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坂東市
茨城県坂東市は、茨城県の南西部に位置し、利根川の別名、坂東太郎を冠するように、利根川に接している。
岩井市と猿島郡猿島町が2005(平成17)年3月22日、合併し誕生した。
人口は54,087人(2015年国勢調査)、面積は123.18平方km。
旧岩井市は、1955(昭和30)年3月1日、猿島郡岩井町と飯島村、弓馬田村、神大実村、七郷村、中川村、長須村、七重村が合併し岩井町となり、 1972(昭和47)年4月1日に市制施行した。合併前の人口は43,421人(2000年国勢調査)、面積は90.72平方km。 旧猿島町は、1956(昭和31)年4月1日、猿島郡沓掛町と富里村が合併、富里町となり、同日改称して猿島町となった。 なお、沓掛町は1954(昭和29)年に沓掛村が町制施行、富里村は1955(昭和30)年に逆井山村と生子菅村が合併し誕生している。 合併前の人口は15,252人(2000年国勢調査)、面積は37.46平方km。 平将門がその本拠を置いたのが旧岩井市内とされ、現在も関係する遺構も数多く残る。 つくば市とは隣接していない。つくば市からは、車で1時間弱。筑波山からだと同じく1時間強かかる。 利根渡良瀬自転車道は茨城のサイクリングロードへ。 国王神社 祭神は平将門公。将門公戦死後、母とともに奥州に逃れていた3女の如蔵尼が、父の戦死の地に庵を建て、父の霊を弔ったのがはじまりとされる。 33回忌に当たる972(天禄3)年、父の像を彫り、それを祠におさめたことから、現在の神社になったとされる。 現在の本殿と拝殿は、1683(天和3)年に造営改築の記録があることから、江戸初期のものとされている。 本殿と拝殿は御神体である寄木造平将門像とともに、茨城県指定文化財になっている。 御朱印有。正月3が日及び11月の第2日曜日に行われる将門まつりの日のみの授与。 神社の御朱印については御朱印・神社も参照。 坂東市岩井948。国王神社の地図 茨城県の文化財に指定されている国王神社拝殿(左)、御朱印(右) 国王神社本殿(左)、鳥居と参道(右) 国王神社の紅葉 鳥居付近から参道にかけて多くの楓がある。 国王神社鳥居付近の紅葉 平将門公之像 坂東市総合文化ホール「ベルフォーレ」前にある銅像。平将門公が目指した関東独立国家建設の夢。その夢を求める将門公を表現したという。 像は、駒に乗り、折立烏帽子を被り、狩衣姿に太刀を差した勇姿で、北に向って駒を進めている。躍動的な像となっている。 像の作者は、土浦市出身の彫刻家一色邦彦氏。1966(昭和41)年には高村光太郎賞を受賞するなど、著名な彫刻家として活躍している。 坂東市岩井。平将門公之像の地図 平将門公之像 将門公胴塚 菅生沼の東側の台地にある延命院の本堂の裏におおきなカヤの木があり、その根元に胴塚がある。 戦死した将門公の首は京へ送られ、残った胴体をひそかに葬ったのが、胴塚とされている。この地は、相馬御厨の神領なのであばかれることはなかったという。 なお、胴塚周辺にある「南無阿弥陀仏」の碑は、東京都の「将門塚保存会」からの寄贈。「大威徳将門明王」の碑は、延命院・倉持照最住職の寄進。 顕彰碑は岩井市民(当時)の浄財による。 なお、地名の神田山(かどやま)は、体(からだ)がなまったものとされる。 坂東市神田山715。延命院の地図 延命院胴塚 延命院 神田山如意輪寺延命院。篠越山延命院観音寺。将門山。真言宗智山派。本尊は延命地蔵菩薩。 平将門公の胴塚があることで知られる(上記参照)。 開基は京都・東寺の僧・宗助で、中興は来正。 不動堂祀られる不動尊は谷原不動尊と呼ばれる。 観音堂は1701(宝永7)年、関宿藩主・牧野成春公の助力により建立。祀られているのは聖観世音菩薩で伝教大師の作と伝わる。 なお、延命院は境内に菅生沼七福神の毘沙門天を祀っている(下記参照)。 坂東市神田山715。延命院の地図 延命院不動堂 延命院観音堂(左)、延命院の御朱印、将門明王(中)、同じく延命院の御朱印、谷原不動(右) 延命院の桜 延命院の境内には多くの桜がある。 延命院の桜 延命寺 医王山金剛院といい、別名「島の薬師」。真言宗豊山派の古刹。島広山石井営所の鬼門除けとして建立された。 940(天慶3)年、石井営所一帯を焼かれた時、同寺も被害にあったが、薬師如来像は移し隠され、 その後、世の中が静まるのを待って現在地に再建された。 1445(文安2)年、将門公の子孫である守谷城主・相馬氏が大檀那となって本堂、薬師堂、山門を建てたが、その後、山門を残し焼失。 薬師堂は有慶上人によって再建されたが、再び焼失。現在の薬師堂は仮堂である。 堂内の厨子殿にある薬師如来像は、将門公の守り本尊と称する持護仏と伝えられている。 縁起書によると行基の作とあり、高野山の霊木で刻まれた尊像と記されている。 本尊の大日如来坐像は茨城県指定文化財、山門と石橋は坂東市指定文化財。 坂東市岩井1111。延命寺の地図 延命寺 延命寺山門(左)、延命寺本堂(右) 延命寺の銀杏 境内に複数の大きな銀杏がある。 延命寺、本堂脇の2本の銀杏 島広山石井営所跡 国王神社近くにある。将門公が関東を制圧したときの政治、経済、軍事の拠点。当時周辺には、館や倉庫が立ち並んでいたと見られる。 現在は、明治時代に立てられた石碑があるのみ。 坂東市岩井1603。石井営所跡の地図 住宅地の間にひっそりと立つ営所跡 九重の桜 京都御所紫宸殿前の桜を株分けし、平将門公ゆかりのこの地に植えられたたものと伝えられる。 京で取り調べを受けていた将門公が、東宮(朱雀天皇)の元服の儀が紫宸殿(御所)で執り行われ、その恩赦によって帰国が許された。 室町時代、この地方を治めていた将門公の後裔である平守明が、その恩赦に感謝して御所の桜を株分けし植えたとされる。 もと10数株あったという。現在の桜はその後植えなおされたものと考えられ、八重桜が植えられている。 なお、九重は「王宮」「皇居」を意味する。中国で王宮の扉を九重に造ったことからきているとされる。 坂東市岩井2454−2。九重の桜の地図 九重の桜 石井の井戸 石井営所跡近くにある将門公ゆかりの井戸。 伝説では、将門公が営所の地を探しているうち、不思議な翁が現れ、かたわらの大石を持ち上げ、力いっぱい大地に打ち込むとそこからこんこんと水が湧き出したとされる。 翁はいつの間にか消え去っていたという。 坂東市岩井1627。石井の井戸の地図 広大な田園のなかにある石井の井戸 石井の井戸の桜 石井の井戸の場所に植えられた桜。 石井の井戸の桜 富士見の馬場 平将門公ゆかりの地。将門公が軍馬の調練を行ったところとされる。富士山がきれいに見える場所だったことからこの名がついたという。 この地を基点に北へ220m、幅22mの松並木の馬場が続いていたと伝わる。 坂東市岩井2245−5。富士見の馬場の地図 富士見の馬場 富士見の馬場の枝垂桜 富士見の馬場の碑がある場所に植えられた枝垂桜。 富士見の馬場の枝垂桜 岩井将門まつり 郷土の英雄、平将門公の勇姿を現在によみがえらせようと、旧岩井市が市制施行を1972(昭和47)年スタートした。 旧岩井市の中心市街地が歩行者天国となりおよそ100名の武者行列が練り歩く。毎年11月第2日曜日の開催。 当日は午前10時から国王神社にて戦勝祈願。午後1時から中心市街地の特設ステージで出陣式を行い、おおむね午後2時から武者行列がスタートする。 東京神田の神田明神将門太鼓はじめ、茨城県無形民俗文化財に指定されている「神田ばやし」などが華をそえる。 神田ばやしは「将門ばやし」とも呼ばれ、もともとは将門公の陣営で奏でられた軍楽がルーツとされる。 このほか、出陣式では殺陣披露や弓侍競射、武者行列では国指定重要無形民俗文化財に指定されている福島県南相馬市の相馬野馬追騎馬隊などが参加、歴史絵巻を繰り広げる。 武者行列で平将門公の勇姿 出陣式(左)、武者行列(右) 相馬野馬追騎馬隊 ミュージアムパーク茨城県自然博物館 菅生沼の自然を生かした場所に1994(平成6)年にオープン。「過去に学び、現在を識り、未来を測る」がを基本理念。 自然系博物館として、もともとあった自然を最大限に生かしているほか、宇宙、地球、自然、生命などを部門ごとにテーマ展示されている。 シンボル展示は、中国の内蒙古自治区から産出した松花口マンモスの骨格化石(レプリカ)。 坂東市大崎700。茨城県自然博物館の地図 エントランスにあるシンボル展示、松花江マンモスのレプリカ 地球の生いたちコーナーにあるティラノサウルスなどの骨格標本模型(左)、茨城県の行方市で発見されたナウマンゾウの骨格標本模型(右) 一言神社 平将門公ゆかりの神社。石井の井戸の翁を祀った神社。石井の井戸からすぐ近くにある。 坂東市岩井。一言神社の地図 一言神社社殿(左)、鳥居(右) 深井地蔵尊 平将門公妻子受難の地とされる。安産、子育てに御利益があるとして近隣の信仰を集めている。 坂東市沓掛2205。深井地蔵尊の地図 深井地蔵尊 ベルフォーレ 坂東市総合文化ホール。愛称のベルフォーレは、フランス語で「美しい森」という意味。 坂東市民音楽ホール、坂東市立岩井図書館からなる複合施設。1994(平成6)年4月1日開館。 坂東市民音楽ホールは、観客席704席。音響反射板なども備えた本格的ホール。 音楽家のウラディミール・アシュケーナージ氏選定によるスタインウェイのピアノ(D−274)、 同じくパウル・バドゥラ=スコダ氏選定によるベーゼンドルファーのピアノ(model290)がある。 世界3大ピアノのうち2台を所有する。 坂東市立岩井図書館の開館時間は、平日午前10時〜午後6時30分、土日祝日午前10時〜午後5時まで。月曜日及び祝日の翌日休館。 坂東市岩井5082。ベルフォーレの地図 ベルフォーレ 坂東郷土館ミューズ 坂東市立猿島図書館、坂東市立資料館などからなる複合文化施設。旧さしま郷土館ミューズ。 敷地面積約7195平方m、鉄筋コンクリート2階建一部5階建、建築面積約2448平方m、延床面積は約3327平方m。 図書館、資料館のほか、150席の視聴覚ホール、天体観測ドームがある。 図書楠、資料館の開館時間は、午前10時〜午後6時30分(土日祝日は午後5時まで)。休館日は月曜日(祝日の場合はその翌日)及び祝日の翌日、資料整理日、年末年始。 坂東市山2726。坂東郷土館ミューズの地図 坂東郷土館ミューズ 秀緑 坂東市観光交流センター秀緑。旧酒蔵の建物を改修し、岩井地区の観光交流拠点として、さらに坂東市の新たなカルチャースポットとして、2015(平成27)年にオープン。 本蔵を改修した多目的ホール、主屋は案内所、離れは集会室になっている。また、ガラス工房、陶芸、木工、3Dプリンターの手作り工房がある。 大煙突はランドマークともなる。 坂東市岩井3351。秀緑の地図 秀緑多目的ホールと休憩棟、大煙突(左)、案内所となっている旧主屋(右) 菅生沼七福神 菅生沼周辺にある1つの神社と6つの寺院に配置された七福神をまわる。 2007(平成19)年正月に開創した。 坂東市の5カ寺、常総市の1社1寺に祀られている。 最短のルートで約10km程度。 毎年1月1日から7日(受付時間は午前8時から午後4時30分)まで、専用色紙に御朱印を押す七福神巡りが行われる。 専用色紙300円(霊場案内、巡拝マップ付)、朱印料1ヶ所200円。 菅生沼七福神、朱印を押した色紙(左)、同じく地図(右) 御嶽大滝神社 恵比寿 神社入口に恵比寿天が祀られている。 福の神として商売繁盛や五穀豊穣に御利益をもたらすとされる。 常総市菅生町727−5。御嶽大滝神社の地図 恵比寿天を祀る堂 泉福寺 大黒天 大黒殿は大谷口大黒天と刻まれた石柱とともに入口にある。 祀られている大黒天は、1804(文化元)年、江戸の仏師・黒田高山の手によるもの。 開運招福、福徳円満に御利益があるとされる。泉福寺については下記参照。 坂東市大谷口381。泉福寺の地図 大黒殿 延命院 毘沙門天 延命院を入ってすぐ右側、観音堂の反対側に将門山毘沙門天と刻まれた石柱とともに堂がある。 武神として勝負事に御利益があるとされる。延命院については上記参照。 坂東市神田山715。延命院の地図 毘沙門天を祀る堂 無量寺 弁財天 無量寺の山門をくぐり、すぐ右側に弁財天が祀られている。七福神唯一の女神で、子宝に縁があるとされるほか、 財から財宝神としてあがめられている。 無量寺は関東八十八ヵ所霊場第41番霊場、東国花の寺百ヶ寺茨城10番でもある。 無量寺の詳細は常総市へ。 常総市菅生町5028。無量寺の地図 祀られている弁財天 大安寺 福禄寿 山門の右手に福禄寿を祀った堂がある。 幸福、封禄、長寿の三徳を授けてくれるとされる。大安寺については下記参照。 坂東市矢作1856。大安寺の地図 福禄寿を祀る堂 持福院 寿老人 持福院は、大黒天を祀っている泉福寺の門徒寺。茨城県自然博物館入口手前から入る。大崎寿老人尊と刻まれた石柱と堂がある。 長寿に御利益があるとされる。 坂東市大崎235−1。持福院の地図 寿老人を祀る堂 妙音寺 布袋尊 山門を入ってすぐ左手に布袋尊を祀った堂がある。 堂のなかには、石製の巨大な布袋尊が鎮座する。福徳円満、学業成就に御利益があるとされる。妙音寺については下記参照。 坂東市神田山727−1。妙音寺の地図 布袋尊を祀る堂 菅生沼 市の東側、常総市との境界にある。南北約5km、東西の幅は200〜500mの細長い沼。上沼と下沼にわかれている。 コハクチョウの飛来地として知られる。このほか、ヘラサギやオナガガモなど多くの野鳥を観察できる。 観察施設もきちんと整備されており、だれでも安全に観察することができる。 菅生沼ふれあい橋からの菅生沼 新緑の時期の菅生沼(左)、菅生沼ふれあい橋(右) 菅生沼のコハクチョウ 天神山公園 菅生沼湖畔の天神山を中心とした公園。天神山に休憩スペースのほか、天神山周辺が広場になっている。 上沼近くにありコハクチョウ観察の拠点ともなっている。無料駐車場有。 坂東市神田山。天神山公園の地図 天神山公園の中心にある天神山(左)、天神山公園の駐車場(右) 天神山公園の桜 天神山公園は、全体に桜が植えられている。 天神山公園の桜 八坂公園 園内には、野球場、陸上競技場、体育館、テニスコート、プールなどのスポーツ施設が充実している。 また、巨大な恐竜の遊具が特徴。プールにも恐竜の滑り台がある。このほか園内には約400本のソメイヨシノがあり、花の時期には桜まつりも開催される。 坂東市岩井3162−3。八坂公園の地図 八坂公園にある恐竜の遊具(左)、ハス池(右) 八坂公園の桜 八坂公園の各所に植えられた約400本のソメイヨシノ。花の時期には桜まつりも開催され、夜には桜のライトアップも行われる。 八坂公園、恐竜広場の桜 八坂公園、野球場脇の桜(左)、同じく池周辺の桜(右) 八坂公園の紅葉 公園内にある多くの樹木が紅葉する。 八坂公園、体育館近くの紅葉 八坂公園の大賀蓮 八坂公園にある3650平方mの池一面に色鮮やかな蓮の花を咲かせる。 この蓮は、1951(昭和26)年に千葉県の東京大学検見川農場で大賀一郎博士により弥生時代の地層から 発見された約2000年前の「古代ハス」。翌年には大賀博士により発芽にも成功している。このため「大賀蓮」の名がある。 1975(昭和50)年から栽培を続けている古河市の古河総合公園から譲り受けた。 花は6月下旬ごろから咲き始め8月上旬ごろまで見られる。年によって変わるが7月中旬前後が見頃という。 八坂公園の大賀蓮 八坂公園の梅 八坂公園のグラウンド東側に約50本ほどの梅林がある。 八坂公園の梅林 八坂神社 岩井八坂神社。祭神は素戔鳴大神(すさのおのおおかみ)。924(延長2)年の創建とされる。 1536(天文5)年の古文書には下猿島郡の総社との表記がある。 御朱印有。神社の御朱印については御朱印・神社も参照。 坂東市岩井4754。八坂神社の地図 八坂神社社殿(左)、御朱印(右) 岩井八坂神社の祭礼 岩井祇園祭。第3日曜日が神幸祭。岩井八坂神社=上記参照=を神輿が出御、岩井地区を巡行、当番地区の御仮屋に鎮座する。 第4金曜日と土曜日が神事と還御祭となる。合わせて両日は「岩井の夏まつり」として岩井商店街のメインストリートが歩行者天国となり 多くの露店が出てにぎわう。第4金曜日には祭礼當屋、八坂神社氏子総代役員が御仮屋の神輿前で例大祭を執り行う。 第4土曜日が神輿の還御。神輿は白丁を身にまとった担ぎ手によって神社に戻る。 なお現在の神輿は1925(大正14)年に新しくされたもので、幅6尺(約1.8m)、高さ7尺(約2.1m)という大きさを誇る。 祇園祭については「享保元年(1716年)や元文年間(1736〜41年)、嘉永六年(1853年)」の文書が残っており、 かつては、湯立て神事や競馬、相撲なども行われていた。 また神輿の渡御は神馬を先頭に山車も多く出たという記録が残る。 岩井八坂神社の神輿渡御 しど谷津公園 耕作放棄された谷津田を利用して作られた自然公園。谷津田と斜面林が一体となった地域の伝統的な農村景観を残し、自然に親しみ、自然を学ぶ場となっている。 園内には遊歩道などが整備されている。約620種類の動植物が確認されている。 坂東市。しど谷津公園の地図 しど谷津公園 自性院 寿亀山自性院。真言宗智山派の寺。関東八十八ヵ所霊場第40番札所。茨城百八地蔵尊霊場第32番札所。猿島(さしま)坂東観音霊場第26番札所。 創建は不詳。1516(永正13)年、僧・安智を中興開山とし、山門、大師堂、観音堂などを構える大伽藍を有し、檀林寺として密教の学問所でもあった。 関東八十八ヵ所霊場の詳細は関東八十八ヵ所霊場へ。 茨城百八地蔵尊霊場の詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。 坂東市馬立593−1。自性院の地図 自性院本堂 自性院山門(左)、御朱印(右) 妙安寺みょうあんじ 一谷山妙安寺。真宗大谷派。推古天皇の時代(592〜628年)、聖徳太子の創建と伝えられる古刹。 もと三輪宗の寺院で、最頂院葛城寺といった。 1233(天福元)年、親鸞聖人の法弟・成然(じょうぜん)が、佐竹氏の援助を受けて再興し寺号を改めた。二十四輩第6番寺。 室町時代初期の制作とされる「絹本著色聖徳太子絵伝」(堅掛幅4幅)は国指定重要文化財、室町時代の作とされる「聖徳太子木像」(像高98.7cm)は茨城県指定重要文化財。 長い参道がある。境内のしだれ桜が美しい。 坂東市三(みむら)1793。妙安寺の地図 妙安寺本堂 妙安寺の枝垂桜 妙安寺の本堂前にある桜。なお、参道の両側にも桜が植えられている。 妙安寺本堂前にある枝垂桜 阿弥陀寺あみだじ 屈折龍山称名院阿弥陀寺。真宗大谷派。創建は649(大化5)年、恵鎮法師の開山と伝えられる。 もと三輪宗の寺院で猿島院長州寺といった。1233(貞応2)年、15代の住職が親鸞聖人の弟子となり、安養と名を改めるとともに、寺号を阿弥陀寺とした。 寺宝である実如上人の真筆による御文2帖は、茨城県指定文化財。 坂東市長須4359−1。阿弥陀寺の地図 阿弥陀寺本堂(左)、阿弥陀寺山門(右) 西念寺さいねんじ 極楽寺聴衆院西念寺。真宗大谷派。親鸞聖人の法弟・西念が野田(千葉県野田市)に長命寺として建立した。正応年間(1288〜93年)に西念寺と改められた。 現在の西念寺の場所には、西念の弟・円盛が住職を務める天台宗の聖徳寺があった。その後円盛は、親鸞聖人の教えを受け信証と名を改めている。 建武年間(1334〜38年)、南北朝の争いによる兵火で野田の西念寺が焼けたため、寺の宝物などを聖徳寺に移し、名を西念寺に改めた。二十四輩第7番寺。 「鳴き鐘」の伝説が残る。昔、平将門の軍がこの寺の鐘を持ち出し、陣鐘にしたところ、その鐘は「辺田村恋し、辺田村恋し」と響き渡り、兵士たちの士気が上がらず、 将門は怒って寺に鐘を返したと伝わる。 坂東市辺田355−1。西念寺の地図 西念寺本堂(左)、西念寺の鐘(右) 高聲寺こうせいじ 藤田山道場院高聲寺(高声寺)。浄土宗。開山は唱阿性真。 伝説では、性真がこの地を訪れた時、強い眠気を催し、うとうとしていると平将門公が夢に出てきて「自分に罪は無い」、「謀反人にされて残念でならない」、と嘆くため、その霊を慰めようと寺を建立したとされる。 1288(正応元)年、開山。1684(貞享元)年に現在地に移る。浄土宗藤田派の本山。 江戸時代には将軍家智華寺として歴代将軍の葬儀に参列、270余寺を末寺としていたという。 本堂は2000(平成12)年の建立。鐘楼、山門、開山堂、地蔵堂は江戸時代の建立。 山門は南禅様式の四脚門で1715(正徳5)年の建立。 坂東市岩井3478。高聲寺の地図 高聲寺本堂(左)、山門(右) 慈光寺 明王山慈光寺。弓田不動尊。天台宗の寺。弓田のポックリ不動として広く信仰されている。 746(天平18)年、行基菩薩の高弟が衆魔降伏、真理融通の道場として建立。当時は法相宗だった。 平将門公が石井に営所を構えた際、鬼門除けの本尊として深く信仰したとされる。 その後、兵火で堂宇のほとんどが焼けたが、不動明王の尊像と阿弥陀堂だけが焼け残った。 このため、不動明王を阿弥陀堂に仮安置したところ「不動尊を信仰すれば、阿弥陀尊にまでその願いが届き、殊に臨終の際はポックリと眠るように大往生できる」とされ、信仰が広まった。 現在では「運を開き、厄を払い、福をすること、何事もポックリと心願成就する不動尊」として信仰されている。 御朱印有。寺院の御朱印については御朱印・寺院も参照。 坂東市弓田388−2。慈光寺の地図 弓田不動尊(左)、御朱印(右) 慈光寺(左)、入口(右) 泉福寺 東谷山補陀洛院泉福寺。天台宗。本尊は阿弥陀如来。菅生沼七福神の大黒天が祀られている(上記参照)。 724(神亀元)年、行基が自ら彫った聖観世音菩薩を本尊とし法相宗の寺として創建。 1218(建保6)年、俊仍によって再興され天台宗に改められた。また本尊も阿弥陀如来になった。 坂東市大谷口381。泉福寺の地図 泉福寺 大安寺 密厳山観音院大安寺。真言宗豊山派。本尊は聖観世音菩薩。菅生沼七福神の福禄寿が祀られている(上記参照)。 また猿島阪東三十三観音霊場第30番札所。 室町時代、心源の開創と伝わる。寛永年間(1624〜44年)、弘恵が中興開山。 坂東市矢作1856。大安寺の地図 大安寺 妙音寺 神田山正覚院妙音寺。真言宗豊山派。本尊は金剛界大日如来。菅生沼七福神の布袋尊が祀られている(上記参照)。 坂東市神田山727−1。妙音寺の地図 妙音寺 妙音寺の桜 本堂前、山門と本堂の間、山門前と桜がある。 妙音寺の桜 松崎天神社 内野山天神社。内野山の高台にある。945(天慶8)年、菅原道真公の3人の息子、景行、兼茂、茂景がこの地を訪れた際、 三方を水に囲まれ、風光明媚な景色のこの地に、天穂日命と道真公を祀り、天神社とした。 常陸介でもあった景行が、この神社で平将門公の開拓思想を受け継ぎ、飯沼の開発構想を練ったとされる。 坂東市内野山919。松崎天神社の地図 松崎天神社社殿(左)、鳥居(右) 歓喜寺の江戸彼岸桜 樹齢400年といわれる桜の巨樹。ソメイヨシノより開花は早く、東京でソメイヨシノが開花した頃、満開となる。 開花期間中はライトアップも行われる。 坂東市辺田978。歓喜寺の地図 満開の江戸彼岸桜 ライトアップされた江戸彼岸桜 歓喜寺 辺田山地蔵院歓喜寺。真言宗豊山派の寺。創建は不詳。1628(寛永5)年、寺領安堵の文書が残る。 樹齢400年という江戸彼岸桜が本堂前にある。猿島坂東三十三観音第27番札所。本堂は1976(昭和51)年10月完成。 本堂前に大きな江戸彼岸桜がある=上記参照。 坂東市辺田978。歓喜寺の地図 歓喜寺 逆井城跡公園 戦国時代末期に、小田原の北条氏の出城としてもともとあった城を大規模に改修し築城された。 当時は東西420m、南北300mで面積は126,000平方mで、現在の公園面貴約63,000平方mの約2倍の広さがあった。 このうち約27,245平方mが茨城県指定史跡。城は北条氏の滅亡後廃城となっており、北条氏時代の逆井城を城跡公園として整備した。 外堀と土塁などの遺稿が残っている。また、櫓、橋、塀、主殿、二層櫓などが復元されている。 城跡にある関宿城門は、旧猿島町の住宅に移築されていた門を再移築したもの。 明治になって関宿城が廃城になった後、払い下げられたものと見られる。形式は本柱が門の中心線上からずれている薬医門。 屋根は切妻で瓦葺き、木部に朱塗りが施されている。向かって右側の袖壁に潜戸がある。 同じく観音堂は、同市内の大安寺にあったもの。1588(天正16)年の建立時の棟札と1845(弘化2)年の改築時の棟札が残る。 木柄の大きな面取りや舟肘木(ふなひじき)など、天正期の様式を多く残しているという。坂東市指定文化財。 主殿は、当時の茨城県行方郡牛堀町で発掘調査が行われた大台城の主殿遺構を参考に復元された。 大台城は1595(文禄4)年の築城で、逆井城と同時代に存在した。 正面から見て右半分が主室で、左半分がその控室となっている。 主室は縦三間、横三間の部屋構成で「九間(ここのま)」と呼ばれるもの。室町時代中期の主殿建築の代表的なものとされる。 間口11.46m、奥行5.73m、高さ6.85m。 坂東市逆井1262。逆井城跡公園の地図 逆井城跡公園のシンボルともなっている物見櫓(左)、イベントなども行われる芝生広場(右) 逆井城跡公園に復元された観音堂(左)、時代を考証して建てられた主殿(右) 逆井城跡公園に復元された関宿城の門(左)、同じく空濠(右) 逆井城跡公園の桜 城跡公園に植えられた桜。ソメイヨシノのほか、地元産の桜「紅猿島」もある。花の時期には桜まつりも開催される。 逆井城跡公園、二層櫓前の桜 逆井城跡公園の紅葉 城跡公園は自然豊かで各所にある樹木が紅葉する。 逆井城跡公園の紅葉 ふる里さしま古城まつり 逆井城跡公園を会場に4月上旬(2018年までは10月初旬開催)に開催される。 戦国時代、逆井城を治めていた北条氏繁公の出陣式や武者行列が市民参加で行われるほか、 川越藩火縄銃鉄砲隊保存会の協力を得ての火縄銃演武、茨城県指定無形民俗文化財に指定されている猿島囃子などの郷土芸能披露などさまざまな催しでにぎわう。 また地元産野菜の販売や模擬店、わんぱく相撲大会なども実施される。城跡公園に関しては上記参照。 坂東市逆井1262。逆井城跡公園の地図 ふる里さしま古城まつりでの川越藩火縄銃鉄砲隊の演武 前山公園 広大な芝生広場が特徴。周囲には遊歩道が整備されている。また遊具もある。2009(平成21)年オープン。 坂東市逆井2845−3。前山公園の地図 芝生広場 公園入口、右に駐車場、左にトイレがある(左)、池(右) ばんどうイルミネーション 12月初旬から3月まで、岩井商店街約1.4kmの街路灯に38000球のイルミネーションがつけられる。 また沿道にある観光交流センター秀緑にも一部ある。なお名称は当サイトが便宜上つけたもの。 かつては「ばんどうイルミネーションファンタジー」として八坂公園などで行われていたが現在はこの名称によるPRは行われていない。 街路灯にイルミネーションがつけられた岩井商店街(左)、同じくイルミネーションで飾られた秀緑入口(右) ラウンドアバウト 環状交差点。2018(平成30)年11月15日、坂東インター工業団地内に設置された。 ラウンドアバウトは中央の遠状道路に左折で進入、目的方面へ左折で出る。 進入の際には環状道路側が優先だが一時停止義務はなく(必要に応じて停止)徐行で進入できるのが特徴。 ラウンドアバウトの設置は茨城県内で2例目。 坂東市緑の里。ラウンドアバウトの地図 ラウンドアバウト交差点 万蔵院 神護護国聖宝寺慈徳山万蔵院。真言宗豊山派。本尊は胎蔵界大日如来。870(貞観12)年、理源大師の創建。 江戸時代には、大名の格式を持つ寺院で、総本山移転地常法檀林所(学問寺)として、多くの修行僧が出入りしていた。 本堂は1829(文政12)年、山門は1571(元亀2)年、鐘楼は1832(天保3)年の建立。 1723(享保8)年建立の観音堂は、坂東市指定文化財。このほか、金剛力士像や絹本著色曼荼羅など茨城県指定文化財を所蔵。 巳年に開帳される猿島阪東観音霊場第17番札所。 茨城百八地蔵尊霊場第51番札所。詳細は茨城百八地蔵尊霊場へ。 坂東市生子1617。万蔵院の地図 万蔵院本堂 常繁寺 慈雲山千手院常繁寺。浄土宗。猿島阪東三十三観音霊場第11番札所。 明治時代、逆井村尋常小学校が設けられた。 坂東市逆井883。常繁寺の地図 常繁寺本堂 常繁寺の門(左)、同じく薬師堂(右) 常繁寺の桜 本堂前に枝垂桜など数本の桜があり、境内を彩る。 常繁寺の桜 蓮花寺 稲荷山花山院蓮華寺。真言宗智山派。腹帯地蔵尊として知られる。 本尊の腹帯地蔵尊は、849(嘉祥2)年、后の御懐妊に際し自ら彫ったものとされる。 後に山城国(現在の京都市)の小塩山に精舎を建立し、ここに安置して十輪寺とした。 長らく同寺に祀られていたが、1719(享保4)年、十輪寺に留学していた同寺の祐正が、帰国に際し拝受したという。 以降、同寺の本尊として祀られ、安産、子育ての守護尊として信仰されている。 境内には「地蔵堂」「観音堂」「大師堂」などが祀られている。 観音堂に祀られる聖観世音菩薩は鎌倉時代の作と伝わる。地蔵堂に祀られるとげぬき地蔵尊は1973(昭和48)年に建立されたもの。 大師堂には弘法大師が祀られている。 坂東市下出島282。蓮花寺の地図 蓮花寺の本堂(左)、鐘楼(右) とげぬき地蔵尊を祀る地蔵堂(左)、奥、本堂前に観音堂、手前に大師堂(右) 宝蔵寺 八幡山無量院宝蔵寺。真言宗智山派。猿島阪東三十三観音霊場の掛所になっている。 坂東市中里。宝蔵寺の地図 宝蔵寺 宝蔵寺の桜 境内に多くの桜があり、桜吹雪の時期は圧巻。 宝蔵寺境内の桜 長谷寺 補陀洛山極楽院長谷寺。長谷観音。本尊は十一面観世音菩薩。大和国、長谷寺の末木をもって彫られたという。 真言宗智山派。800(延暦19)年、坂上田村麻呂が奥州征伐の際、この地に観音像を安置し戦勝を祈願したとされる。 現在の観音堂は元禄時代に建立したとされる。猿島阪東観音霊場第33番札所で結願所。 境内に弘法大師堂、聖徳太子堂がある。 坂東市長谷。長谷寺の地図 長谷観音 境内にある弘法大師堂(左)、同じく聖徳太子堂(右) 北山稲荷神社 社号標には「北山稲荷大明神」とある。平将門公終焉の地とされる。 将門記では平将門公が最後に陣を構えた場所として「幸嶋郡之北山張陣」とあり、諸説あるものの、この北山稲荷の場所がその有力地とされる。 神社は南側に長い参道がある。境内には「鎮魂平将門公之碑」「平将門公戦没之地辺田北山」などの石碑が建立されている。 1975(昭和50)年、境内から、将門公の命日などが書かれた板碑が出土した。 この板碑は、1031(長元4)年、源頼信が平将門公を供養したことなどが記されていたことから、この地が将門記に記載のある北山の有力地として知られることになったという。 坂東市辺田。北山稲荷神社の地図 北山稲荷神社社殿(左)、鳥居と社号標(右) 鎮魂平将門公之碑などと刻まれた碑(左)、戦没之地辺田北山と刻まれた碑(右) 沓掛の大欅 沓掛神明社=下記参照=の御神木。茨城県指定天然記念物。幹回り約8.5m、樹高約30mという。 北側に大枝が張り出しており、柱で支えられている。 坂東市沓掛844。沓掛の大欅の地図 沓掛の大欅 神明社 沓掛神明社。祭神は天照大御神。社殿裏に沓掛の大欅がある=上記参照。 坂東市沓掛844。神明社の地図 神明社 八坂神社 神田山 神田山八坂神社。創建年代不詳。古くから牛頭天王社と呼ばれた。旧村社。 坂東市神田山。神田山八坂神社の地図 神田山八坂神社 神田山八坂神社の桜 拝殿前に枝垂桜がある。このほか、境内には複数の桜がある。 神田山八坂神社の枝垂桜 神田山八坂神社の桜 神田山八坂神社の銀杏 鳥居脇に大きな銀杏がある。また境内にもこれほどの大きさではないが2本の銀杏がある。 神田山八坂神社の銀杏。左下に小さく見えるのが鳥居 八坂神社 生子 天王さま。創建年代不詳。疫病流行の時、祭祀を行ったところ御神威惣ちに病難を消除したと伝えられる。 1902(明治35)年、現在地に遷座した。 同神社の例祭である祇園祭に伝わる「猿島ばやし」は茨城県指定無形民俗文化財。 坂東市生子1465。生子八坂神社の地図 生子八坂神社(左)、鳥居(右) 八幡神社 神田山新田 室町時代、神田山を本拠にした豪族、名越若狭守義綱が一族の守護神として祀ったのが始まりという。 江戸時代、享保年間(1716〜36年)に行われた飯沼干拓により開かれた土地に義綱の9代の孫、武右衛門が隠居する際、 現在地に遷座した。1872(明治5)年に社殿造営。社殿の彫刻は当時の名工、後藤縫之助によるもの。 坂東市神田山新田155。八幡神社・神田山新田の地図 神田山新田八幡神社 八幡神社 長須 長須八幡神社。八幡香取神社。創建年代不詳。八幡宮として崇敬されていたが、1863(文久3)年、下総国香取宮の分霊を奉還。旧村社。 坂東市長須。長須八幡神社の地図 長須八幡神社 香取神社 逆井 逆井香取神社。祭神は経津主命。同神社に伝わる逆井本村祭囃子は坂東市指定無形民俗文化財。 坂東市逆井1044。香取神社・逆井の地図 逆井香取神社 八龍神社 生子 祭神は高闇龗命。創建は不詳ながら天慶年間とも伝わる。 境内に地元出身の実業家、片倉七郎翁の顕彰碑がある。引抜鋼管の製造販売「片倉の鋼管」の創業者。 同神社に多額の寄進を行っている。 翁は1912(明治45)年生まれ、1924(大正13)年に生子菅小学校を卒業すると大阪に出て鋼管会社に入社。 1936(昭和11)年に大阪で片倉七郎商店を創設し独立。 その後引抜鋼管の3工場を買収し片倉鋼管製造所を設立、のちに、商店と製造所を合併させた。 さらに販売会社として片倉の鋼管を設立、1955(昭和30)年に改めて製造所などを合併して製造から販売まで手掛ける片倉の鋼管とした。 現在同社は、日本製鉄の子会社(新日鐵住金時代に子会社化)となり日鉄片倉鋼管となっている。 御朱印有。授与は坂東市の沓掛香取神社=下記参照=社務所。 神社の御朱印については御朱印・神社も参照。 坂東市生子632。八龍神社・生子の地図 生子八龍神社拝殿(左)、御朱印(右) 生子八龍神社本殿(左)、同じく鳥居、社号標(右) れんげ畑 坂東市矢作の七郷中川土地改良区内の圃場にある。れんげ畑を中心にクリムゾンクローバー(ストロベリーキャンドル)畑がある。 農地の土壌改良を目的に行われ、場所は年によって移動する。また面積も10haから20haと年によって違う。 5月上旬にはこのれんげ畑を会場に坂東レンゲまつりが開催される。 れんげ畑(左)、クリムゾンクローバー畑(右) 逆井山小学校の枝垂桜 逆井山小学校の校舎北側にある枝垂桜。 坂東市逆井。逆井山小学校の地図 逆井山小学校の枝垂桜 逆井山小学校の桜 正確には逆井山小学校脇の歩道にある桜並木。 逆井山小学校脇の歩道の桜並木 坂東市役所猿島庁舎の桜 坂東市役所猿島庁舎入口にある桜。桜のトンネルになる。 坂東市山。坂東市役所猿島庁舎の地図 坂東市役所猿島庁舎の桜 つくばハイテクパークいわいの桜 つくばハイテクパークいわいの調整池を中心にした幸神平公園及びその周辺に多くの桜が植えられている。 坂東市幸神平。幸神平公園の地図 つくばハイテクパークいわい、調整池周辺の桜 中里二十三夜塔の桜 道の真ん中に孤立してある桜。根元には「二十三夜塔」がある。 中里二十三夜塔の桜 沓掛香取神社 祭神は経津主大神、軻遇突智大神。創立年代不詳。社伝では、経津主命の傍系孫・美計奴都加佐命が神籬(ひもろぎ=神を迎える臨時の台)を立て、 祖神を奉斎したのが始りと伝えられている。 940(天慶2)年、平将門が近くに館を新築した際、同社の社殿を再建し、一本の杉の木を植え御神木とした。 また1428(正長元)年、結城氏朝公が社殿を修復し刀剣(来國行作)を献納したという。 江戸時代には、8台将軍・徳川吉宗が近隣の開墾をした際、本殿を奉納した。 本殿は一間社流造りで、全体に精巧な彫刻が散りばめられた豪華なもの。茨城県の重要文化財に指定されている。 御朱印有。神社の御朱印については御朱印・神社も参照。 坂東市沓掛4124。沓掛香取神社の地図 沓掛香取神社 沓掛香取神社の鳥居(左)、社殿前に祀られている境内社、左が天満宮、右が聖徳社(右) 沓掛香取神社の御朱印(左)、沓掛香取神社境内社、天満宮及び聖徳社の御朱印(右) 弓田香取神社 ゆだかとりじんじゃ もともと神社近くに兵庫屋敷(兵器倉庫)があり、その守護神として祀られたとされる。 939(承平3)年には、平将門公が参拝したとされる。 御朱印有。神社の御朱印については御朱印・神社も参照。 坂東市弓田274。弓田香取神社の地図 弓田香取神社社殿 弓田香取神社の鳥居(左)、御朱印(右) 弓田香取神社の桜 弓田香取神社社殿前に大きな桜がある。 弓田香取神社境内に咲く桜
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