(右) 八幡神社 八幡 祭神は誉田別命。創建年代は不詳。筑西市指定文化財の本殿は、1862(文久2)年の建立。 間口1.5間、奥行き2.5間で流造、二重虹梁、屋根は茅葺屋根を鉄板で覆っている。 本殿外側には、龍や聖賢の彫刻がある。 御朱印有。御朱印については茨城の御朱印・神社も参照。 筑西市八幡180。八幡神社・八幡の地図 八幡(やわた)八幡神社の本殿(左)、御朱印(右) 八幡八幡神社の拝殿(左)、同じく八幡八幡神社鳥居(右) 大宮神社 藤ヶ谷 祭神は稲田姫命、素戔嗚命、大巳貴命。旧村社。創建不詳。境内社に太晃稲荷社、愛宕神社など多くある。 2023(令和5)年3月、社殿の改修工事を行った。 筑西市藤ヶ谷1337。大宮神社・藤ヶ谷の地図 藤ヶ谷大宮神社の拝殿 藤ヶ谷大宮神社の本殿(左)、同じく藤ヶ谷大宮神社の鳥居と参道(右) 藤ヶ谷行屋 藤ヶ谷大宮神社=上記参照=の参道途中の脇ある。同神社の別当寺だった東光院が明治の神仏分離 の影響で廃寺となったことに伴い、現在地に小堂を建て、同寺院の仏像を移したもの。 現在の堂は、かつての堂が老朽化したことに伴い、藤ヶ谷地区の地元住民が浄財を出し1991(平成3)年に再建したもの。 筑西市藤ヶ谷。藤ヶ谷行屋の地図 藤ヶ谷行屋 野殿不動堂 野殿十二神不動尊。 不動明王とともに薬師如来の眷属である十二神将を祀っている。 また、不動堂の敷地内には、主に江戸時代に建立さえた野仏が残る。 悪を破る、治病、災害の除去、安産、財福を得るなどの御利益があるとして信仰されてきた。 筑西市野殿。野殿不動堂の地図 野殿不動堂 内淀観音堂の銀杏 筑西市内淀の畑のなかにある観音堂の銀杏。遠くには筑波山も見える。 筑西市内淀。内淀観音堂の地図 内淀観音堂の銀杏(左)、同じく銀杏と遠くに見える筑波山(右) 来福酒造 創業は1716(享保元)年。創業以来の銘柄である「来福」は、「福や来む 笑う上戸の 門の松」という俳句からとったもの。 「来福」は、通常の吟醸、純米などの銘柄のほか、花酵母を使った商品を展開している。 花酵母は、自然界の花から清酒酵母を純粋分離したもの。ナデシコ、ツルバラ、アベリア、オシロイバナなど13種類の酵母がある。 このほか「真向勝負」という品質重視の銘柄も販売している。 蔵見学を受け付けている。平日午前9時30分〜午後3時。土曜日午前10時〜午後3時。20人以内。予約が必要。見学時間は約1時間。 また、酒造り体験も行っている。期間は11月から3月まで。平日及び土曜日、祝日の午前8時から正午まで。こちらも予約が必要。 筑西市村田1626。来福酒造の地図 来福酒造 伊讃美ヶ原記念揚水土地改良区の円筒分水 筑西市の北西部、同市小川にある伊讃美ヶ原記念揚水土地改良区が管理する円筒分水。 鬼怒川から口径600mm、95kwの揚水機2台で取水。 口径1200mmのコンクリートヒューム管によって円筒分水工まで送水され、 均等に3分水されている。灌漑の受益面積は258ha。 この地域は、もともと「飯島ヶ原」と呼ばれる山林地帯だったが、 日露戦争後、明治天皇陛下統監による陸軍特別大演習を行うため、 伐採及び開墾によって一面の平野となった。 1907(明治40)年11月19日、観兵式が実施された。 これによって明治天皇から「伊讃美ヶ原」の名称を賜った。 1914(大正3)年11月、この地域の開田を目的とした灌漑を行うため地主らによる 伊讃美ヶ原記念揚水耕地整理組合が設立され、地区北端の鬼怒川から揚水し340町歩 (揚水事業完了時には368町歩)を灌漑した。 戦後、土地改良法により1952(昭和27)年5月、 現在の伊讃美ヶ原記念揚水土地改良区に名称が変更となっている。 筑西市小川。伊讃美ヶ原記念揚水土地改良区の円筒分水の地図 伊讃美ヶ原記念揚水土地改良区の円筒分水 伊讃美ヶ原記念揚水土地改良区の円筒分水アップ(左)、同じく稼働前の円筒分水(右) ザ・ヒロサワ・シティ 「自然・健康・文化のまち」をコンセプトにした複合レジャー施設。下館ゴルフクラブ、下館パークゴルフ場、下館オフロードコース、 レールパーク、広沢農園、クラインガルテン、梅林、クラシックバイク・クラシックカーミュージアムなどがある。 筑西市茂田。ザ・ヒロサワ・シティの地図 ザ・ヒロサワ・シティのレールパーク 宮山ふるさとふれあい公園 宮山観音古墳など史跡があるほか、キャンプ場やどんぐりの林、トンボ池などがあり自然に親しむことが出来る。 展望台からは筑波山が望め、建物内には安倍晴明の展示がある。また、地元産の農産物を直売するあけのアグリショップがある。 このほか、陶芸工房では、焼き物体験が出来る。 自然豊かな平地林のなかにあるキャンプ場は、サイト数20。利用期間は7月1日から9月30日までの夏期のみ。 筑西市宮山504。宮山ふるさとふれあい公園の地図 豊かな自然の中にある宮山ふるさとふれあい公園キャンプ場 ふれあい公園管理センター(左)とふれあい公園展望台(右) 宮山ふるさとふれあい公園の鯉のぼり 筑西市内の小学校の児童が手作りした鯉のぼりが多数泳ぐ。また使われなり寄付された鯉のぼりもある。4月中旬から5月上旬。 宮山ふるさとふれあい公園の鯉のぼり 宮山ふるさとふれあい公園の桜 ソメイヨシノほか枝垂桜などが園内に咲く。 宮山ふるさとふれあい公園の桜 宮山ふるさとふれあい公園東側にある桜(左)、同じく枝垂桜(右) 宮山ふるさとふれあい公園の蝋梅 園内には蝋梅が複数本あり、早春に黄色い花をつける。 宮山ふるさとふれあい公園の蝋梅 下岡崎近隣公園の桜 公園全体に様々な桜が植えられており、園内全面に桜が咲く。 筑西市下岡崎。下岡崎近隣公園の地図 下岡崎近隣公園の桜 明野ひまわりの里 筑波山を背景にしたひまわり畑。同市倉持地区約4.3haの畑に約100万本のひまわりが咲き誇る。最近では「インスタ映え」するとして人気。 あけのひまわりフェスティバルが8月下旬から9月上旬にかけて開催される。 なお、2015(平成27)年までは宮山地区の約2.8haにひまわり畑があった。 明野ひまわりの里には、八重ひまわりや陸前高田のひまわり、黄色やオレンジ色の黄花コスモスなどが植えられている。 特に八重ひまわりは、鑑賞面積としては日本最大級という。フェスティバル開催中はさまざまなイベントが行われるほか、ひまわりの切り花販売も実施。会場周辺には臨時駐車場も設けられる。 筑西市倉持。明野ひまわりの里の地図 筑波山を背景にした一面のひまわり畑(宮山地区時代) ちくせい花火大会 新たな秋の風物詩として開催された。2019(令和元)年に筑西市内で開催されていた花火大会がすべて終了したことに伴い、 新たな花火大会開催への検討が進められていた。当初、2021(令和3)年秋に開催を模索していたが、新型コロナ感染症の感染拡大防止のため やむなく延期。2022(令和4)年10月15日に第1回大会となる「ちくせい花火大会2022」が開催された。 打ち上げ場所は筑西市川澄の新常盤橋北側の小貝川河畔、主会場は道の駅グランテラス筑西。午後6時から およそ1時間で15000発が打ち上げられた。 筑西市川澄。道の駅グランテラス筑西の地図 打ち上げられた花火 萬年寺の桜 慶國山萬年寺。曹洞宗の寺。本堂前はじめ境内に多くある桜。 筑西市関本下159。萬年寺の地図 萬年寺本堂前の桜 上星谷鹿島神社の桜 上星谷鹿島神社境内を彩る桜。 筑西市上星谷。上星谷鹿島神社の地図 上星谷鹿島神社の桜 倉持の桜 倉持地区の道路沿いにある桜。 倉持の桜 旭ヶ丘の桜 母子島遊水地の旭ヶ丘地区にある桜。地区の周囲を取り囲むようにある。 筑西市旭ヶ丘。旭ヶ丘の地図 旭ヶ丘の桜 母子島遊水地 小貝川からの水害防止を目的にした母子島遊水地。初期湛水池からの筑波山は写真撮影スポットとして知られる。 1986(昭和61)年8月4日の台風10号による水害で、大きな損害を被った、小貝川とその支流の大谷川の合流部にあった 当時下館市嘉田生崎の5地区(一丁田、飯田、椿宮、母子島、小釜)が集団移転、遊水地にした。 当時の建設省の直轄河川激甚対策特別緊急事業の指定を受け建設された。面積約160ha、貯水能力約500万立方m。 遊水地は、初期湛水池を除き、通常は水田として利用されている。洪水時には、堤防に設けられた越流堤から水が流れこみ、氾濫を防ぐ仕組み。 なお集団移転した5地区は、遊水地の一角に、これまでより5mほど嵩上げした土地に集団移転、地名も旭ケ丘とした。 初期湛水池は、合流部付近にある。広さ11ha、貯水量は10万立方mある。小さな洪水では、ここで調整し、水田に被害が出ないようにしている。 現在では、筑波山の撮影スポットとして人気がある。池面に映る逆さ筑波はじめ、頂上からの日の出が美しいダイヤモンド筑波などで、特にダイヤモンド筑波が撮影できる時期には多くのカメラマンで賑わう。 なお、湛水池脇には駐車場が整備されている。 ダイヤモンド筑波などの様子は筑波山のビューポイントも参照。 筑西市飯田。母子島遊水地湛水池駐車場の地図 母子島遊水地初期湛水池 母子島遊水地。通常は主に水田として利用されているが、洪水時はここに水を溜める(左)、 小貝川との間にある越流堤、堤防の一部が低くなっており洪水時はここを越えて遊水地に水が流れ込む(右) 母子島遊水地からのダブルダイヤモンド筑波 母子島遊水地の桜 母子島遊水地の湛水池周囲にある桜。 母子島遊水地の桜と筑波山(左)、湛水池周辺の桜並木(右)
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